浮世絵展の方は時々陳列替えをしますが、今日から三回目の陳列替えをしましたから、この前までのとはまるっきり違います。そのつもりで見てよいと思います。今度も博物館のと、それから個人でちょっと持っている人のが幾らか混じりましたが、とに角ドンドン集まって来るのは奇蹟なのです。今浮世絵で集まっているのでは、日本で一番だそうです。それが一年とはたっていないので、去年の今頃はまるっきりそういう物はなかったのですから、七、八カ月で集まってしまったのです。実に不思議なのです。それについて、最近歌麿の霊が憑って、喜んで言った事と、その意味を書いたのを読ませます。
御論文〔美術品蒐集の奇蹟〕 【註 栄光二一八号】
美術品蒐集の奇蹟
(栄光二一八号)
箱根美術館に陳列されている美術品は、相当目のある人なら驚かない者はない。何しろ、容易には手に入らないような名品が、こうも沢山集ったのは、全く不思議と思うより外考えようがない。又私もそうで、僅かの間に、然もこれ程の物が割合安く、よくも沢山集ったものだと感心している。そうして面白い事には、是非欲しいと思うが、迚も手に入りそうもないので諦めていたものが、偶然ヒョックリ入って来る事もよくある。それが予想もつかない所からなので、余計吃驚する。というように、考えれば考える程、何も彼も奇蹟づくめで、奇々妙々、端倪すべからざると言っていい位である。然も、それが日本ばかりではない、欧州の古美術品まで集って来る。よく聞いてみると、欧州でも中々手に入らない名品だというのである。
以上の如き驚くべき奇蹟は、一体どういうわけかと言うと、それは立派に理由があるので書いてみよう。
今、東西引括めて霊界に於ては、本教の出現が追々知れ渡るにつれて、本教によらなければ未来永劫救われない事が、多くの霊に分って来たので、霊界はテンヤワンヤの大騒ぎである。そこで、生前名人とされていた霊は、競って手柄を立て、来たるべき審判を無事に越せると共に、弥勒の世になってから幸福な地位につきたいとの念願から、活動しはじめたのである。勿論一家一門の霊も、現界にいる子孫の人達をも、無事に大峠を越し、幸福になるようとの願望もある。
というわけで、芸術家は、自分が作った作品中の傑作を選んで提供し、大名や富豪の霊は、生前愛蔵していた名品中の名品を選んで、適当な人を介して私の所へ運んでくる。そんなわけで、私としては少しの苦労もせず、放っておいても自然に集ってくるので、短期間にかくも良い物が沢山集ったのである。故に、骨董屋達にしても、いつも不思議々々々と言っている。又終戦後平価切下や、財産税などで、華族、富豪など、所蔵品を手放さざるを得なくなったので、止むなく到底手に入らないような名品が続々出たので、今日から見ると、お話にならないような安価で手に入れる事が出来たのも、全く神様の仕組である事がよく分るのである。
今霊界では自分の作った美術品や何かを競走で此処へ持って来ようとしているのです。ところが持って来る者はみんな慾張りですから、大いに儲けようとするのです。そこで私は高い物は買いませんから、霊は大いに煩悶しているわけです。私の方は、あせらないで放ったらかしておくと、結局だんだん安くして納めざるを得なくなるのです。これはなかなか面白いのです。又少し高くしたり、怪しげな物を持って来たら、きっと知れるのです。誰かが知らしてくれるのです。それが丁度、私がチャンと知っているかのようにゆくのです。私が気に入っても、高いと思って買おうかどうしようかと迷っている時は、必ず誰かが来てそれは前に幾ら幾らで売物に出ていたと言って、道具屋がウンと儲けようとする事を暴露するのです。ですから私の手にはいる時はチャンと相場なのです。それで私は別に相場をはずして安く買おうとは思いませんが、そうかといって相場外れの物は嘘ですから、買わないでいると、そうすると実にうまく気持よくゆくのです。ですからいろいろな種類がありますが、浮世絵にしろ外国の美術品にしろ去年の今頃はまるっきり知らなかったのです。それが、私としても急に分るわけはないのです。それがそういうようで、私が実によく分っているかのようになるのです。ですから商売人などが〝ホホー、どうしてあんなにお分りになるのだろう〟と思っているようですが、こっちはそうではないので、フッとそういう気になったり、他の人にヒントを与えられて、それを選ってゆくのです。それが長年研究しておそろしく目がきいているかのように見えるのです。そういうところがなかなか面白いのです。なにしろみんな高いものが多いし、私の方でもだんだん厳密になってゆくので、大抵な物は買いません。天下一品という物でなければ買わないようにしているのです。ですから偶にあるとみんな高い物ばかりです。ですから金には実に苦しむのです。これは求めて苦しむのだから、別に悲観的な事はないので、やっぱり嬉しい悲鳴なのです。それで金の使い方やいろいろな事は、私は自分ながら随分うまいつもりなのです。行き詰らないように、道具屋の方の払いなども無理のないようにうまくやり、苦しめないような工合にやっているのです。ですから金の繰り合わせ方は、私は大いに自信があります。それもこれも大いに金に苦しみ、その修業をしたというためもあります。というのは借金で二十何年間苦しめられたのですから、それが今日非常な学問になっているわけです。やっぱり神様は、金の使い方やいろいろな事を大いに修業させられたのだと思ってます。それについて書いてみました。
