五月十五日

 再浄化について、今までも話しようと思ったが、あんまり話のしよい事ではないので、つい言わなかったのです。だんだんこれから再浄化が多くなりますから、そこでどうしても本当の事を言わなければ追いつかなくなって来たので、本当の事を言います。本当は再浄化というものは起こるべきものではありません。しかし起こるべきものではないと言っても、或る程度はやむを得ないが、再浄化で命が無くなるという事はありません。再浄化のあるのは、ほとんど結核ですが、医者から見放されて全然死ぬに決まったような者が助けられるとしたら、その命の恩は大変なものですから、如何なるものを犠牲にしても、命の代りとして感謝しなければなりません。感謝するという事は奉仕しなければならないのです。それをボヤボヤしているから、神様は横を向かれるのは当り前です。だから再浄化が起こるという事は、再浄化が起こるようにしているのです。それで今の人はやっぱり医学迷信のために、お医者でなおったのは非常に有難がるのです。ところが信仰でなおったのは有難味が少ないのです。というのは信仰でなおるべきものではないと思っているから、“なおったのは時節が来たのではないか”或いは“今まで沢山のんだ薬が効いて来たのではないか”というような解釈をする人があるのです。ところがお医者の方でなおったのはじき忘れるが、神様の方はそういう理窟に合わない事は絶対に許されないのです。しかし今までは和光同塵で、少しは許されて来たのですが、これからは絶対にお許しにならないのです。大本教のお筆先に“神厳しくなると人民穏かになるぞよ”というのがありますが、うまく言ってあります。それについてはっきり書きました。 

 御論文〔信仰の合理性と再浄化〕     【註  栄光二一〇号】

信仰の合理性と再浄化

(栄光二一〇号)

 抑々信仰の根本は、合理の二字にある事を忘れてはならない。如何に信仰上もっともらしい説を立てても、道理に合わないとしたら真の信仰とはいえないのである。この意味に於て神様というものは、理窟りくつに合えば何程でも御守護があるが、理窟に合わなければ如何に拝むとても御守護はないのである。この点が最も肝腎かんじんであって、再浄化の意味もこれに外ならないのである。

 散々医療を始め凡ゆる療法を受けても治らない結核患者などが、浄霊によって忽ち治ったので喜んで入信することとなる。そして暫くしてから再浄化が起る人がよくあるが、これはどういう訳かというと、勿論理窟に合っていないからである。即ち医者から見放された病気が、神様の御蔭で治ったとしたら、神様から無い命を頂いた訳であるから、何程感謝してもし切れない程であるに拘らず、中にはその当時の感激もいつか忘れて、最早治った以上それで済んだと思ってしまう。そうなると信仰前と同じでないまでも、感心出来ない生活態度となってしまうが、それで何事もなければ万々歳だが、どっこいそうはゆかない。というのは長い間散々薬毒を()ぎ込まれているため、健康快復に(とも)ない、(たま)りに溜っていた薬毒の排除(はいじょ)作用が起る。これが再浄化である。しかしいつもいう通り右は体的面だけの事だが、実は霊的面の方に体的以上重要な問題があるのである。しかしこの事に就いては今まで少しも知らしていなかったが、最早それが許されない時となったので、その根本をかくのである。

 では何故今まで知らせなかったかというと、未信者や新しい信者などには誤解(ごかい)(まね)(おそ)れがあるからで、出来るだけ言わないようにしていた。処が段々浄化が強くなるにつれて再浄化の人も増える事になるから、ここにハッキリさせるのである。抑々世の中の事は一切相応の理によって動き、道理に合うように出来ている。特に信仰にあってはそれが顕著(けんちょ)である。かの釈尊の言われた生者必滅、会者定離とは、これを一言に喝破(かっぱ)したものであり、因果律とか因果応報などもその意味に外ならない。

