八月五日

 終戦後封建性(封建制?)が壊れて、今は自由主義になったと言って大変結構としていますが、誰も気がつかないところに非常な不自由主義があります。そしてこれは解決不可能として誰も関心を持たないのですが、それも無理はないのです。人間はできるだけ自由主義ならよいですが、絶対できない自由主義だから諦らめているよりしようがないのです。ところが私はその自由主義はかえって今の社会的、政治的のそういう自由主義よりもずっと楽に解決できるというわけなのです。それは何かと言いますと、健康自由主義です。今は健康に対する自由がないのです。それを書いてみました。これ読んでみると、なるほどと思うのです。それで救世教の有難い事はこの点に大いにあります。ところがそう言われてみないとちょっと気がつきません。

 「医学革命の書」の本ですが、前に「医学の革命書」と言いましたが、これを「医学革命の書」とします。その中に入れるものです。ですからちょっと分りきったような説明も書いてありますが、そのつもりで聞いてもらいたいと思います。

 御論文 医学革命の書〔健康の自由主義〕

健康の自由主義

(『医学革命の書』より)

 病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、(これ)を逆の意味に解し、浄化停止を以て治病の方法としたのが医学の考え方であった。そうして(この)停止手段としては、身体を弱らすに限るから、薬と称する毒を用いたのである。従って毒の強い程よく効く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前に迄毒を強める事に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならない。その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。以下(この)意味をかいてみよう。

 誰でも病気発生するや、(これ)は自然の浄化作用であるから、苦痛は割合強く共、その(まま)放っておけば順調に浄化は行われ、速く治るのである。(ところ)がその理に盲目である為早速医師に診て(もら)うが、医師も勿論同様盲目であるから、専心浄化を()めようとするので、(ここ)に自然治癒との衝突が起る。即ち浄化とその停止との摩擦である。その為浄化は頓挫(とんざ)し、一進一退の経過を辿(たど)る事になり、衰弱死に至るのである。それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記の如く生命を保ちつつ、浄化を(おさ)える事が出来るようになった。というのは前記の如く強い薬が使えるようになったからで、或期間寿命を延ばせるのである。(しか)し無論全治ではないから、時が経てば(ふたた)び発病する。(この)様にして人間は漸次(ぜんじ)弱って来たのである。故に医学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干(じゃっかん)生命延長の進歩である。(この)最もいい例としては借金である。元利合計請求された場合、一時に払おうとすれば破産するから、月賦にして気長に払う事にする。そうすれば第一楽であり、(しばら)くでも破産を免れられると同様の意味である。

 右の如く医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩でしかないのである。(しか)(これ)で一時なりとも寿命は延びるが、病の方はそのまま固って(しま)い、真の健康とはならない以上、溌剌(はつらつ)たる元気などはない。(この)際医師は()う言うのである。何しろ貴方(あなた)(からだ)はヒビが入ったようなものだから、余程大切にしないといけない、軽はずみをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもので、その日を送る事になる。私は(この)種の人を消極的健康人というが、今日()ういう人は益々増えるばかりである。(この)例として高度の文明国程そうであるのは、()の英仏などを見ても分る通り、近来(この)両国民の元気のない事(はなは)だしく、我国とは反対に人口増加率低下に弱っているのみか、国民は安易を求めるに一生懸命で、国家の前途などは二の次にしている。()んな訳で両国の国威はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、()もすれば離れようとする現状である。(また)国際的正義感にしても麻痺(まひ)状態で、彼の中共の中国、南鮮侵略に対しても、(ただ)指を(くわ)えて観ているばかりか、英国などは逸早(いちはや)く承認を与え、アメリカを吃驚させた(くらい)である。その後も()()()(てき)にアメリカに追随しているにすぎない有様である。(しか)も同国が戦勝国であり(なが)ら、 戦敗国日本よりも食料不足に悩んでいるのもその現われで、全く気の毒なものである。 仏蘭西(フランス)にしても()(どう)(よう)人民の闘志などは全然なく、アメリカが如何に気を()んでも何等の手応えなく、(ただ)その日その日を無事安穏(あんのん)に過ごす事と、享楽に(ふけ)る事のみ考えているようだ。以上によってみても、昔英国が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べたら、(まこと)に感慨無量というべきである。(この)原因こそ全く恐るべき医学の進歩にある以上、日本も(いん)(かん)遠からず油断は出来ない。

