だんだん霊界が明かるくなるに従って邪神の方は大変なのです。七顚八倒してます。つまり医学を利用して人類の健康を弱らせようという大謀略なのです。それを私に見付けられたのです。と同時に霊界がだんだん明かるくなってくるので、折角二千年以上かかってやった計画を一挙に覆えされるという断末魔にあるのです。そこで何とかして傷つけなければならないのです。というのは邪神の方では気付いてはいるのです。しかしそれを一日でも延ばしたいのです。それで中には降伏する者も相当ありますが、巨頭連が頑張っているのです。何とかして再び取り返そうというわけです。それですから救世教を邪魔するのに、以前は官憲を使ったり新聞社を使ったりしてやったが、両方とも成功しなかったのです。それで昨夜はラジオの放送局を使ったのです。これで先方の使う武器はおしまいです。だから昨夜の放送を聞いてみると、作り事をやってます。嘘をやっているのです。それで嘘を自分で暴露してます。医者も出ましたが、手術すれば助かったのだという事を言ってますが、よく聞いてみると最初医者は駄目だと言ったのだそうです。それはそうでしょう、なにしろ高い所から落ちて人事不省なのですから、医者で治るということは有り得べからざる事です。それを昨夜は手術すれば治るという事を言いましたが、それは嘘をついてます。少しばかりでも嘘を言うようでは、自分から悪という事を自白してます。そうして面白いのは、最後に、救世教では十日生き延びたという事は浄霊のためだと言っていると言うのですが、医者の方でも一週間は生きていると言ったという事を言ってます。そうすると医者の方でも一週間は生きているという事は、一週間以後は死ぬという事になります。だから手術すれば助かるという事とは、自分から嘘だという事を自白してます。どこまでも嘘は嘘です。それから船大工だったが、救世教を信仰したから頼み手が非常に無くなった、それから世間に相手にされないで孤独だと言うのですが、いろいろ聞いてみると、みんな嘘なのです。ですから弁護士に頼んで、名誉毀損の告訴をするつもりです。そうしておかないと、あと又そういった嘘で固めて、こっちの妨害をする者が出るといけませんから、その予防もありますし、怖がらせておいた方がよいと思って、そうするつもりです。医者とか天下の放送局というものがそういう出鱈目を言って、新宗教に打撃を与えようというその行為は実に憎むべきものです。というのは邪神の方でもだんだんやっつけられるので、苦しまぎれにそういう事をやるわけです。それはみんな邪神の眷属がそういう連中に憑って、そうやらせるのです。ところにもっていって、一般の人々は、新宗教なんていうのは虫が好かないというので、何も理窟はないので、ただ、虫が好かないから何か折があったらやっつけてやれと思っているところに、何かやっつけられそうな材料がはいると、よしこれでやっつけてやろうという種に使うわけです。だから他愛ないわけですが、しかしそういう事も邪魔になりますから、そういう事のない方が一人でも余計救われますから、そういう事があると知らない人はやっぱりウッカリそれに乗ります。だからまだまだ或る時期までは問題を起こさないように大いに注意した方がよいです。なにしろ先方は武器を握っているし、こっちは無手ですから、振り廻されると怪我をしますから、なるだけ怪我のない方がこっちはやりよいのです。それで昨夜の放送を聞いてみても、別に医者にかからない、診てもらわないという事は言いません。実際に診てもらっているのです。ただ手術は嫌だ、それから薬は、若しか死んでも死ぬ時に穢すから、穢されないように薬をのまないというのですから、これは尤もな事です。そこで放送局の連中も警察署長にいろんな事を聞いていましたが、やっぱり放送局の連中も新宗教が憎くて堪らないので、公平なるその職務を忘れて、警察に行って、何か問題を起こしたいと思っている事が明らかです。ところが警察署長の答弁は実によいです。少しも不公平はないので、実に公平で法律上から言って法に触れないと言うのです。ところが何とか問題にしたいようにいろんな事を質問しましたが、問題にならないような答弁をしたのは、聞いていて痛快になりました。なにしろ邪神はそういった言論機関とか放送というのを自由に使うのです。使うという事は邪神の眷属が憑っていろんな事を喋らせるのです。それは信仰のない者は邪神にとっては楽なのです。それもこれも霊界がまだ本当に明かるくなっていないからです。ところが霊界は日に月に明かるくなっているのです。