昨日、睾丸が落ちて後から元通りに生えたという子供を招んで、医学博士が七人、岡田道一さんの骨折りで来て、すっかり診察したのです。その前に私が見ましたが、どういうふうに生えたかよく見たところが、なにしろまだ元通りと言ったところで、やっぱり相当に引き吊りみたいな凸凹(凹凸?)になって、後から生えたという事がよく分るようになってます。かえってあんまりきれいだと疑いが起こるが、あれなら無論後から出来たという事が分ります。それでお医者さんが見た結果、この部屋でいろいろな説明をしたのです。ところがなかなか説明ができないのです。実に気の毒なくらい苦しんでいました。それで博士が一人一人批判をしましたが、小便が止まったというのは、腎臓結石だとか膀胱がどうだとか、そういう事はなかなか詳しく話しましたが、さて落ちた睾丸と陰茎が後から生えたという説明にはとても骨が折れてました。それで結局二人ばかりの医者が一人は睾丸は吊れて奥の方に引込んでいた(、?)一人のお医者さんは陰茎まで引込んでいたと言うのですが、それがなかなか苦しそうなのです。この問題の重点というのは〝陰茎と睾丸が落ちて後からそれが新しく出来た〟要するに新生という事が重点ですが、どうもそこにゆくとはっきり言えないわけです。それで結局において〝不思議だ、奇蹟だ〟という事になったのですが、奇蹟だという事を言う時には殆んど聞えないような小さな声で言ってました。だから多分そう言ったのだろうと、私は推察したのです。尤もこれは医学的説明は無理なのです。だから〝医学では分らない、実に奇蹟だ〟と言えば簡単に済んでしまうのですが、それを言う事ができないらしいので、そこに何とか彼んとか理窟を付けようとする、それが実によく分るのです。それから教団の幹部の人との質問応答が二、三あり、最後に私がその説明というわけですが、説明して分るはずはありません。これは何でもない事で、霊主体従の法則さえ分れば何んでもありません。それで私もかなり皮肉に言ってやりました。この問題の重点は睾丸と陰茎が落ちて、それが新生した。それでお医者さんの方では〝無くなったものが出来るという事は、睾丸を包んでいる袋が伸びる事はあり得る〟というのです。それから〝陰茎の皮も新生するという事はある〟というのです。〝けれども睾丸の玉と陰茎の棒、おまけに亀頭は新規には出来ない〟というわけなのです。〝だから外にある程度皮などが出来る間、奥に引込んでいた〟というのです。ところが中の棒、亀頭の方がずっと伸びているのです。そうして皮の方が足りないのです。だから私は聞いたのです。子供というのは皮の方が長くて包んでますが、目下あべこべなのです。だから相当に皮肉に言ってやりましたが、結局私の方から見ると新生だ、医者は新生という事はあり得べからざる事だと言うが、あり得べからざる事だから奇蹟というわけなのだ、私の方ではあり得べき事になっているのだから別に不思議ではない。しかしあり得べき事を、あり得べき事と言えないのは、科学がそこまで進歩していないからだ。それについて私は今「医学革命の書」という本を書いているからして、それが出来たら、お送りするから見てもらいたいという事を言っておきました。結局においてこの原理というものは、つまり湯川博士が唱えられて居る物性論というのは、中間子の事で、中間子からヒントを得たのです。そこで物性論というものは、つまりまだ目には見えないという事を言われてますが、これは細胞の壁なのです。つまり黴菌の霊です。だからこの物性論がもう一層進むと、科学は又深い所に行くわけです。それから又進み進みして、ごく深い所に行き、そこまで私は書くから、それを読めば、この子供の道具が新生したという原理は分るから、というように話したのです。だから今信じられない、つまり奇蹟だ、理窟がつかないという事は丁度〝原子爆弾を発見する前にそれを説明しても、誰も本気にする人はない。しかし一つ落せば一度に分るようなものだ〟と説明したのです。この睾丸について説明しても分るはずがないから、いっそ、そういった大所高所から、根本的の事だけを言うより他にないのです。そういうような意味の事をちょっと話してやりましたが、後で聞いてみるとお医者さんも分ってはいるのでしょう〝(?)が、分ったとは言わないのです。そこに傍聴に来ていた産業経済の記者などはよく分ったそうです。お医者さん以外の他の人達は良く分ったらしいのです。お医者さんも分ったらしいのですが、分ったとは言い難いので、分ったとは言わないのでしょうが、とに角そういったお医者さんが此処に来て私の話を聞くという事だけでも大したものです。以前に私は〝とに角今に大学の講堂に行って、少なくとも五、六千人の博士を集めて、その前で医学の講義をするようにならなければ駄目だ〟といういう(いう?)事を言った事がありますが、昨日のは、その小さい最初の型だと思います。ですから非常に結構な事だと思ってます。結局お医者さんが分るという事が根本です。それからこういうふうにしておけば、これから思い切って医学のいろんな事を書いても、当局にしても余程見方が違うわけです。こっちに余程自信がないと、それだけのお医者さんを相手に、此処まで集めて、一つの奇蹟的の効果を検討させるという事はできないので、その点十分昨日の収穫はあったわけです。そういうようなわけで、これからもいろんな奇蹟が出るでしょうが、とに角進んでゆくわけです。