 次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増える一方で、悲鳴を上げている状態である。(これ)に気付かない限り、何れは英仏の後を追うのは必然であろう。私が先頃『アメリカを救う』の書を発刊したのも(この)事を憂慮(ゆうりょ)したに外ならないと共に、日本にもお次の番が廻って来ないと誰か言い得よう。そうして右は大局的に見た医学なるものの実体であるが、(これ)を個人的に見ると(なお)(さら)よく分る。周知の如く今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立てているが、(これ)は日本ばかりではない。世界の文明各国は大同小異はあるが、(いず)れも同様である。今それに()てザッとかいてみるが、何しろ現代人の健康の低下と来ては(まこと)に酷いもので、その為当局の社会衛生上の注意も、益々微に入り細に渉り、(はん)に堪えない(くらい)である。ヤレ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食するな、栄養を()れ、防毒に注意せよ等々、全く(こわ)れ物扱いである。(あまつさ)え病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべからず、ヤレ手を洗え、含嗽(うがい)をしろ、消毒をせよ、マスクを掛けろ、濁った空気を吸うな等々、その窮屈さは生きているさえ嫌になる(くらい)である。(これ)が文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪いたい(くらい)である。

 それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。(いわ)く食いたい物を、食いたい時に、食いたいだけ食い、寝たい時に寝、働きたいだけ働き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思わない。というように人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支えない限りは、自由無碍、明朗闊達、何等不安ない日常を送っている。恐らく人生(これ)程の幸福はあるまい。(これ)を称して私は健康の自由主義というのである。今日(しき)りに唱えられている自由主義などとは、比較にならない程の幸福さであろう。

 では右を実行した結果はどうであるかというと、(これ)(また)大したものだ。私初め信者数十万人(ことごと)くそうしているが、結果は一般人よりも()病率の少ない事は十分の一にも足りない(くらい)であるから、病気の不安など全然ないと言っていい。その根本理由こそ今日の医学衛生の考え方は逆であるから、その(また)逆にすれば真の健康法となる訳である。以上によって医学の無智が如何に人間の自由を束縛し、無益な労力と余計な金を使わせ、生産をマイナスにし、(しか)(あら)ゆる不幸の原因を作っているかという事である。以上の如くであるとすれば、今日(これ)(ほど)重大問題はあるまい。(また)宗教に()いても一言(いちごん)言いたい事は、宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命(あんじんりゅうめい)を得させるにある以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。私は(これ)に対しても(あえ)て考慮を求める次第である。

 今読んだようなわけで、今の人間が安心して生活できないという事は、何時病気にかかるか分らない、風邪を引いたら大変だ、食い過ぎるとお腹をこわすとか。ともすれば、頭が痛んだり、目がクシャクシャしたり、ヤレ神経痛が起こるとか、どうも体が重いとか、腰がフラフラするとか、何かしらで年中無事息災だという人は殆んどありません。又それだから一生懸命に医学衛生をやるのです。うっかりすると伝染病になるかも分らない、何時赤痢が起こったり、日本脳炎が起こるかも分らない。子供などはうっかりすると寝冷えするとか、アイスキャンデーを食ったので腹を下すとか、ヤレ生水を飲むなとか、親の子供に対する心配は病気だけです。これが年中ピンピンしていれば、子供などは放り出しておいても育つのです。ところがそれではいけないと、頻りに政府始めお医者さんが注意するのですから、今の人間くらい年中ビクビクして生きているものはないと思います。ですから今の人間が一番心配な事は病気なのです。つまり主治医とか言って、今までは少し裕福な人はお医者さんとは親類みたいになってます。現に私が昔はそうだったのです。人間は何時なんどき病気が起こるか分らないから、夜中でも電話一つで飛んで来るようなお医者と懇意にしておかなければいけないというので、親戚みたいにしていたのです。今の家内の仲人はそのお医者さんなのです。ですからそういうような人間が沢山あるという事は、私の経験から言っても当り前なのです。そのくらい医学を信じさせられ、病気を怖がらせるという教育を叩き込まれてますから、みんなそうなってます。ですから他の事はどんなに安心ができても、このために人間が心配し苦しんでいる事は大変なものだろうと思います。ですから、この事から解放されるという事が幸福のまず第一番のものを握ったわけです。これは別に言う必要はないくらいですが、救世教の信者になると、その点が実によいわけです。反対の考えですから。このノンビリした気持というものこそ本当の自由です。ですから丁度自由主義が生まれ又自由主義が有難いというのは、つまり封建的の政治でいろいろな理窟を上からやられて、そうして苦しんでいた者が、(民主主義ですから国民の方が主人だという事で国民の自由を得て)、非常に恵まれたわけです。ところがそれはそれとしても、今の人は健康の方で何時もおどかされて、そうしてアレを食ってはいけない、これをしてはいけない、あれがどうだと、ビクビクしているわけです。そうしてみると、これは封建制度よりも、むしろ恐ろしいわけです。ところがそれを解放されるとしたら、こんな結構な事はありません。そこで健康の自由主義という事を書いたわけです。けれどもこれはそう言われればなるほどそうだと思いますが、世間一般の人は〝そんなうまい事ができるわけはない〟と、病気は怖いものではない、病気は浄化作用だから結構だという事は知らないし、又信じないから、大変な医学封建に苦しめられているわけですから、大いに健康の自由主義を世の中の人に知らせなければいけないと思っているのです。

