この八月で宗教法人になってから丁度満六年になります。その初めの頃の事を考えると、実に想像もつかない発展をしました。その間にも、私は疥癬で丁度半年ぐらいは寝たきりだったのです。非常に重い疥癬でして、ブラブラしていて、信者さんとの面会も約一年くらいはできませんでした。それから二十三年の脱税事件だとか、三年前の静岡事件とかで、暗い所にも二十二日間入れられました。その前後にもいろんな事があって、相当暇をつぶしたり、又精神的にも何も仕事ができなかったり、何だ彼んだと、そういったマイナスの時を合計しても結局一年間は何もできなかったというわけです。加えるに新聞などのいろんなデマとか何だ彼んだの妨害は大変なものでした。ですから本当に活動ができたのは正味四、五年くらいなものです。しかし四、五年の間にこれだけ発展したという事は、無論例はないし、私としてもあんまり予想はしてなかったのです。<神様の事は予想の必要はないからですが>しかしこれほど早く発展するという事は夢想だもしませんでした。全く人間業ではないからこんなになったわけですが、反対からみたら〝アレヨアレヨ〟と言っている間に上の方に上ってしまったというような恰好だろうと思います。勿論奇蹟から奇蹟で、やっている時よりも、ふりかえって見た時の方が奇跡の多いのには驚ろきます。
それについてハワイ、アメリカですが、ハワイは今年の三月から樋口さんと安食さんが行って開拓を始めたのですが、今度はあっちで相当に大きな支部ができて、とてもこっちに報告を出せないくらいに忙がしいのです。又その発展の素晴らしさは、これこそは予想もつかなかったくらいです。そういうわけで、到る所支部とか出張所というものがドシドシ出来てます。あっちで新しく信者になったハワイの人で、夢中で働く人が随分できてきました。だからこの分でゆくと、どれほど発展するか分らないくらいで、又非常に早いのです。いろんな報告を見ると、病気などでもかえって日本よりもよく治ります。よく治ると共に信者になる人も、簡単に信者になります。ではどういう訳でそうかというと、神様は、敢えて特別に力を与えられるわけではないのです。むしろ日本の方が中心ですから、神様は力を与えられるが、ただ日本は邪魔が多過ぎるのです。ハワイは邪魔がないのです。ありのままに受け入れるのです。〝病気が治る、それは大したものだ〟〝医者で治らなかったものが治る、それは素晴らしい〟と、そのまま受け取るからドンドン発展するのです。ところが日本となるとこじれてしまっていて、実にしようがありません。なにしろ新聞雑誌で散々いろんな事を言われて、それに噂が尾鰭をつけて拡がったり育ったりしますから、そのためにみな誤解してしまってますから、救世教でいくら治そうとどんなお蔭があろうと、なかなかそのままは承知しないのです。ですからお蔭話にもそういう事が沢山あります。一旦治って、それなら信じそうなものだが、それが再発したり又新しい病気が出ると、やっぱりお医者の方に行ってしまうのです。だから丁度惚れた女がついているようなものです。どんなに美人でも、どんなに言っても、やっぱり元の惚れた方に行ってしまうのです。そういうようで始末が悪いです。それで散々やって懲りて、やっぱり救世教がよいという事が分るのですが、それまではやっぱりいろいろなややこしい経路をへる人が多いのです。それも信者になる人はよいですが、分らなくてアノ世に行ってしまう人があります。ですからとに角日本のやり難いという事は大変なものです。救世教も最初のうちはハワイと同じように面白いように出来ました。その時分には何にも問題はなかったのです。問題というと、こっちで作ったようだが、こっちには何もないが、先で問題を作ったのです。問題をこしらえていろんな事で悪口を言ったのです。ですからそれからだんだんやり難くくなって来たのです。そういうようなわけで、日本とハワイの違いさは大変なものだと思ってます。それからもう一つは国民性にも大分あります。ハワイはそうでもないでしょうが、アメリカは特にそうだと思います。アメリカにも今月から樋口さんがロスアンジェルスに行く事になってますが、それについて非常に驚く事があります。というのはこういう欠点が大いにあるようです。即ちアメリカの人はアメリカ風と言いますか、そういった気風というものは非常に単純なのです。どんな偉い人でも、日本人みたいに変なこだわりがありません。良ければいいではないか、治ればそれでいいのだという頗る単純です。右か左か早く決まりがつくのです。つまりイエス、ノーの判断が非常にはっきりしているのです。ところが日本人は、そんな新宗教などで病気がそんなに治るという事は変だ、やっぱり精神的にそういう工合にうまい事を言われてウッカリ乗って、それで治るのだという、考えをややこしくもって来るのです。