自然栽培の昨年の報告が大体集まったので、今度特集号を発行します。一昨年、昨年も特集号を発行して、今年で三回目ですが、理論は大抵今までに発表してありますから、今まで発表しない様な事で、今度の報告を見た感想とか注意という様なものを書いてみたので、それを読ませます。
御論文〔自然栽培に就いて〕 【註 栄光一九八号】
自然栽培に就いて
(栄光一九八号)
今までに本紙農業特集号を出したのは、一昨年と昨年と今回とをあわせて三回になるが、年々自然栽培耕作者が多くなると共にその報告も増え、今回のごときは付録〔略〕として四頁も増したくらいである。そこで報告書を一々読んでみると成績は益々よく、収穫が増すばかりか品質も良好となりつつある事で、これも当然とはいいながら喜ばしい限りである。それがためこの実績を見て今まで迷っていた農民達も、次々自然栽培に切替えるようになり、一村で一度に三十一戸の自然栽培者が出来たという事である。また新潟県佐渡ケ島での実績は揃って初年度から優良で、信者ならざる農民層がドシドシ増える状態で、この分でゆくと数年ならずして全島自然耕作となるのは、太鼓判を捺しても間違いはあるまい。しかも別項のごとく東京食糧事務所業務第二課長農学士山川達雄氏のごときは自然栽培を知った二年前から、現地の状況をつぶさに調査の結果、予想外の好成績に、夢かとばかり驚嘆したそうである。何しろ今までの学理とは全然反対であるから、直に理解が出来ないため、頭脳の困惑に悩んだとの話であるが、さもありなんと思われる。
以上によってみても、最早良いとか悪いとかの論議の時期は、すでに過ぎたといってよかろう。従ってもしまだ疑念を持つ人がありとすれば、その人は欲のない変人としか思えないのである。そこで大いに考えなければならない事は、現在我国における人口増加の趨勢である。アレ程骨を折っている産児制限を尻目にかけて、益々増える一方である。その上敗戦によって狭められたる国土の事をも思う時、到底安閑としてはおれないはずであるにもかかわらず、私は昨年も一昨年もこの特集号を農林大臣始め各大臣、国会議員、新聞社、全国の主なる農事関係者に配布したが、余り関心を持たれないとみえて、相変らずの誤れる農耕法を続けているのである。そのため一力年数百億に上る金肥は固より、農地改良費や奨励金等合計すれば、実に巨額な支出となるのはもちろん、増産何年計画などといって大童になっているが、サッパリ効果が挙らない事実である。しかもこのような計画は余程前から何回となく繰返しているが、いつも計画倒れに終っている。その証拠には昨年など豊作といいながら、平年作を僅か上廻ったにすぎないのであるから、最早従来の農耕法ではどんなに工夫し骨折ってみても駄目、との烙印を捺されている訳である。それだのに確実に大増産が出来る我自然農法を知らしても、蔑視してか研究しようとする気振もない。それというのも宗教から出たという取るに足らない理由からでもあろうが、まことに困ったものである。そんな訳で政府は何だかんだと種々の対策を立てては失敗し、年々巨額の人民の税金を無駄に費消しているのであるばかりか米の輸入も年々増え、現在ですら年二千数百万石の輸入と、その代金一千億以上を払うのであるから、寒心に堪えない国家的悲劇である。この悲劇の原因こそ長い間の肥料迷信のためである事で、別項多数の報告〔略〕によってみても充分認識されるであろう。そうして事実を目の前に見ながら、躊躇逡巡躊らう人も信者の中にさえ相当あるくらいであるから、その根強さは驚くの外はないのである。何よりも思い切って最初から私の言う通り実行した人は、予期通りの好成績を挙げ得たので、なぜもっと早く実行しなかったかと後悔するくらいである。
何しろ本農法は、従来のやり方とは全然反対であるから、容易に転向出来ないのも無理はないが、といってこれ程事実が証明している以上、信ぜざるを得ないはずである。以下それらを一層詳しくかいてみよう。まず我国民が先祖代々長年月肥料を施して来た結果、我国農地全部は汚され切っており、そのため土は酸性化し、土本来の性能は失われ、人間で言えば重病人の体質と同様になっているのである。その結果作物は土の養分を吸収する事が出来ず、肥料を吸収して育つように変質化してしまったので、全く麻薬中毒と同様である。ところで今までとても農事試験場や農民の中にも、無肥耕作の試験をした事もあったが、何しろ一年目は非常に成績が悪いので、それに懲りて止めてしまったという話は時々聞くので、この事なども肥料迷信に拍車をかけた事はもちろんである。