 それから先に話をしようと思っていた事ですが、昭和二十二年八月に私のやる仕事が宗教法人になったのですから、この八月で丁度満六年目になるわけです。六年間でこれだけの仕事が出来た、と言うよりか、これだけの規模になった事ですが、私が自分でやっていながら、振りかえってみると驚きます。というのは、六年間としても、無事で来たわけではないので、いろんな事があったのです。これはみんな知っているとおり、ヤレ脱税問題とか、三年前の静岡の事件では私なども二十二日間暗い所に入れられて、散々苦しみましたが、そのための世間から迫害せられて警戒せられたその打撃というものは非常に大きなものです。この打撃は少なくとも半年や一年では、拭ききれないくらいなものです。そういう事や、又その間にいろいろと新聞などでいろんなデマを書かれました。それからもう一つ大きな事は、私が疥癬になった事です。二十二年から約一年くらいの間というものは、寝たり起きたりでした。全く半年ぐらいは寝たきりだったのですから、何もできなかったのです。勿論信者の面会などもできませんでした。とに角正味一年くらいは何も活動はできなかったわけです。だから六年としても、一年は駄目として正味は五年くらい働いたわけです。それでこのくらい発展したのです。無論私がやっているのではないので、神様がやっているのですが、この神様の力たるや実に驚くべきものだと思ってます。ですからこれから先五年も過ぎたらどんなになるか見当もつかないと思います。おまけに今度は日本ばかりでなくハワイやアメリカと行きます。樋口さんは今月アメリカに行く事になってますが、ハワイのことは、この次の栄光に出ますが、素晴らしい発展です。とに角相当広い所の支部もできました、向うで宗教法人というような許可も、もうじき下りるらしいのです。そういうようで、とに角ハワイの発展ぶりというのは大変なものです。だからアメリカの方の発展は、国が大きいだけに一層素晴らしいと思います。日本は無論の事ですが、これからはつまり鼠算式にゆきます。たとえば十のものが倍になれば二十で、十増えただけですが、百のものが倍になれば百増えた事になるわけですから、大きくなり出す(いきお)いというものは大変なものです。又そうならなければならないし、神様はそういう予定ですから別に不思議はありませんが、余程腹を大きくしてないと面くらうようになると思います。だから何時も言うとおり、小乗ではいけない大乗でなければいけないと言うのは、腹を大きくするという事です。ですから凡て、物事の解釈にも、全体的に、一番大きな見地から判断してゆくという事が間違いないです。まあ一種の全体主義です。全体的と言うと、世界的という意味です。そういうようで、規模はだんだん大いに大きくなるのです。それには一番の武器は浄霊ですから、そこで病気を治すという事が根本ですから、そのつもりで、だんだん病気についての知識……と言っても、これは医学的でなく、神様の方の病気に対する知識というものを豊富にしなければいけません。何時も言うとおり、急所を見付けるという事は、やはり知識が豊富でないと見当がつかないわけです。ですから病気(ヽヽ)()対する(ヽヽヽ)研究会(ヽヽヽ)とか座談会(ヽヽヽ)というものもやると結構だと思います。それから又病気に関しての分らない事は、書面(ヽヽ)でも(ヽヽ)よい(ヽヽ)です(ヽヽ)から(ヽヽ)聞く(ヽヽ)よう(ヽヽ)()する事です。というのはつまり本当の医学、霊的医学、新しい医学をつくるようにしなければいけないと思います。それは医学と違って、そう解剖学的に知らせなくてもよいのです。勿論、ただ霊的ばかりでも、治るには治るが暇がかかるわけです。同じ浄霊するにもピタッと急所に見当がつけばずっと早く治ります。それを、見当はずれなどをやっていると非常に暇がかかるわけです。だから霊的と体的の両方の事をよく知った方がよいです。時々質問などで、分りきったような事を質問する人があります。この間の質問事項などは、何処の支部長でも分るような事を質問したりしてました。そういうのは〝支部長に聞け〟という返事をしました。それから又御神書に幾つも書いてある事などを質問するのがあります。それから又あんまり分りきった事、つまり一年生の生徒が質問するような事を質問するのですから、如何に病気に対する頭が貧困かという事が分ります。ですから教師(ヽヽ)など(ヽヽ)()病気(ヽヽ)()対する(ヽヽヽ)知識(ヽヽ)()できるだけ(ヽヽヽヽヽ)磨く(ヽヽ)よう(ヽヽ)にしなければいけないと思います。それで今書いている「医学革命の書」は心血をそそいで書いているので暇がかかりますが、これは将来世界的の聖書みたいにするつもりです。つまり医学の革命という事を、現代のどんな人が見ても〝なるほど〟と思わざるを得ないように徹底的に書こうと思ってます。いろいろな角度から見た批判をしてます。その序文と現代医学論という題のが大体これで出来たので読ませます。

