熱海はいよいよ今日限りで、明日箱根に移る事になりました。箱根の美術館は別館も出来上がったので、今年は特に楽しみに思ってます。思ったよりも非常に良くなりました。別館が出来、橋が出来たりして、あの附近が非常に良くなりました。外国の古美術展をやり、浮世絵の展覧会も今月の二十五、六、七日の時までにすっかり出来上がる事になりますから、楽しみにしてよいと思います。それまでにすっかり完成して、二十五、六、七日は信者さんに見せて、二十八、九、三十日は特殊な人の、要するに内見というわけです。そうして六月一日から一般に見せるという事になっております。浮世絵の方も思ったより良い物が集まって、そういった趣味のある人も相当感心するだろうと思ってます。博物館からも版画を四十点ばかり借りる事になりましたし、エジプト、ギリシャ、ペルシャ、インドという海外古美術品も大分珍らしい物が集まりました。これは神様がやっているのだから、こっちが予期しない物がチョイチョイはいつて来るのです。ですから探したりいろいろ考えたりする必要はないから非常に楽なのです。
再浄化についてですが、折角なおって非常に喜んでいるのに、今度は再浄化で、マカリ間違うと命までやられるのです。これは何とかしなければいけないというわけですが、これは大体分ってます。その原因は言いにくいものですから、今まで言わなかったのです。しかしそんな事は言って居られないので本当の事を知らせようと思って書いたので、今読ませます。
御論文〔信仰の合理性と再浄化〕 【註 栄光二一〇号】
信仰の合理性と再浄化
(栄光二一〇号)
抑々信仰の根本は、合理の二字にある事を忘れてはならない。如何に信仰上尤もらしい説を立てても、道理に合わないとしたら真の信仰とはいえないのである。この意味に於て神様というものは、理窟に合えば何程でも御守護があるが、理窟に合わなければ如何に拝むとても御守護はないのである。この点が最も肝腎であって、再浄化の意味もこれに外ならないのである。
散々医療を始め凡ゆる療法を受けても治らない結核患者などが、浄霊によって忽ち治ったので喜んで入信することとなる。そして暫くしてから再浄化が起る人がよくあるが、これはどういう訳かというと、勿論理窟に合っていないからである。即ち医者から見放された病気が、神様の御蔭で治ったとしたら、神様から無い命を頂いた訳であるから、何程感謝してもし切れない程であるに拘らず、中にはその当時の感激もいつか忘れて、最早治った以上それで済んだと思ってしまう。そうなると信仰前と同じでないまでも、感心出来ない生活態度となってしまうが、それで何事もなければ万々歳だが、どっこいそうはゆかない。というのは長い間散々薬毒を注ぎ込まれているため、健康快復に伴ない、溜りに溜っていた薬毒の排除作用が起る。これが再浄化である。しかしいつもいう通り右は体的面だけの事だが、実は霊的面の方に体的以上重要な問題があるのである。しかしこの事に就いては今まで少しも知らしていなかったが、最早それが許されない時となったので、その根本をかくのである。
では何故今まで知らせなかったかというと、未信者や新しい信者などには誤解を招く懼れがあるからで、出来るだけ言わないようにしていた。処が段々浄化が強くなるにつれて再浄化の人も増える事になるから、ここにハッキリさせるのである。抑々世の中の事は一切相応の理によって動き、道理に合うように出来ている。特に信仰にあってはそれが顕著である。かの釈尊の言われた生者必滅、会者定離とは、これを一言に喝破したものであり、因果律とか因果応報などもその意味に外ならない。