日本にはそういう事があります。そのためにアメリカがあんなに発展したのでしょうが、これは日本ばかりでなく、古い国の一つの非常に悪い癖です。ヨーロッパなどもそれが大いにあります。今度の英国の戴冠式などを映画で見ても、それは何百年前のいろんな形式を尊んで、それを大いに誇りとするような点が見えるのです。尤も伝統的にそういったような誇りをもって国民の忠誠とか植民地の尊敬という事に対しての一つの利用という意味でしょう。その為にかえって進取的な、新しく進むとか進歩するという事が、非常に力が弱くなってしまいます。フランスなどもそうですが、これはフランスに行って来た人によく聞きますが、フランス人はよく次の様に言います。〝アメリカ人というのは、美術とかそういうものはよく分らない、つまりあれは田舎者だ〟と、田舎者視しているのです。つまり古い国というのは伝統を重んじ、伝統にこだわって、どうも進取的の気分が少なくなっているの(いる?)という事がかえって国の発展を妨げているという点があります。ですから日本人などもそういった気分が多分にあるから、病気を治したり新宗教などというと、どうも区別したがるのです。それで古い宗教から離れるという事がとてもできないのです。これは始終ある事ですが、救世教の宣伝をする場合などに、その家族の一人が奇蹟的に病気が治っても、自分の所は先祖代々南無阿弥陀仏だから、それは結構だが、その信仰にはいるという事は自分にはできないとか、自分は何代前から南無妙法蓮華経だから他の新しいものは駄目だと、そういう事が大いにあります。だから日本で発展するには非常な困難があるわけです。つまり理窟どおりにゆかないわけです。ところがこれは簡単に考えると、新宗教でもマジナイでも何んでもよいから、治ればよいのです。治って仕合せになればそれでよいので、他には何もありません。日本人は簡単なようで、進歩的考えが起こり難いのです。そういう人はない事はないが、ごく少ないのです。それについて昨夜これを見たのですが、非常に面白いのです。
これは去年の十月に、ロスアンジェルスの女の人で、やはり病気で治りたいのと、信仰にはいりたいというので手紙が来たのです。それでこっちも、教修を受けさせる事はできないため、手紙と御守と出版物若干を送ってやったのです。その御守をかけて、御神書を読んだりして、大分わかったとみえまして、それから自分の病気が治るし、それから人を浄霊しても治るのです。その結果なかなか面白い事になったのです。
(米国通信 五) 【註 栄光二二三号】
米国通信 五
(栄光二二三号)
それで又面白いのは、樋口さんが今月の四、五日頃ロスアンジェルスに行く予定になってましたから、丁度此処に足がかりができたわけです。神様のやられる事は実に行き届いたものです。つまりこのために此処を根拠として仕事ができるわけです。それが、こっちの信者が行ってそういう工合に準備したわけではなくて、手紙だけで、教修も受けないで、そうしてこれだけの仕事が出来たという事は、実に素晴らしいものだと思ってます。大本教のお筆先に〝神様の事は遅れただけは一度になるぞよ〟という事があります。だからして、やっぱり丁度よい時と、遅れる時も、神様の時期は伸縮自在なのです。これもお筆先に〝何事も遅し早しはあるなれど、これも神様の都合のことじゃ〟という事があります。つまり遅い早い、遅れたり早かったりはあるのです。しかし決まる時期はチャンと決まっているのです。何年何月何日までにこの仕事、次はこうという事は決まっているのです。その間の進んだり遅れたりは幾らかあるわけです。ですからよくその時に考え違いをする事があります。ちょっと後戻りするように見える事がありますが、行く時になるとスーッと早く行くのです。尺進寸退というわけですから、それを心得ていなければいけないわけです。従ってアメリカなども、つまり遅れているに違いないですから、それだけ早いです。ハワイなどでは勿論そうです。私は去年でしたか、アメリカの何処が根拠地になるかという話が出て、ロスアンジェルスだと言ったのですが、その時にはロスアンジェルスには何もなかったが、やっぱりロスアンジェルスになりました。それから又丁度二年くらい前でしたが、ハワイの仕事は樋口さんと決めたのですが、そのときはそのような様子がないのです、つまり神様はそういうような事情をつくってゆきますが、そういう事は少しもないのです。ところが一年以上たってから、いろんな順序がついてきて、やっぱり樋口さんが行くような順序になりました。つまり神様の方はその時に決まったのです。それが一年以上遅れたのです。そこでその取り返しのために早くなるわけです。そういう事をよく見ると実によく分ります。それからもう一つ考えられる事は、これからだんだん世界的に発展するに違いないから、一々先方が日本に来るのも大変ですし、又辺鄙な所に行って教修を受けるという事もなかなか大変ですから、このように手紙で済んでゆくと非常に簡単で楽に発展する事ができるわけです。私はこれが大変面白いだろうと思ってます。その見本としてこの人がこうしたわけです。つまり神様は臨機応変、自由無碍です。これが実によく現われているのです。いろいろなややこしい事も、抜く場合には抜く、それから決めなければならない時には決めるという、自由自在の点が、実に面白いと思います。