 御論文 医学革命の書〔序文〕 

序文

(『医学革命の書』より)

 (およ)そ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であろう。他の(あら)ゆる条件が具備しても(これ)が得られないとしたら、何等(なんら)意味をなさないのは今更(いまさら)言う(まで)もない。従って人間生の執着(ほど)強いものはなく、(この)執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるが為、今日迄(こんにちまで)(あきら)めていたに過ぎないのであって、(もし)(この)解決可能な方法が発見されたとしたら、(これ)こそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。(ところ)が喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。即ち(すべ)ての病気は(いや)され、天寿を全うし得るという実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、(この)医術が(あまね)く世界に知れ渡るに(おい)ては、既成(きせい)医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界は(ここ)に実現するのである。そうして()ず現在に到る(まで)の医学の歴史からかいてみるが、抑々(そもそも)今日の医学なるものは、知らるる如く西暦紀元前、彼の有名な医聖ヒポクラテスによって創められ、その後欧羅巴(ヨーロッパ)(おい)ては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現われ、東洋に(おい)ては古代から神儒仏の信仰による(いや)しの業をはじめ、(えき)(せん)(きん)(えん)等の外、支那(しな)漢時代に到って漢方医術が生まれ、支那全土は(もと)より、特に(さか)んに採入れられたのが我日本である。西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学の如く漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。

 (ところ)が十八世紀後半に到って、俄然擡頭(たいとう)したのが科学である。(これ)が素晴しい勢を以て欧羅巴(ヨーロッパ)全土は(もと)より、世界各地に拡がり、(つい)に今日の如き科学万能時代が現出したのである。それというのも(あら)ゆるものが科学によって解決され、それ(まで)不可能とされていた(あら)ゆるものが可能となる等々、(つい)絢爛(けんらん)たる近代文明が確立されたのである。従って(この)恩恵に浴した人類は、科学を以て無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。特に医学を以て科学中の最も重要な部門として扱われた結果、人間生命の鍵をも握って(しま)った事は、恰度(ちょうど)宗教信者が神に対する尊信帰依と同様で、他を(かえ)りみる事さえ異端視せられるというようになり、世は滔々(とうとう)として科学信仰時代となったのは知る通りである。