 これによっても分る如く、死を覚悟し絶望的となった重病患者が全治したとしたら、何を()いても力の限り神様に御恩報じをするのが当然であり、これが合理であるに拘らず、忘れるとしたら御蔭の取りっ放しであり、恩知らずも甚だしいのである。この理を一層分り易くいってみると、例えば生命の価値を十とすれば、十の感謝ならプラスマイナスであるが、十以上であればその余分だけはプラスになり、神様はその何倍にも当る御恵みを下さるものである。それと反対に感謝が五とすれば、差引五だけマイナスとなるから神様への借金となる。そこで一日も早く御返しすればいが、それを(おこた)るとすると利息が(かさ)んで借金は増えていく。この点現界と少しも変りはないので、これも相応の理である。そこで借金が溜って或程度を越えると、神権(しんけん)裁判所から督促(とくそく)や差押えが来る。これが再浄化であるから、それに気が附き心からお詫びをすると共に、元利合計御払いすれば助かるのは当然である。処が中には飛んでもない考え違いを起す人がある。それは信仰で治ったと思ったのはヤハリ一時的で、本当に治ったのではないとして迷い始める。そこへ周囲の者などが、それ見た事かと言わんばかりにしきりに医療を勧めるので、ついその気になって医者へ行く事になるが、もう斯うなったらお仕舞で、十人が十人悪化の一路を辿(たど)り、遂に彼の世往きとなるのは常に経験する処である。ではそうなる原因は何処にあるかというと、霊界に於ては悪魔は人間の心の(すき)を狙いつめており、一寸でも油断があると忽ち憑依(ひょうい)し、その人をワヤにする。この点注意の上にも注意をしなければならないのである。

 そうして感謝の誠を捧げる場合、仮に金銭にしても、多い少ないは問わない。分相応の最大限度であればいいのである。神様は何も彼も御存知だから、無理をせずとも御許しになると共に、その上一人でも多くの人を救い信者を作れば尚更結構であって、要は実行である。そのように総てが理窟(りくつ)に叶えば、先ず再浄化は起らない筈で、仮令(たとえ)起っても軽く済み、命に関わるような事は決してないのである。話は違うが世間多くの宗教の中には、御蔭を頂かない内から、これだけ献金すれば助かるなどといって、御礼の先取りをする事があるが、これなどは欺瞞(ぎまん)行為であるから御利益のあろう筈はない。全く取次先生の考えが誤っているからである。そこへゆくと我救世教は御利益があってから分相応の感謝をすればいいので、至極合理的であるに拘らず、それを怠るとしたら全く人間の方が間違っており、お気附けを頂くのは当然である。それでも気がつかないから命まで召上げられるので、何処までも不合理は(ゆる)されないのである。今一つ肝腎な事は、神様が命を下さる御目的はその人を御神業に働かせる為であるから、それを覚って実行すれば健康は益々よくなり、幸福は何程でも恵まれるが、それを裏切るとしたら折角の救いを自分から拒否する訳である。

 命に(かか)わらない病気ならそうでもないが、命に関わるような病気がなおれば、命をいただいたのですから、なおってよい塩梅だと金儲けだとか相変らずな事をしていると、折角下さった命を自分の事に利用してしまう事になるので、つまり何時も言うとおり自分の命だと私有財産みたいに思ってしまうので、そこに大変なくい違いがあるのです。以前に、鉱山をやっている人で、相当に年をとった人ですが、心臓病で命の無いところを助かったのです。それで自分は一生懸命に神様のために働くと口では言っているが、何時の間にか山に行って、暫らく見えないからどうしたかと思っていると、その人は相当の資本家で経営者であるから鉱山に行っていたが、工合が悪くなってあわてて帰って来て、治療をしてもらうと良くなって、今度はよいだろうと思うと、又行ってしまうのです。そういう事が度々あったので、とうとう私は“あの人は駄目だから放っておけ”と言っておきましたが、それから暫らくして死んでしまいました。この人などはあんまり命を粗末にするので勿体ないくらいなものです。こういう人は滅多にありませんが、これに似たような事はよく聞きます。お蔭話などにもよく出て来ますが、難病がなおってそうして神様は大したものだと言いながら、この次再浄化で悪くなると医者に行くのです。そうして散々やってもらって、今度は前よりも悪くなって、やっぱりこれは神様に縋ろうと来る、それで今度なおると、そこで初めて分るのです。実に世話がかかるのですが、よくそういう人があります。だからそういった大きなお蔭をいただいて命を助かった人は、これから大いに注意してやるのです。そうすれば再浄化は余程少なくなります。そこで万一再浄化が起こった場合には、何故起こったかという意味を、今のような訳だという事を話してやるとよいです。大体どんな病気でも、なおればそれよりか重い病気が起こるわけはありません。第二の起こり方ですから、軽く済むわけです。ところが再浄化の方がかえって重い場合が多いのです。という事は人間の方が間違っているからです。