それが一番分るのは、あなた方が浄霊しても分るでしょうが、一年前からみてもずっと治りがよくなっているでしょう。という事は火素が増えつつあるのです。これはまだまだどこまでも治りがよくなります。それこそミロクの世になるまで、だんだんよく治って行きます。そうするともうじき、今のところは信者に浄化が強いのですが、一般人に浄化が起こってくるとバタバタとお陀仏になってしまいます。そうしてお医者は手も足も出なくなります。病人に触れば死んでしまうという事になります。注射などをしたらみんな片端から参ってしまいます。そうなると〝医学はもう駄目だ、何か他に代るべきものはないか〟という事になりますから、それまでには救世教は陽として知れ渡りますから、〝救世教の言うとおりだ、救世教に限る〟という事になって、みんな救世教に頭を下げます。スッタモンダの問題が起こるのもそれまでの事です。もうそんなに長くはありません。だからむしろ可哀想なくらいなものです。
結局最後の審判にはいって行きますが、それについて信者を作る場合に、今までは一人でも多く救いたいとしてましたが、これは当り前の話です。しかし、神様は大きな愛だから、どんな気の毒な者も救って下さると思ってますが、それは間違ってます。神様は、救う者と救わない者とをチャンと分けるのです。ですから救われない運命の者に骨折るだけ無駄になるわけです。救わるべき者と救われない者との判別、その考え方が大いに必要になるのです。それで救われそうな人は、そんなに手数はかからないのです。それだけの因縁がありますから直ぐに分ります。それから迷ったりいろいろゴタゴタするのは駄目なのです。そういう者にかかり合わないようにするのです。その事を書きました。
御論文〔最後の審判とは何か〕 【註 栄光二一三号】
最後の審判とは何か
(栄光二一三号)
最後の審判に就いてこれからかいてみるが、その根本としては言うまでもなく世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って、余りに汚くどうにもならないものは地上から永遠に抹殺される外はないから恐ろしいのである。という訳で、将来役立つものは勿論残されると共に、役立たないものは処理されてしまうのは致し方ないのである。それは口で言えば甚だ簡単だが、これが人間にとっての脅威は、前古未曾有の大異変であるから、とうてい筆や言葉では表わせないのである。つまり、根本は善と悪との立別けであって、善人は無罪となり、悪人は有罪者となる訳で、決定的審判が行われるのである。従って現在地上にある人間悉くは、裁きの前の動物に等しき運命に置かれているのだから大問題である。然も悲しい哉、赦される者は極く少数で、救われない者の方が大多数である事で、その割合は数字では表わせないが、大体右と思えば差支えないのである。
勿論日本人も同様であるから、助かりたい人はこの際至急頭の切替えをする事である。この事は昔から各聖者が神の代弁者としてハッキリ予言されている通りで、言わばその時が来たのである。それも人類全部が救われるとは言わなかった。ただ神の大愛によって一人でも多くを救えと言われただけであって、その使命を以て生まれたのが我救世教であるから、先ずこの認識が何より肝腎である。右の如く、救われる人よりも救われない人の方が多いとしたら、この事を信者はよく心得て置かなければならない。というのは、病気を治し救おうとする場合その見分けが必要である。成程誰も彼も一人残らず救ってやりたいのは山々だが、右の如くであり、時の進むに従い救われる人と救われない人とは自ら判るようになるからで、これは神意である以上如何共し難いのである。従って浄霊を嫌ったり、話に耳を傾けなかったり、逆にとったりする人は、已に救われない側に運命づけられたからで、そういう人を何程分らせようとしても無駄であり、反って救わるべき人が疎かになるから注意すべきである。
又折角御蔭を頂いても、大病が治り一時は感激しても、時の経つに従い忘れたり、迷ったりする人もあるが、こういう人は已に縁が切れ、滅びの方へ廻ったのだから、手放した方がいいのである。以上によっても分る如く、これからは入信させようとする場合、素直に受入れる人はいいが、そうでない人は縁なき衆生として諦めるより仕方がないので、この意味に従い最後に近づくにつれて信者諸君は先ず善悪を判別する事である。
出版の話になりますが、今度発行するのは「世界救世教奇蹟集」ですが、これは又素晴らしい本です。これはこれから新しく入信する人などにも全部読ませるつもりです。その次に出す本は今書いてますが「医学の革命書」という本です。その序文だけを読ませます。