 (これ)によって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩一歩増進されるかに見えるが、一度(ひとたび)冷静な眼を以てその内容を検討する時、(これ)(また)意外にも進歩(どころ)か、反って逆コースの道を盲目的に進んでいる有様であって、その(めい)(もう)なるいうべき言葉はないのである。何よりも事実がよく示している。それは病気の種類は年々増え、罹病率(りびょうりつ)も減る(どころ)か、益々増える一方である。その結果人間は常時病の不安に(おび)え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々(せいぜい)で、それ以上は不可能とされている。上代の文献にある如き、百歳以上などは昔の夢でしかない事になって(しま)った。勿論(もちろん)百歳以下で死ぬのは(ことごと)く病の為であるから、言わば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。というように人間の健康は極めて低下したにも(かか)わらず、それに気付かず、(つい)に病と寿命のみは宿命的のものとして(あきら)めて(しま)ったのである。(しか)もそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それは()う説いている。即ち死は不可抗力のものであるから、その(あきら)めが真の悟りとして(おし)えたのである。彼の釈尊(しゃくそん)が唱えた生病(しょうびょう)老死(ろうし)の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであろう。

 そのような訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けて(しま)う程に信頼しきったのである。(ところ)(これ)こそ驚くべき(めい)(もう)である事を、私は神示によって知り得たのである。というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、(つい)に死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と(あわ)せて、(あら)ゆる病を治す力をも与えられたのであるから、(これ)によって(あまね)く人類を救えとの神の大命であって、今日(まで)不可能と(あきら)めていた夢が、現実となって(この)地上に現われたのである。現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何等(なんら)疑う(ところ)はあるまい。万一疑念のある人は、遠慮なく来って検討されん事である。

 以上の如く(この)驚異的新医術の出現こそ、今日(まで)の如何なる発明発見と(いえど)比肩(ひけん)する事は不可能であろう。何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であろう。(これ)が世界に知れ渡るに(おい)ては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を()るよりも明かである。最近の大発見として世界に衝撃を与えた彼の原子科学にしても、(これ)に比べたら問題にはなるまい。私は叫ぶ、最早(もはや)人類最大の悩みである病は(ここ)に完全に解決されたのである。故に(この)著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、(これ)を信ぜず躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)、何だ()んだといって見過す人は、折角(せっかく)天の与えた幸福のチャンスを自ら逃して(しま)い、何れは(ほぞ)を噛む時の来るのは、断言して(はばか)らないのである。

 御論文 医学革命の書〔現代医学論〕

現代医学論

(『医学革命の書』より)

 (この)著を編纂(へんさん)するに当って、私は非常な決心をした。というのは医学なるものの実体を、ありのまま発表するとしたら、何人も驚嘆せずには居れないからである。(これ)程進歩したと思い、世界万民が謳歌(おうか)し、信頼している現代医学に対し、私は真向(まっこう)から鉄槌(てっつい)を下すのであるから、人類救済の為とは言い(なが)ら、(まこと)に忍び難いものがある。(しか)(なが)ら神は万人の生命を救うべく、私をしてその大任に当らせた以上、私と(いえど)も絶対者の命に従わざるを得ないと共に、現在病魔の為に地獄の苦しみに呻吟(しんぎん)しつつある人類社会を見る時、その原因が医学の誤謬(ごびゅう)にある以上、到底(とうてい)晏如(あんじょ)たるを得ないのである。(ゆえ)()し現在のままの(めい)(もう)を続けるとしたら、人類の将来は果して如何(いか)になりゆくや、思うさえ慄然(りつぜん)とするのである。

