四月七日

 明日京都に行く事になりましたが、その目的は、嵯峨の今度の家に泊って、これからのあそこの地上天国と美術館の土地やいろいろの事の大体の指図をしようと思ってます。あそこの美術館は、前にも言ったとおり仏教美術館を造るつもりです。これは箱根の美術館とは全然違って、もっと大きな伽藍(がらん)としたものです。あんまり細かいケースなどは要りません。ですから簡単に出来ます。そういう話を文化財の役人などに話すと非常に賛成してます。なにしろ京都の仏教美術、特に彫刻では、日本の仏教彫刻が世界で一番なのです。彫刻ではギリシャの彫刻というものは世界的に有名なもので、彫刻の元祖であり又非常に名品が出来ました。西暦紀元前四、五百年くらいが最も良い物が出来たのです。それで今度箱根美術館にもギリシャの彫刻がいくらか出ますが、やはり二千年くらい前の物で、なかなか面白い物が出来てます。それからローマ時代にかなり出来ましたが、その中で有名なのはロダンですが、日本の仏教彫刻から見ればずっと低いのです。高さがありません。つまり写生ですから、普通の人間のいろいろな形をうまく表現したわけです。ところが日本の仏像彫刻というものは、理想つまり人間以上の仏を現わしたわけです。たから高さにおいて非常に高いのです。そこで技巧の点から言っても非常に巧妙なのです。(たくみ)です。ですから外人でも一部の人は非常に憧憬(どうけい)しているのですが、まだ大部分は知らないのです。何故と言って、見ようとしても、一々お寺に頼んで、靴をぬいで薄暗い所で見なければならないのです。どうやら見られるのは法隆寺です。法隆寺だけは奈良に行けば大抵な人はきっと見られますが、しかし外の所を何軒も見るという事は、日数は幾日もかかるし、おまけにある所が、法隆寺にしても薄暗い所で、それから又遠くの方から見るとか厨子(ずし)の中にはいっているのを見るというように、どうもややこしくて、美術館的に簡単に良く見られません。ですからそういう弊害を無くして、一目で良く見られるというのが今度の美術館の狙い所です。そういう建物を建てて、各寺に了解させて、本尊様はそうはゆかないでしょうが、本尊様以外の良い物を一堂に集めて、一度に見られるというようにするのです。ですから観光外客などは、時間の制限や一日しか京都に滞在できないという人が一目で見られるし、そうして日本の彫刻の秀れた事を世界に紹介するという事は、国家的にも非常に必須なのです。これは京都市あたりでやらなければならない事だが、なかなかそうはゆかないので、それをこっちでやってやるのですから、本当に分ると京都市としても余程有難い事になります。

 今説明した事は表面と言いますか、外郭的の話ですが、霊的に言うともっと素晴らしい意味があるのです。明日はお釈迦さんの誕生日ですが、特にそうしたわけではないので自然にそういう都合になってしまったのです。というのは、これから嵯峨の経綸にかかるわけですが、それはお釈迦さんの経綸になるわけです。それで私が今度行くのはお釈迦さんの仕事をするわけです。そこで四月八日という事になったのです。それで嵯峨という土地は大体仏像の本源地として非常に意味があるのです。それで仏教は五、六、七の七になるのです。火水土の土になるのです。だから何時かも言ったとおり京都の経綸は土の経綸ですから、あそこは平で広い所なのです。それで土地の面積が一万八千坪というのは五六七で、あそこでミロクが完成するのです。箱根、熱海、京都で五、六、七が完成するのです。そこで土地も一万八千坪というわけです。私は最初に聞いた時にハハアと思いました。それで嵯峨という言霊は、「サガ」の濁りを取ると、「サカ」という事になりますが、「サカ」というのは「シャカ」という事になります。「シャ」をつめると「サ」になります。そこであそこに釈迦のお堂があって、嵯峨の釈迦さんと言って、昔から有名なものです。そういう経綸になるわけです。そうしてもう仏滅の世にはいって来たわけです。そうすると仏滅の時になり、つまり仏教は亡びるわけです。それを救うわけです。救うという事は、仏になっていた神様の霊を、神に救い上げるわけです。その経綸がこれから始まるわけです。それでそういう仏様が京都、奈良に集まっているのですから、此処はその仏達を救うべき道場というわけになります。それで各寺にある仏像にその仏様の霊が憑るのです。だから仏像というものは、ただ表面的に見れば美術的の物ですが、霊的に見ればその仏像に仏様の霊が憑るのです。霊と言っても、弘法大師、親鸞、法然、道念というような人達が仏像に憑って、私がこれから造る美術館に集まって来るのです。それでそういう仏様はいろんな罪穢れをうんと背負っているのですから、それを私が浄めてやるのです。大体元は相当神格を持っていたのですから、浄められると今度はその神格を持って救世教のために働くという経綸になるわけです。ですから霊的に言えば大変な経綸になるわけです。それで神様がやられる事は二つも三つも仕事が出来てしまうのです。そういう点などは、神様だから当り前ですが、実はうまいものだと、私は何時も感心してます。そつ(ヽヽ)がありません。それについては、仏というものはお釈迦さんが始めたのですから、そこでどうしても仏を大いに救わなければならないのです。というのは仏というものもやはり大変な必要があって出たのですが、しかしながら今まで夜の世界であったために知らず識らずいろんな間違った事を仏様がしたのです。ですからここでどうしても浄まらなければならないのです。偉い開祖とか教祖でも地獄に落ちたものもあるのです。そこで今度の嵯峨がやっぱり天国になって、そういう仏様が集まって来るのです。救世教の経綸というものは、今行ったように非常に深いものなのです。

