四日の晩のラジオは聞いたでしょうが、なにしろ邪神の方も苦しまぎれにいろんな事をやります。四、五年前は新聞で随分挑戦して来ましたが、遂々こっちが勝ってしまったのです。その次は官憲を利用して丁度三年前にああいった裁判をやりまして、それでも結局先方は負けてしまったのです。とに角救世教をつぶしてしまおうというのです。そうしなかったら邪神の方が滅びる事になりますから、霊界では死に物狂いになってやっているのです。それで新聞では駄目、役人を使っても駄目なので、今度はラジオを使ったわけです。そういうような工合で、だんだん霊界が明かるくなりますから、邪神の方はだんだん手も足も出なくなってくるのです。そこでだんだん死に物狂いになって来ます。しかしそうなればなるほど、神様の方の力が強くなって来るのです。それでドンドン進んで行きますからよいのですが、先方の一番致命的な事は、医学を暴露されてやられる事が一番つらいのです。医学というものは邪神が人類を弱らせてヒョロヒョロにしてしまおうという計画なのです。そうして最後に或る強い民族が、弱っているのをやっつけてしまって、そうして世界の覇を握る、というのがその計画です。ですからそこで医学を暴露される事によって先方の目的が駄目になりますから、そこで先方にとっては大変なのです。なにしろ明日から薬の週間という事でやってますが、これは救世教に対抗する目的なのです。今まではそんな事はした事はないのです。ですから先方はあの手この手で、どこまでもやろうというので、これまでに弱らしたのにピンピンにされたら大変だというわけです。しかしヨーロッパ方面はほとんど半分以上は目的を達したのです。だから何時も言うとおり、イギリス、フランスあたりの、あの弱りさ加減はないです。まるで、どんな事をされても戦争がない方がよいというので、諦らめるあの形は、イギリスのチャーチルなどが始終喋ったり、やっている事を見ると可哀想になります。ただどうやらしっかりしているのはアメリカだけですから、そこで邪神の方でもアメリカの国民を弱らせようとして大車輪をかけているのです。今アメリカでは薬が進歩して、新しい薬をドンドンこしらえているのは、みんな邪神がやっているのです。そこで私は、まず第一歩として「アメリカを救う」という本を出したのです。
なにしろ中共が北朝鮮を侵略して、ほとんど自分の植民地のようにしてしまったのです。ですからこれは国際正義の上から言ってもやっつけなければならないのです。ところがイギリスは逸早く承認してしまったのです。何でもよい、平和にさえなれば戦争なんかオレは大嫌いだ、という事になったのです。ところがアメリカはそれを許したら、世界に侵略は公認される事になるから、承認する事はできないと頑張っているのですが、そこがアメリカの値打のある所です。今休戦会談ができそうになりつつありますが、これは一時的なのです。今アメリカはアイゼンハウアーになってから、大々的に中共征伐をやり始める準備をしているので、今アメリカに攻められたら息の根が絶えますから、これは大変だと、そこで何とかして一時でもこれも引延ばす政策をやったのです。アイゼンハウアーはなかなかそんな事に誤魔化されないで、ともすればやっつけるぞという気勢を見せる。これは今までのトルーマン大統領のような時を稼ぐなまぬるいやり方では追いつかない、又先方は一時でもよいから休戦の条件に判を捺しておいて、もっと気長に準備をしなければならないというのが、今休戦会談が纏まろうという状勢になっているのです。本当に平和にしようというのでも何でもないので、危ぶないから一時窮地を逃がれ、それと三年の間朝鮮や連合軍と戦って、創痍も相当深いから、それもなおさなければならない、そうして国家をもっと充実した状態にして、それからアメリカと戦おうというわけなのです。だからこの休戦会議というものは一時的のものです。そこにもっていって、今言うようにイギリス、フランスあたりが弱りきってます。しかしフランスはインドシナ辺りが大問題で、あそこに全力を尽くすよりしようがないのです。