九月一日

(お 伺) 当年六十五才の未入信の女、昭和二十五年二月乳癌になり、電気及びテルミをかけて八カ月に及び、どうしても手術をしなくては治らないといわれましたが、気が小いさいので手術を受けられず、如何したら良いかと迷っている時、お道の尊いお話を聞いて佐原出張所に尋(訪?)ねて参りました。現在、助手佐原氏より御浄霊を受けて居りますが、一カ月目より熱が高くなり、一日置き位に痛みが来る様になり、左乳の脇に小さな「おでき」が出ては治り、出ては治り、それがとても痛みますと申します。御浄霊五十回目に乳首の附根より膿が出始めて参りました。今後重点的に何処を御浄霊させて戴いて宜敷う御座いましょうか。御伺い申上げます。

〔御 垂 示〕

 治るのが遅いですね。重点的と言っても、そこの処です。膿が出ると治るんです。根気よくやるんですね。すっかり治ります。大体は本当の癌は痛まないんですよ。痛むのもありますがね。癌と膿と混じっているのは痛むんです。非常に痛いのは結構ですね。癌じゃないですね。

(お 伺) 昭和二十六年五月八日入信させて戴きました者で御座います。入信以前、昭和廿五年九月頃より婦人病(医師の診断により)卵巣膿腫と診断され、早速入院手続きを致し、卵巣、子宮及び盲腸をも取られ、約一カ月間入院して居りました。其後小康を得て退院致し自宅に於て静養して居りましたが、思う様に良くならず困り居りました処、近所の信者様より有難き御救いの御話を承り、早速教会にて御浄霊を戴きお蔭様にて楽にさせて戴きました。其後娘がお守様を拝受させて戴き、次に主人も私も拝受。御神体及び御屏風観音様も奉斎させて戴き、一意御浄霊を続け、御縋り致して居ります。現在の御浄化の状態は下り物が激しく腹痛が起き、又尿道も共に痛み、排尿時の折は特に激痛を感じます故に思う様に排尿も出来ず、常に残り居る様な感じが致して居ります。又時々下痢を致し、粘液が多量に出て相当に苦痛が伴います。尚右側下腹部に卵大位の固結が出来ております。それが解ける度に、又苦痛が御座いますが、段々と快方に向いつつあります。此儘の御浄霊で宜敷う御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 之はやはり早いと良かったんです。取っちゃったものはしようがない。今の色んな症状ですが、之は手術した為です。消毒薬ですね。消毒薬がしみ込んで、それが出るんですよ。消毒薬と言うのは非常に恐ろしいものでね。手術した人は必ず、相当ひどい痛みがあります。排膿時の激痛―之もそうです。下り物が激しく―之もそうです。腹痛―之もそうです。全部その為です。だから、それが出るだけ出れば治るので、手術をした処を中心に浄霊すれば、段々薬毒が出て治りますから、別に心配はないが、それ迄の苦痛ですね―それは仕方がない。然し段々減るに従って苦痛は減って来ますから、もう一息我慢する。それより他にしようがない。

 卵巣を取ったのは。

 (両方で御座います。子宮筋腫の様に思われますが)

 まあ―筋腫でしょうね。やっぱり毒の固まりですから、気長にやれば治ります。

 (下り物は時々色が違います)

 それは薬だからです。色んな薬があるからで、その中に血が混じるし、膿が入るし、薬にも色々ありますから、色んな色がある程、反っていい訳ですね。医学の犠牲者ですね。どうも仕方がないですね。

 