これによっても分る如く、死を覚悟し絶望的となった重病患者が全治したとしたら、何を措いても力の限り神様に御恩報じをするのが当然であり、これが合理であるに拘らず、忘れるとしたら御蔭の取りっ放しであり、恩知らずも甚だしいのである。この理を一層分り易くいってみると、例えば生命の価値を十とすれば、十の感謝ならプラスマイナスであるが、十以上であればその余分だけはプラスになり、神様はその何倍にも当る御恵みを下さるものである。それと反対に感謝が五とすれば、差引五だけマイナスとなるから神様への借金となる。そこで一日も早く御返しすればいが、それを怠るとすると利息が嵩んで借金は増えていく。この点現界と少しも変りはないので、これも相応の理である。そこで借金が溜って或程度を越えると、神権裁判所から督促や差押えが来る。これが再浄化であるから、それに気が附き心からお詫びをすると共に、元利合計御払いすれば助かるのは当然である。処が中には飛んでもない考え違いを起す人がある。それは信仰で治ったと思ったのはヤハリ一時的で、本当に治ったのではないとして迷い始める。そこへ周囲の者などが、それ見た事かと言わんばかりにしきりに医療を勧めるので、ついその気になって医者へ行く事になるが、もう斯うなったらお仕舞で、十人が十人悪化の一路を辿り、遂に彼の世往きとなるのは常に経験する処である。ではそうなる原因は何処にあるかというと、霊界に於ては悪魔は人間の心の隙を狙いつめており、一寸でも油断があると忽ち憑依し、その人をワヤにする。この点注意の上にも注意をしなければならないのである。
そうして感謝の誠を捧げる場合、仮に金銭にしても、多い少ないは問わない。分相応の最大限度であればいいのである。神様は何も彼も御存知だから、無理をせずとも御許しになると共に、その上一人でも多くの人を救い信者を作れば尚更結構であって、要は実行である。そのように総てが理窟に叶えば、先ず再浄化は起らない筈で、仮令起っても軽く済み、命に関わるような事は決してないのである。話は違うが世間多くの宗教の中には、御蔭を頂かない内から、これだけ献金すれば助かるなどといって、御礼の先取りをする事があるが、これなどは欺瞞行為であるから御利益のあろう筈はない。全く取次先生の考えが誤っているからである。そこへゆくと我救世教は御利益があってから分相応の感謝をすればいいので、至極合理的であるに拘らず、それを怠るとしたら全く人間の方が間違っており、お気附けを頂くのは当然である。それでも気がつかないから命まで召上げられるので、何処までも不合理は赦されないのである。今一つ肝腎な事は、神様が命を下さる御目的はその人を御神業に働かせる為であるから、それを覚って実行すれば健康は益々よくなり、幸福は何程でも恵まれるが、それを裏切るとしたら折角の救いを自分から拒否する訳である。
ですから再浄化もあるにはありますが、最初の病気よりも軽く済むわけなのです。一番最初浄霊を受ける時が一番重くて、それが一旦なおるという事は、それだけ一番大きな峠を越えたわけです。若しその次に再浄化が起こるとすると、最初より幾分か軽くなるのが当り前です。ところが軽くならないというところに人間の間違いがあるわけです。それは借金があるからなのです。なにしろ医学迷信で固まっているのですから。よくお蔭話にありますが、一旦良くなって、その次に自分が又悪くなるとか家族の者が悪くなる、そうするとお医者の方に行くのです。そうして散々やられているうちに悪くなって、二進も三進も行かなくなって、これはやっぱり救世教に行かなければならないと、そこで初めて分って、神様の方でなければならないという事が分るのです。そういう人が随分あります。これはつまり医学迷信が如何に人間の心をとらえてしまったかというわけです。だからこの点なかなか難かしいです。なにしろこっちは全然今までと反対の意味ですから、何百年も教育されたそれを一朝にして覆(クツガ)えすのですから大変なわけで、それだけ骨が折れるわけです。その代り覆えすだけの力を現すのですから、大変と言えば大変ですが、訳ないと言えば訳ないというわけです。実に今までに例のない事ですから、不思議なような当り前のような、その点なかなか変なようなものです。
今ハワイの方は非常に成績が良くて、物凄いのです。今樋口さんと安食さんの二人でやってますが、あんまり忙がしいので可哀想なくらいです。これが他の仕事ですと、あのくらい忙がしいと参ってしまうでしょうが、こっちの方は幾ら無理をしても別に悪くないという事と、それに神様の御守護があるから、こたえないで頑張って通せるのです。
御論文〔病人氾濫の布哇〕 【註 栄光二一一号】