御論文〔医学革命の書 序文〕
序文
(『医学革命の書』より)
凡そ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であろう。他の凡ゆる条件が具備しても之が得られないとしたら、何等意味をなさないのは今更言う迄もない。従って人間生の執着程強いものはなく、此執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるが為、今日迄は諦めていたに過ぎないのであって、若此解決可能な方法が発見されたとしたら、之こそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。処が喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。即ち凡ての病気は医され、天寿を全うし得るという実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、此医術が普く世界に知れ渡るに於ては、既成医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界は玆に実現するのである。そうして先ず現在に到る迄の医学の歴史からかいてみるが、抑々今日の医学なるものは、知らるる如く西暦紀元前、彼の有名な医聖ヒポクラテスによって創められ、その後欧羅巴に於ては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現われ、東洋に於ては古代から神儒仏の信仰による医しの業をはじめ、易占、禁厭等の外、支那漢時代に到って漢方医術が生まれ、支那全土は固より、特に旺んに採入れられたのが我日本である。西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学の如く漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。
処が十八世紀後半に到って、俄然擡頭したのが科学である。之が素晴しい勢を以て欧羅巴全土は固より、世界各地に拡がり、遂に今日の如き科学万能時代が現出したのである。それというのも凡ゆるものが科学によって解決され、それ迄不可能とされていた凡ゆるものが可能となる等々、遂に絢爛たる近代文明が確立されたのである。従って此恩恵に浴した人類は、科学を以て無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。特に医学を以て科学中の最も重要な部門として扱われた結果、人間生命の鍵をも握って了った事は、恰度宗教信者が神に対する尊信帰依と同様で、他を顧りみる事さえ異端視せられるというようになり、世は滔々として科学信仰時代となったのは知る通りである。
之によって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩一歩増進されるかに見えるが、一度冷静な眼を以てその内容を検討する時、之は又意外にも進歩処か、反って逆コースの道を盲目的に進んでいる有様であって、その迷蒙なるいうべき言葉はないのである。何よりも事実がよく示している。それは病気の種類は年々増え、罹病率も減る処か、益々増える一方である。その結果人間は常時病の不安に怯え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々で、それ以上は不可能とされている。上代の文献にある如き、百歳以上などは昔の夢でしかない事になって了った。勿論百歳以下で死ぬのは悉く病の為であるから、言わば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。というように人間の健康は極めて低下したにも拘わらず、それに気付かず、遂に病と寿命のみは宿命的のものとして諦めて了ったのである。而もそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それは斯う説いている。即ち死は不可抗力のものであるから、その諦めが真の悟りとして諭えたのである。彼の釈尊が唱えた生病老死の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであろう。
