昨日、一昨日と大乗、小乗について話しましたが、それについて今度の総選挙の結果、一番意外に成績が良かったのは社会党の左派です。それから悪かったのは改進党です。これは何故かというと、つまり大乗と小乗の現われです。その原因は再軍備問題なのです。それが実によく現われてます。社会党左派の成績が良かったのは再軍備絶対反対です。むしろ無防備国家という事をはっきり主張してました。軍備は要らないという事は根本理論です。これは当り前なのです。とに角日本を第二の中共にしようというのです。だから第二の中共になれば、ソ連は日本を侵略する憂いは決してないから軍備は必要ないのです。アメリカの方が侵略すれば、それに対する軍備が要るが、アメリカは侵略政策でないから、侵略国というのはソ連ですから、それで軍備の必要がないのです。それを主張するわけです。ところが大抵婦人に多いのですが、日本の国家はどうなるだろうというより、自分の息子や亭主が兵隊に出されては困る、心配だ、それには戦争がなければ安心だというので、社会党左派に投票するというわけです。その反対に改進党は軍備しなければならないとはっきり言ったために、それでは改進党には投票できないというわけです。それから右派社会党は左派のようにはっきりと再軍備に反対はせず、事情により場合によってはやむを得ないというような危ぶない点があるので投票が少なかったのです。それから自由党は事実再軍備をしながら、再軍備は絶対にしないと吉田さんが言ってましたが、これは又非常にずるいやり方だったのです。ですから自由党が、馬鹿野郎問題が案外影響しなかったのは、そういったずるさの勝利です。だから時によってはずるいという事は必要なのです。国家の利害はあんまり考えないで、自己の利害のみを考えるというのが小乗なのです。それからそんな事は関係なく、本当に国家のために或る程度は軍備をしなければいけないというのが大乗的考え方です。それで吉田さんのやり方は大乗にあらず小乗にあらずで、やはり一種の伊都能売式です。そういうように考えると総選挙の結果というのははっきりしていて、実によく分ります。外の政策とか外の事は幾らも影響しないのです。大体軍縮問題がそのまま選挙の結果に反映したわけです。それと同じような考え方が何事にもあるのです。信仰上にも大いにあります。小乗は経ですから、小乗的に物事をきちんと考える人はやっぱり発展しないのです。そうかと言って、大乗的に何でものみ込むのは、発展するかわりに危険が伴うというわけです。だから小乗と大乗の使い分けをうまくやる人が一番成績が良いわけです。このやり方が伊都能売なのです。
それについての例ですが、映画の時に長唄の吉住小三郎という人がよく来て、私の隣に並んで坐って映画を見ているのです。ところがそれを気にする人があるとみえるのです。こうだろうと思うのです。〝なんだ、明主様の隣に芸人風情が坐って見るなんて、どうもとんでもない話だ、勿体ない〟というのでしょう。まあ悪い考えではないので、良い考えですが、それで小三郎さんの所にチョイチョイ無名の投書が行くのです。あなたは甚だ良くないから遠慮して貰いたいというのです。最初の一回か二回の時は歯牙にはかけなかったが、チョイチョイ来るので、小三郎さんも信者の中のそういう方が一人でもあると自分も気持が悪いからと、この頃は来ないのです。それで投書する人の考えは、〝なんだ奥さんが長唄の稽古をしている師匠ではないか、それが明主様の隣に坐っているのは甚だ申し訳ない〟というのだろうと思います。それで私をアンポンタンかお坊ちゃんのように思っているのです。それがいけなければ私は許しません。それはどういう事かというと、今の音曲界では一番の王者としての長唄で、その長唄界の大御所たる存在が吉住小三郎という人です。あの人は芸能者の第一人者ですから名人です。それであの人だけは、人が頼みに行っても絶対に応じないのです。放送局でもあの人には手こずっているのです。この間放送局の三十何年かの記念にちょっと出ましたが、ああいうのはうんと頼んでやって承知させたのです。だから公でない会などには絶対に承知するものではないのです。ところが救世教の余興の時には必ず出るのです。だからこれは余興に対する一つの素晴らしい値打を増すようなわけなのです。小三郎さんという人は、名前だけでもそれだけの働きをしているのです。ですから私は、神様はうまい人と関係をつけたと思っているのです。それからもう一つはそういった芸能人、美術家、或いは文学者、作家という人達は、私は特に貴く思っているのです。