そんな訳で耕作者は肥料をもって作物の食料とさえ錯覚してしまったのである。事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢罵、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえあるくらいで、もちろん肥毒のためなどとは夢にも思わないからである。ところが栽培者は信者である以上絶対信じているので、幸い我慢をしながら時を待っていると、二年日、三年目くらいからようやく稲らしくなり、収穫は増えはじめ、しかも良質でもあるので、今度は嘲笑組の方から頭を下げ、自然組の仲間に入る人達も、近頃メッキリ増えたという事である。そうして肥毒が全くなくなるのは、まず五年はかかるとみねばなるまい。その暁私が唱える五割増産は確実であって、これが六年となり、七年となるに従い、驚異的増収となり、やがては十割増すなわち倍額も敢えて不可能ではないのである。というのは分蘖は倍以上となり、しかも穂に穂が出るのでそうなったら倍どころではない、一本の茎の実付き千粒以上にもなろうから、到底信ずる事は出来ないのである。
ここで米というものの根本的意味をかいてみるが、そもそも造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆけるだけの主食を与えられた。それが米麦であって、黄色人種は米、白色人種は麦となっている。それを成育すべく造られたものが土壌である事は、何人も否定する事は出来まい。としたら人口がいかに増えてもその必要量だけは必ず生産されるはずである。もしそうでないとしたら、必ずやどこかに大きな誤りがあるに違いないから、その誤りを発見し是正すればいいので、それ以外増産の道は絶対あり得ないのである。この意味において我国の人口が現在八千四百万人とすれば一人一石とみて八千四百万石は必ず穫れるはずである。ところが現在は平年作六千四百万石としたら、二千万石は不足している訳で、この原因こそ金肥人肥のためであるから、その無智驚くべきである。ところが喜ぶべし私はこの盲点を発見し、ここに自然農法が生まれたのであって、これによれば五カ年で五割増産となるから九千六百万石となり、悠に一千二百万石は余る事になる。しかも肥料も要らず、労力も省け、風水害にも被害軽少で済み、現在最も難問題とされている虫害はほとんど皆無と同様となるとしたら、その経済上に及ぼす利益は何千億に上るかちょっと見当はつかないであろう。この夢のような米作法こそ開闢以来未だ嘗てない大いなる救いといえよう。私はそれを立証するため、数年前から多くの農民を動員し、実行を奨励した結果、予期通りの成果を得たので、ここに確信をもって天下に発表するのである。しかも報告者の宿所姓名まで詳記してあるから、不審のある場合、直接本人に打つかって訊けば何よりである。
以上のごとく理論からも実際からも、一点の疑問の余地はないのであるから、農耕者としたら何を措いても一刻も速かに実行に取掛るべきである。そうしてここに誰も気のつかないところに今一つの重要事がある。それは硫安のごとき化学肥料や糞尿を用いる以上、それらの毒分は無論稲が吸収するから、今日の人間は毒入り米を毎日三度三度食っている訳であるから、その毒は健康上どのくらい害を及ぼしているか分らないのである。事実近頃の人間の弱さと病気に罹り易い事と、特に寄生虫患者が農村に多い事など考え合わす時、これが最大原因である事は考えるまでもあるまい。以上によって大体分ったであろうが、この肥料迷信発見こそ国家国民に対し計り知れない一大福音であろう。
次に栽培法について誤謬の点が相当あるようだから、ここにかいてみるが、本教信者になって私の説を読んだり聞いたりしながらも、素直に受入れられない人もあるが、何しろ先祖代々肥料迷信の虜となっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ棄ててしまい私の言う通りにする事である。それについても種子であるが、報告中にある農林何号とか、旭何々などとあるが、これは何らの意味をなさないので、自然栽培においては一般に使う種子なら何でも結構である。つまり肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも、一級以上の良種となるからである。要は肥毒の有無であって、信者中から何年か経た無肥の種を貰うのが一番いいであろう。その場合種子も近い所程よく、県内くらいならいいが、相当離れた他県などでは成績が悪いから止した方がいい。それと共に土の肥毒であるが、肥毒が無くなるにつれて快い青色となり茎は固くしっかりし、分蘖も数多くなり、毛根も増え、土深く根張るから倒伏も少なく、それらの点でよく分る。
