九月二十七日

 今日はお天気になって良かったですね。

 箱根の方も見らるる通り、美術館の建築にとりかかったんです。之が来年の夏迄には出来る予定です。それから、裏の方に、今石や何か出し始めた。あれもすっかり、それ迄には完成する積りです。向うの方の流れから、穏かな渓流にして、廻りに「もみじ」を植えたいですね。裏の方も「もみじ」の庭みたいにする積りです。大体「もみじ」の相当大きいのを百本植える予定で、言いつけて置きました。それで、下を苔にしようと思う。この春京都の苔寺に行って見た処が、中々苔も良いですしね。「もみじ」は成可く紅葉するのを選びましたが、紅葉して下が青くなったら、非常に良いだろうと思う。苔寺の苔は目茶苦茶で風情も大してなく、唯色んな苔が生えているだけです。色んな苔の種類を話してましたが、苔は自然に放っておいても出るものなのです。こっちで、一種類にしようと思っても、苔の方で色々出てくる。まあ――そんな計画です。随分と、見た事もない様な庭が出来るだろうと思います。橋の模型を掛けてますが、あれより、もう少し幅の広い、もっと気のきいた形に造る積りです。京都の通天閣と言うのがありますが、あんな様な風情にしようと思う。それで美術館と庭が出来れば、大体神仙郷は完成するんです。美術館の方も色々調べた結果、日本には美術館らしい美術館はあんまりない様です。官立の美術館としては、上野の博物館、京都の博物館、大阪の博物館ですね。成る程建物は――東京の博物館は立派ですが、中に並べてあるものは、考古学的なものや歴史的なものを主にしているから、美術館的なものは割合少くないですね。何百年前、何千年前と言うのがあるが、唯参考になるだけです。専門家や色々関心を持つ人は――天平時代だとか、飛鳥時代のものだと言って、賞味しますが、然し私なんかの美術館の目的と言うのは、大衆の誰も彼もが見て、美の観念に打たれると言う処を狙っている。ああ良いなと言って楽しめるのは良いが。之は何年前に何の為に作ったんだろう。何が良いんだろう。と、額に八の字を寄せて考える様では、どうも有難くないですね。今迄、日本は良いものと言うと、皆んな大名の倉とか金持の倉に仕舞い込んで中々見せない。独占ですね。之について、外国の相当の識者なんかの意見で、日本で「国宝」と言う名をつけるのはおかしい。と言うのは、要するに世界の美術を独占すると言う意味になる。処が、美術品と言うのは、世界中の人の目を楽しませると言うのが本当なんです。それなのに、大事に仕舞って国から出さない様にすると言う意味になるから、「国宝」は()めた方が良いと言う説があるそうです。私は以前から、ああ言うものを独占的に自分の私有物として仕舞って置くと言う事は嘘だと思ってます。今迄にも、私立の美術館もあるにはありますが、公衆に見せたいと言うのではなくて、自己の財産を擁護したいと言うのです。保護して、子孫の代になって手離す事は出来ない。世襲財産ですね。財産保護の為です。そこで、一年に二回づ(ず?)つ展覧会をしますが、僅か一週間位です。規則が展覧会をしなければならないと言う規則になってますからね。今度は一年に四、五回と増えたそうです。そんな事を聞きました。そんな風で、公衆に見せると言うのではなくて、財産擁護と言う事になっている。見せると言っても、一部の人しか見られない。誰でも見れる様な切っ掛けを与えると言うのでなければ、美術館の意味はない。そう言う美術館は日本にはないです。そこで、私はそう言うものを造ろうと思う。最初は――箱根のは極く小いさく、見本的に造るんですが、最初から大衆に見せたら整理がつかないから、最初は信者さんか、信者さんの紹介した人に限って見せます。いずれ、熱海の方にずっと大きな、規模の素晴らしいものを造る積りです。それは、誰でも見られる様な組織にしようと思う。箱根に出来る美術館も、出来たら日本一のものが出来ると思います。今の美術館を調べて見(み?)ても、一部的で全般的の美術品を陳列している処はないです。博物館は、今迄予算が足りなかったので余り良いものが買えなかったそうですがね。相当仕入れてありますが、未だ充分とはいかない。私はそれ以上のものを並べ様と思って――大体重要なものは、何処の誰が持っているかと言う事は定まっているのですからね。旨く――と言うのは変ですがね。何か瞞ます様でね。それを旨く話して出品させる――了解させるんですね。ぼつぼつ交渉や――色々して見ていますが、割合可能性があるんです。だから、相当有名なものを並べる事が出来ると思います。それから、熱海の方は世界的なものを造る積りです。世界で有名なのは、英国のロンドン、米国のワシントン及びボストンですね。美術品としての博物館ですね。大体調べて見(み?)ましたが大したものはない。と言うのは、成程西洋で出来た油絵とかガラスは敵いっこないですが、美術と言うのは、世界中で東洋のものが上だ。美術的価値があると言う事になっているので、向うでは非常に欲しがっている。日本美術は手に入れる事が出来ないと言うんです。日本人は日本の美術を西洋にやる事を警戒して、やらなかった為に、日本美術は外国に行ってない。偶々行っているのは贋物が多い。あっち向きに拵えたものです。終戦後、本物を見て非常に驚いて、之なら欲しいと言うので、昨今非常に日本美術を狙っている。その結果日本の歌を書いた色紙ですね。そう言うものも非常に欲しがっている。絵の方の良い物は手に入らない位です。そんな様な訳で、今度出来る美術館も、日本美術の優秀なものを主にしてやろうと思う。あとは支那、朝鮮ですね。美術館の方はその位にして置きます。