御論文〔借金二十年〕 【註 栄光二一七号】
借金二十年
(栄光二一七号)
私は大正八年から昭和十六年に至る二十余年間、借金で苦しんだ。否苦しめられたのである。忘れもしない、大正八年三十八歳の時、今の妻と結婚の話が纏り、黄道吉日を選ぶや間もなく出し抜けに、生まれて初めての執達吏という、いとも気持の悪い種族三人が飛込んで来た。何か変な紙片を差出し読ませられたが、何しろ今迄そんな経験のない私とて、只目をキョロつかせるばかりだった。そうこうする間も、彼等は部屋々々を見廻し乍ら、目ぼしい家財道具に小さな紙片をペタペタ貼ってしまった。又差押え理由を細々と書いてある半紙半分程の紙を読んでくれろといい、箪笥の横ッ腹へ貼って帰って行った。よく見ると、色々な法律的箇条書があったが、その中でギョッとしたのは、差押物件は自由にすべからず、貼った紙片を破棄すると、刑法第何十何条に処すという事が書いてあった。
処が弱った事には、右の小紙片は箪笥の抽斗とその仕切りにかけて貼ってある。勿論開けさせない為だが、併し開けなければ着物が出せないので困った。そこで色々工夫の末、仕切りの方だけは巧く剥がれたが、抽斗の方は貼った侭でどうやら開ける事が出来たので、ホッと安心したというわけだ。
では何故こんな目に遭ったかというと、それはこうだ。私は以前も書いた事があるが、小間物屋で成功し、無一物同様から十数万の資産を贏ち得たので、大いに自惚れてしまい、予ての念願である新聞事業を一つやってみたいと思いよく調べてみた処、当時百万円の金を持たなくては難かしいとの事なので、何とかしてその百万円を作りたいと思い、種々な金儲けに手を出した。処が偶々吉川某なる海千山千のしたたか者と懇意になり、その頃の私は同業者から羨望の的とされていた位なので、世の中を甘く見すぎ、右の吉川の言うがままに第一次欧州戦争後の株熱の盛んな時とて、株屋相手の金融業を始めた。何しろ私の信用で先附小切手で銀行が貸してくれるので、借主からは日歩五銭の利子が取れるのだから堪らない。一文要らずのただ儲けというわけで、到頭現金と小切手で十数万円に及んだのである。処が、それを扱った銀行で倉庫銀行というのが突如破産したのである。彼はそれをヒタ秘しに隠し、小切手を高利貸方面で割引いたから大変だ。それが為高利が嵩んで、進退谷まり、到頭彼は私の前に叩頭してしまった。全く私にとっては青天の霹靂であったので、止むなく一時逃れとして銀行に頼んで小切手の支払全部を拒絶したから、怒ったのはアイス連中だ。忽ち前記の如く差押え手段をとると共に、私に対して詐欺の告訴を提起したので、私は検事局へ喚び出されて散々油を絞られたのである。そこで数人の高利貸に泣きついて、漸く約三分の二の八万円でケリが附き、半額現金、半額月賦という事になったが、これからがそれを払う苦しみが始ったのである。
その事件の為約束の結婚も不可能なので、ありのまま打ちまけた処、先方は普通なら秘密にすべき事柄を、正直に言うとは珍らしい、立派な人だと反って賞められ、反対に是非実行してくれと言われたので、私も世の中というものは妙なものだと思った事で、今でも覚えている。この痛手の為営業も窮屈となり、店を株式会社に改め、一時は小康を得たが、忘れもしない、アノ翌九年三月の経済界のパニックである。商品下落、貸倒れ等、これが第二の打撃となったが、それにも増して今度は彼の大正十二年九月一日の関東大震災である。当時京橋にあった店も商品も丸焼け、貸金全部貸倒れと来たので、一時は駄目かと思ったが、どうやら営業だけは続ける事が出来たには出来たが、そんなこんなで私は金儲けがつくづく嫌になり、生きる道を宗教に求めたのである。そこで色々の宗教を漁ってみたがこれはと思うようなものはない。その中で一番心を惹かれたのが彼の大本教で、早速入信した。これからの事は以前書いたから省いて、借金の方だけ書いてみるが、何しろ以上のようなわけで、金儲けを止めた以上借金返済は不可能となったので、アイス族共代る代る差押えに来た。何しろ信仰的病気治しの御礼位では知れたものだから、そこで、生活費を極度に切詰め、最低生活で辛抱し、少しずつは返したが、中々思うようにはゆかなかった。そうこうする内、幸いにも段々発展し、収入も大分増えたので、漸く借金残らず返し切ったのが昭和十六年であった。数えてみると丁度二十二年間借金で苦しんだわけだから、それまでは重い荷物を背負わされていたのが急に軽くなり、セイセイした訳である。