 それからハワイの方がばかに成績がよいのです。物凄いほど発展しているのです。最近来た安食さんの通信がありましたから、それを読ませます。

(ハワイ通信  その四)     【註  栄光二一〇号】

 樋口さんの通信もありますが、それはもっとずっと長いから、それは今度の栄光に出しますから、それを読んでもらえば分ります。こういうような状態ですから、今年一年もたったら大変な事になるだろうと思います。アメリカでも、絵をやっている嵐さんが大分成績をあげてますが、この記事は今度の栄光に出ました。ところがアメリカはなかなかいろいろなやかましい規則があり、おまけにカトリックが勢力を張ってますし、医学の方はガッチリと堅固な垣根を作ってますから、なかなか厄介なのです。ですから「アメリカを救う」の本なども出来てますが、うっかり出して面倒な事になるといけませんから、まだ出さないのです。つまり医学の方は医学の方で、科学以外のそういう事はあまり信じていないのか認めていないのか、しかも他国からそういうようなものがはいるという事は非常に警戒するのです。それから又カトリックの方ではキリスト教以外のものは全部邪教となってますから、そこでこの方もなかなか警戒おさおさ怠りないので、余程考えてやらないと、ピタッとやられたらしようがないから、そこのところはゆっくりやろうと思ってます。ちょうど日本で私が最初やったのとやや似てますが、本当の事が分るまではできるだけ慎重にやろうと思ってます。ところで神様がうまくやりますから心配するほどの事はないが、やっぱりあせってはいけないです。神様がやっているのだからして、神様にお任せするのだから、あせらないでだんだんに順を追ってやって行くという事が一番よい事なのです。ですからハワイ全土に非常な評判になってセンセーションを起こすとすると、それが自然にアメリカに知れますから、そうなると、それはどんなものだという事になって、むしろ向うで来てもらいたいという事になるかも知れません。今のところハワイの信者はアメリカ人にはほとんど無いのです。支那人、朝鮮人、黒人系の信者が多いのですが、そのうちにアメリカ人の方にも信者がボツボツ出来て来ると思います。そうなるとそれが評判になってアメリカの方に反響して行きますから、そこで来てもらいたいという人民の希望が出れば、これは又アメリカは都合のよい事には民主的ですから、それを規則で(しば)るという事はありません。そういう形になって行くと思います。それで又白人の方に分り始めたら、これは凄い事になります。それも時期の問題と思います。非常に面白くはなって来たようです。これも大本教のお筆先に“燈台下は真暗がり、遠国から解りて来るぞよ”というのがありますが、うまい事を言ってます。日本は燈台下で、遠国から解って来るというのです。それから“何事も遅れただけは一度になるから、そのつもりで居て下されよ”というのがあります。ハワイは遅れていたのです。だから一度になったのです。これは日本などはもっとずっと発展しなければならないのです。ところが邪神の方では今まで官憲を使ったり新聞社の言論機関を使ったりして、極力発展しないように押さえつけていたのですが、しかしもう押さえの力も薄れて来たという事は、近頃非常にやりよくなりました。言論機関の方でも好意を持って見るようになって来ましたから、それだけこっちの力の方が勝って来たのです。そういうようなわけで、今までとは違って、守勢から攻勢になったわけです。そうなってアメリカあたりに大いに評判になると、日本も又大変発展します。アメリカで良いとなれば日本人は無条件で有難がります。ですからいずれはそういうような事になるだろうと思いますが、日本は開闢(かいびゃく)以来外国崇拝だから致し方ありません。それについてちょっと書いたので読ませます。