そうして堆肥について、まだ充分徹底していないようだが、最も悪いのは稲田に草葉を入れる事で、これは断然廃めた方がいい。稲作はいつもいう通り藁を短く切り、土深く練り込めばいいので、余り多くてもいけない。というのはそれだけ根伸びを阻止するからである。また度々言う通り藁には肥料分はない。肥料は土そのものにある事を忘れてはならない。つまり藁を使うのは土を温めるためで、寒冷地には使っていいが、温暖地には必要はない。これが本当の無肥料栽培である。それから土の良い悪いであるが、これも余り関心の要はない。なぜなれば悪土でも無肥なれば年々良くなるからで、連作を可とするのもこの意味である。また浄霊であるが、これは肥毒を消すためで、肥毒がなくなれば必要はない。以上大体気の付いた点をかいたのであるが、その他の事はその場所の風土、気候、環境、位置、日当り、灌漑、播種と植付けの時期等適宜にすればいいのである。
最後に特に注意すべき事がある。それは自然栽培と信仰とは別物にする事である。というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、せっかくの本農法普及に支障を及ぼすからである。事実信者未信者を問わず効果は同様である事を心得べきである。従って浄霊も余り度々行わなくともよい。なるべく人に見られないよう日に二、三回くらいで充分である。つまり出来るだけ信仰と切放す事を忘れない事である。
これについて面白い事があるのです。今までの報告では佐渡が一番良いのです。佐渡だけは初年目から少しずつ増えているのです。ですから信者でない農民もそれを真似して、今どんどん増えているのです。ですから今も読んだとおり、佐渡だけは十年以内には全島自然栽培になるだろうと思っているのです。では、どういう訳で佐渡ではそんなに成績が良いかというと、佐渡の人は浄霊をしないのです。これはおもしろいのです。少しはする人もありますが、大体はあんまりしないのです。これが神様の思召しに適っているのです。ところで〝浄霊をしなければ良く出来ない〟という様に思わせる事が大変悪いのです。何故かというと、そうすると〝信仰にはいらなければならないから、もう少し考えよう〟という事になるのです。それでは普及が非常に遅れます。だから〝信仰にはいらなくても肥料さえやらなければ良く出来る〟という事を思わせるのです。そうすると〝ああそれではわけないから〟というので、どんどん真似する様になります。そうするとそれだけ増産になりますから、早く効果があるわけです。だから浄霊をして、それを知られるという事が、大変に普及のお邪魔をしているわけです。というのはそういう考えは、信仰した方が良く出来るというのを見せて、信者を増やそうという考え方ですから……悪い事はないが……その考え方が小乗的なのです。だから今も読んだとおり、浄霊するのは肥毒を消すためですから、せいぜい日に二、三度くらいで良いのです。よくお蔭話などで何回もやる人があります。外出した時と帰りがけには必ずやるという様にして、そのために隣り近所の百姓が皆嘲笑したり、いろいろ言ったりしてます。ところがむしろこれによって出来るのだ、という事を見せびらかしてやってますが、それは大変間違っているのです。それで浄霊は肥毒を消すのだから、肥毒の強い所はやっても結構ですが、なるべく人に知れない様にするのです。それは夜やるのも結構です。そうすると間違えて、魚カスや油カスをやっているのだと思うでしょうが、それは神様の方の油カスというわけです。そういう様に、なるべく人に知れない様に浄霊をするのです。それも日に二、三度で沢山です。それで浄霊をしなくても立派に出来るのです。ただあんまり肥毒の強い時には、人間の薬毒と同じですから浄霊すれば消えます。肥料というのは薬毒と同じなのですから……。