 熱海の方の土地の模様は大体出来たんです。之から木を植える事になる。真中の展望台が出来る山に「つつじ」を二千本植える積りです。之が出来たら素晴らしい壮観だろうと思いますね。来年の五月には花が咲く。「つつじ」ですがね。どうしても二、三年経ってからでなければ本当は花が咲かないのです。花がつかないのですが、来年の五月でも相当に美しいだろうと思います。之は日本一と言っても間違いない。そんなに「つつじ」を沢山植えた山がある訳がない。然かも、その「つつじ」は種類が多いのでも一番です。三、四年前に箱根の芦の(ノ?)湖に岩崎の別荘があるが、そこの「つつじ」で、岩崎さんが金にあかして種類を集めたんで、実に良い種類が集まっている。その時千本位売ると言うので、私は唯買いたくてしょうがないので買ったんですが、今から見ると十分の一か、五分の一でしょう。然も一株が――掘って見(み?)ると二本三本の寄せ植えになってますから、千本で丁度二、三千本あるんです。実に安かった。神様が用意したものですね。私は、何処に植える当てもなく、神様が買えと言う事で買ったんですが、今日では立派に役に立った。

 晴々台の横は桜の園を作る事になっているが、どうしても狭かったが、横の方を買って呉れと言う事になって――大体定まったんですが、そこに山を作って桜を千本植える。丁度植わる積りです。吉野山は一目千本と言っているが、こっちも一目千本です。吉野山のは広い処ですから、ばらばらですが、こっちは桜の花で詰まりますから、さだめし壮観だろうと思います。それから、梅は大体再来月は全部植わる筈です。「つつじ」も今年一杯で植わるでしょう。桜だけは後廻しになるが、そんな訳で、庭園は桜を除いただけは、今年一杯に出来る筈です、どんな人でも驚くだろうと思ってますがね。

 それから建築ですが、最初はメシヤ会館ですね。予定は六百六十坪の予定ですが、様式も今迄にない様な様式の積りです。之は私が設計する積りですが、それから美術館は世界的のものを造ろうと思っている。世界的と言っても、金をかけるのでは、アメリカあたりに敵いませんが、つまり様式ですね。外人が来ても、あっとする様なものを造ろうと思っている。神様の方で色んな経綸はあるんですが、あんまり初めから知って了うと面白くないから、その都度――必要だけづ(ず?)つ知っていれば良い訳ですからね。その位にしておきます。