玆で特に言いたい事は、借金の抜けない内こそ、寝ても醒めても金が欲しい欲しいで心は一杯だったが、信仰が深くなるにつれて金は神様が下さるものとの訳も分り、然も全部返済ずみになったので気持も悠々となった。処が、皮肉にもそれから思いもつかない程金が入るようになり、年々増える一方なので、つくづく思われた事は、金という奴、欲しい欲しいと思う間は来ないもので、忘れてしまった頃入るのである。つまり、私の二十数年間の経験によって得たのが、この借金哲学である。宗教家の私がこんな事を書くのも変だと思うかも知れないが、これも何かの参考になると思うから書いた次第である。
これは金に関した事ですが、やはり一切がそうなのです。病気治しでも、〝是非治したい〟とあんまり思うとかえって治りが悪いようなものです。それからあんまり〝助かりたい〟と思うと、かえって反対の結果になるようなもので、やっぱり何時も言うとおり執着が邪魔するわけです。
この前にも〝結核を治すには肩をやるのが一番だ〟という事を言いましたが、これは結核ばかりではなく、心臓病なども必ず左の肩が凝ってます。ですから心臓病はやっぱり肩の病です。この肩の固まりが少しずつ溶けて下に垂れて行って心臓の附近に固まって圧迫するのです。ですから心臓病は肩を主に浄霊すればよいのです。それから胃病の人は必ず肩が張ってますから、それを浄霊すると食慾が増すという事はそういうわけなのです。ただ肩に関係のないのは中風だけです。これはむしろ肩の柔らかい人が多いのです。というのは肩の柔らかい人は健康ですが、中風というのは健康な人ほど起こるのです。弱っている人には起こらないものです。結核で痩せた人というのは決して中風は起こるものではないので、中風というのは、かっぷくのよい脂ぎった血色のよい人に起こるものです。その代り中風の人は頸の廻りに必ず固まりがあります。それは右か左です。それから後頭部ですが、これも右か左にあります。つまり毒素が下に行くべきが、上に行って其処に固まってしまうのです。これはその人の職業的の体の使い方によって其処に固まるのです。そうしてこれが急に溶けて来て頭の中にはいるのが脳溢血です。そうして右が凝っている人は左の手足がブラブラになるのです。中風だけは肩でなく、今言う頸の固まりです。そういう人はごく少ないので、一番多いのは結核、肺、心臓病、胃腸、それから今流行っている赤痢です。赤痢は何時も言うとおり後頭部の毒血が溶けて肛門から出るというものです。ですから大抵な病人は、まず一番最初首を下げさせて頭の中心を浄霊するのがよいです。この奥の方です。此処が人間の一番の中心ですから、この真中が体全体に影響するのです。此処を浄めて、それから肩ですが、肩は前から其処を狙ってやり、それから後から其処を狙ってやるのです。それから着物の上からでもちょっと触って、ごく凝っている人は肩の上からやるのです。そうして肩を柔らかくすると頸の周りの固まりもずっと溶けますし、又溶かしよくなります。それから手足の工合の悪いのもやっぱり肩です。ですから足が工合が悪いという人は、肩をやると足の工合がよくなってしまいます。それから頭は、前頭部と後頭部とは違うのです。後頭部は赤痢か痔で毒素が出る順序ですが、ここで心得ておかなければならない事は、肩をやりますと胸が悪くなる事があります。胸がむかつくとか軽い嘔吐感があります。これは溶けたのが胃に集まって来るのです。そこで今度は其処を浄霊するのです。浄霊しなくても下がりますが、そうするとお腹が痛くなります。ですから肩とか頸をやりますが、それが溶けると胸がむかつく事と、その次にお腹が痛くなる事があります。それを知っておかなければなりません。頸が悪いというのにお腹が痛いというのはどういう訳かという事を聞かれるが、それは溶けたものがお腹に下がって下痢になって出るのです。男の方はそうですが、婦人の方は下痢でなく前の方から出る事があります。コシケとか、あとは皮膚の粘膜から出るのです。その場合にはピリピリするとか痒いという感じがあります。男は下痢一方です。そういうように心得ていると大体間違いなくゆくわけです。それが普通ですが、人によると腰に溜まる場合があります。これは腎臓ですが、薬毒は最初腎臓に集まって、腎臓が薬毒を処理する所です。ところが僅かしか出ないで、それが肩に行って固まるのです。それで肩に行って固まる時と、それが腰に行って固まる事があります。それはその人の職業によるので、手を使ったり根をつめたりすると肩に固まるのです。それから農業をする人は非常に腰を屈折したり、坐る仕事でも腰に力を入れる人は腰に集まります。そして腰に集まったものが少しずつ溶けて足に流れて行き、そこで足が悪くなるというわけです。脚気というのはそういうわけです。それからよく足が吊るとか、痺れるとか、だるいとか、膝がガクガクするとか、凡て足に関係したのは、一旦腰に集まったものが足に流れて行くのです。ですから足に関係したのは、まず腰の中心、尾骶骨を狙って背面から浄霊するのです。