 それから「結核信仰療法」の本は大分売れるようですが、それについてちょっと論文を書いてみました。

 御論文〔結核信仰療法について〕     【註 栄光二〇四号】

結核信仰療法に就いて

(栄光二〇四号)

 私は今回発行した結核信仰療法なる著書に就いて、少しかいてみたいと思うが、これを読めば分る通り、全く現代医学に対する原子爆弾であり、挑戦状といっていいかも知れない。併し挑戦の言葉は宗教らしからぬ嫌な感じがするが、これも万止むを得ないであろう。というのは、このような著書を出さねばならない程に、医学の誤謬の為に大多数の人間が苦しんでいるからである。その為私が神から命ぜられている救世の必要上、人類不幸の原因としての凡ゆるものは、除去しなければならないからである。というのは現在文化の面に於て、真理にあらざるものを真理と信じている。それが災いの原因となっているのであって、特に医学の面に於て最も甚だしいのであるから、これを先に取上げたのである。その中での日本の悩みとしては、何といっても結核問題であろう。

 著書にもある通り、現代医学が結核を作るという驚くべき説と、この裏附として数多くの実例を添えてあるに対し、初めて読んだ専門家も一般人も、愕然として到底信ずる事は出来ないであろう。事程それ程現代人は医学迷信に陥っているのである。しかしながら事実治された本人の手記である以上、一点の疑いを挿む余地はないのは勿論、如何なる学者と雖も、事実を否定してまで、自説を押通す事は出来まい。というのは絶対真理であるからである。

 この著が天下に公表され、専門家が読むとしたら果してどんな感想が浮ぶであろう。全く革命的爆弾を打っつけられたようなもので、唖然として何等の考えも浮ばないであろう。何しろ長い間の医学迷信の虜となっている眼で見る以上、信ずる処ではないと共に反対しようもあるまい。何しろその理由も資料もないからで、ここに深刻なジレンマに陥ってしまい、空前の大問題とならざるを得ないであろう。私とてもこの様な大きな問題を起したくは毫もないが、私の使命たるや人類救済であり、その根本が医学の革命である以上、何処迄もその方針で進まざるを得ないという訳で、一度はこの問題に打っつかるのは、予め予期していた。という意味に於て当局も専門家も、私の説が段々分るに従い、重大問題として取上げない訳にはゆくまいから、その対策に如何に頭を悩ますかは想像に難からないのである。としたら問題解決は不可能であるから、容易ならぬ事態に立至るのは必然である。

 しかもこの解決如何によっては、当然医事関係者中に、多くの犠牲者を出さねばならない事になろうが、事は人類永遠の生命に関する重大問題である以上、或程度の犠牲は止むを得ないのである。何しろ全人類の最大悩みである病が、これによって解決出来るとしたら、如何なる障礙も物の数ではない。その結果現代文明の一大転換が起るのは明かである。そうして面白い事には、彼の有名なコペルニクスやガリレオの地動説である。当時絶対信じられていた宗教上の不動説を、科学によって覆えそうとしたので、遂に大弾圧を受け、牢獄にまで投ぜられた。処が私の説も右と同様ではあるが、只立場が反対であって、今度は宗教が科学を覆えそうとするのであるから、この点大いに注目する必要があろう。

 そうしてこの前代未聞の企画者こそ主神である以上、人間としてはどうにもならないのは勿論で、私と雖も神に操られているにすぎないのである。しかし神を認めない人の多い今日、人間の計画と思うであろうが、若しそうだとすれば、これ程科学の盲点を発見し、その裏附けまで出来るという事は不可能である。従って読者は既成観念を棄て、白紙になって精読すれば、豁然と目覚めるであろう。

  