それから今日は、日本も昔と違って民主主義になった。民主主義は自由主義で、束縛がなくなった。封建主義が壊れたと言うが、封建的という事は、分りきった話ですが、つまり何事も自由を押さえる、非常に窮屈な、のんびりしないという一つの制度もあるし、仕来もあるし、実に人民の幸福をそれだけ阻害しているわけです。そこでだんだん文明になると、人間は非常に自由を欲するという事は当り前です。ところが、今日の自由主義という事は政治的の自由です。しかし政治以外に自由主義のある事にみんな気がつかないのです。そしてそれは政治の封建よりかもっと恐ろしい封建なのです。それは何かというと健康の自由主義です。今は健康に対する封建です。自由主義はないのです。これに気がつかないのです。ところが気がついてもどうにもならない点があるのです。そこでどうにもならないから、気がつかないというよりか、気をつけ得ないのです。たとえてみれば、ヤレ予防注射をしなければいけないと言うが、これが封建です。いやだと言っても、規則だからやらなければならないと無理に強制的にやりますが、これが健康に対する封建です。それから病気になったら医者にかからなければいけない、衛生上こうしなければいけない、こういう物を食ってはいけない、こういうようにしろ、という事を一々注意したり、半強制的にやっているわけですが、これは立派な封建です。私はその封建を破ろうとしているわけです。それで健康保険にはいらなければいけないというのです。ところがそういう封建をしなければならないようにするという事は、つまり健康を守るべき方法がないからです。又その方法と思っている事が医学であって、その医学がとんでもない間違いだから、そこで間違ったそれを間違っていないと思い込んでしまっている一つの迷妄が根本になって、そういう手数だけかけて何にもならないような<つまり医学の封建制度というものはそれですが>そういうものを作って人間を苦しめているわけです。この点も分らせるべく、私は書いたのですが、これは「医学革命の書」の中に入るものです。だから信者の人は知っているような事が大分ありますが、最後の方に今の意味が書いてあります。
御論文 医学革命の書〔健康の自由主義〕
健康の自由主義
(『医学革命の書』より)
病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、之を逆の意味に解し、浄化停止を以て治病の方法としたのが医学の考え方であった。そうして此停止手段としては、身体を弱らすに限るから、薬と称する毒を用いたのである。従って毒の強い程よく効く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前に迄毒を強める事に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならない。その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。以下此意味をかいてみよう。
誰でも病気発生するや、之は自然の浄化作用であるから、苦痛は割合強く共、その儘放っておけば順調に浄化は行われ、速く治るのである。処がその理に盲目である為早速医師に診て貰うが、医師も勿論同様盲目であるから、専心浄化を停めようとするので、玆に自然治癒との衝突が起る。即ち浄化とその停止との摩擦である。その為浄化は頓挫し、一進一退の経過を辿る事になり、衰弱死に至るのである。それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記の如く生命を保ちつつ、浄化を圧える事が出来るようになった。というのは前記の如く強い薬が使えるようになったからで、或期間寿命を延ばせるのである。然し無論全治ではないから、時が経てば復び発病する。此様にして人間は漸次弱って来たのである。故に医学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干生命延長の進歩である。此最もいい例としては借金である。元利合計請求された場合、一時に払おうとすれば破産するから、月賦にして気長に払う事にする。そうすれば第一楽であり、暫くでも破産を免れられると同様の意味である。