だから朝鮮問題の方はまずイギリスより他にないが、そのイギリスがグニャグニャなのだから、そこで米国も、此処は輿論の国ですから、連合国の他の国がみんなグニャグニャしているのでは、米国だけがやるというのは面白くないというので、では一時お前達の言う事を聞いておこうというわけです。だからアメリカの方でも、マッカーシーなどは強硬で、連合国を脱退してアメリカ独自でやろうという事を言ってますが、アメリカとしてもただアメリカだけが立つのでは万事都合が悪いので、やっぱりいろいろな関係で、戦争で戦うばかりでは駄目ですから、世界的輿論を大いに尊重して、まず戦争をやるにはできるだけ一致をしなければならないから、アメリカは心ならずして一時休戦に応ずるというのが、今の形勢です。おまけにソ連の方はスターリンが生きていればもっと腰が強いが、スターリンの没後はずっと腰が折れてますから、とに角一時収めた方がよいというように、蔭から中共を牽制しているに違いないです。それでます米国とソ連が戦争をしたら、ソ連に勝ち目はありませんから、もっと充実しなければ駄目なのです。そんなようで一時休戦によって小康を得るでしょう。そうしておいて今度はソ連がどういう手を打つかですが、或いはインドシナからタイの方に侵略を始めるか、それは分りませんが、とに角これから大いに複雑な、結局アメリカを消耗させるという戦術を続けるに違いないです。その手腕たるや、なかなか予想外の手を使うかも分りません。けれどもどっちにしろ、何時かも言ったとおりスターリンが死んだ後は骨抜きみたいになりますから、結局何だ彼んだと言いながら、ソ連滅亡の時期が来るのです。それはまだ相当先の事で、そう急なわけに行きませんが、共産主義がなくなるという事は、神様の方ではチャンと決まっているのです。それでこれから一番面倒な問題は、たとえ休戦になったとしても、朝鮮が南北に分れていては、これはアメリカとしてはどうしても黙まっては居られないので、どうしても合併しなければならない、合併するとすれば中共の勢力を北鮮から抜かなければならない。要するに中共を中国に引込ませるという事になるが、この問題が大変です。アメリカは余程強行にやるでしょうが、そうかと言って中共の方では易(唯?)々諾々と引込むわけはないから、ここで又非常に面倒な問題が起こるに違いありません。そういようで又ややこしくなって来ます。或いはアメリカが武力をもって解決しようという態度に出るとすると、又戦争が始まるかも分らないが、どうしてもそういう動き方になるわけです。それで中共が引込んで南北朝鮮が合併するという事になれば問題は解決しますが、中共も折角朝鮮に半分勢力を入れた以上、そう易々とは引かないで頑張るでしょうから、そう簡単には解決しないので、朝鮮というものがガンになります。どうしても解決しないという事になると、戦争より外にない事になります。無論アメリカもその準備をしているから、案外急速な場面が出るかも分りません。だから傍観者としてはなかなか興味津々たるものがあります。話はラジオ解説のような事になりました。
社会の窓のNHKのやり方に対してもこれは許すべからざる事ですから、無論名誉毀損の告訴をします。それを読ませます。
御論文〔ジャーナリストに愬う〕 【註 栄光二一五号】
ジャ-ナリストに愬う
(栄光二一五号)
去る六月四日の晩、NHKの社会の窓の放送を聞いて、私は驚いた。それは、本教九州在住の信者に関した事であって、事実を歪めた捏造的放送で、今迄にこんな例はなかったと思う程のもので、私は耳を疑った位であった。どう考えてもこの放送の企画は不可解であり、公平な見地からみて許さざるべきではないと思うのである。勿論その放送ぶりたるや、どう考えてみても本教を迷信邪教と思わせ、一般的注意を引こうとするとしか受取れない。その内容は、主人公である信者を狂信者と見て、近所の附合もせず、立派な船大工の腕を持ち乍ら職業も放擲し、信仰に夢中になっている結果、生活も楽でないばかりか、今度のような災難に遭い乍らも、未だ目が醒めないというのである。