【御 教 え】

 文明の創造の医学に関した事も殆んど出来た。唯、今迄のは科学的にだが、これからは霊的にですね。病気を霊的に説いて、段々宗教に入って行く。結局、問題の解決は病気を無くすればいいんです。それだけです。病気を無くすと言う事は、病気を作らない事にすればいいんだ。そうすると、病気は医学が作っているんですから、それに医学が目覚めればいいんです。そう難かしいんじゃない。今朝、百余歳になるお婆さんと、その孫、曾孫等沢山写真に出てました。そのお婆さんは薬、注射は大嫌いと言って居ます。若し医学が良いものなら、そうした薬や注射をやって呉れと言うんです―あべこべならね。誰でも百以上は生きるんです。ですから病気で死ぬと言うのは不自然死と言うんですがね。自然死はどうしても百以上で死ぬんです。だから、皆んな自然死の人間になればいいんです。訳はないんです。体に薬を入れてなければいいんです。それ以外で死ぬのは薬で死ぬんです。それは薬と言う迷信にかかっているからです。迷信では之程素晴らしいものはない。之を打破するんです。今は之だけの事が言えますが、以前にこんな事を言うと、直ぐにやられちゃうんです。そうして、薬の為に皆な病人になる。肉体的の病人かと言うと精神的の病人なんです。それが戦争の原因です。だから人類が薬を飲まないと戦争がなくなる。それを今から書くんですがね。それから、それじゃ西洋医学は誰が何の目的でつくったかと言う事が、結局問題になりますが、之は大変な問題になります。之は人類を弱らせ様と言う目的でやっている。それが医学です。そうして、病気が治る様に見せかけるんです。実に巧妙なんです。それが邪神のやり方です。その仕事に二千年前からかかっている。そうして人間を弱らせ、人間の命を縮めて目的を達し様と言うんです。それを神様に暴露された。その暴露するのが私の仕事です。そうして、非常に妨害せんとしている。然しどうしても時期が来たんです。つまり邪神の計画ですね。それを、いずれ段々書く事になりますがね。そうして、一方では――邪神の方は人間の体を弱らせ、一方では戦争をつくって、段々世界を掌握しようと言う大計画なんです。それだけの意味ですが、勿論、正神の方は、そうしなければ文化は発達しない。だから、結局見方が三段になる。奥の奥の第一段は正神ですね。だから今迄はそれで良かった。良かったと言うより、そうするより外に物資文化は発達する事が出来なかった。今からは、それが続いて行くと人類破滅の結果になる。だから、ここ迄来たので正神は止めて、本当の経綸をされるんです。

 

 悪人は病人なり

(栄光一三一号)

 この標題を見たら、誰しも首を(ひね)るであろう。何故なれば、悪人でも健康そうに見える者も沢山あるからで、寧ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。併しこれは表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつも言う通り、悪人というものは悪霊が憑依(ひょうい)して、本守護神を押し込め、正守護神を蹴っ飛ばして、早くいえばその人の霊の大部分を占領してしまい、悪霊自身が主人公になりすまし、勝手気儘に振舞うからである。

 その悪霊とは、言うまでもなく狐、狸、龍神、その他の動物霊であるから、その行為は動物と大差ない事になる。従って人としたら到底出来得ない程の、無慈悲残虐(ざんぎゃく)な事を平気でやる処か反って面白がる位だから、如何に人間離れがしており、常識では考えられないかが分るのである。

 といっても人間誰しも副守護神、即ち動物霊は生まれながらに()いている事は私が教えている通りであるが、これも人間の生存上止むを得ないので、それは体慾が必要だから神は許されているのである。処が悪人となると新しく動物霊が(かか)る場合と、元から居る右の副守護神が動物の本性を現わす場合との両方がある。ではどうしてその様になるかというと、つまりその人の霊に曇りが生じ、その曇りが濃厚になるに従ってそれ相応の動物霊が憑く事になり、憑くと前述の如く、人間の本霊の方が負けてしまうから、彼の思い通りになってしまい活躍するのであるから、悪人とは即ち霊の曇りが原因であって、その霊の曇り通りに血液も濁るから、何れの日か猛烈な浄化作用が必ず起るのである。その場合曇りの程度の苦痛が生まれる。それが不時の災難や、病気その他の不幸の原因となるのである。面白い事には、よく大悪人が聊かでも反省の念が湧き、仏心が起ると間もなく悪事が露見(ろけん)し、捕まるという事をよく言われるが、それはヤハリ浄化が起ったからである。又「悪盛んなれば天に勝ち、天定まって人に勝つ」という諺などもその意味で、つまり人間は心に曇りが溜ると、苦しみによって浄められる天則の為である。