そういう名人というのは代りがないのです。だから国務大臣というような人よりもずっと上なのです。大臣などは辞職すれば代りは幾らでもあるのです。吉田内閣でさえ四、五年の間に任命した大臣は百人近いでしょう。だから前にイギリスの有名な人が〝大臣を任命するのに相談や手数は要らない。議場に紙つぶてを投げて、当った人を大臣にすればよい〟というのです。そのくらいですから、甚だ失礼ながら代りは幾らでもあるのです。ところがああいった美術家とか芸能人の名人はすぐに代りがないのです。そうでしょう、俳優でも少し偉いのはその代りはないのです。ですから今は歌舞伎俳優で困っているくらいです。だから今はそういう人こそ大いに優遇しなければならないと思ってます。何故というと、とに角社会で一般大衆を楽しませる技能を持っているのですから、非常に結構なのです。私は何時も映画を見る度にそう思うのですが、映画俳優も脚本を作る人も、われわれにこういった娯楽を与えてくれるという事は大いに感謝してよいと思います。ですからそういう意味において小三郎さんは大いに優遇しなければならないのです。それやこれやで、始終私の所に来ますから、長生きをさせようと思って中風とかそういうような事が起こらないように浄霊してやっているくらいなのです。だから映画を私の隣で見るくらいは結構なのです。それを遠慮しろと強制する人は小乗的考えなのですから、ケツの穴がごく狭いわけです。だからその人の耳にはいった場合には大いに考え違いを神様にお詫びして、若しかその人が本当に悔い改めて、勇気があれば小三郎さんの所に行って詫びるのが本当です。私が考え違いをして大変間違った事を言ったから御勘弁願いたい、どうかこれから是非来て貰いたいと、よく詫びるのです。それができるくらいなら立派な人ですが、それはなかなかでき難いでしょう。そういうようで小乗的の考えというのが一番困るのです。それで小乗的考えというのは自分では非常に良いと思うのです。そうして結果はかえって逆になるのです。それからそういう形のみに促(捉?)われた事を、余程考え違いをしないようにしなければなりません。神様のやる事は、人間の常識と言っても、本当の常識なら良いが、世間的の常識で考えて分るような浅いものではないのです。それよりか、自分の事を始終考えなければならないのです。自分は行いが間違っていないかという事を考えなければなりません。余計な人の事を考えるという事が間違いの元です。だからただ明主様に勿体ないとか御無礼という事は、神様の方の考えと違う場合が往々あるのです。だからすべて大乗的に考えるという事が肝腎なのです。これは救世教に限らず信仰している人はどうも小乗的考え方になり過ぎるのです。これは昔からいろいろな宗教がそういうようになっているのですが、どうもそういうような伝統的宗教観念が出やすいのです。だから粗衣粗食の地獄的生活を神様は大変お喜びになるように思っている宗教観念というのが大いにありますから、その間違いを直そうと思っていろいろ書いているのです。それでミロクの世というものは、そういうような事と反対です。そこで人間の、歌うとか踊るとか、いろんな楽器をならすという事は、人間を楽しませる肝腎な天国的要素です。やっぱり芸術です。ですから地上天国は芸術が一番の重要なものですから、大いに芸術を尊ぶという観念を植付けなければならないのです。美術館というのはやっぱりその大きな一つのやり方なのです。
昨日谷川徹三という人と報知新聞の記者が来て、半日ばかりいろいろ話しましたが、ばかに美術が好きで、非常に研究して明かるいのです。私も大変勉強になりましたが、その時に実際救世教というのは変っている、今までにないというのです。こっちに来る前に箱根の美術館を見て来たのですが、これほど美術に関心を持って大いに仕事をしているという事は実に大したもので、これこそ大いに自分達も援助しなければならないというような事を言って非常に褒めてました。そういうようで宗教で芸術をこれほど大きく扱うのはありません。ですから言ったのです。やっぱり聖徳太子と同じようなものだ、聖徳太子は日本だけだから規模が小さいが、私は世界的に聖徳太子のやり方をやるのだと言いました、そういうようで、話は横に広がりましたが、大乗小乗についてちょっと話したわけです。
