九月二十五日

 大分大入りですね。

 御神業も段々発展して来まして、神仙郷の方も見らるる通りで、美術館の建築も愈々取掛ったのでありますが、来年の六月迄に完成する予定なのです。二階建てにして、三階に小いさいのを附けて――坪数は約二百六十坪あります。之が出来ますと、美術館としては日本一なんです。日本に現在在る美術館を調べて見(み?)ますと、そう大したものはないんですね。博物館ですが、博物館は見らるる通り、大体歴史的、考古学的に重きを置いて、美術的にはそれ程ではないですね。あとは東京の根津美術館がありますが、之は春、秋二回やるが、この春の時行って見ましたが、やはり全般的でないのです。例えて見(み?)れば、支那の周の陶器ですが、之は確かに日本一ですが、あとは大したものはない。それから、大阪の白鶴美術館は、支那陶器は大したもので、日本一ですが、あとは殆んど見るべきものはないです。あとは大原美術館ですね。岡山県ですが、之は大体油絵が専門で、あとは大した事はないんです。それから近畿鉄道が美術館を計画してますが、品物は相当集まっていますが、建築は中々掛かる事が出来ないらしいです。経済問題らしいですがね。あと小いさいのは、越後だとか山形県だとか、今度出来る神奈川県――大体それ位です。だから、此処に出来れば名実共に日本一と言う事は間違いない。品物も色々と調査したり、連絡したりしてますが、素晴らしものを並べられる積りです。何しろ、神様が色々やられて居るんで、不思議に旨くいくんです。

 之が出来ると同時に、裏手の方で、今やり始めた処ですが、美術館の横の流れから、向うに行って公園寄りの空き地ですね。あそこに紅葉を百本植える積りです、龍田川みたいにして、橋をかける。つまり京都の通天ですね。あれを見た人があるが、ああ言った具合にしようと思っている。だから、来年の夏迄には神仙郷の方は完成する積りです。あとは、大体熱海ですが、熱海の方は今年一杯に庭園の方は八分通り出来る予定です。

 之は規模がこっちとは――大分大きいですからね。真中にある展望台のある山を、ツツジ山にしようと思っている。山の形、道路とか――形は出来ました。ツツジが二千本要るそうで、二千本植えますが、このツツジは元、箱根の芦の(ノ?)湖の岩崎の別荘にあったツツジです。岩崎の事だから、金にあかして日本中から、良い種類を集めたんですね。だから花は実に素晴らしいものです。他にないものがあります。それは、箱根と分散して植えてあります。その時千本買ったんです。私は別に当てはないんですが、神様が買えと言うんだろうと思って買ったんですが、抜いて見ると二千本、三本づ(ず?)つ寄せ植えになっている。それをすっかり解いてみると二、三千本ある。何処に植えるかと思って――分らないで居たら、この春熱海に植えるんだと言う事に、お知らせがあったんです。神様は実に用意周到だと思った。之が出来ると日本一だろうと思う。日本の名所になるだろうと思う。それから、晴々台の方は来年の三月あたりに建築の方に取掛る筈ですが、それには大変に金が要る。そんな金なんか、今有りやしない。ですけれど、その時になれば、それだけの金はちゃんと神様が――直かに呉れる訳じゃないが――入るだろうと思ってます。実に頼りない様な、確実な話です。それで、晴々台の石垣の左手の方に桜を沢山植える積りだったのですが、どうも小いさい気がしていた処、あれから続いた土地を、持主の方から買って呉れと言うので、買う事にしましたが、そこに桜を千本植え様と思います。だから、本当に一目千本です。吉野山も千本ですが、あれは疎らな千本ですが、私の方は詰まった千本ですから、又違った眺めだろうと思います。梅の方は今年一杯に植わる予定です。梅もすっかり準備出来てます。梅は太い程良いですね。太い方がね、処が小田原に梅があるそうですが、梅の若いのは、梅の実がなるから高いそうで、古いのは安いそうですから、それを買って、間もなく植える積りです。だから、あっちが出来たら大変です。