病人氾濫の布哇
(栄光二一一号)
本教海外宣伝の第一歩として選んだのが彼の布哇であって、約二カ月前から、樋口、安食の両布教師が同地を根拠として活躍し始めたのは已に知る通りであるが、最近の別項通信にある如く、予期以上の成果を挙げつつあるのは、洵に慶賀の至りである。そうして文中にもある如く、布哇在住の人達の健康の余りに酷い事実で、全く日本人以上とさえ思えるのである。これこそ誤れる医学の為であることは言うまでもないが、私は予てから同地の文化は大体米国式である以上、医学による被害者も定めし多いだろうと想像はしていたが、これ程とは思わなかったので、愕然としたのである。従ってもし本教の救いがなかったとしたら、どうなったか分らないと思う時、慄然とせざるを得ないのである。何よりも一度本教の出現によって偉大なる神の力を知るや、旱天の慈雨に遇った如く、大衆の救いを求める声は騒然として起り、燎原の火の如き勢を以て拡がりつつあるその状況は、洵に素晴しいものがある。その為日々活躍しつつある両君が嬉しい悲鳴を挙げているというのであるから、この勢いを以て進むとしたら、近き将来布哇全土は世界最初の地上天国となるかも知れないとさえ期待が湧くのである。
この事実によって推察出来る事は、米国の現状である。無論罹病者の多い事は布哇と同様か、或いはそれ以上かも知れないと思う。そうして予定の如く近々ロスアンジェルスを根拠として、同国への救いの手も延びる事になっているから、始ったらこれ又予想以上の成果を挙げるであろう。これについて先頃発行した彼の〝アメリカを救う〟の著書であるが、この著を編集の時私は不思議に思う程気が急いて、約一カ月で出来上った位で、今迄こんなに早く出来た例はなかったのである。今これを考えてみても、全く神様が非常にお急ぎになったとしか思えないので、これによってみても米国に於ける健康的危機は、一日も猶予出来ないからであろう。併し人間的には何程急いでも、同国の法規や宗教関係、何や彼や相当の難関もあるので、全アメリカ人の耳へ入るようになる迄には相当の時日を要すると思われるが、これも亦止むを得ないのである。
何しろ知っての通り、今日同国が医学の進歩を誇示し、唯物的方法、諸般の施設等々至れり尽くせりで、特に近来の如く新薬の続出、手術の進歩等にみても、同国人の健康状態は非常な速度を以て悪化しつつあるのは想像に難からないのである。一方霊界は日に日に明るくなりつつあり、浄化は愈々旺盛となる以上、危機は刻々迫り、最後に到ってはどうにもならない事態となり、病に斃れる者数知れずという一大恐怖時代が出現するのは勿論である。併し今日このような事を言っても、私の頭脳を疑いたくなるだろうが、私は確信を以て今から警告するのである。故に万一私のいう事が的中したとしたら、第三次戦争処の騒ぎではない。キリストの言った世の終りは愈々来たと思う事になろう。
玆で日本人にも警告したい事は、その時になってこの大惨事を対岸の火災視する事は出来ない。というのは、アメリカ程ではないにしても、日本も相当惨害は免れないからで、予め覚悟をしておく必要があろう。併し幸な事にはそれを予知している本教は、この大危難を救うべく幾十万もの救いの戦士を準備しているから、大いに意を強うして可なりである。故に米国とは比較にならない程多く助かるので、この点日本は大いに恵まれている訳である。処が今まで右の様な大異変の来る事と、その救いの大使命を帯びている本教の実体を知らないが為、本教を世間並の新宗教と思い蔑視している人々や、その謬見に引掛っている人こそ憐れなる小羊である。然もこういう人はインテリ側に多い現在、この人達こそ洵に気の毒なものである。従ってこの文を読んだ人は速かに本教に来って、来るべき大危機を免るべく素直に信ずる事である。併しこんな事を今日言っても、信仰を弘めんが為の嚇し文句位にしかとるまいが、本教に限ってそんな必要は聊かもない。何故なれば本教の病気治しは医学とは比較にならない程素晴しいので、ドシドシ発展しつつある現状であるからである。
樋口さんの方は今度の栄光に出ますから、それを読めば分りますが、安食さんの報告もちょっと面白いですから読ませます。