 そうして(これ)をかくに当っては、先ずその根本から明らかにせねばならないが、それには()ず現代人の科学至上(しじょう)観念である。序論にもある通り科学さえ進歩させれば、何事も解決されるとする科学過信の思想であって、その為事実よりも学理の方を重視し、如何なる発見創造と(いえど)も、既成(きせい)学理に合わない限り拒否して取上げないとする偏見であって、(これ)が文化的と思っているのであるから困ったものであるが、(むし)ろ之こそ文化の反逆でしかない。何となれば文化の進歩とは、定型的学理を打破し得る程の価値あるものが発見されたとしたら、躊躇(ちゅうちょ)なくそれを取上げる、(ここ)に文化の進歩があるのである。(ところ)がそれを頭から否認するという丁髷(ちょんまげ)思想であって、この代表ともいうべきものが現代医学であるから、偏見を通り越して科学にはない(はず)の新しい封建である。という訳で(この)著を読んでも、余りの意想外な説に容易に信ずる事は出来まいと思うが、(しか)し事実が何よりの証拠である。それは今日の如く医学が進歩したに(かか)わらず、至る所病人の氾濫(はんらん)である。ヤレ病院が足りない、ベッドが足りないとの悲鳴は常に聞く(ところ)で、現代人残らずといいたい程何等(なんら)かの病気を()っており、真の健康者は(ほと)んど皆無といってもよかろう。(これ)()にみても分る如く、()し現代医学が真の進歩であるとしたら、病気の種類も病人の数も年々減ってゆき、病院は閉鎖の止むなきに至り、医事関係者の(ことごと)くは失業者とならねばならない(はず)であるにも(かか)わらず事実はその反対であるとしたら、(ここ)に疑問が生ずべきだが、一向そういう気振(けぶり)はみえない(ところ)か、益々迷路を驀進(ばくしん)している有様で、その危うさは到底(とうてい)観ては居れないのである。従って私は(これ)から徹底的に説くと共に、事実の裏付をも添えてある以上、如何なる人でも(ほん)(ぜん)として目覚めない訳にはゆかないであろう。

 そうして現代人の病気を恐れるの(はなは)だしく、一度病に(かか)るや早速医師の診療を受ける。(ところ)(これ)(また)意想外であって、治るようにみえてもそれは(ある)期間だけの事で、根治とはならない。その(ほと)んどは慢性か再発かのどちらかである。(これ)を常に見る医師は気が付きそうなものだが、そうでないのは(これ)も迷信の為である。そこで見込通り治らない場合、仕方なしに他の医師に助勢を頼むか、他の病院へ行けと勧める。勿論入院すれば多くは手術を伴うから臓器は除去され、その病気は起らないとしても、必ず他の病気に転化するのは医師も常に経験する(ところ)であろう。右は最も普通の経過であるが、中には医師に確信がないまま入院や手術を勧めるので言う通りにするが、確信があってさえ治る事は滅多にないのに、確信がないとしたら駄目に決っている。その結果患者の方から金を出して、モルモットと同様研究材料にされる事も屢々(しばしば)あるが、殆んどは泣寝入りである。

 (ところ)が手術も受け、(あら)ゆる医療を続けつつも治らないのみか、益々悪化し、金は(つか)い果し、二進も三進もゆかなくなり、果ては自殺を図る者さえ往々あるのは、よく新聞に出ているが、そこ迄ゆかないまでも病気が原因となって、色々な(いま)わしい問題を惹起(じゃっき)するのは衆知の通りである。今日(あら)ゆる悲劇の原因を調べてみれば、そこに必ず病ありで、昔から犯罪の陰に女ありを、私は悲劇の陰に病ありと言いたい位である。それに引換え我浄霊医術によれば、如何なる重難症でも短期間に、(しか)(わず)かの費用で快癒(かいゆ)するので、(これ)を医療と比べたら雲泥の相違であるのは、全く真理に叶っているからである。(ここ)(おい)て如何なる無神論者と(いえど)も、今迄の不明を覚り早速入信、文字通りの安心立命を得るのである。

 次に知らねばならない事は、一体人間なるものは何が為に生まれ、誰が造ったかという事である。(これ)こそ昔から誰もが最も知りたいと思っている問題であろう。勿論(もちろん)人間なるものは科学者が作ったものでもなく、造物主即ち神が造ったものに違いないのは、極端な唯物主義者でない限り、否定する者はあるまい。というのは人間は神の(おん)目的たる理想世界を造るべく生まれたものであるから、生きている限り健康で活動出来るのが本来である。(しか)るに何ぞや、病気に(かか)るという事は異変であって、其処(そこ)に何等か真理に外れている点があるからで、(この)点に気付き是正(ぜせい)すれば治るのが当然である。(ところ)(これ)に盲目なるが為、全然無関係である科学に持ってゆくので、治らないのが必然であって、肝腎な造り主を忘れているからである。