その上、御丁寧にも現地の警察署長に面会し、法規に触れる点はなきやを、くどくどしく質問したのは、問題化そうとする肚としか思えない。これに対し、署長の答えは洵に公平で、一つ一つ法規に触れる点のない事を納得させたようなわけで、聞いていて快かったのは私ばかりではあるまい。このように、厳正な司直の言に徴しても、何等取上げる程の問題でないに拘わらず、全国放送にまで持上げたのは、解するに苦しむのである。それが為、真相を知らない一般聴取者を誤まらせ、本教の信用を傷つけたのは実に遺憾で、全く放送犠牲者にされたわけである。
言う迄もなく、放送事業なるものは公共的性質のもので、公平な上にも公平を期さねばならないにも拘わらず、問題の真相を碌々調べもせずして放送に取上げるという無責任は、断じて赦されるべきではない。若しこれが赦されるとしたら、我々は到底安んずる事は出来ないと共に、今日多くの信仰宗敎に対しても、不安、恐怖、憤怒を与えるのは必然であるから、私はそれらを代表して、放送局の責任を問うのである。
処が調査の結果、事実は全然反対である。元々本教の主旨とする処は、常識を重んじ、世間的には交際を広くし、家業を励み、安心立命を得させるので、これを見聞きした人々は大いに共鳴し、進んで信者となるので、このような家庭は日に月に増えつつある現状である。何よりも本教信者となるや、今迄病人の絶えない家庭も全家族揃って健康となり、医薬との縁も切れ、勤務も仕事も休まなくなるから、経済的には恵まれ、一歩々々幸運に向うのである。それらの感謝感激の礼状は常に机上山をなし、本教発行の週刊栄光紙上に載せきれない程で、嬉しい悲鳴を上げているのである。又周知の如く、本教は各地に大規模な地上天国、美術館、宗教的建造物等次々造営しつつあり、それに要する巨額な支出も必要だけは必ず集まるのである。然も本教は搾取を厳禁し、全部自発的献金であるから、信者の懐工合のいい事は想像出来ると共に、その原因こそ、救われた人々の感謝感激の誠と収入の多い為であって、この事実にみても放送の誤まりは分るであろう。
ここで科学と宗教に就いても少し書かして貰うが、現代は科学万能時代であるのは分り切った話で、科学が人類に寄与しつつある恩恵は、如何に高く評価しても差支えないが、さらばと言って科学のみでは解決出来ない問題も多々ある事である。それは勿論精神面であるが、この精神面を救うのが宗教の役目である以上、昔から現代に至るまで、精神的喜びを与えた宗教の功績も又見逃し得ない処である。処がこの方を閑却した現代人は、余りに科学を信じすぎ、科学さえ進歩させれば何事も解決出来るとする観念が支配的となってしまったのである。例えば病気にしても科学で治るものとしているが、事実は皮肉にも到る所病人の氾濫に悩み、人間は病気の不安から解放されないのである。右は一例だが、これでも分る如く、現在文明のあり方は、科学でも宗教でも解決出来ないというジレンマに陥った結果、懐疑に包まれているのが大部分であろう。
次に新宗教に関して言いたい事は、既成宗教は別とし、近来雨後の筍の如く簇出する新宗教であるが、その中には随分感心出来ないものもある。従ってこれを見る知識人は、新宗教とさえいえば玉石混淆頭から蔑視する嫌いがある。成程宗教によっては常識外れな狂信的非科学的で、我々宗教人としても眉を潜める事も屢々ある位で、ジャーナリスト諸君が、兎もすれば嘲弄的筆致を加えるのも当然である。それが為偶々本教の如き真面目なものをも同一視し、文化の進歩を阻害する迷信としてこれに打撃を与える事が文化の進歩に寄与すると思っているらしい。然も、本教は現代医学の欠陥を暴露し、排斥し、宗教治病を建前としている以上、こんな非科学的迷信を鼓吹する宗教は怪しからんとし、機会あればやっつけたやろうとしている矢先、偶々今回の如き事に出合ったので、ソレッとばかり特ダネ的大袈裟に扱ったのであろう。としたら、本教こそ実にいい面の皮である。