それから箱根の美術館は去年とは余程違いましたが、ただ五月までは去年と著しく違ったところは外国美術を並べた事です。それから来月は十八日に私は箱根に越しますが、このお祭が済んでから浮世絵展をやります。今まで方々で浮世絵展をやりましたが、私が今度やるのは今までにないほど充実した展覧会のつもりです。あっちに行って二十四日までにこしらえ上げて、二十五、六、七の面会日に信者さんに先に見せる事にして、一般は六月一日から見せるという段取りです。それから二十八、九、三十、三十一日は特殊な人に見せるという順序にしようと思ってます。そういうようで、とに角去年より余程違うと思います。それで別館が出来たために、美術品を飾る所が増えると共に、あの辺の調子が非常に良くなりました。見た人は知っているでしょうが、賑やかな感じになりました。前にはあそこに汚たない家がありましたが、そういうのはすっかり無くなって、実に全体が立派に小ぎれいになりました。それで外国の美術品も浮世絵の良い物が集まったのも実に奇蹟なのです。その事を書いてみました。
御論文〔神技の美術館〕 【註 栄光二〇七号】
神技の美術館
(栄光二〇七号)
現在日本一と言われている箱根美術館に就いて、今迄の経過を玆に書いてみるが、これを読んだら、どうしても人間業でない事が会得されるであろう。何故なれば、一切が奇蹟から奇蹟相次ぎ、出来上ったものであるからである。特にその速さであって、恐らく世界広しと雖も、この箱根美術館位、スピード的建築と、短期間に高級美術品が豊富に集った例は、絶対ないであろう。観る人の誰もが、御世辞ではなく感歎の言葉を発するのは知らるる通りで、これが神業でなくて何であろう。私は未だ外国は知らないが、我が国各所にある美術館にしても、博物館は別とし、個人のものの悉くは、財閥、富豪中の美術愛好心を持った人達が、一生涯かかって造ったものである。処が我箱根美術館は、計画を立ててから僅々数年にして出来上ったのであるから、素晴しい驚異であろう。というのは、必要なだけの金は信者の寄附で集まり、美術品は終戦後自然にボツボツ集ったものと、借りたもので、決して私の考えで探し求めたものはないのである。つまり神様にお任せしておくだけであって、種類とてもそうである。そうして、欲しいと思う物は割合値段が安く、又信者の寄附した品物もあるが、これらも必要なものであるのも面白い。というように、丁度美術館へ並べるだけの物がチャンと調ったのであるから、どう考えても人間業とは思えない。何から何迄巧く運び、丸で神様が御自分の心のまま、私にやらせているようなものである。というわけで、私としても気楽なものである。それでなくては、こんなにトントン拍子に巧くゆく筈がない。
そこで、本年の計画であるが、これも見れば分るが、昨年とは余程違っている。その中でも、外国の古美術である埃及、希臘、波斯、印度、古代支那の物等が、一部屋に並べ切れない程集ったのである。と言っても、初めから私はそんな物を蒐めようなどとは夢にも思わなかった。第一西洋古美術などは全然知らなかった処、今年に入るや、春早々からバタバタ集って来た。勿論日本では余り知られていないので、値段も割合安く、手軽に集める事が出来たので、喜ぶと共に、段々分るに従い、中々魅力に富んだ捨て難いものが大いにあるので、今更乍ら神様の深い御意志に、感歎せざるを得ないのである。然もこの種のものは、現在我国では、博物館始め何処にもまだ蒐集されてないそうだから、今度箱根美術館が先鞭をつけたわけである。
次は六月一日から、今度出来た別館に浮世絵展を開催する予定だが、これが又不思議である。というのは、昨年秋京都美術館の浮世絵展を見に行った時の事、それまで私は余り関心を持っていなかった浮世絵を見るに及んで、中々馬鹿にならない事を知ったと共に、幸いこの展覧会の担当者たる、東京博物館の浮世絵専門の近藤市太郎という人を紹介され、近藤氏から色々説明を聞き、概念は得られたが、それから別な人からも教えられ、或る程度の智識を得たと共に、頼みもしないのに、容易に得難い程の良い浮世絵が集ってくるのである。私は〝ハハア神様は浮世絵展を開催せよ〟との思召に違いないと思うと共に、それには館が狭いので、早速別館を造る事に気が附いたのである。処が出来上ってみれば、成程と頷いた。というのは、この別館が出来た為、その辺りの景観が一段と引立ったからである。
以上によってみても、何から何迄深遠微妙なる神様の経綸は、実に端倪すべからざるものがあり、常に感激は心に満ちており、考えれば考える程、流石は神様で、寸分隙のない御経綸には、只々驚歎するのみである。
