(お 伺) 未入信、藤田茂(廿六歳)の長女(こまき)と申す一年九カ月の女児で御座いますが、医師に脳水腫と診断され、最初一カ月半八回に渉(亘?)って腰より少し上の脊柱から漿液をとり、其後も医師を変えて一週間続けて同じ場所から漿液をとりました。勿論何等の効果も御座いませんので、今日迄一年間放置して居りました処、此度お道に縋って来られましたので、前頭部から脳天のブヨブヨしている処を中心に脊髄、腎臓部を浄霊させて戴いて居りますが、浄霊の急所につき御垂示御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
頭がブヨブヨと言うのは、頭に薄い膿の様な―水の様なものが溜っているんですがね。之は前の世で、土左右門で逆さになって死ぬか、落ちるかして、飲んだ水が段々頭に溜ったんですね。そうして、頭に溜ると同時に息が絶えちゃう。そう云うのが生まれたんですね。だから別に大した意味はないのですが、頭の水のある処を浄霊すれば良い。そうすると、段々霊的に治っていくから解決する、と云う訳です。別に難かしい問題じゃない。それだけの事です。
(お 伺) 私の妻は九月九、十、十一と毎晩十二時頃より急に結核的症状を起し、如何に浄霊しても余り効果なく、夜の明けると共に平常に戻りました。特に十一日の如きは咽頭結核的症状となり、何回も息が止まるかと思った事もありました。其時ふと頭に浮かんだ事は「明日の医術」第三篇中に明主様の奥様が、突然結核症状となられ、結局霊的であったとの事、早速夜が明けてから妻を調べて見ましたが、中々口がきけません。奉仕者中に霊媒的素質のある者が居りますので、其者に呼出して見ました処、やはり霊的にて、妻の三才の時、実母が他家に再婚して、其家で咽頭結核で死亡している事が分りました。霊の希望としては、他家に再婚して居る関係上、妻の実家の祖霊の中に入れぬ為祖霊様にお願いして欲しいとの事でした。早速紙片に俗名を書き大光明如来様に御守護をお願し、仏壇に入れて御供え物をし、善言讃詞、御讃歌を奏げて祖霊さんにお願しました処、早速御礼に出て、今日唯今離れると申しました。すると家内もケロリとして平常になりました。右の場合、霊的と感じたら霊媒等を使って呼出す事は宜しい事でしよ(ょう?)か。又、気がつかずに居た場合は如何なる結果になりましょうか。尚当時出る痰は憑依霊の曇りの物質化でしょうか。本人のも出るものでしょうか。
〔御 垂 示〕
良かったですね。之は霊媒を使っても構いません。結構です。霊媒でも悪いんじゃない。良い事が出来れば結構です。この霊が早く救われますからね。そうすると、霊媒は良い事をした事になる。ものは使い様ですね。悪い事に使えば悪いし、良い事に使えば良いんです。霊媒が来ないで霊的と思った時には「私が云った事が合っていれば、首を縦に振って、違っていたら横に振ってください」と云う。そうすれば、口のきけない霊でも、それだけは出来る筈です。あなたは女ですか、男ですかと聞く。又最近亡くなったのですか、古い時にかと云う。又それなら何年前ですか、と云うと、大体見当がつきます。
この質問のははっきりしてます。肺病で死んだので―祀って貰いたいとすると、何処に祀ったら良いかと、段々やっていると分る。之は幸いに霊媒が居たから良かった。病人の当人の状態になるんです。痰は憑霊の曇りです。だから憑霊も救われますからね。併し、痰は沢山あるから、少し位出ても大した事はない、その人の痰も幾らか出るが大した事はない。こう云うのはお医者にかかると、分らないから散々やられて、霊の方も離れないですね。分らせるのが目的ですからね。処が、霊は之は駄目だ―どうも分らないと云う事が分ると、ある程度離れますが、肉体はもう駄目です。其の身体を医者が結核の二期とか三期とかになっているから、安静にしなければならない―注射をしなければならないと云う。霊が離れても、医者につかまった以上死ぬ迄やられる。之が恐いですね。霊的に救われると大したものです。霊が憑ると急激に重症になります。霊は死ぬ程の重症ですからね。同じ苦しみになる。不断達者で居ても、急に悪くなって、間もなく死ぬと云うのがあります。こう云うのが多いです。