それからもう一つは、稲田に草葉の堆肥を入れる人がよくありますが、これは大変間違っているのです。それでどうも土そのものが肥料だという事を忘れ勝ちなのです。この頃は大分わかって来た様ですが、最初のうちは草の堆肥を沢山入れて、そのために出来なくなった事があります。ですから本当言うと、堆肥も何も入れないで土ばかりでやるというのが本当で、それが一番良く出来るのです。結局はそうなります。それで畑なども土が固まるのを防ぐために堆肥をやるのですが、土が固まらなければ、堆肥の必要はありません。それで土も年々無肥料栽培でやって行くと固まらなくなります。土がそういう様になって行きますから堆肥の必要はなくなります。それでみんな、どうも堆肥に肥料分がある様に思ってならないのです。それは今までの肥料迷信が残っているのです。とに角自然栽培のやり方というのは、一番手数がかからないで楽なのです。それがいいのです。どうも人間は面倒臭い事や、ややこしい事をしたがる観念がありますが、そのために成績が悪いのです。ですから一番手数がかからないで楽なやり方ほど良いのです。
そこで今度一番とれたのが岐阜県の人で反十八俵というのです。しかしこれが一寸まずかった事は、田を三つの区域くらいに分けたのです。それでその米をみんな一しょにしてしまったのです。ですから平均して十二俵幾らかになりましたが、それでも素晴しいものです。そのうちの一区割の所だけが非常に良く出来たのです。そこで、そこの箇所の推定ではどうしても十八俵だという事になったのです。とに角正確にやらなかったのは遺憾ですが、来年はちゃんとするでしょう。それで毎年朝日新聞で米の多収穫の日本一を競走してますが、今年の一等は四国の方の人で十五俵一斗三升二合というのです。それでそこに私の方の信者の人が調べに行ったのです。ところが競走するのは、又別なやり方をするのだそうです。それでこの収量は今年だけであって、来年はずっと落ちると言うのです。別なやり方というが硫安をうんと使うのです。丁度ヨッパラッて顔色を良くして威勢良く踊る様なもので、大変元気はある、という様な理窟なのです。それでああいう物は一時的に効果があるから迷わされるのです。〝来年はずっと落ちるから止す〟と、本人が言っていたそうですから間違いないでしょう。しかし自然栽培で出来た物は年々増えるのですから、全然訳が違います。来年は、今の岐阜県の人も朝日新聞に出す事になってます。
それからもう一つは、今度の特集号に出しましたが、一番古くからやっているのは去年で六年目になりますが、附近の田から見ると六割以上増えているのです。私は〝五年で五割増産〟という事を言ってますが、六年目で六割以上ですから、まず〝五年で五割増産〟ということは実現したわけです。こういう例は本当に事実が現わしたのですから大変良いです。そういう様なわけで、とに角間違いないという事が立派に分ったのです。大体こういう事は分ってはいますが、本当の事実……と言うと変ですが、このとおり間違いない結果が出た以上、これを早く日本中に分らせて、大いに食糧問題を解決しなければならないのです。なにしろこのために、私の推定ですが一年間三千億円は違ってます。ですから全国的には自然栽培にすれば三千億円はプラスになるのですから、これをできるだけ普及しなければならないと思っているのです。
それで今度自然農法普及会という会を作ったのです。まず大体一村一カ所の支部という目標です。それで調べてみると、村というのは、日本中に大体一万何千かありますが、本当の農村でなくいろんなのがあるので、確実な数としては一万とみればいいのです。ですから一万の支部を作ってやれば大変なものですが、それは急には出来ないがその目標でやってゆけば、それだけずつ国家的の利益になりますから、そういう方針でやってゆこうと思ってます。無論その支部長になる人は、救世教の教会の支部長というのでなく、信者、未信者を問わず、なるべくその村の篤農家、村長、農会長という人がなって、そうして始終座談会とか指導をして、そうして信仰に関係なくただ自然農法の普及という考えでやって行く様にしようと思ってます。ですから信者さんもそういうつもりで、農業をしている人は、あの人を是非ああしたい、あそこに支部を作りたい、という事を心がけて居てもらいたいと思います。
それについて、自然栽培の解説書という様な小冊子を作ってます。大体地上天国の半分くらいの大きさにして百五十頁くらいです。それは今年、昨年、一昨年の三年間の特集号をそっくりそこに載せてますが、その序文代りに載せる論文を読ませます。
御論文〔自然農法解説書〕
自然農法解説書
(「自然農法解説」より)