 御論文〔病人氾濫の布哇(ハワイ)〕      【註  栄光二一一号】

病人氾濫の布哇(ハワイ)

(栄光二一一号)

 本教海外宣伝の第一歩として選んだのが彼の布哇ハワイであって、約二カ月前から、樋口、安食の両布教師が同地を根拠として活躍し始めたのは已に知る通りであるが、最近の別項通信にある如く、予期以上の成果を挙げつつあるのは、まことに慶賀の至りである。そうして文中にもある如く、布哇在住の人達の健康の余りに酷い事実で、全く日本人以上とさえ思えるのである。これこそ誤れる医学の為であることは言うまでもないが、私は予てから同地の文化は大体米国式である以上、医学による被害者も定めし多いだろうと想像はしていたが、これ程とは思わなかったので、愕然がくぜんとしたのである。従ってもし本教の救いがなかったとしたら、どうなったか分らないと思う時、慄然りつぜんとせざるを得ないのである。何よりも一度本教の出現によって偉大なる神の力を知るや、旱天かんてんの慈雨に遇った如く、大衆の救いを求める声は騒然そうぜんとして起り、燎原りょうげんの火の如き勢を以て拡がりつつあるその状況は、洵に素晴しいものがある。その為日々活躍しつつある両君が嬉しい悲鳴を挙げているというのであるから、この勢いを以て進むとしたら、近き将来布哇全土は世界最初の地上天国となるかも知れないとさえ期待が湧くのである。

 この事実によって推察出来る事は、米国の現状である。無論罹病者の多い事は布哇と同様か、或いはそれ以上かも知れないと思う。そうして予定の如く近々ロスアンジェルスを根拠として、同国への救いの手も延びる事になっているから、始ったらこれ又予想以上の成果を挙げるであろう。これについて先頃発行した彼の〝アメリカを救う〟の著書であるが、この著を編集の時私は不思議に思う程気が()いて、約一カ月で出来上った位で、今迄こんなに早く出来た例はなかったのである。今これを考えてみても、全く神様が非常にお急ぎになったとしか思えないので、これによってみても米国に於ける健康的危機は、一日も猶予(ゆうよ)出来ないからであろう。併し人間的には何程急いでも、同国の法規や宗教関係、何や彼や相当の難関もあるので、全アメリカ人の耳へ入るようになる迄には相当の時日を要すると思われるが、これも亦止むを得ないのである。

 何しろ知っての通り、今日同国が医学の進歩を誇示(こじ)し、唯物的方法、諸般の施設等々至れり尽くせりで、特に近来の如く新薬の続出、手術の進歩等にみても、同国人の健康状態は非常な速度を以て悪化しつつあるのは想像に難からないのである。一方霊界は日に日に明るくなりつつあり、浄化は愈々旺盛となる以上、危機は刻々迫り、最後に到ってはどうにもならない事態となり、病に(たお)れる者数知れずという一大恐怖時代が出現するのは勿論である。併し今日このような事を言っても、私の頭脳を疑いたくなるだろうが、私は確信を以て今から警告するのである。故に万一私のいう事が的中したとしたら、第三次戦争処の騒ぎではない。キリストの言った世の終りは愈々来たと思う事になろう。