(お 伺) 私の家は長野県埴科郡坂城町南日名で御座います。村でも芝切りと言われる位に古い家で、八幡様を氏神として代々祀られて居りましたが、今から四代前のおじい様が、道楽の為に田畑を売り、遂に氏神様迄人手に渡して了いました。それから昭和廿三年二月四日に祖母が半身中風となり、今(未?)だに治らないのに、又母が十月十五日頃より腹膜となり、二、三の医師に見て貰って居りますうちに、大光明如来様の御神徳を知り、八月一日よりお縋り致して、私は入信させて戴きました。御屏風観音様も御奉斎させて戴きました。御蔭をもちまして、毎日少くない乍らも排便はありますが、お腹が膨れて少しも変りなく苦しんで居ります。又咽喉元に指先位の固結が出来、どうしても流動物以外は通りません。霊的に何か御座いましょうか。御教示御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
半身中風と云うのはない。中風は半身なんですからね。之も霊的ですね。氏神様を人手に渡したのは悪いですね。氏神と云うのは、ここの先祖―祖先ですからね。氏神と産土とは違いますね。先に書いたが、氏神と云うのは大祖先ですからね。ですから、産土に昇格したんだから縁が切れてますからね。良くお詫びして、御先祖様を―仏様はあるんでしょうね。ないんですか。
「御座います」
宗旨は。
「分りません」
分りませんじゃしょうがない。肝腎な事です。
先祖代々の位牌は。
「祀ってあります」
お詫びだね。今迄間違っていた事を許して貰いたいと、良くお詫びをするんだ。そうなったら、どうする事も出来ないから、良く光明如来様にお願いして、間違った事を心から悔い改めたから、祖霊さんに承知する様にお願いしたいと云えば―良くお願いすれば、それでいいです。
光明如来様は、
「未だで御座います」
早速お祀りして、そうすれば良くなります。
「その場合、祖先の位牌にお詫びするので御座いましょうか」
そうです。
「氏神様の方は」
氏神様の方も勿論です。
「人手に渡したのですが、家が本家で、家だけがその中に入ってお祀りして居ります。氏神の仲間に―」
それだけでは他の人と同じだ。あなたの家は祖先だから特別だ。あなたの方で、その土地を買う様になります。手に入る様になります。そうなるべきものです。急じゃないですが、段々にです。そう云う事は割合肝腎な事ですよ。氏神には月に一度づ(ず?)つお参りに行けば良い。お産日と云って、月に何日とあるでしょう。知っているでしょう。知らないですか。毎年お祭りはありますが、お産日と云う日が必ずありますから、毎月お参りするんです。普通の人でも、月に一度づ(ず?)つお参りするのは結構です。私も大森に居る時行ったが、産土神は色んな事をやって呉れているんですからね。そのお礼に行くのが本当です。
(お 伺) 矢口倫子(八歳)は、母体不健全な為に医師より妊娠中絶をする様に言われましたが、御浄霊を戴き無事安産致しました。生後一年半程致しました時、種痘を受け、翌日より両耳に御浄化戴き、耳だれが出、その後出なくなった時もありますが、今日迄殆んど出続きの状態です。現在左の耳は全く聞えません。又智能的にも二年位遅れている様に思いますが、体育(鉄棒等)は他の同年生徒よりずば抜けて勝れ、大人を喫(吃?)驚りさせる程で御座います。両親は信仰に熱心で、父親は資格申請を先月致して居ります。右浄化は全く体的のもので御座いましょうか。又御浄霊の重点は何処を致しましたら宜敷う御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
体育と云うと―之は、この間の杉村のかな……膿が出ると云うのは非常に結構です。何年間出ても非常に結構です。それだけ有るんだからね。やはり薬毒ですからね。薬毒の為に――種痘もですね。何しろ出続きと云うのは結構ですね。左の耳は以前からですか。種痘を打ってからですか。
「段々聞こえなくなりました」
種痘前は。
「両親も良く分らなかったそうです」
然し、種痘で耳がこうなると云う事はないね。やはり、前から相当聞えなかったんですね。聞えないと云うのは、膿が固まっているんです。集って固まるんです。だから、聞えない方を浄霊するんです。淋巴腺の方からやった方がいいですね。淋巴腺には肩の方から来て、それは腎臓の方から来ている。兎に角淋巴腺が一番肝腎だね。それから肩ですね。耳ばかりやっていても効果はない。淋巴腺から肩へとやる。人によっては腎臓から来るのもあるし、中途から来るのもある。そうして気長にやれば治ります。膿が出る事を恐れてはいけない。喜こばなければね。