右の如く医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩でしかないのである。然し之で一時なりとも寿命は延びるが、病の方はそのまま固って了い、真の健康とはならない以上、溌剌たる元気などはない。此際医師は斯う言うのである。何しろ貴方の躰はヒビが入ったようなものだから、余程大切にしないといけない、軽はずみをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもので、その日を送る事になる。私は此種の人を消極的健康人というが、今日斯ういう人は益々増えるばかりである。此例として高度の文明国程そうであるのは、彼の英仏などを見ても分る通り、近来此両国民の元気のない事甚だしく、我国とは反対に人口増加率低下に弱っているのみか、国民は安易を求めるに一生懸命で、国家の前途などは二の次にしている。斯んな訳で両国の国威はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、兎もすれば離れようとする現状である。又国際的正義感にしても麻痺状態で、彼の中共の中国、南鮮侵略に対しても、只指を喰えて観ているばかりか、英国などは逸早く承認を与え、アメリカを吃驚させた位である。その後も御義理的にアメリカに追随しているにすぎない有様である。而も同国が戦勝国であり乍ら、 戦敗国日本よりも食料不足に悩んでいるのもその現われで、全く気の毒なものである。 仏蘭西にしても御同様人民の闘志などは全然なく、アメリカが如何に気を揉んでも何等の手応えなく、只その日その日を無事安穏に過ごす事と、享楽に耽る事のみ考えているようだ。以上によってみても、昔英国が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べたら、洵に感慨無量というべきである。此原因こそ全く恐るべき医学の進歩にある以上、日本も殷鑑遠からず油断は出来ない。
次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増える一方で、悲鳴を上げている状態である。之に気付かない限り、何れは英仏の後を追うのは必然であろう。私が先頃『アメリカを救う』の書を発刊したのも此事を憂慮したに外ならないと共に、日本にもお次の番が廻って来ないと誰か言い得よう。そうして右は大局的に見た医学なるものの実体であるが、之を個人的に見ると猶更よく分る。周知の如く今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立てているが、之は日本ばかりではない。世界の文明各国は大同小異はあるが、何れも同様である。今それに就てザッとかいてみるが、何しろ現代人の健康の低下と来ては洵に酷いもので、その為当局の社会衛生上の注意も、益々微に入り細に渉り、煩に堪えない位である。ヤレ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食するな、栄養を摂れ、防毒に注意せよ等々、全く毀れ物扱いである。剰え病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべからず、ヤレ手を洗え、含嗽をしろ、消毒をせよ、マスクを掛けろ、濁った空気を吸うな等々、その窮屈さは生きているさえ嫌になる位である。之が文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪いたい位である。
それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。曰く食いたい物を、食いたい時に、食いたいだけ食い、寝たい時に寝、働きたいだけ働き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思わない。というように人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支えない限りは、自由無碍、明朗闊達、何等不安ない日常を送っている。恐らく人生之程の幸福はあるまい。之を称して私は健康の自由主義というのである。今日荐りに唱えられている自由主義などとは、比較にならない程の幸福さであろう。