 それから今言われている公明選挙という事について書きましたが、これは東京日日新聞に今日から二回か三回にわたって出ます。ちょっと面白い書き方です。

 御論文〔公明選挙を嗤う〕

公明選挙を嗤う

(昭和二十八年四月五日)

ズル族が多すぎる

 まだ半年経つか経たないうちに、又々総選挙とてきは、国民もやりきれたもんじゃない。たった半年の間に、政府は、国民の信任が減ったかどうかを試してみるんだから、結局国民は試験台にされる訳だ。この原因は、何といっても、例の馬鹿野郎問題だろう。仮にも総理大臣たるものが、こんな野卑な言をはくのは怪しからんと、反対党の連中が、鬼の首でも取ったようにワイワイ騒ぎ立てた事と、自由党は自由党で、按摩の流儀じゃないが、内輪揉めは、吉田流でも始末がつかないと見え“エー面倒臭え、政権は解散だけのことさ”と脅したが、一向埒があかないので、とうとう引込みがつかず、解散総選挙となったわけだ。こんどの総選挙の動機は、馬鹿野郎の一言なんだから、この馬鹿野郎の一言が政府を解散し、国民全部を動かすことになるから、政府を未だかつてない、大した馬鹿野郎と思うのはこの私ばかりではあるまい。

 さて、ここで私がいいたいことは所謂公明選挙の看板の事だ。前の選挙のとき、この看板を観たときこれは甚だ結構だ、この看板通り選挙をやって呉れるなら、国全体が少しは良くなるだろうと思ったが、看板のなかった時よりも、更に悪いので全くアキレてしまった。だから今度の選挙でも当にはならないから、まあただ見物をしているだけだ。こんなことをいうと、不思議に思うかも知れんが、つまり候補者も選挙みん、ズルイ奴が多すぎる。このズル族の根性骨を叩き直さなきゃ駄目だ。いくら新聞やラジオで面白くもない御説教をやっても効果がないし、街中大声で名前を怒鳴ったり、又チンドン屋式の大風呂敷宣伝をやってみたところで、うるさいだけの話で、何んにもなりゃしない。こんな総選挙の方法だから、今いったズル族がばっこすることになる。現ナマ御馳走攻めの魔薬で、善良な選挙民をナマコにする。

食えない代物“運動員”お偉方には信心が足りぬ

 何故こんなことをするかというとズル族の根性は、麻薬を呑ましても又美味い汁を吸っても、巧くやりさえすれば、誰にも知れずに、済むと思うわけだ。更にあの運動員と称する輩は酢でも蒟蒻でも食えない代物なんだからまったく手に負えない。こんな例はまだたくさんあるが、この汚いボロを隠すには、公明選挙の看板も、とんだところで役に立つらしい。つまり肥桶の蓋になる訳だから、全くお臍が茶を沸かすといいたい。とにかく今の世の中は、人の目さえゴマ化せば、いいと思う小利口者が多いから、さの料簡にヤキを入れない限り、公明選挙も蜂の頭もない。

 さてヤキを入れる急所はどこにあるかというとこの世の中には神様がチャンと御座るという事だ。このことを肚の底に叩きこんでやると、たとえ人間の目はゴマ化せても、神様の目は御見通しだからゴマ化せないという事が、ハッキリ分るので、そこで始めて文字通り公明選挙となる。こんな解りきった事さえ理解出来ないお偉方が、上に立って威張っているんだから“可哀想なのは正直末法の善人達”という次第で、昔から上の好むところ、下之に習うという言葉通り上も下もろくでもない人間共が、ウヨウヨしているこの娑婆だから、上は増収賄、買収、ペテン、汚職等々、下は強盗、殺人、窃盗、詐欺、横領、空巣、掏摸、万引など数え切れない程毎日の新聞を賑やかにしている。しかもこれが氷山の一角なんだから唖然としてしまう。これももとはといえば無神、迷信の為なんだから之に気が付かない限り、公明選挙も口先だけのお題目になる。

 最後に一ついいたい事がある。アイゼンハウワー、トルーマン、マッカーサーなどの講演にしても、必ず神という言葉が入っている。ついこの前、アイゼンハウワー大統領就任式の際、大統領が聖書の上に左手を載せて誓った光景を見た時、何んともいえない感に打たれた。アメリカの繁栄と、平和維持のための、烈々たる気魄はここから出たものに違いない。とすれば少くとも、この人達は、神のあることを認めているわけだ。之に比べ日本の御歴々は、いつの演説でも神の言葉など薬にしたくもいったことがない。日本の政治家連も、神の言葉を口に出すようになれば、始めて公明選挙の実もあがるというものだ。

 