 病貧争絶無の世界と言う――病気ですね。病気は始終言っているから、今更言う必要はありませんが、浄霊法ですね。之を変えて貰いたいと思うのは、今迄は振りましたが、そうするとどうしても力が入るんです。之からは、光が強くなって来ると、力を入れると、人間に遮ぎられる。振らないで、すっとした方が、力が抜けるんです。だから、之からは動かさないと言うのを原則にして――場合によっては少しは振っても良いですが、出来るだけ力を入れないのです。ぼやっとしてね。その代り、霊が通らなければならないからね。通ると言うのは考えですからね。ですから通す積りで、力を抜くと言うんだから、慣れない中は難かしいが、慣れると非常に楽になります。今迄の離れ方で良いですが、この位(一尺)でも、力を抜くと割に霊が通るんです。だから、何倍治りが良くなるかやって御覧なさい。私なんかでも、力を抜く程治りが良くなる。ここ(お腹)にある光の玉が、楽にすると、ここ(手)から良く出る。一寸でも力を入れると光を遮ぎる。そうすれば、病気は段々治り良い様になって来ます。

 それから「結核の革命的療法」ですね。あの本も段々――厚生省の方とか色々調べた結果、法規には触れないと言う事が分った。だから、いずれ一般に向って出版しますが、それには大々的に新聞広告しなければならないですね。それから、印刷や何かでも金がかかるから充分準備をしてからやろうと思ってます。その時期は来年過ぎになるでしょう。

 「文明の創造」の中の病気に関した事ですね。この著述を三部にします。一部として、主に病気に関した事を説いてあります。之は実に医学の大革命です。之を出版する積りです。之はどうしても、相当センセーションを起す積りです。之は大仕掛けにして――無論翻訳して外国にも出します。世界的の医学革命ですね。それは余程準備してかからなければならないです。そうして、病いを無くすと言う一つの表面的の活動になる訳です。それから貧乏を無くすと言う事は――最初は日本ですね。日本でも、良く考えて見ると――日本の人口の八割は農民ですから、先ず、農民から貧乏を無くすと言う事が一番です。処が最近になって、農村が一番貧乏――と言っては何んだが、経済的の苦痛になっている。と言うのは、最近の日銀の調べによりますと、貨幣ですね。貨幣の分布状態から言うと、農民は人口が八割あるに拘らず、今農民階級の方に行っているお札は五番目になってますね。戦後、一時――農民が一番有る統計になってますが、今日は下がって五番目です。そうすると、如何に疲弊しているかが分る。そこで自然農法にすると、先ず五年経てば――五年続けてやれば、大体肥毒が抜けますから、五割の増産は間違いない。今年の予想でいくと、六千四百万石ですから、五割増産すると九千六百万石になる。日本の人口が八千万と見て、二千万石足りない。そこで二千万石輸入を仰がなければならない。と言う事になっているが、農地改良だとか、交換分合だとか、色んな事をしているが、一寸も増えない。むしろ風水害のひどいのが出ると、減る位の状勢です。と言うのは、肥料と言う根本が間違っている。そこで九千六百万石と見ると、一千万石以上余りますから、逆に輸出出来るから、千億や二千億じゃきかない。肥料も要らないし、農民の懐具合が豊かになると、農民の購買力は増えるから、商工業にもお金が行く訳です。そうすると、根本的の貧乏の原因が除かれますから、病貧が無くなり、結核の心配がなくなり、伝染病なんか屁でもないと言う事になり、病貧は解決出来ます。

 唯、戦争です。一番解決しなければならない問題であって、一番急を要する問題です。今迄戦争の事について余り書かなかったが、今度、戦争を無くすると言う事について買いて見(み?)た。

 

第三次戦争は免れる事が出来る

(栄光一二六号)

 今最も世界人類に脅威の的とされているのは何といっても第三次世界戦争であろう事は、今更言うまでもない。現に日本は固より、全世界の識者という識者は、夫々の立場からこれを防止すべく、全智能(ぜんちのう)(しぼ)って筆に口に論議しつつあるのは、人皆知る通りである。処がどうした訳か、独り宗教家に至っては、それに対し何等の発言をする者のないのは、実に心もとない限りである。