この小冊子は現在我国最大の悩みとされている米の問題に対して、絶対有利な解決方法を解説したものであって、誰も知る如く今日我国民を養うに足るだけの数量は全然獲れず、現在一ヵ年二千万石以上不足しているのであるから、実に由々しき大問題である。この原因こそ金肥人肥の肥料を使う為であるという、実に夢にだも思えない程の意外な事実であって、これに目醒めない限り、増産の不可能な事は断言できるのである。処が我自然栽培に切替えれば、五ヵ年にして五割増産という画期的成果を挙げ得られるという原理を、詳細説いたもので、それを立証する為数十に上る実験報告をも、耕作者自身の手でかいたものを併せて載せてある以上、一点の疑う余地はあるまい。而も本農法は一銭の肥料代も要らないと共に、労力も省け、風水害の被害も軽少でで済み、虫害は何分の一に激減する等、一石数鳥の効果があるから、この実行によって農民の経済問題は一掃されると共に、国全体としての利益は、一ヵ年何千億に上るか計り知れないのであるから、斯くの如き殆んど信じられない程の一大発見こそ、この急迫せる国家の事態に対して、如何に大いなる福音であるかは形容の言葉さえないであろう。玆にこの目標達成の為大々的宣伝運動は勿論、尚徹底を期する為、今回自然農法普及会を創立し、取り敢えず一村一カ所の支部を設け、団体的行動によって普及を図らんとするのであるから、この意味を十分認識され、入会と共に一日も早く実行に着手されんことを希求して止まないものである。
病気の方は厄介ですが、自然農法の方は割合簡単に成功すると思うのです。医学の方もいずれはこうなるでしょうが、そうなれば大したものです。それで自然農法の発見は、そのお蔭は日本ばかりではないのです。今はインド、ビルマ、タイでも硫安を非常に使うのです。というのはあっちに行く硫安の輸出は大変なものです。そういう様で、あっちの方も非常に米がとれなくなって来たのです。丁度麻薬と同じ事で、最初やった時はばかにいいので、そこで瞞まされてしまうのです。それが丁度麻薬と同じ事で、年限がたつうちにだんだん駄目になって行くのです。それで駄目になった事に気が付かないのです。人間も猫と同じ様なものです。猫が屋根で日向ボッコをしていますが、日の当ってない時でも、日が当ると思ってそこに行って何時までも居ます。丁度それと同じで、硫安が良くきいていたので毎年それをやっているのです。そういうわけで肥料迷信というものは、日本ばかりでなく、ほとんど世界的になってます。これもやはり世界人類を救う大きな役目をするわけです。
それから医学の革命もこれからだんだんやって行きますが、それについて昨日、一昨日の東京日日に出てました。大抵読んだでしょうが、薬毒と医学の誤謬(誤謬?)という事を書いてあるのです。東京日日は大新聞の中にはいってないが、中新聞としてはとに角社会からも相当認められています。その日刊新聞にこっちの説が非常に詳しく書いてあるという事は非常に良い事と思うのです。これは最初ですが、これからだんだんみんなが知る様になって来るとか、輿論みたいに拡がって行くという様になるでしょうが、とに角非常に良いと思います。
それからもうじき「結核信仰療法」も売り出すつもりですが、これも非常に売れると思います。なにしろ結核でなおらなくて煩悶している人が大変なのですから、そういう点で医学の方に愛想を尽かしてますから、何か外の事でなおすものはないかと思っている人は大変なものです。そこに、〝結核信仰療法〟というと、それは腹の中では信仰でなおそうかと思っている様な人が沢山あるに違いないから、そういう人は飛び付くわけです。それに「結核信仰療法」は充分徹底して書いてあり、それからなおった人の体験談を百例載せてあります。問題にはなりましょうが、お医者さんの方ではどうする事もできないと思います。実は今度の「アメリカを救う」でも、お医者さんの方ではなかなか問題にしようとしているのですが、さて見てみると突込む事ができないのです。なんとなれば御自分の方が下だからです。大学生の講議(講義?)を小学生が文句言う様なものですから、ちょっと手が出ないのです。ですから今度の「結核信仰療法」でも〝医学が結核を作る〟という項目があるのですから、それを見たら随分ジリジリするだろうと思いますが、そうかと言って突込む事ができないのです。ですから私は突込んで来れば結構だと思っているのですが、先方は拳骨を懐に入れていて出して来ないのです。
それで私が考えている事は、結局私が大病院に行って、片端から浄霊してやるとか、病原を説明してやるとか、医科大学の講議(講義?)をやりたいと思ってます。それも生徒ではいけないのです。博士階級の人を少なくとも数十人というのなら、私も喜んで講議(講義?)します。そうでなければ解決がつきませんから、そこまで行くだろうと思ってます。だからこれからだんだん面白くはなって来ます。
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