そのような訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けて了う程に信頼しきったのである。処が之こそ驚くべき迷蒙である事を、私は神示によって知り得たのである。というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、遂に死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と併せて、凡ゆる病を治す力をも与えられたのであるから、之によって普く人類を救えとの神の大命であって、今日迄不可能と諦めていた夢が、現実となって此地上に現われたのである。現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何等疑う処はあるまい。万一疑念のある人は、遠慮なく来って検討されん事である。
以上の如く此驚異的新医術の出現こそ、今日迄の如何なる発明発見と雖も比肩する事は不可能であろう。何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であろう。之が世界に知れ渡るに於ては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を睹るよりも明かである。最近の大発見として世界に衝撃を与えた彼の原子科学にしても、之に比べたら問題にはなるまい。私は叫ぶ、最早人類最大の悩みである病は玆に完全に解決されたのである。故に此著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、之を信ぜず躊躇逡巡、何だ彼んだといって見過す人は、折角天の与えた幸福のチャンスを自ら逃して了い、何れは臍を噛む時の来るのは、断言して憚らないのである。
これはできるだけ簡単に分りやすく、現代医学論という論文を書いて、あとはお蔭話の顕著なものを一つ一つ批判して、解剖的に書いて、それを百例つけて、医学、病気というものが大体分るように、そういう本を作りますが、この秋あたりになると思います。そうして、どうしても医学の方との戦いになるようになりますが、けれどもそれも大して長い事もありません。何故なれば医学の方はだんだん浄化が強くなるに従ってヘコタレて来ますから、医学の固め療法が固まらなくなるから、どうしても先方が頭を下げざるを得なくなります。それまでの間一時は昨夜の放送のような問題も、何だ彼んだと起こるとみなければなりません。しかしだんだん先方が弱って来たからそれも大した事はありません。日本はそういうような工合で、だんだんこっちが勝って行きますが、今始めたハワイの方、その次は米国の方ですが、ハワイは素晴らしい成績です。これは栄光に時々出しているから分っているでしょうが、しかし又邪神の方でも大変ですから、妨害しようとして何かやっているのです。ですから無論スラスラとは行きません。いろんな困難な問題が起こります。けれども神様の方の力もだんだん増して来ますから、やはり私が救世教をこれまでにするのに、最初はいろんな妨害をしましたが、そういうような形が、その国、その時期相応に出るとみなければなりません。これもだんだん時節が近付いて来ますから大した事はありません。なにしろ非常なお蔭をいただくので、その点は日本より都合がよいのは、民衆の叫びを非常に重く用いるから、そこで官憲の方や何かで圧迫しようとしても、民衆が承知しません。だから治って熱心になった人が増えればしようがありません。それは民衆の声が高まって来ればキリスト教でも何でもだんだん衰えて行きます。それでハワイならハワイだけが大いに救世教信者が増えて、動きが大きくなって来ると、今度はアメリカの方で問題になって来ます。しかしアメリカにはいろんな制限があって、或る点は日本よりか喧ましいくらいです。それは日本にはやたらに新宗教というのが出ても許可しますが、アメリカはなかなかたやすくそうしません。どこまでもキリスト教一本で通そうとしますが、又一方民主主義ですから、民衆の声というのに重きをおきます。日本のようにそういう事に頓着なく、気に入らなければやっつけてやれという事はないから、その点はよいです。しかしアメリカの布教も容易ならんものがあります。とに角、ハワイならハワイに燃え上がるようになると、それだけでアメリカの方でも相当重視するわけです。ですからこれは日本を開拓した今までのそういう経路のようなものよりかずっと楽に違いありません。