 斯うみてくると、悪人になる原因は吾々から見ると霊の曇りで、立派な病人なのである。勿論大悪人程浄化も猛烈であり、大苦痛が起り、大病人となるのは言うまでもない。処が霊に曇りが生ずるという事は、本守護神に力、即ち光が足りないからで、それを(まぬか)れるには宗教によらなくてはならないという訳になる。従って信仰に入り、常に神に向っていれば、霊線を通じて神の光が魂に注入され、光が増えるから曇りが減るので、その為動物霊は苦しみ、居候(いそうろう)の方は早速逃げ出すが、元からいる副守護神は縮んでしまい、悪は出来なくなるのである。この理によってみても、神に手を合わさない人は、何時如何なる時、何かの動機に触れて悪人になるかも分らない危険があるのだから、無信仰者は危険人物といってもいいので、現代社会はこの危険人物が多いかは、右によっても分るであろう。全く社会悪が一向減らないのも右の理に因るのである。従って現在如何に善人であっても、無信仰者である限り真の善人ではなく、いわば悪人の素質をもっている善人に過ぎないので、無信仰者には絶対気は許せないのである。昔から人を見たら泥坊と思えというのは、無信仰者を指したものであろう。

 処が右のような簡単な理窟でさえ、今の偉い人も政府当局者も全然分らない結果、宗教を否定し、法のみに頼って悪をなくそうとするのであるから、如何に間違っているかが分るであろう。            

(御論文「悪人は病人なり」の後の御教え)

 こう言う訳なんです。戦争を起すのは皆な動物霊なんですからね。だから人間が殺され様が、残虐な目に遭おうと、可哀想とか、情ないとか、そう言う人間的な情愛は全然起らない。要するに「人の皮着た獣」ですね。それが戦争を起す連中だが、その御本人はそれでいいと思い、いいと思いじゃないそれが面白いと思って、踊らされているが、戦争を無くする事は、人間を自由にする獣が人間を操る事が出来ない様にして了う。そうすると甚だ簡単な事だが、それが出来るんです。今迄は出来なかったが、之からは出来るんです。出来る事になると言うよりか、霊界が明るくなるに従って、そうならざるを得ない。得ないけれども、そう言う人間の苦しむ処を早く無くしなければならないですね。自然にすれば未だ暴れますから、早く暴れ無い様にすると言うのがメシヤ教の根本なんです。結局我々の目的は簡単なんです。病気を無くする事、戦争を無くする事、之だけでも良い。人間の生命を安全にすると言う事が根本です。

 それで、戦争が無くなれば、一番盛んになるのはスポーツと芸術です。スポーツは盛んになるでしょう。人間に競走(争?)意識はなくてはならん。それが非常にいいんです。それと芸術です。スポーツの方は他の人が大いにやっているから、我々がやる必要はない。

 そこで、我々の方は美術――芸術ですね。そう言う方面を大いにやると言う訳です。

 それから霊界ですね。一時仮死の状態になっていた。今迄、天国とか、地獄とか色んな事を馬鹿に空想的な様な事が多かったが、之からは現実的な事が多くなる。

 

     霊界は在りや

(栄光一二二号)

(御論文「霊界は在りや」の後の御教え) 【註 栄光新聞一二二号】

 今迄は、色んな――警察とか言うものはなかったんです。之は非常に現実的なんです。光明如来様を祀ってある事は、皆な天国になっている訳ですね。それを知らせたんです。面白いのは、三階にお祀りしてあるというのは、個人の住居は三階が本当なんです。他の公共的建物とかアパートとかはなんだが――アパートは本当じゃないが、個人のは三階が本当です。然し二階の人もありますが、本当は三階です。それで美術館を造るにも三階にしたんです。そう言う事も、今の経験――体験談で分る様でしたのが面白いですね。霊界はこの通りなんです。今はやはり現界の通りになっているものです。そこで、刑罰もその通りで、少し罪の重いのは皆な火葬場にやられて、釜で煮られたり、焼かれたりするんです。二日間昏睡状態だったんだから、二日かかったんですね。つまり神様がこの人を通して皆なに知らせるべく、こう言う事をされたんです。之は良い働きをした訳ですね。

 それで、之から霊的に関した病気の事を書くんですが、一番最初に書いたのは癌です。癌にも薬毒による癌と霊的による癌がある。薬毒は疑似癌です。先に書いたが、真症癌は霊的なんです。

 よく胃癌は手術するんですが、そうすると癌が見付からないで周章てゝ塞いで了うのがよくある。つまり霊ですから、逃げたらそれっきりで、蛇なら舌を出している位だ。つまり病気を霊的方面からの――そう言う意味の説明なんですが、大体分る程度に書いたんです。簡単なものではなく、随分複雑なんです。細かく書いたら、きりがないから要点だけ書いた。要するに間違った事をすると、如何に恐ろしいかと言う事です。共産主義者で働いた人は、ひどい舌癌になるだろう。

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.