 そこで先ず考えてみて貰いたい事は、一体宗教の目的は何であるかという事である。言うまでもなく、戦争のない平和時代を実現するにあるのは分り切った話である。としたら現在の如き、第三次戦争必至というこの危機に直面していながら、手も足も出ないのか、全然沈黙しているという状態は不可解(ふかかい)の外はあるまい。成程宗教家たる以上、政府の命令のない限りと、又年齢的にも武器をとる事は出来ないとしたら、宗教家は宗教家なりに、相応した平和的手段を以て、戦争防止の為一役買うべきではなかろうか。この意味に於て私は、戦争発生の原因と戦争防止、否人類から戦争を絶無(ぜつむ)にする事の可能であることと、その原理をかいてみようと思うのである。

 それに就いて、最も分り易くする為、病気を健康に就いての事をかいてみるが、いつもいう通り、病気とは人間の霊に曇りが溜り、その排除作用が肉体に映って生ずる苦痛であるから、人間の如何なる苦痛と雖も、原因は悉く霊の曇り、即ち肉体的に言えば汚濁の排除作用であるから、その苦痛を免れたいとしたら、汚濁を()めないようにすると共に、既に溜っているそれを排除する以外、解決する事の出来ないのは当然である。

 この理によって、集団的苦痛、即ち風水害、火災、地震、社会的暴動等も、悉く病気以外の浄化作用である。としたら、これの大きくなったものが勿論戦争である。従って、戦争が起らないようにするには、人間個人々々の霊の曇りを無くす以外方法のない事は余りにも明らかである。

 万一第三次戦争が起るとすれば、それは全く霊の曇った人間が増え切って、どうにもならない状態(じょうたい)となったからで、恐らく世界の殆んどは、現在汚濁人間で充満していると言っても過言ではあるまい。としたら何故この様に汚濁人間が増えたかというと、それこそ悪による罪が堆積したからであって、その根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けて来た為であって、これが唯物教育であるから、この観念を是正(ぜせい)する事によってのみ解決されるのである。では何故そうであったかというと、つまり唯物教育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目(もうもく)同様にしたからで、寧ろ当然な結果である。

 そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜まる処、必ず自然浄化作用が発生する。例えば伝染病が流行するという事は、病菌発生が直接(ちょくせつ)原因(げんいん)であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化の必要ある人間が出来たからで、相応の理による自然発生である。処がこの理は何物にも共通する。即ち地上にある凡ゆる物質、例えば如何なる大都市でも、建造物でも、凡そ物質と名のつくものは悉くといいたい程、現在のそれは悪によって作られたものである以上、言わば罪の塊であるから、いつかは清算されなければならない運命におかれているのである。

 としたら人間も物質も、地上にありとあらゆる汚濁分子が一挙に浄化される。それが大戦争であって、これが宇宙の鉄則であるから、どうしようもないのである。この意味に於て第三次戦争を免れんとするには、この大浄化作用発生の必要のないまでに、人間はじめ地上一切のものが清浄化されなければならないのは分りきった話である。ではそのように一切を清浄化すべき方法はありやというに、私はありと答える。それが我救世(メシヤ)教の使命であって、この事の為に我救世教は生まれたのである。

 ここで別の説き方ではあるが、世界とは個人の集団であるから、個人々々が浄化の必要のないまでに立派な人間になりさえすればいいのである。立派な人間とは、勿論霊肉共に汚濁のない人間であって、そういう人間を造り得る力こそ、我救世教をおいて世界広しと雖も、決して存在しない事を私は知らせたいのである。これは理窟(りくつ)ではない。本教が現在行っている浄霊法を見ても分る。この方法が如何に絶大な効果があるかは、唯物医学で治らない重難病がドシドシ全治し、死を宣告(せんこく)された者が蘇生する等、無数に上る事実である。これだけでも多くを言う必要はあるまい。従ってこの空前の事実こそ、世界人類が救われ、地上天国出現の時期となった事の示唆でなくて何であろう。我救世教が全世界に拡がるとしたら、最早戦争による浄化の必要がなくなるから、戦争は起らないに決っている以上、ここに人類待望(たいぼう)の平和時代が実現するのである。

 これで大体分ったであろうが、要するに第三次戦争防止の手段こそ、我救世教を措いて絶対他にない事を断言して憚らないのである。故に万一それが間に合わないとしたら、第三次戦争勃発(ぼっぱつ)となるのは、免れ得ない運命として、何人も覚悟すべきであろう。