(ハワイ通信 その四) 【註 栄光二一〇号】
アメリカの方はなかなか簡単に行かない点があります。ですから「アメリカを救う」の本も、だしぬけに出すという事は考えものだそうです。というのはアメリカの医学界では、宗教の方で医学にはいる事を非常に警戒しているのです。という事は科学以外に病気をなおす方法はないと思い込んでいるわけです。ですから宗教で医学に関する何かを言っても取上げないばかりか、やはり一つの迷信のようにして排撃するという空気が濃いのです。それから又宗教と言えばほとんどカトリックです。この方ではキリスト教以外の宗教は全部邪教だという事になってます。おまけに日本の新宗教などが来ると“とんでもない宗教がはいって来る、こんなものに迷わされてはいけない”という事になって、どんな事をして戸閉めをくわすかも知れない危険がありますから、その点を余程慎重にやらないと危ぶないので、アメリカの方はその形勢を見ながら徐々にやるつもりです。ところが神様は百も承知してますから、無理に広めようとしなくても、チャンとたやすく広まるような状態を作るわけです。それには、仮りにハワイが非常に発展すると、ハワイの人口が八、九十万でそのうち約半分が日本人ですが、今ハワイでの入信者は日本人の一世二世、それから中国人、朝鮮人、アメリカインディアンなどの黒人も大分あるようです。それからポルトガル人、メキシコ人が混じってます。アメリカ人にはまだ無いようです。とに角アメリカ人は、東洋人というのは自分達よりも劣等の民族だという先入観があるのだろうと思います。ですからアメリカ医学以上のものが東洋人あたりから出る訳がないと、やっぱり一種の迷信とかオマジナイというように軽蔑しているのだろうと思います。しかしこれも事実を見たら仕方がないですから、いずれははいって来ると思いますが、少くともハワイの人口の半分くらいが救世教信者になれば、これは大問題になりますから、それをアメリカの方で見ると、これは只事ではないというので、研究するとか調査するという事になり、或いは向うの新聞雑誌にも出るでしょうが、そういうように知れ始めたら大変なもので“では試してみよう”という事になって、一ぺんに拡がりますから、それまでの事だろうと思います。そうするとアメリカのいろいろな障碍はへでもありません。アメリカの民衆が良いとなると、向うは民主主義の親玉ですから、それこそ政府も何もないです。そういう順序になるのが一番良いですから、そういうようになるだろうと思います。それも案外早く来るのではないかと思います。というのはハワイの発展の仕方というのが、今読んだとおりですから、この勢いで行くと割合に思ったより早いです。一番良い事は、日本と違って実に素直なのです。病人がなおれば、なおったままを見て信ずるのです。しかもハワイの人間は米国と同じように一人残らず手術をしており、大抵な人は盲腸をとり、扁桃腺をとって居て、中には今もあったように、何年間もの腎臓結石が手術直前に一度の浄霊で白い小便が沢山に出て一日でなおってしまったというのがあります。あらゆる手術をしてそうして後を強い薬で固めてあります。浄霊だと非常になおりが良いのです。奇蹟が非常に起こるから、そこで日本と違って発展が早いだろうと思います。これはもっと深い所に理由があるのですが、これも知っているとよいです。それは日本人が病気は一番なおりにくいのです。これは霊的に言って日本人が一番上等に出来ているのです。という事は霊力の効きが悪いのです。人種の低いほどなおるのです。これをもっと分りやすく言うと、犬や猫、馬という動物は人間よりもなおりよいのです。ですから上等の人間になるほどなおりが遅いのです。これは私は今まであんまり言いませんでした。下手に言うと、講和以前だと日本民族の優秀性という事はアメリカで一番怖がっていたからです。そういう点もあります。だから向うでも黒人というのは非常になおりがよいのです。それから支那人、朝鮮人などもなおりがよいです。そういうわけですから向うの方が楽です。