それかあらぬか、言葉の中にも一種妙な感情が含まれていたのは誰も気附いたであろう。ここで私の方の言分を書いてみるが、先ず一つの例として、人間苦悩の根本は病である事は言うまでもないが、この病は現代科学では苦痛緩和は出来ても、病は治し得ないのである。これは事実が示しているから言わないが、これに対し我が救世教の治病力は、医学の一に対し百と言っても過言ではない程で、到底信ずる事は出来まいが、これこそ歴史にも文献にもない素晴しい力で、事実本教は現在凡ゆる病を医し、健全なる家庭を大量に作りつつあるのである。万一疑わしくば、一度本教を調査検討してみれば直に判明するであろう。本教が開教六年にして現在見るが如く数十万の信徒を擁し、日に月に驚くべき発展と共に、海外に於ては布哇を始め、米国にまでも教線の拡がりつつある現状をみれば分るであろう。
以上の如く、本教は科学では治らぬ病気をドシドシ治すので、人は奇蹟として舌を捲くが、本教発展の理由も玆にあるのである。本教のモットーである病貧争絶無の世界を造るという大言壮語も、単なる御題目でない事が分る筈である。
以上の如き本教の真相を知らないが為、世間並の新宗教と同一に扱われ、今回の如き放送禍を受けたのは、洵に遺憾と言っていい。以上によって、世のジャーナリスト諸君に希う事は、本教の真相を充分研究されん事で、それが一日早ければ早いだけ、多数の悩める人々が救われるからである。
とに角現在のジャーナリストというものは、新宗教を非常に軽蔑しているのです。それで他の事なら、こんな事は決して出るものではないのです。とに角新宗教というと非常な軽蔑をするのですが、軽蔑という意味は、彼等は新宗教なんてものは、この科学の時代に非常に間違っている、こういう非科学的のものはぶっつぶしてしまった方がよいと、それを良いと信じているのです。しかしそれも無理はないのです。世間の新宗教で、これはというものはないです。ですから私は、若し救世教というものがなかったら、私もやっぱりそれと同じように、新宗教をぶっつぶした方がよいと思います。実際ロクなものはありません。そうかと言って旧宗教は眠っているようなもので問題にはなりません。ですから私などでも無論無信仰者になります。そう考えてくると、彼等の考え方も決して咎める事もできないが、ただ救世教というものは他の宗教とは違うという認識がないのです。認識がないという事はロクロク調べてないからです。この放送もロクロク調べないから、凡て悪意にとって、こんなものに迷わせられてはいけないという、一つの警告を与えるつもりですが、では何故認識しないかというと、他のものがつまらないもので価値がないというので、救世教もやっぱりそれだという事に頭から決めてしまっているのです。そこにわれわれにも非常に損な点があるのです。しかしそれも長い間こういうような宗教が出なかったのだから、これはやむを得ないでしょう。ですから或る時期までは、こっちが苦しんだり、誤解されたりしますから、分らせるまでは非常に骨が折れる事は仕方がないと思います。そうかと言って、こっちは金であるのに、金をメッキと思われるのですから、それはどうしても黙まっては居られないのです。金は金として大いにそれを言わなければならないのです。そこで骨の折れる点もあるのです。そうかと言って、事実は病気の解決はできるのです。病気の本体が分り、病気の心配がなくなるという、こんな素晴らしい事というのは今までにはないのですから、結局は皆頭を下げるに決まってます。それまでの間は、アブやハチがブンブン飛んで来て、刺したりいろんな事で、こっちに痛みを与えますが、これはやむを得ないわけです。それでできるだけそういったハチに刺されないように追って行くというよりしようがありません。そうしてだんだん時がたつに従って分って来るというわけなのです。この事も、ハチに刺されたので、再びハチが来て刺さないようにハチの奴を一発叩いてやるというわけです。まあ蠅叩きのようなものです。