(お 伺) 五十歳位の肥満せる婦人、数年前神経痛で注射をした外に、特に既往症なし、最近全身だるく特に左手指が内側に曲り、伸びなかったのを御浄霊によりお救い戴き、本人は喜んで入信。その後養子にも御守を戴かせましたので、引続き家で御浄霊をさせて戴いて居ります。本人は非常に神経質で、夜分鶏や犬の鳴声が気になって眠れないそうです。私も時々御浄霊に参り祝詞、善言讃詞を奏げ、御浄霊致しますと、その都度良く眠ります。此婦人は不眠が続くと発作的に痙攣を起し、特に左手頸(首?)をかい込む様にして苦悶致します。その上、発作を脅怖して二重に神経を使い、益々眠れない様でしたが、色々とお道の話も致し、最近は大変具合良く眠れる様になり、発作も起らずに居りましたので、時々は教会へも通って来る様に申した処、その晩に、又、以前よりもっとひどい発作を起しましたが、五分位で治り、翌日は一日寝て居りましたが、其後は寝たり起きたりして居ります。現在は全身だるいだけで、食慾もあり、別に異状はありません。中風の霊の憑依かと思い質ねて見ましたが、本人並びに主人側の先祖にも中風で死んだ者なく(遠い先祖は判りません)色々質ねました処、主人の姉が二十一歳でモルヒネ自殺をして居る他、本人の郷里方には狂人が二人許り出て居り、又養子の話によりますと、本人は主人の母(姑)を戦時中相当食をつめたので、それを気にしているのではないかと申します(その母は八十四歳で老衰死致しました)その家には仏壇はありますが、位牌もなく(過去帳のみ)写真が三葉飾ってあるだけです。主人は御浄霊に反対は致しませんし、お道の話も良く理解があります。如何なる因縁で御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
霊的と薬毒と両方ですね。薬毒というのは注射のためですね。之は相当長くかかります。まあ――気長にやるんですね。中風状と同じですがね。若し中風とすれば、足もなるが、指だけとすると中風の霊じゃないですね。それから眠れないのは、ここです(延髄)大抵右ですが、必ず固まりがあるから、之を溶かす。痙攣は、やはりその為です。頸の毒の為です。神経と云うのは霊ですが、之は副守護神ですね。
副守護神と云うのは、とても神経を起させるものです。神経を起させてからかう。それが好きなんです。だから一寸聞えたり、何かすると、之は病気になるんじゃないか、死ぬんじゃないか。と一寸でも思うと、どんどんやって来る。副守護神がそう云う事をすると云う事は、霊にそれだけの曇りがあるからですね。中風ではないですね。お婆さんでもない。若し此霊が憑ると、食いたくてしょうがない。モルヒネをやったのは体が痺れますからね。むしろ、霊的と云うと、副守護神です。之は気長にやれば治ります。何も心配要らない。
浄霊ですが、之からは殆んど振らなくていい。こう(振る)やると力が入る。力をウンと抜くと、振らない方がいい事になりますからね。一寸振る位ですね。大抵じっとしている方が力が入らないからね。力が入らないと治りが良いから、そうすると良い。力を入れないと実に良く治りますからね。何倍ですね。私は、一寸何処かを溶かそうとする時、オヤ、溶けが悪いなと思うと、力を抜くんです。そうすると、ずっと溶けて来る。
(【御 教 え】?)
それから、今文明の創造は宗教篇を書いているんですが、段々段々宗教に入り、深い処にいく訳です。
唯物医学と宗教医学
(『文明の創造』/栄光一六一号)
(御論文「唯物医学と宗教医学」のあとの御教え)
こう言う具合に色々説いていくんですが、興味があって、知らず知らず深い処が分っていくんです。深い処に入っていくと、中々面白いんです。仏教から神様に入り、そう言う関係を説いていく。そう言った宗教的な色々な事はすっかり分る事になる。今迄の宗教と言うのは、曖昧模糊だったんです。それは夜の世界の事を説くものだから仕方がない。本当に説いたら、どうしても、仕事をする気にならなくなる。そこで、うまくぼかして、無理な欲望など抱かせない。その為に苦しみが生れる。それを助ける為にお釈迦さんは、ぼかして、全然諦らめさせない様な、諦めさせる様な事を言った。仏滅後五六七の世が来ると言うのは、諦らめさせない様にですね。そう言う訳だから、後世の学者やそう言う人達は自分流の考えで、いやに七難かしくして、非常に神秘な尊いものの様に作ったんですね。だから、本当の事が分らないからして、色んな説が出来、色んな宗派が出来た。結局、迷いを無くする為に一生懸命やるのが、迷いを増やしている。そうでしょう、肝腎な事を説いてなかった。又説いてはいけなかったんですね。キリスト教なんか、バイブルなどは良いですが、徹底しない。