では右を実行した結果はどうであるかというと、之又大したものだ。私初め信者数十万人悉くそうしているが、結果は一般人よりも罹病率の少ない事は十分の一にも足りない位であるから、病気の不安など全然ないと言っていい。その根本理由こそ今日の医学衛生の考え方は逆であるから、その又逆にすれば真の健康法となる訳である。以上によって医学の無智が如何に人間の自由を束縛し、無益な労力と余計な金を使わせ、生産をマイナスにし、而も凡ゆる不幸の原因を作っているかという事である。以上の如くであるとすれば、今日之程重大問題はあるまい。又宗教に就いても一言言いたい事は、宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命を得させるにある以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。私は之に対しても敢て考慮を求める次第である。
それから話は別ですが、今年の不作は余程悲観すべき状態にあるようです。水害は別ですが、害虫は大変らしいです。どのくらいの減収になるか、相当の減収になるだろうと思ってます。丁度医学と同じ事で、虫害のために減収になるのです。その対策として、虫を殺すという事に一生懸命になってますが、これは近頃この二、三年前からやり始めたドイツで出来た何とか言う恐ろしく毒のある薬で、手に触っただけで死んでしまいますが、それを使い始めてます。それくらい強烈な薬です。それで虫だけを殺せばよいと思ってますが、それが土にはいって行くと大変です。ですから実に単純な考えで、要するに浅薄極まるのです。それで益々薬を強くするのです。そうすると益々害虫が発生する事になり、その競走(争?)になってます。丁度麻薬と同じ事です。麻薬が、最初は一日に一回でよかったものが、二回になり三回になり、しまいには何十本と打つようになる。それと少しも違いません。ですからこれを早く防がないと、今に大変な事になります。今年あたり虫害のために減収になったら余程考えるだろうと思いますが、どうしてもこっちの方で、できるだけ分らせるような方法をしなければならないと思ってます。ところがこういうわけです。霊界がだんだん明かるくなると、結果が非常に早くなります。今までは毒の効き方も遅かったために、虫なら虫を殺すだけの効果があって、それが土にはって、土を穢して、又虫をわかせるというのに暇がかかるから、一時虫が死ぬからそれでよいと思っていたが、ところがだんだん霊界の浄化が強くなるに従って早くなるのです。つまり毒が集まって行くのに何年もかかったのが、それが早くなって、つまり毒の結果が早く来るのです。これは丁度浄霊と同じで、浄霊も年々治りが早くなって、治る人はドンドン治り、死ぬ人は早く死ぬというようになってます。ですから善悪をはっきりさせるという事になるのです。そこで以前は肥料の毒をそれほどと思ってないのが、肥毒というのがますます著しくなるから、どうしても分らないわけにはゆかなくなるのです。丁度医学の薬が今までは固め方法だったのですが、その固め方法がだんだん効かなくなるのが早くなって、今度は固めようとする傍から溶かす方が早くなって駄目になるというように、肥料の方もそういうようになって来つつあります。そこでどうしてもこっちの言うとおりにしなければならないようになって来ます。それもそう長い事はありません。そうなったら、私が著わした本を見ればすぐ分るようになります。今私が本を書いているのは、今信者の人に読ませるという事は一つの準備行為で、その時に一般人に読ませて目を覚まさせるという事が本当の狙いどころになるわけです。ですから今年あたりの虫害が非常に酷いとい事は、一歩それに近付いたわけです。これはいろんな方面に現われていきますが、とに角肥毒のために今でさえ米が足りないとして、近頃は人造米などを大いにやろうとしているらしいですが、しかし人造米の原料でも、やっぱり米と麦ですから、大した節約にはならないわけです。しかも余計な手数をかけて不味い物を食わせるのです。これはどうせ自然とは違うに決まってますから、美味い事はありません。それで栄養が何%あるとか言ってますが、それは自然の栄養とはまるっきり違います。そういうわけで、それだけの経路を経なければ本当に分らないのだから仕方がないわけです。私の方でやっている仕事はその時期とチャンと合ってゆくわけですから、可哀想でもあるし愉快でもあるという、複雑な感じです。しかしそうなっているのですからどうにもなりません。土を浄めるためにこの間のようなああいう大水が出たわけですが、だんだん浄化という事がいろんな事に現われて行くというように見ていればよく分ります。
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