そうすると足をやらなくても足がずっと軽くなります。それからこのことが息切れに関係するのです。というのは腰から足が悪い人は、歩いたり坂でも上ると非常に骨が折れるのです。軽くゆかないのです。その軽くゆかないのが息切れになるのです。とに角心臓を大いに骨折るために、その力が心臓に影響するわけです。そのために息切れがするのです。この息切れという事は肺ですが、肺の呼吸が頻繁になる事です。というのは心臓は火で肺は水ですから、心臓が骨が折れると、心臓の火、熱が、肺を活動させる力が薄くなるので、肺の活動が悪くなるのです。そういう理窟になります。こういう事もお医者の方では全然分りません。ただ部分々々で研究の結果を発表するに過ぎないのですから実に幼稚なものです。今話をしたのはごく大づかみの大体の事ですが、それが分っていれば、他の事はそれによって解釈すれば、元が分るから浄霊の場合でも非常にやりよいわけです。
何事もそうですが、まず急所です。浄霊の場合でも急所を発見する事です。急所を発見するという事は、今言ったような事を大体知っていると急所が非常に分りやすいわけです。自分で自分の健康診断をする場合にも、体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、触ってみてずっと冷たければよいですが、何処かに熱がありますから、其処が急所です。それから押してみて必ず痛い所があります。人によってはまるっきり痛くない人がありますが、これは何かというと毒が無くて痛くない人はまずないでしょうが、毒が固まりきって少しも浄化が起こってないのです。それで痛いという事は固まりに幾らか浄化が起こっているから痛むのですが、浄化が全然起こってないと痛まないのです。ですからこういうのはかえって危ぶないのです。そういうのはかえって信仰にはいると、痛みのない人が痛みが出て来ますが、これは其処だけが活動を始めたのです。しかしそういう人はごく少ないので、大抵な人は何処か痛いのです。そういう所を自分で浄霊するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります。それで自分で浄霊するにも一番は肩ですが、肩で固い所がありますから其処をやればよいのです。そうしてごく小さい固まりがある事がありますが、それを浄霊するには、指から霊を出すのです。これは何時も言うとおり触ってはいけません。二本の指でこうやって、中指から霊を出すようにするとよいです。この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。そういうようで何でも急所です。ところがこの急所を外れている事が多いのです。これは病気ばかりではないので、日常の事の話や、いろんな事、又宣伝の工合でも、人が〝信仰にはいろうか、どうしようか〟と迷っている時に急所をピタッと言えば、〝では、はいろう〟という事になりますが、その急所を見付けるのがなかなか難かしいのです。しかしその人の智慧正覚が進むと、急所の発見が早くなります。どんな事でもその急所をやる事です。それから急所が見付からない時に、あせってやってはいけません。それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。ですから不断心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見付かるものです。ですから病気でも、どうも熱が冷めないという時に、ちょっと急所に来ると冷める事があります。これはあなた方でも経験する事があるでしょうが、急所を発見するという事が、人間人生の最大の条件です。ですから今の政治、経済、外交という事も急所を外れているために、随分間抜けな事をやっているわけです。私はよく新聞ラジオで聞いてますが、政治家が大勢で毎日いろんな事を会議したりしてますが、急所を外れてます。とに角偉い人達が大勢寄って相談してますが、急所の他の事を相談しているのです。ですからよい案が出ないのです。というのは頭が悪いわけではないので、頭は良いのですがただその頭も外側が良いのです。中身が悪いので、外側ばかりをいろいろ論議して、中身を論議する人はないのです。やっぱり
のポチが分らないのです。ですから人間は急所の発見ができるような頭を作る事です。信仰もその修業です。救世教というものは
ですから、今まではみんなこれが分らなかったのを、これを分りこれを主にして救うという事が根本なのですから、そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりすると素晴らしいものです。これはなかなか難かしいですが、せめて急所に近い所が直ぐ分るようになれば結構です。
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