それからちょっと面白く書いた論文を読ませます。
御論文〔近頃の世相〕 【註 栄光二一四号】
近頃の世相
(栄光二一四号)
今日の世相をつくず(づ?)く見てみると、不可解な点が余りに多いのは何が為かをかいてみよう。それには色々あろうが、その第一は近頃の如く各地に大中小の火災の多い事で、その損害高も相当の額に上るというのである。これには人間に分らない何かの原因がなくてはならないと誰しも思うであろうし、その他交通事故にしても、ヤレ衝突、脱線、墜落等々、その都度人畜の被害も中々馬鹿にはならないものがある。その他最も悪質なものとしては、つまらぬ事で喧嘩、殴合い、殺傷沙汰など、人間の命を余りに軽く見過ぎる体は、普通の頭では解釈出来ない。又僅かな金を奪る為に簡単に人を殺すなどもそうで、彼の運チャンの首を締(絞?)めて、僅か千円か二千円の金を奪うなど、人の命を見る事弊履の如しである。
右は男性に関する事だが、女性の方も感心出来ない事が沢山ある。その中でも最も情けないと思うのは貞操観念の低下である。吾々としても封建時代のような堅苦しい事は言いたくないが、その反動でもあろうが、現在のようではどう考えても行過ぎとしか思えない。近頃町を歩いても、公々然と、寧ろ誇らし気にパンパン嬢が外国兵と腕を組んで横行している有様は、これ等も止むを得ないという理窟もあろうが、一種の国辱的感がするのは誰しもそうであろう。これは譬えてみると人間の肉体の汚い所は出来るだけ人に見せないようにするのが本当である。
以上は気の附いたままかいたのであるが、ではこれ等の原因は一体何処にあるかというと、これこそ吾々の神霊医学を通して見ればよく分る。それは今日の人間程薬を多く用いる時代はなかったであろう。つまり薬を多量に体内へ入れ、一方近代文化生活は頭脳を酷使する為、薬という毒物は頭脳目掛けて集留し固結する。その個所は後頭部及び延髄付近であるから、どんな人でも右の部を触れば必ず分ると共に、それが溶ける為の微熱も必ずある。そこでその固結が脳の血管を圧迫する為、常に軽い脳貧血が起っていると共に、微熱は脳に影響して脳の活動を鈍らす。そのような訳で今日の人間は頭が痛い、重い、ボンヤリする、焦々する、考えが纏らない、気が塞ぐ、悲観的となる、というような症状のない人は殆んどあるまい。これを医学では神経衰弱というのである。そうして薬毒の固結排除活動が起る。即ち浄化作用である。これが感冒、下痢、胃病、肺病、心臓病、不眠、精神病、赤痢、疫痢等の原因となるに対し、医学では全然分らないから逆な療法を施す以上、増えるとも減る筈はないのである。処がこの原理が徹底的に分る所は吾救世教より外になく、しかもそれを完全に治す方法が我浄霊医術であるから、何が何でも右の症状のある人は、先ず薬を廃めて本教へ来る事である。それによって右の苦痛は拭ったように去り、明朗愉快な人生を送り得ると共に、社会的には事故、犯罪、貧乏、争い等々解消するとしたら、これが地上天国を造る宗教でなくて何であろう。
今の人間の頭の働きの悪いといったら大変です。つまり頭の活動が鈍いからして、それが挙動、行動に現われて来るのです。運転手などが敏速に避けるとか、そういう事に対する事が敏感にいかないのです。それで事故を起こすのです。それから火事の起こる原因というのは、ちょっとした火に注意すれば何でもないのに、そこのところをウッカリしてしまうのです。それで消す所を消さないのです。山火事の原因は煙草の火という事を言われてますが、ちょっと消せばよかったものを消さないのです。それで大山火事になったりするのです。この間の北海道の大山火事は約二万町歩というものでした。それから家が建っても建っても焼けるのですが、三分の一くらいは焼けているでしょう。それで住宅難で困ると言うが火事さえなければ住宅難という事はありません。チャンと人数だけの予定をとっているのですが、又この予定という事がおかしいので、今一カ年何十万戸要るから何十万戸建てれば住宅難は解消すると言ってますが、火事という事を予定に入れていないのです。だから足りないのです。東京都などでも抽籤でやってますが、十回なら大抵当るという事になってますが、今度は十一回になって、それでも駄目で、これからは十二回で当るという事は、出来るのよりか要求する方が増えて来るのです。そういうようでいろんな面に対する事故ですが、病気ばかりでなくそういった事も大いにあるのです。それはみんな頭の働きです。その原因は後頭部、延髄にある薬毒です。