それから今までもそうでしたが、これからは信仰の話をしても分らない人はあんまり追いかけない方がよいです。追い放した方がよいです。というのは救世教は素晴らしいものだ、神様は大したものだと言うが、それには違いないが、今度の最後の審判というものは、審判は善悪の裁きだが、普通は一人でも多く、ほとんど世界人類が救われるように思いがちですが、救われる人はごく少いので、あとはみんな駄目になる、滅びるのです。それをよく分っていなければならない。だから少し話して分らない人は放してしまった方がよいです。それは閻魔の帳の方ではチャンと消してあるのです。かえってその方が楽で、そのために救われるべき人の方が遅れたりするからいけないのです。ですからそうした方が非常に楽で救われるべき人が早く救われます。その事を書きました。
御論文〔最後の審判とは何か〕 【註 栄光二一三号】
最後の審判とは何か
(栄光二一三号)
最後の審判に就いてこれからかいてみるが、その根本としては言うまでもなく世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って、余りに汚くどうにもならないものは地上から永遠に抹殺される外はないから恐ろしいのである。という訳で、将来役立つものは勿論残されると共に、役立たないものは処理されてしまうのは致し方ないのである。それは口で言えば甚だ簡単だが、これが人間にとっての脅威は、前古未曾有の大異変であるから、とうてい筆や言葉では表わせないのである。つまり、根本は善と悪との立別けであって、善人は無罪となり、悪人は有罪者となる訳で、決定的審判が行われるのである。従って現在地上にある人間悉くは、裁きの前の動物に等しき運命に置かれているのだから大問題である。然も悲しい哉、赦される者は極く少数で、救われない者の方が大多数である事で、その割合は数字では表わせないが、大体右と思えば差支えないのである。
勿論日本人も同様であるから、助かりたい人はこの際至急頭の切替えをする事である。この事は昔から各聖者が神の代弁者としてハッキリ予言されている通りで、言わばその時が来たのである。それも人類全部が救われるとは言わなかった。ただ神の大愛によって一人でも多くを救えと言われただけであって、その使命を以て生まれたのが我救世教であるから、先ずこの認識が何より肝腎である。右の如く、救われる人よりも救われない人の方が多いとしたら、この事を信者はよく心得て置かなければならない。というのは、病気を治し救おうとする場合その見分けが必要である。成程誰も彼も一人残らず救ってやりたいのは山々だが、右の如くであり、時の進むに従い救われる人と救われない人とは自ら判るようになるからで、これは神意である以上如何共し難いのである。従って浄霊を嫌ったり、話に耳を傾けなかったり、逆にとったりする人は、已に救われない側に運命づけられたからで、そういう人を何程分らせようとしても無駄であり、反って救わるべき人が疎かになるから注意すべきである。
又折角御蔭を頂いても、大病が治り一時は感激しても、時の経つに従い忘れたり、迷ったりする人もあるが、こういう人は已に縁が切れ、滅びの方へ廻ったのだから、手放した方がいいのである。以上によっても分る如く、これからは入信させようとする場合、素直に受入れる人はいいが、そうでない人は縁なき衆生として諦めるより仕方がないので、この意味に従い最後に近づくにつれて信者諸君は先ず善悪を判別する事である。
それから今の人は非常に頭が鈍感になっているので、そのために火災だとかいろんな事故が起こるのです。信者は知ってますが、その原因を書いてみました。
御論文〔近頃の世相〕 【註 栄光二一四号】
近頃の世相
(栄光二一四号)