それから又今まで日本はいろんな宗教とか治療とかお灸とか、いろいろありますが、それが本物でなくみんないい加減なものですから、そこでこのために非常に警戒します。それから救世教で非常に病気がなおったと言っても、いやそれは何か神経でなおったのだ、救世教では何かうまい事を言って精神的にとられてしまって、それでなおったのだと思うのです。現に精神的救いだと言ってます。中には医者が肉体的になおし、宗教が精神的になおすのだ、これで行くのが理想的だと言うのが随分あります。そういうようで宗教に対する警戒心、丸のみにしないという点において日本は非常に難かしいです。だからなおって居ながら、なおった事実を信用するよりか疑うのです。なおるというのは不思議だ、何か外に訳があるのだ、というインチキ的な詐術的な方に考えを持って行くのです。だから日本で広めるという事は非常に難かしいのです。ところがハワイの方は全然そういう事はなく、実に素直に受け入れるのです。ですから今読んだように発展が素晴らしいのです。大本教のお筆先に“燈台下は真暗がり、遠国より解りて来るぞよ”というのがありますが、ちょうどそれに当て嵌まるわけです。そういうようでなかなか面白くなって来ました。
それから話は違いますが、熱海の地上天国の会館が出来る晴々台の石垣の所に捨てた土がウンと溜まって、それを今片付けるために、低い所の大きな溝みたいな所に埋めてますが、最近行ってみると、その埋めた土で素晴らしい地所が出来てしまったのです。とに角平な所が千坪以上はあります。本当言うと、土の捨場というのが大変なのです。ですから土の捨場を金を出して捨てる事があるくらいです。ですからその低い所が捨場によかったのです。そうして立派な地所が出来てしまったのですから、一石二鳥です。そこで、神様があそこにそういう地所をこしらえるという事は何か訳がなければならないと思ったら、それは会館が出来上がって椅子席が千八百くらいしかないのです。そこで会館が出来てからになると信者が増えます。お祭という時には現在ですら制限しているのですから、できるだけ制限しないでみんな参拝させたいので、そうすれば大変な数になります。そこで廻りに立つとして結局三千くらいです。それから廻りのコンクリートの上に立っても二千くらいでしよう。或いはもう少しかも知れないが、とに角五、六千しか収容できないので、それではとても足りないのです。ですから一万として、あと五千くらい収容できるような場所が要るわけです。そこで今出来た地所がちょうどよいのです。此処にテントでも張って簡単な椅子でもおけば充分間に合いますから、一万は収容できます。そうすると今のところは心配はありません。私の話はマイクをつければ聞けますし、私が出張って、高い所から皆さんに面会する事もできますから、人員の増える点はその地所によって解決されます。やはり神様は実に用意周到だという事が分ります。ところがわざわざそういう地所を見つける心配をしなくても、気がつかずに、ただ土を捨てていってそういうのが出来てしまったのですから、さすがは神様です。それに又別な眺があって非常に景色がよいです。行って見れば分ります。ですから値打から言っても大変なものです。算盤的に言っては甚だいやしいですが、とに角評価としても坪五千円くらいはありますから、千坪として五百万円になります。或いは千坪以上になりましょう。それが土を捨てて思いもつかないものが出来てしまったのですから、全く大変な値打が浮いてしまったのです。何時もそうですが、今度の地所などには実にどうも驚いたのです。それで其処に立って見ますと石垣がずっと長く見えて実に壮観です。石垣を見るのだけでも相当な見物(ミモノ)になります。この石垣の石も大変なものです。それでみんなあそこから出た物ですが、この値打も、新規にやるとしても一億以上になるでしょう。今一箇で、運賃や何かを入れて二百円くらいはかかるでしょう。最初のうちで、運賃が一箇二十円で、百二十円くらいでしたから、今では二百円くらいになっているでしょう。それがあそこから出るのですから大変なものです。
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