今の文化生活というものは本当の事が分ったら滑稽なものです。それでこれは世間の事でもそうですが、私などは日常生活で、今の人間の鈍感さには驚いてしまいます。驚くよりも困るのです。それは何でも遅いのです。ノロマな事と頭の働きが悪い事です。ヘのような事をやり損なったり遅れたりするのです。それも此処の毒が無くなればそんな事はありません。私はあんまり早いので、廻りの者はまごついて困るのです。何処かに行くのにも、大抵用意ができていると思って行ってみると、人間も居ないし用意もできてないのです。それで私は又戻って、少し昼寝をして行こうかと思うくらいです。それで後頭部の毒が無くなれば、大抵な人はそのくらいな事はできるのです。歩くにも私は速過ぎるので、若い者と歩くにも加減して歩いているのです。〝どうも明主様はお速い、間に合わない〟と言うから、〝それは年のせいだ〟と言うのです。私は早(速?)過ぎる早(速?)過ぎると言われますが、それは毒が無くなると、誰も彼もというわけにはゆかないが、大抵な人はもっと早くなります。それに頭が働くと非常に能率が上がって無駄がないから、経済的に得です。私ほどにはゆかないが、もっと敏感にはなるはずです。これはやはり薬毒のためです。信者の人などは薬毒は余程減っていてそのくらいですから、世の中の人は如何に鈍感か分りません。そういう人達が自動車の運転手ですから事故が起こるのは当り前です。その原因を今読んだのですが、そういうような工合で浄霊は病気を治すばかりでなく、そういった事に対しても大いに効果があるわけです。
それから美術館の話ですが、一年前のあの辺の状態から見ると、あまりに変ったので皆びっくりしてます。これも今の頭の働きと、早(速?)いという事が大いに原因しているのです。職人の仕事などをいろいろみてますと、やっぱり頭の働きが悪いと余計な事をしたり余計な物を作ったりするのです。それを私はみんな省いてしまうから早(速?)いのです。それで出来上がってみるとかえってよいのです。ですから人は驚いて大変だろうという事が、私には何でもないので、ほとんど考える事もいりません。あれだけの別館を造るにも、此処に足を運んだのは二度くらいです。最初指図して、熱海に下りて、それから一度か二度指図しただけです。丁度医学で何日も何十日も治らなかったのが浄霊で一日か二日で治るというのと同じ理窟です。それで品物を集めるにも、道具屋なら道具屋に対しては急所の事を言って、それからいろいろ持って来る中から簡単に選択をし、値段とかいろんな事も急所だけをチョッチョッと言うだけで、割合に良い物が安く入るのです。一番早かったのは、去年第一室に出してあった友松の屏風ですが、墨絵で簡単に楼閣を画いてあるあれを買った時は、京都の博物館に屏風が六本あるから見てもらいたいと言うので、宜しいと約束したが、他に廻る関係でどうしても博物館でそれを見る時間は五分しかないので、五分でやってみようと思ったのです。その六本も拡げてあったらよいが、たたんであったのです。それで拡げて見て友松のは幾らかと言うと七十万と言うから、少し高いから五十万に負けたら買うからという事で買ったのです。それで丁度五分で済んだのです。だから六本の屏風を五分で選択したのです。そのくらい早(速?)いのですから、美術館もああいうように出来たのです。この間も報知新聞で谷川徹三さんかが、普通ならこれだけの美術館はまず一代かかってやっと出来るくらいなのが、わずか数年で出来るという事は実に不思議だという事を言ってましたが、普通からみれば確かにそうです。それもやっぱり早(速?)いからです。
こういう論文を書くにも急所々々を書くのです。だから早く書けて簡単に済んでしまうのです。そのやり方を一生懸命に学ぶようにしなければなりません。原稿を書くにも余計な事を書かないでつまり正味だけを書くというようにしてもらいたいと思います。
というのはお蔭話がだんだん増えて来るので、栄光に出す場合にお蔭話以外の普通の記事を余程少なくしなければ追い付かないのです。それと共に、お蔭話も割合よく書いてあります。農村の人などでもなかなか書き方がうまいのです。しかし一層簡潔にしてもらった方が、それだけ余計に出せます。それに書きようで、なるべく無駄のないようにすれば、もっと簡単になります。そうすればまだまだ寄書でもお蔭話でも掲載する事ができるわけです。そういう工合にしてもらいたいと思います。
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