 

(御論文「第三次戦争は免か(が?)れる事が出来る」のあとの御教え)【註 栄光新聞一二六号】

 最近聞いた話ですが、進駐軍の人だとか――そう言った宗教に関係のある――関心を持つアメリカの人が七、八人位で、メシヤ教を研究しているのだそうです。やっぱり、一々翻訳しては、仲(中?)々熱心に研究しているそうです。それは、非常に良い意味なんです。ですから、そう言う人が、今の論文を見れば――無論翻訳して本国に送りますがね。眼のある人なら、成る程と思わなければならない。こう言う様な意味も、段々世界的に宣伝していく積りです。と言うのは、今迄の文化と言うのは――今、私が書いている論文に「空虚の文明」と言うのを書いている。つまり、空っぽ――外側ばかりです。戦争防止と言うと、力には力をもってする――精巧な武器――進歩した武器を造る。それより他に手段がない。処が、今の処は大いに必要です。原子爆弾でも、原子砲でも拵えて、立向わなければならない。やっぱり、時期のもので、永久的のものではない。第三次戦争を無くするのは、やっぱり人間個人々々の魂です。

 戦争ばかりではない。何でもそうです。最近犯罪が増えると言う事は、犯罪を起そうと言う魂なんです。それを忘れて、犯罪が現われた結果を妨(防?)ごうとして、法律を以って妨(防?)ぐんですね。警察官を増やしたり、裁判所や、そう言った――無論教育も入ってますが、つまり、外から妨(防?)いでいるんですね。医学がそうです。病気と言う症状に現われたものを妨(防?)ごうとして、色んな事をやっている。併し、何でも中味なんです。中を無視しているんです。先に「外劃(殻?)文明」と言うのを書いたが、外劃(殻?)だけを一生懸命やっている。処が、今言った様に原因は中にある。中心にあると言うのは魂です。魂を良くするのは、宗教よりないんですからね。処がそれだけの力のある宗教は今迄出なかった。そこで、宗教は信用がなくなったので、宗教は駄目だと言うので――そう言った形あるもので妨(防?)ぐよりしようがないと言うので進んだのが、今の文化です。だから、魂を治すんです。メシヤ教でやると治るんです。処が、医学では。中心を治すのでないから、一時良くなっても再発して駄目になって了う。戦争もそう言った様に、人間が曇りきって――汚ごれきってますから、汚ごれたのをきれいにする。それには―汚ごれてどうにもしようがない人間は命を無くして生まれ変るより外はない。色んな物質で、罪が溜って汚たないのは、ぶち壊して新しくする。その時期が今日なんです。結局、今迄にない様な大きな戦争が始まると言う訳ですね。そうして、之が最後になる。最後の大掃除が第三次戦争なんです。だから、排除される汚たないものを人間の方で、先廻りして取って了えば良い。之は外国人の人も分る筈です。無神論のカチカチ――之だけはしようがないですね。之は掃除の時に、掃除されるんです。之を皆んな助けると言う訳にはいかないそうですからね――神様の方は。

 我々のやっている事は、生き残る人間を増やすんです。出来るだけ――一人でも多く、生き残らせ様とするのは当り前です。

 今、「文明の創造」の医学の方は出来て、今度宗教篇を書いている。宗教篇でも、今迄の宗教の説き方では駄目なので、駄目と言うより、つまり一つのお説教になっている。「こう言う事をしてはいけない」「汝こうするな」とね。それは悪くはないが、もっと今の人間には徹底して、合理的に納得出来なければならない様に説くんです。そうかと言って、無味乾燥なお説教じゃ面白くないから、出来るだけ面白く――知らず知らずに読んで行くと言う様に説いてる積りです。それにしても一番肝腎なのは仏教ですからね。ですから仏教を主にして説いてある。時間があれば「仏教の起原」と言うのを読ませる積りですが、話の方が長くなったので、それに時間を取られたので読む事が出来ないが、仏教と言うのは、日本から起った。日本人がお釈迦さんに教えたんです。

 

 

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