今日の世相をつくず(づ?)く見てみると、不可解な点が余りに多いのは何が為かをかいてみよう。それには色々あろうが、その第一は近頃の如く各地に大中小の火災の多い事で、その損害高も相当の額に上るというのである。これには人間に分らない何かの原因がなくてはならないと誰しも思うであろうし、その他交通事故にしても、ヤレ衝突、脱線、墜落等々、その都度人畜の被害も中々馬鹿にはならないものがある。その他最も悪質なものとしては、つまらぬ事で喧嘩、殴合い、殺傷沙汰など、人間の命を余りに軽く見過ぎる体は、普通の頭では解釈出来ない。又僅かな金を奪る為に簡単に人を殺すなどもそうで、彼の運チャンの首を締(絞?)めて、僅か千円か二千円の金を奪うなど、人の命を見る事弊履の如しである。
右は男性に関する事だが、女性の方も感心出来ない事が沢山ある。その中でも最も情けないと思うのは貞操観念の低下である。吾々としても封建時代のような堅苦しい事は言いたくないが、その反動でもあろうが、現在のようではどう考えても行過ぎとしか思えない。近頃町を歩いても、公々然と、寧ろ誇らし気にパンパン嬢が外国兵と腕を組んで横行している有様は、これ等も止むを得ないという理窟もあろうが、一種の国辱的感がするのは誰しもそうであろう。これは譬えてみると人間の肉体の汚い所は出来るだけ人に見せないようにするのが本当である。
以上は気の附いたままかいたのであるが、ではこれ等の原因は一体何処にあるかというと、これこそ吾々の神霊医学を通して見ればよく分る。それは今日の人間程薬を多く用いる時代はなかったであろう。つまり薬を多量に体内へ入れ、一方近代文化生活は頭脳を酷使する為、薬という毒物は頭脳目掛けて集留し固結する。その個所は後頭部及び延髄付近であるから、どんな人でも右の部を触れば必ず分ると共に、それが溶ける為の微熱も必ずある。そこでその固結が脳の血管を圧迫する為、常に軽い脳貧血が起っていると共に、微熱は脳に影響して脳の活動を鈍らす。そのような訳で今日の人間は頭が痛い、重い、ボンヤリする、焦々する、考えが纏らない、気が塞ぐ、悲観的となる、というような症状のない人は殆んどあるまい。これを医学では神経衰弱というのである。そうして薬毒の固結排除活動が起る。即ち浄化作用である。これが感冒、下痢、胃病、肺病、心臓病、不眠、精神病、赤痢、疫痢等の原因となるに対し、医学では全然分らないから逆な療法を施す以上、増えるとも減る筈はないのである。処がこの原理が徹底的に分る所は吾救世教より外になく、しかもそれを完全に治す方法が我浄霊医術であるから、何が何でも右の症状のある人は、先ず薬を廃めて本教へ来る事である。それによって右の苦痛は拭ったように去り、明朗愉快な人生を送り得ると共に、社会的には事故、犯罪、貧乏、争い等々解消するとしたら、これが地上天国を造る宗教でなくて何であろう。
この薬毒が減ると非常に軽快になります。ですから挙動が敏捷になるし、頭も同じように敏感になります。ところが今の人は薬が一ぱいありますから頭が鈍感で挙動が鈍重なのです。ですからいろんな事故が起こるのは当り前です。自動車は汽車を運転しても、挙動が鈍感だと、見た瞬間にヒョッと避けてしまいます。それが挙動が鈍重だから見た瞬間に避けられないのです。それから火事でも、この間の北海道の山火事など約二万町歩も焼けたのですから大変なものです。この原因の大半は煙草の火という事になってますが、吸殻を捨てますが、注意力があればこれは危ないと思ったらちょっと消しますが、その注意力がないわけです。アメリカなども非常に事故が多く、自動車事故も非常に多いようですが、これもアメリカ人の鈍感なためなのです。そういった頭の悪さが社会のいろんな損害や不安の原因なのですから、その点から言っても薬というものは恐ろしいものです。それなのに明日から又薬を大いにやるというのですから、馬鹿と言ってよいか何と言うか、言いようがありません。私も昔は随分薬を飲んだが、私は鈍感というよりか、凡てが不精になりました。だからやっぱり結果においては鈍感と同じようなものです。ところが始終自分でも浄霊してますから、だんだん薬が減るに従って敏感になるのがよく分ります。だから今の若い人に比べても非常に違います。若い人はノロイのです。歩いても若い人がついていると私は加減するのです。〝明主様はお速いですね、とても自分達はついて行けない〟と言うから、〝それは年のせいだ〟と言うのです。