 それから近頃精神病が非常に増えて来たのです。これは皆知っているでしょう。そこで精神病の浄霊の仕方を詳しく話そうと思います。とに角精神病の一番の急所は延髄です。延髄に必ず固まりがあって、この固まりが血管を圧迫し、前頭部が貧血して、そこに霊が蟠居(ばんきょ)して自由に操つるのです。それでこの貧血をなおすには延髄の固まりを溶かすという事が第一番です。それから淋巴腺ですが、この固まりも影響します。この固まりは貧血でなく浄化熱が出るのです。それでこの浄化熱が前頭部に及ぼすのです。ですから頭の熱い人は必ず此処(前頭部)にあります。此処を触って冷たいというのは、おそらく百人に一人も難かしいです。私は以前に書きましたが、〝日本人は全部精神病だ、ただ軽い重いの違いだ〟というのです。それで吉田さんが馬鹿野郎と言ったのは発作的の精神病です。それは後で後悔しているに違いないですが、その時は奴さんが此処(前頭部)に飛んで来たのです。しかしああいう人は度々はありません。一年に一度か二度くらいでしょう。それで普通の人は余程偉い人で月に二、三回くらいはやはり発作的に来るのです。それからごく下っ端の方は一日に三、四度あるのです。それで精神病について、動物霊ですが、お酒を飲むとやり良いです。それで酒を飲ませて酔わせていろんな間違いをやらせるのです。酒を飲むのはやっぱりお腹に居る先生ですが、それが此処(前頭部)に蟠居していろんな事をやろうというのです。酒乱はそのごく酷いのです。それで酒乱は人間の霊と動物の霊が共同でやるのです。そういうようでだんだん精神病が多くなってくるのです。特にアメリカは精神病が一番多いそうです。それは霊界の浄化がだんだん強くなるに従って、そういった動物霊は落着いて居られないので浮いて来るのです。ですから元から居る奴は此処(前頭部)に上がるし、それからつまり宿無しですが、霊界に居るそういった宿無しというのは大変なもので、人間より多いのです。ですから人間に憑りたがってウズウズしているのです。しかし信仰があると憑りたくても憑れないし、憑っても自由にできないのです。しかし信仰のない人や曇がある人には憑りやすいのです。それから薬をのむと曇るから、やはり憑りやすいのです。ですから精神病の起った原因も薬です。そこで霊界に居る宿無しは始終迷って憑ろう憑ろうとしているのです。それでちょっと余計曇っている者には一匹でなく何匹も憑るのです。ですから発作の状態も一々違います。そこで今言ったとおり延髄を第一、淋巴腺を第二とするのです。それから鳩尾も肝腎です。鳩尾の奥の方を浄霊すると良いのです。これは怒った場合には必ず鳩尾に固まりがあります。だから怒った時に落着いて考えたら、必ず鳩尾に固まりがあります。此処が何とも言えない気持になるのです。それでそういう気持になると、頭に居る先生が非常にやり良くなるのです。ですから延髄と淋巴腺と鳩尾の中心です。鳩尾は前からやって良いのです。自分でも腹の立つ時にやればきっとなおります。さっき私が懐に手を入れてやっていたでしょう。それはそういうわけなのです。ここに来る前もちょっと面白くない事があったので、それがどうも腹が立ってしようがないので、喋ろうとしても何だか気になってしようがないので、懐に手を入れていたのです。もうなおりましたが……。だから今言った事は人の精神病ばかりでなく、自分の精神病もそうです。精神病ほどでなくても、ちょっとした事でもそうです。しかしこれは余程修業を積んでないと、変な事を言ったり、怒ったまぎれに脱線しがちですから、やはり怒った事を消すという事は肝腎なのです。

 そういう順序でやれば必ずなおります。しかし延髄を見ようと思っても、人が来るのを怒ったりするのは見れませんから、そういうのは遠くからでも良いですから、後頭部のちょっと下の辺をやると大人しくなりますから、それからいよいよ浄霊にはいるのです。そうするときっとなおります。それから結核と精神病は周囲の者が一番困るのです。精神病は二人も三人も付いて居なければならないし、結核は消毒だ何だと、その手数が大変です。病人だけが苦しむのでなくて、家族の者が多いに苦しむのです。それで結核というのは家族の恐怖心というものが大変です。精神病は暴れたりいろいろするので、それを押さえつけたりして、周囲の者は外出もできないのです。ですからこれだけは絶対になおさなければならないのです。とに角悲劇の一番の大きなものです。それで今話したのです。

 結核の方は「信仰療法」などに詳しく書いてありますが、精神病の方はあんまり書いてありませんから、これも今度はもっと徹底して書こうと思ってます。なにしろ増えます。最近信者のうちにも三人ばかりありました。それで非常に多くなって精神病院が満員で、とても収容しきれなくて弱っているという事を聞いたので特に話したのです。

 

 

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