美術館も日本の有識階級や外国などにも大分わかって来たようですから、今年はそういう人達が随分来るだろうと思ってます。外人が日本に来ても日本美術が見られないで、かえって油絵などの美術館の方が多いです。というのはまず何時でも見られるような常時美術館が出来たには出来たが、ブリヂストン美術館と近代美術館とどっちも油絵専門になってます。私はこの間近代美術館の管長の岡部長景という人が時々来るので話をしましたが、ブリヂストンと隣合っていながら、ブリヂストンと同じようなものを並べているではないかと言ったところが、それは考えているが、それでもまあまあお客が来るからと言ってました。しかし人によっては日本や支那の美術品を見たがるのが居たが、無いので仕方なしに我慢しているわけなのです。それでこの間博物館で支那陶器を横河という人の寄附で、特別展として開催したので行って見ましたが、品物は千点というのですから随分ありますが、随分酷い物ばかりです。並んでいる物が支那の台所の道具というのが多いのです。日本で言うと皿小鉢というような、お膳に並べる物です。まあ道具屋が持って来ても、買うのは五、六点しかありません。一般人は知らないから、支那の物だから良いだろうと思っているでしょうが、あんまり酷過ぎるので驚いたくらいです。ところがなにしろ博物館は予算が足りないので、欲しい物も手に入れる事ができないのです。ですから博物館関係の人がこっちを羨しがってます。〝役人の仕事は駄目ですよ〟とか〝やっぱり役所の仕事はうまくいきません〟と言ってます。だから公平に言って博物館と箱根美術館と比べると、紳士とサラリーマン、重役と平社員くらいの違いと言ってもよいです。私は何時も博物館というのは国家の屈辱なんだと言ってますが、博物館の人は〝全くです〟と言ってます。特にアメリカ人などは日本の美術の展覧会を見て、去年のサンフランシスコの展覧会と、今やっている大都市巡回のとを見て、日本美術は素晴らしいものだという事が分って来たので、美術鑑賞熱というものが出て来たのです。だからだんだん箱根美術館が知れるに従って、そういう人達がいずれは随分来るようになるだろうと思ってます。それで西洋の古美術から中国、朝鮮、日本美術というようにいろいろ検討してみると、実際断然日本美術は優秀なのです。実に日本人の美術に対する感覚は世界一です。そのうちで私が一番世界的に見せたいのは仏教美術です。つまり彫刻です。彫刻というものは素晴らしい高い位置にあるのです。外国の彫刻と言えばまずギリシャです。実物は行って見たわけではないが、写真などで見ても結局写生です。それからヨーロッパのローマ時代から相当出ましたが、一番はロダンとダヴィンチ(ミケランジェロ?)です。と言ったところで写生です。日本の仏教美術というのは理想です。霊的に言えばそうではないが、普通に言って高い理想を表現したものですから、その芸術家の感覚と、その表現の技巧というものは素晴らしいものです。それで私は京都や奈良のお寺に行ってそういう物を見ても、本当に世界美術の最高峰の物という事を感じます。ですからどうしてもそれを日本の誇りとして大いに世界的にしなければならないと思ってます。嵯峨の美術館はそれを方針にするつもりです。ところが神様はちゃんとそういうような事情にもしたわけです。というのは京都のお寺はほとんどやって行けなくなったのです。相当有名な寺でも財政難に陥って維持ができなくなったのです。ですからそこで今でも目立たないように売ってます。お寺も売らざるを得ないのです。そうでないと檀家の方に御用金が行きますから、檀家は税金などで苦しんでいるから、お寺の維持には届かないので、それでは何か売ったらよいだろうというので、檀家が承諾するのです。それで檀家承諾書というのがついているのです。それでも檀家がある寺はよいのですが、勅願寺というような檀家がない寺が沢山あるのです。ですからそういう所の生活というのは実に可哀想なものです。しかしそんな事を言ってもだんだん行詰るからポツリポツリと出しているのです。ですから私は将来日本美術のためとお寺を救うためにも仕事をしなければならないという事になります。ですから仏滅と言いますが、なるほど、霊的でなく物質的にも仏滅です。お寺に飾る仏も無くなりますから本当の伽藍堂です。大体嵯峨にはそういう美術館を造るつもりです。熱海の美術館は大きいですから、そういった仏も大いに紹介して、日本の彫刻美と仏画を世界中に知らせたいと思ってます。
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