だから毎日のようですが、もう来て用意をしていると思って行ってみても、来ていないという事がよくあり、私の方が早いのです。ですから調子が合わないで困る事があります。この間も若い者に言ったのですが、お前達は巾着切のようにならなければいけないと言ったのです。私などは巾着切になったら随分成功する、それは逃げるのも早(速?)いです。だから巾着切のような了簡でなければ駄目だと言ったのです。ただ人の物を取らなければよいのです。他の事は巾着切と同じでよいのです。つまり敏捷になる事です。そういうようになると、物事の急所などが早く見付かりますから、無駄がなく能率が上がります。身魂が磨けるという事はそういう事なのです。何にでも気がつく事です。大本教のお筆先に〝何事も気配り心配りをして下されよ〟というのがあります。ですから気のつく事です。ところが気のつかない人が非常に多いのです。ちょっとした事に気がつかないのです。それは頭の働きが鈍いからです。そういう事を心掛がけて練習しても余程違います。つまり人が何か言いますが、一言で直ぐに見当がつく事です。こういう事を言うから、ああいう性質を持っている。又来た人の話をちょっと聞いても〝ははあこれはこういう目的で来たな〟という事を早く覚るという事は非常に役立ちます。又他の家に行っても、はいっていきなり下駄を見ると、腐ったような体裁の悪いのがあったら、これは懐が楽ではないなと思う、子供が食っている菓子でも、つまらない安い菓子を食っているのを見ても、ははあと分るのです。私はよくネクタイの柄を見ます。これは趣味の高い奴だ、低い奴だと分ります。それからキチンと締めていると、これは几帳面な者だ、或いはだらしない者だという事が分ります。そういう事を見ると、凡てにおいて便利で得です。それで先方の心が変ったりいろいろしたり、想念が変り、信仰なら信仰が進んだり鈍るが、その事で見当がつくのです。それでおかしな事で、霊的にいろいろな事を見るという事は止めた方がよいです。それは特別な能力を持っていなければならないから駄目です。私は分りますから、よくやりますが、物質的に見る事も大いにやらなければならないのです。これは科学的の方です。ですから霊的と科学的と両方なければならないが、まず科学的にやる事です。又これは誰にでもできる事であり、非常に肝腎な事です。ですから私が美術館を造るにも、何を造るにも非常に早くて手取早いのです。それは物事の急所を見てしまうのです。別館を造るにも、最初大体二十分ばかり見当をつけて指図して、その後二度来て二、三十分指図しただけで思ったとおりに出来たのですが、それは急所を見て急所を指図するから能率が上がるのです。
だから病気を治す場合にも、私は何時も頭を触りますが、額の熱で大体分ります。又熱にもいろいろあって、深い所の熱浅い所の熱があります。浅い所の熱は、蕊の方の深い所は熱くないのです。それから深い場合は蕊の方から熱くて、浅い所は大してないのです。これは質が悪いのです。こういうのは浄化が重いのです。そういうように重さ軽さが分ります。又咳が出る痰が出るという事も直ぐ分ります。此処だと思う時は必ず咳が出、痰が出ます。そうすると其処に毒素があるのです。そういうようにやると浄霊の場合も早く効果が上がります。それも神経の敏感さです。ですから何事にもそういうように心掛けると余程違います。それは初めからそうはゆきませんが、そのつもりで心掛けると、それになれるに従って無駄がなくなります。それから行ってみて神様の話をしても、先方が興味を持ってくるか、お座成り的でいやいややっているかを見通さなければならない。それでお座成り的だったらよして、そうでなかったら熱心にやってやるというようにするのです。それで急所がありますから、その急所をやると先方はハッと分って、信仰にはいろうという事になります。そういう事を心掛ける事です。
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