 神仙郷も、この間アメリカの地理学の教授ですが――地理的に欧州や何か見たけれど、之程の庭園は――岩石は世界一ですが――この造り方は世界にないだろうと言う。花があるが、之を天然色写真にして世界に紹介すると良いと言っていた。ここでさえそうだから、熱海の方は間違いない。此処の美術館は日本一のものが出来ます。熱海の方はずっと規模が大きく、之は世界一の美術館にする積りです。建築の様式も私が設計する積りですが、うんと新しい、アッと言うものを拵える積りです。並べる美術品も――アメリカ、イギリスを調べてますが、どうもあっちの方は良いものがない。西洋の美術ですね。それは本場だからありますが、美術は東洋と西洋を較べると、東洋の方がずっと上です。高さがね。だから、アメリカは日本のものを、値に拘わらず買っていく。危ぶなくてしようがない。この間なんか、支那の鉢で、宋均窯と言う。先から欲しくてしようがない。この秋あたり買っても良い、と言う事で、楽しみにして居た。この間持って来て、之は世界的なもので、それをアメリカで買いに来た。又、アメリカでは日本の良いものは何処に何があるかと言う事を知っている。五万弗で買うと言うんです。二千万円に近いですからね。私の処に大きな皿があるが、その方が上なんです。道具屋はその方を下に見ている。まあ、百万円以内なら買っても良いと逃げちゃったんですがね。それですから、博物館だとか文化保護試飲会も、アメリカに持って行かれない様に警戒している。何しろ、先は値段に拘わず買うからね。然し相当あっちに行く必要がある。と言うのは、今迄日本美術はアメリカの博物館、美術館に行っているのは、殆んど贋物です。処が、終戦後日本に来て見て、大したものだと思って、本物を買いたがるんです。そう言う訳だから――向うの人の説で、旨い事を言っている。世界で「国宝」と言う名前が付いているのは、日本だけだ。他に決してない。「国宝」と言う事は、他国に行く事を妨(防?)止するので、そうすると美術は世界全体に見せ様と言う気持を現わしているから「国宝」と言う名前は面白くない。と言っている。そんな訳で、美術と言うのは世界共通でなければならない。そこで、日本にある美術館は、大抵、春、秋二回位しか開かれない。と言うのは、財産保護の為にやるんです。財閥法人ですが――それは、財産として世襲が出来ますからね。そう言う規則です。規則で開かなければならないと言うのです。それで、知っている人に見せると言うのですね。それじゃしょうがない。それは、公衆に見せると言うのでなければならない。そうすると、世界中の人が来ても、見せられますから、そうすると、独善と言う意味はなくなるから、そう言う意味でも、私はやらなければならない。

 メシヤ教の一枚看板は病貧争絶無の世界をつくる事です。処が、病気については、不断から充分に発表してますから、皆んな分った筈ですが、注意したい事は、浄霊法ですね。之は手を振るわせない様に――じっとする様にと言うのは、どうしても、こう(振る)やると力が入る。力が入ると治りが悪くなる。力を入れない様にするには、動かさない様にする。軽くするんです。力を抜くんです。そうすると、治りがずっと良くなる。私がそうですからね。私が力を抜く程良く治る。お腹の光が、力を入れると、通りが悪くなるね。だから、力を抜けば抜く程、光がずっと出ますからね。之はそう言うやり方にして貰いたい。然し、全然振るまいとしなくても良い。場合によっては振っても良い。原則としては振らない。

 それから、貧乏ですね。之は病気が無くなれば、貧乏も解決するんです。然し、そればかりでなく、食糧増産ですね。之が、貧乏を無くする一番の原因なんです。と言うのは、農民は日本の人口の約八割ですから、そうすると、農民の懐を暖かくすると言う事が一番なんです。そうすると――商工業も繁昌すると言う訳になる。農民の懐があたたかくなると言うのは、やはり増産と肥料代や何かが要らないと言う事が肝腎です。そこで、自然農法を大いに奨励しなければならない。大体今の計画は、自然農法の実例が一番肝腎なんです。今年の収穫あたりになると、年々肥毒がなくなって来ますから、増えます。今年の十一月あたりになると、報告は今迄よりずっと良いだろうと思う。その成績を土台にして、一つの本をつくって、之を日本中の農会とか農事試験場とか、村なら村長と、凡る方面に全部配ろうと思う。それから、各地に講演会、座談会を開いて大いに知らせ様と思う。と言うのは、自然農法にして五年経てば五割の増産です。そうすると、現在六千四百万石ですから、一年間に、今の処二千万石足りないですね。人口が八千万ですから丁度に千万石足りない。それだけ輸入しなければならない。大変な金額です。五割増産で九千六百万石になる。そうすると肥料代が要らなくなると、肥料屋が困るだろうと思うだろうが、そうではない。今は外国の注文が多いので、日本にやらなくても輸出の方が多いんだそうですから心配要らない。実際、あんまり言うと、肥料屋に暗がりで、ぶんなぐられるかもしれないが――岡田の奴けしからんとね。そんな事はないから、安心していい。そう言う訳で、貧乏を解決すると言う事が一番の根本問題ですからね。