 玆で日本人にも警告したい事は、その時になってこの大惨事を対岸の火災視する事は出来ない。というのは、アメリカ程ではないにしても、日本も相当惨害は免れないからで、予め覚悟をしておく必要があろう。併し幸な事にはそれを予知している本教は、この大危難を救うべく幾十万もの救いの戦士を準備しているから、大いに意を強うして可なりである。故に米国とは比較にならない程多く助かるので、この点日本は大いに恵まれている訳である。処が今まで右の様な大異変の来る事と、その救いの大使命を帯びている本教の実体を知らないが為、本教を世間並の新宗教と思い蔑視(べっし)している人々や、その謬見(びゅうけん)に引掛っている人こそ憐れなる小羊である。然もこういう人はインテリ側に多い現在、この人達こそ洵に気の毒なものである。従ってこの文を読んだ人は速かに本教に来って、来るべき大危機を免るべく素直に信ずる事である。併しこんな事を今日言っても、信仰を弘めんが為の(おど)し文句位にしかとるまいが、本教に限ってそんな必要は聊かもない。何故なれば本教の病気治しは医学とは比較にならない程素晴しいので、ドシドシ発展しつつある現状であるからである。

 この健康状態は樋口さんの通信によくありますが、盲腸をとり扁桃腺をとってしまうで、極端に手術をやってます。それでそれだけ強く固めてあるから、本当の健康体というのは無いのです。

 それからこの前は婦人の病の事を言いましたが、今日はよくあるものに息切れがありますが、この息切れの原因もいろいろあります。その主なものだけを話します。第一は熱のための息切れで、よくあります。この息切れは首の廻り、特に延髄附近に固まりがあって、これに熱が出て、そうして息切れをするのです。もう一つは肋間神経痛で、胸、横腹の場合と、それから腰の場合です。腰の場合は歩くと息切れをするので、不断はそうまでないのです。それから非常に強い息切れで、ほとんど息の止まるようなのがありますが、そういうのは肋間神経痛によるのです。そういうのは胸から横腹を押してみると非常に痛いのがありますから、それが溶けて、それを肺が引張り出すためのもので、そういうのは非常に強くて、ほとんど死ぬかと思うくらいのものです。その固まりを見つけてとってやるとなおります。これは苦しいのが酷い代りになおるのもピタッと早いです。それから歩いてなるのは尾骶骨(びていこつ)の辺で、酷いのは押してみると痛いですが、これは割合奥の方ですから、押しても痛くないのもあります。こういうのは腰のちょうど真中の所をやるのです。そうすると歩いても不思議に息切れはなおってしまいます。大体今話したような原因です。ですからこの原因を分ってやればだんだんなおつて行きます。と共に他の方にも非常に良い影響が行きます。息切れというのはいやなものでして、呼吸が切迫しているのを側で聞いていても気持が悪いものです。又この息切れは命に関わるような病気に多いです。息をゆっくりするようなのなら、まず生命の危険はありません。それで息切れは息が苦しいから、咽喉だろうと思うでしょうが、咽喉のための息切れというのはまずありません。今言ったようなためです。私は以前にやった事がありますが、とてもハアハア言って、どうも駄目だと思ったようなもので、来るといきなり其処に寝転がるのでしたが、その時分はよく知らないからびっくりして、いろいろやってもどうも分らない。すると横腹の所に行くと、押すと痛いと言うので、これだなと思ってそれをやるとスーッと良くなりました。ですから息切れが一番酷いのは横腹です。腕の附根です。その次は胸で、横隔膜の毒が酷いです。これは骨の一番おしまいの所に毒が固まっている場合が多いです。又これは喘息の原因にもなります。だから喘息というものは、医者の方で気管支性喘息というのは咳が沢山出るものです。それから心臓性喘息というのは発作的に非常に息が切れるのです。それは今言ったように、ほとんど肋間が多いです。息切れの急所はこれで大体分ったでしょう。

 

 

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