「汝何をするな」「汝何をせよ」と言うが、何うしてそれをしてはいけないと言う事を説いてない。丸飲みにすれば良いが、そうはいかない。段々文化が進歩して来ると、理窟をつける様になる。合理性を持って来る。そうすると、あんな宗教と言うのは空みたいなものになる。そうすると、物質的に進歩した結果、悪の発生になる。悪の発生の為に世の中が悪くなる。人間が苦しむ。だから結局、今迄の世の中は、不徹底極まる。曖昧模糊としたものです。だから、そう言うものと諦らめるより仕方がない。処が、今度は昼間の世界になるから、はっきり分って来るからして、迷いがないばかりか、人間の思う通りになる。何が思う通りになるかと言うと、健康です。人間と言うものは、病気と言うものはないものだと思えなかった。どんなに偉い人でも、何時病気にかかるか分らない。之だけは取れない。事実偉い人になっても病気で死ぬからね。お釈迦さんでも病気で死んだ。そうしてみると、本当に安心が出来ない。処がメシヤ教では、病気の心配がなくなるんですからね。私の娘が結婚した婿になるのが、この間会社で健康診断で、結核の初期だと言うんです。今来てますが、そんなのは直ぐ治るから直ぐ来いと言って、何も心配ない。非常に喜んでいる。之が世間だと大変だ。子供がありますから、染ると大変だと、隔離されて、絶対安静で、どんな事になるか判らない。処が、こっちは平気ですからね。そんなものは風邪引いた位です。この安心は今迄ないんですからね。そこで、之で五六七の世の一番肝腎な根本が出来た訳です。人間が地上天国の資格者になっているんです。結局、何時も言う通り、病気の心配、戦争が無くなる。段々進んでいくと戦争の原因を書きますが、病気と戦争が無くなれば、それでいいんです。あとは全て解決する。今度の講和会議など、各国が色々――日本もそうですが――色んな国際法だとか、連盟だとかいろいろ作ってます。国家も―社会組織、経済組織と作りますが、結構なんです。良い組織なんです。処が、やる人間が駄目なんです。だから悪くして了う。良い人間が法律を運用すれば――法律なんか要らない位なものです。之を悪い人間が使うと、法律を逃れるとか、ひっかかるとかとなる。だから、法律と言うものは、反って悪の働きをする事になる。今度の「新しき暴力」の附録にも書いてあるが、悪を取締る御本人が悪をしようと言うんです。だから被告は威張ってますが、警察かなんかビクビクしてます。この間の時なんか――弁護人も勇気がないんです。勇気がないと言うより――悪いけれど――心の底に確たるものを握ってない。だから、おっかな喫(吃?)驚りし乍ら役人に向っている。だから私は立ってウンと――叱ってやったんです。先も気の強い奴だと思ったらしいですがね。こっちは正常なんですからね。私を調べた警察官ですが、検事から招ばれて証人になって居たが、嘘っ八です。「あなたがっているのは殆んど偽証だ」「そんな事ない」「そんなことないと言っても、全然嘘だ。偽証と言う事を取ったら、私の方は何も罪はないじゃないか」馬鹿々々しいと言ったらない。「それじゃ水掛論だから止すが、私がせめられて、ひっくり返った事が二度あるが知っているだろう」「知らない」「もう一人の人がおぶって行くのを見たでしょう」「いや」「気の毒そうな顔して見て居ただろう」「いやそんな事はない」浅ましいものです。罪をさばく御本人が、嘘吐いたり、忘れたと言っては問題にならない。終いに「あなたの様な人間に話しても、しょうがないから、あなたが本当になったら話をしよう」と言ってやった。何しろ水掛論をやっているんですからね。「私は水掛論は嫌だから之で止す」と言った。裁判長は笑っていました。すると検事の先生「裁判長、笑うと言うのは止して貰いたい」と言うんです。笑いたくて笑うんじゃない。笑わざるを得ないんです。だから笑わせる奴が悪いんです。と言うのは、知れきった馬鹿々々しい嘘を言うからで、憎むどころじゃない。それを通り越している。裁判所の神聖を汚すのは先生達です。こっちは笑わせられるんですからね。馬鹿々々しいものですね。丁度、今迄の世の中がそう言う風になってますね。
「寸鉄」ですがね。結局同じ様な事を言う事になるので、「寸鉄」の方は、何か問題があるとか、気がついた時に書く様にして、今迄の様に、始終無理に書く事は止そうと思う。今日はたった一つありますが、そう言う様な具合で、あんまり今迄の様に出来ないかも知れませんが、その積りで――。
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