 その次は戦争で、戦争を無くする事が出来るんです。今迄あまり説かなかったが、之から戦争に関した論文を色々書こうと思っている。之は無くする方法を書いたんですが、処がもう一つ訳がある。と言うのは、近頃アメリカの――進駐軍関係の人らしいですが、七、八人グループでメシヤ教を研究していると言うんです。それで、雑誌なんかを翻訳して研究していると言うんです。私の書いたものに非常に共鳴しているんだそうです。その人にも、之を見せたいと思う。それで書いたんです。それからアメリカの本国の方にも、今度信者が一人、あっちの大学に許可されて行ってますが、大分各国の人間が行っているそうですが、浄霊をやっているそうです。東洋人だとか、西洋人だとか――インド刃、タイ国人――とやっているが、大分信者が出来そうです。大分お守を持って行ったが、もっと――と言うんです。そう言った様にあっちの方に鍬を入れる様な形が見えて来た。神様の方で時期に従って、宜敷く手を打って行く筈です。何だ彼だと、兎に角全てが来年あたりから非常な発展をする気分が見えるんです。今、戦争を無くする事の論文を読ませます。

 

第三次戦争は免れる事が出来る

(栄光一二六号)

 今最も世界人類に脅威の的とされているのは何といっても第三次世界戦争であろう事は、今更言うまでもない。現に日本は固より、全世界の識者という識者は、夫々の立場からこれを防止すべく、全智能(ぜんちのう)(しぼ)って筆に口に論議しつつあるのは、人皆知る通りである。処がどうした訳か、独り宗教家に至っては、それに対し何等の発言をする者のないのは、実に心もとない限りである。

 そこで先ず考えてみて貰いたい事は、一体宗教の目的は何であるかという事である。言うまでもなく、戦争のない平和時代を実現するにあるのは分り切った話である。としたら現在の如き、第三次戦争必至というこの危機に直面していながら、手も足も出ないのか、全然沈黙しているという状態は不可解(ふかかい)の外はあるまい。成程宗教家たる以上、政府の命令のない限りと、又年齢的にも武器をとる事は出来ないとしたら、宗教家は宗教家なりに、相応した平和的手段を以て、戦争防止の為一役買うべきではなかろうか。この意味に於て私は、戦争発生の原因と戦争防止、否人類から戦争を絶無(ぜつむ)にする事の可能であることと、その原理をかいてみようと思うのである。

 それに就いて、最も分り易くする為、病気を健康に就いての事をかいてみるが、いつもいう通り、病気とは人間の霊に曇りが溜り、その排除作用が肉体に映って生ずる苦痛であるから、人間の如何なる苦痛と雖も、原因は悉く霊の曇り、即ち肉体的に言えば汚濁の排除作用であるから、その苦痛を免れたいとしたら、汚濁を()めないようにすると共に、既に溜っているそれを排除する以外、解決する事の出来ないのは当然である。

 この理によって、集団的苦痛、即ち風水害、火災、地震、社会的暴動等も、悉く病気以外の浄化作用である。としたら、これの大きくなったものが勿論戦争である。従って、戦争が起らないようにするには、人間個人々々の霊の曇りを無くす以外方法のない事は余りにも明らかである。

 万一第三次戦争が起るとすれば、それは全く霊の曇った人間が増え切って、どうにもならない状態(じょうたい)となったからで、恐らく世界の殆んどは、現在汚濁人間で充満していると言っても過言ではあるまい。としたら何故この様に汚濁人間が増えたかというと、それこそ悪による罪が堆積したからであって、その根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けて来た為であって、これが唯物教育であるから、この観念を是正(ぜせい)する事によってのみ解決されるのである。では何故そうであったかというと、つまり唯物教育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目(もうもく)同様にしたからで、寧ろ当然な結果である。

 そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜まる処、必ず自然浄化作用が発生する。例えば伝染病が流行するという事は、病菌発生が直接(ちょくせつ)原因(げんいん)であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化の必要ある人間が出来たからで、相応の理による自然発生である。処がこの理は何物にも共通する。即ち地上にある凡ゆる物質、例えば如何なる大都市でも、建造物でも、凡そ物質と名のつくものは悉くといいたい程、現在のそれは悪によって作られたものである以上、言わば罪の塊であるから、いつかは清算されなければならない運命におかれているのである。