 そうして今日迄(こんにちまで)の病理は、大体左の如くである。即ち漢方医学に(おい)ては、五臓の疲れ(また)は不調和の為であるとし、西洋医学に(おい)ては黴菌(ばいきん)感染によるとしている。(この)どちらも(まこと)浅薄(せんぱく)極まるものであって、(いささ)かも根本に触れていない迷論である。(しか)も後者は機械的ではあるが、科学的ではないといったら何人も驚くであろうが、それは事実が語っている。今日医師は患者から()かれた場合、病理も病原も見込も、科学的に説明が出来ないのは医師も認めているであろう。つまり病気の真因が分っていないからである。そうして医学に()ける誤謬(ごびゅう)の根本は、何といっても病気苦痛の解釈である。即ち医学は苦痛そのものを以て人体を毀損(きそん)し、健康を破り、生命を脅すものとしており、苦痛さえ()れば病は治るものと解している。(この)考え方こそ大変な誤謬(ごびゅう)であって、今それを詳しくかいてみよう。

 抑々(そもそも)病の真の原因とは、体内にあってはならない毒素が溜り固結し、それが或程度を越ゆるや、生理的に自然排除作用が起る。(これ)を吾々の方では浄化作用というが、浄化作用には苦痛が伴うので、(この)苦痛を称して病気というのである。故に病気とは体内清浄作用の過程であるから、之によって人体は浄血され、健康は維持されるのであるから、病こそ実は唯一の健康作用で、大いに歓迎すべきもので、(これ)が真理である以上、(この)著を読めば必ず納得される(はず)である。(ところ)が何時の頃どう間違えたものか、(これ)を逆に解釈して出来たのが医学であるから、(この)逆理医学が如何に進歩したとて有害無益以外の何物でもないのである。

 右の如く医学は病気即苦痛と思う結果、苦痛解消には浄化停止より外にないので、(この)考え方によって進歩発達したのが現在の医療である。そうして浄化作用なるものは、人間が健康であればある程起るのが原則であるから、(これ)を停止するには健康を弱める事である。そこで弱らす手段として考え出したのが毒を()ませる事で、それが薬であるから、薬とは勿論(もちろん)(ことごと)く毒である。即ち毒を以て浄化を停止し溶けかかった毒素を元通り固めるので、固まっただけは苦痛が減るからそれを治ると錯覚したのであるから、世に(これ)程の無智はあるまい。従って医療とは単なる苦痛緩和法であって、決して治すものではなく(むし)ろ治さない方法である。故に医師も治るとは言わない、固めるというにみても明らかである。

 右の理によって病を本当に治すとしたら、溶けかかった毒素をより溶けるようにし、排除を(すみや)かならしめ、無毒にする事であって、(これ)が真の医術である。(これ)なら再発の(うれ)いも()(びょう)の心配もなくなり、真の健康体となるのである。(ところ)が一層厄介な事は、右の如く毒素排除を止める為の薬が毒素化し、(これ)が病原となるので、つまり病を追加する訳である。(この)証拠として医療を受け(なが)ら、余病といって病が増えるのが何よりの証拠である。本来なら治療をすればする程病気の数は減る(はず)ではないか。それがアベコベとしたら、(これ)程理屈に合わない話はあるまい。知らぬ事とは言い(なが)ら、医学は如何に(めい)(もう)であるかが分るであろう。

 以上の如き逆理によって、毒の強い程薬は効く訳で、()むと中毒する(ぐらい)の薬なら一層効くから、近来の如く注射流行となったのである。又近来続出の新薬も同様、中毒を起さない程度に毒を強めたもので、彼の有名な漢方医(蘭方医?)の泰斗(たいと)杉田(すぎた)玄白(げんぱく)先生は「病に薬を用いるのは、毒を以て毒を制するのだ」と()ったのは(けだ)し至言である。従って熱、咳嗽(せき)()(たん)、鼻汁、汗、下痢、熱尿、各種の出血等、(ことごと)くは排毒作用であり腫物(はれもの)、湿疹、(きず)火傷(やけど)後の化膿等も同様であるから実に結構なものである。故に何病でも何等手当もせず、放っておくだけで順調に浄化作用が行われ、速かに(しか)も確実に治るのである。

 

 

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