 としたら人間も物質も、地上にありとあらゆる汚濁分子が一挙に浄化される。それが大戦争であって、これが宇宙の鉄則であるから、どうしようもないのである。この意味に於て第三次戦争を免れんとするには、この大浄化作用発生の必要のないまでに、人間はじめ地上一切のものが清浄化されなければならないのは分りきった話である。ではそのように一切を清浄化すべき方法はありやというに、私はありと答える。それが我救世(メシヤ)教の使命であって、この事の為に我救世教は生まれたのである。

 ここで別の説き方ではあるが、世界とは個人の集団であるから、個人々々が浄化の必要のないまでに立派な人間になりさえすればいいのである。立派な人間とは、勿論霊肉共に汚濁のない人間であって、そういう人間を造り得る力こそ、我救世教をおいて世界広しと雖も、決して存在しない事を私は知らせたいのである。これは理窟(りくつ)ではない。本教が現在行っている浄霊法を見ても分る。この方法が如何に絶大な効果があるかは、唯物医学で治らない重難病がドシドシ全治し、死を宣告(せんこく)された者が蘇生する等、無数に上る事実である。これだけでも多くを言う必要はあるまい。従ってこの空前の事実こそ、世界人類が救われ、地上天国出現の時期となった事の示唆でなくて何であろう。我救世教が全世界に拡がるとしたら、最早戦争による浄化の必要がなくなるから、戦争は起らないに決っている以上、ここに人類待望(たいぼう)の平和時代が実現するのである。

 これで大体分ったであろうが、要するに第三次戦争防止の手段こそ、我救世教を措いて絶対他にない事を断言して憚らないのである。故に万一それが間に合わないとしたら、第三次戦争勃発(ぼっぱつ)となるのは、免れ得ない運命として、何人も覚悟すべきであろう。

 

(御論文「第三次戦争は免か(が?)れる事が出来る」のあとの御教)【註 栄光新聞一二六号】

 戦争に対する、こう言う様な色々な事を英文に訳して、世界の自由国――そう言う方面に知らせ様と思って、考えている。で、今――世界中の人民が第三次戦争は免か(が?)れないとしているが、実は戦争を免か(が?)れる事が出来るんですからね。この通り、凡るものは相応の理によって、汚たないものが溜ると、それを掃除すべき力が発生する。そう言う様に神様が造ってある。そうすると、戦争で壊されたり、くずれたりするのは、それだけ汚たないものが溜っている。その掃除の為にやるので、今やっている――力によって戦争を妨(防?)止すると言ってやっているが、今としては仕方がない。原子爆弾とか造って、戦争しようと言う計画をぶち壊すとか、と言うのは止むを得ないですね。丁度、警察で押さえていると言うのと同じです。今の文明は皆んな同じですね。病気でも同じですね。浄化が起ると、それを押さえつけると言うのは、戦争でも犯罪でも病気でも同じですね。それが進歩した文明と思っている。それより他にないと思っている。逆なんですね。だから、今の文明は逆の文明と言っても良い。

 そこで、私の方は、中心はこうするんだと言う事を教えるんです。そうして、其力を見せるんです。内部を綺麗にすれば良い。外部から押さえつける必要はない。力で平和にしても、破る方も力で破るから、永遠的なものではない――絶対的ではない。だから、そう言った間違った事を人類に教えると言うのがメシヤ教の、世を救うと言う事なんです。大きさに於ては、之以上の大きなものはない。大きさと言いのはホラの大きさではない。実のある大きさなんです。そんな様な意味です。

 未だ時間があったら仏教の起原と言うのを――之は面白いのですが――いずれ読ませます。仏教は誰が始めたかと言うと、印度人ではない、日本の神様が印度に行って化身、化仏されて――伊都能売神様ですが、伊都能売神様がお釈迦さんに教えられて、お釈迦さんが喫(吃?)驚りして弘めたんです。化仏と言うのは、神様が仏に化けたんです。日本の神様は印度に行かれて、今度メシヤ教が出て五六七の世を造る、その準備に用意された。それを「文明の創造」に書きつつあるんです。段々知らせますからね。そんな訳で、神様は前から、世界的に準備した。だから、キリストもマホメットも、地上天国の用意の為に、何千年も前に色々な事をされたんです。そう言う事も、色々と書く積りです。それを、最初は日本人に知らせますが、最後は世界中に知らせます。之が「見真実」です。之は専売特許ではない。全人類に知らせなければならない。そうすれば、五六七の世が出来るんですね。

 

 

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