二、三日前にハワイから来た通信によっても、ハワイの方でも盛んに奇蹟が起こるのです。そのために何処までも非常な勢で発展しています。今月の六日に樋口さんはロスアンジェルスに立(発?)ちましたから、もう着いているだろうと思ってます。ロスアンジェルスは、この間も話したとおり、去年の十月にあっちの方の婦人で話を聞いて、自分が長い間病気にかかっているのを是非知りたいというようなわけで、それから教修を受けたいというのです。しかし日本に行くわけにもゆかず、まだ私の方ではあっちに行きませんから、何とか方法がないかというので、御守と御神書を送ってやったのです。ところが御守をかけて御神書を読むようになって、自分の病気は間もなく治ったのです。それで今度樋口さんがあっちに行くについて教修を受けたいというのが十人以上できているのです。それが一カ月くらい前の状態ですから、もっとできているでしょう。ですからつまり教修も受けないで、ただ郵便だけでとに角教修の希望者が十数人もできてしまったのです。そのできたという事は、自分が浄霊すると非常によく治るからです。ですから神様くらい気のきいているやり方はないと思います。これなら世界中何処へでも信者を増やす事ができます。わざわざ遠い所まで行かなくてもよいのです。結局世界中を救うとしても、そういった郵便でやれれば何でもないわけです。ハワイなどもそうです。近頃になって方々に支部が大分できてますが、それはハワイの人で非常に熱心な人ができて、次から次へと支部を作っているのです。無論浄霊も盛んにやってます。だから自然にハワイの人達がだんだん固まりを大きくして行くわけです。それと最近大変立派な家が手にはいったのです。それは借りるのでなくて買うのですが、建築も相当で、かなり広いようですから、あっちの本部として当分はそれで間に合うと思います。そういうような工合で、予想以上の、神様の方の経綸が進んでいるわけです。ですからアメリカに火が付いたら、とてもハワイぐらいの事ではありません。手紙の中にも(これは樋口さんの手紙でなく)今度十何人かの教修生をつくったという、郵便で教修生をつくった人の所に、ロスアンジェルスの非常な金持の息子の病気を頼みたいという事で、きっと樋口さんが行ってやるでしょうが、そういうような事も書いてありました。だんだん面白くなってきます。
美術館の話になりますが、アメリカのシカゴ・トリビューンという有名な新聞の東京支社の、東京イヴニング・ニューズという新聞の八月七日付に出てますが、大分大きな写真が出てます。柿右衛門の壺と鎌倉の阿弥陀さんです。その記事を翻訳したのを読ませます。
(東京イヴニング・ニューズ八月七日付掲載の記事)【註 栄光二二四号】
東京イブニング・ニューズ(八月七日付掲載の記事
(栄光二二四号)
今日はいろんな話がありますから簡単に話しておきますが、昨日京都で百何十人か水で死にましたが、みんな知っているでしょう。これで随分不思議と思う事は、大正池という池ですから、湖水ではないからそう大きなものではないでしょう。それがちょっと大雨が降って、僅かの間にとに角家が二百軒か流され、百何十人か死に、行方不明が二百人かありますが、行方不明というのは大抵駄目ですから、三百人というのが瞬く間に流されてます。他にもその附近でちょいちょいありましたが、こういう事はちょっと珍らしい事です。京都府下で、ちょっとの間にそういう水で死ぬという事は、これはやはり九州も和歌山もそうですが、僅かの間にこう頻繁にあるという事は、如何に浄化作用が激しくなって来たかという事の現われです。この浄化作用は汚れた所を洗うわけです。その一番汚れたという事は肥料で土を汚すという事ですが、これはどうしても水で洗わなければしようがないからです。そういうわけで、今年あたりの米の不作は大変なものだと思います。水のための不作も相当ですし、それから虫害が今年は又ベラボウに多いです。それに引替え自然栽培の方は又ばかに成績がよいそうです。こういう事で良い悪いがはっきり区別がつくわけです。まだまだこの浄化はごく序の口であって、これから時がたつに従ってだんだん物凄くなってきます。それで人間がどうしても分って、もうカブトをぬぎ往生するというところまで浄化が起こるのです。それで結局どうにもならなくなって神様に頭を下げるという事は、救世教信者になるわけです。そうならなければしようがなくなります。神様はジリジリとそういうようになさるわけです。ですから案外な事や予想外の事がだんだん出て来る事と、だんだん大きくなってきますから、実に可哀想でもあるし、良くなるのですから気持のよい事でもあり、いろいろありますが、こっちの方は洗われる方ではなくて、洗う方になりますから、気楽なものです。
ちょっと面白い事を書いたので読ませます。
御論文〔神と硝子玉〕 【註 栄光二二五号】
神と硝子玉
(栄光二二五号)
私が唱えている医学の誤謬の根本としては、何といっても医学を科学の分野に入れた事である。元来万有の構成原理は、人間と人間以外の一切とは、根本的に立別けられており、本質ももちろん異っている。それというのは元来人間は地球の王者であり、支配者であるに対し他のあらゆる物質は、ことごとく人間に隷属しており、人間の自由意志のままに動かされ、人間の肉体を保護し、人間生存上必要なそれぞれの役目を果しているからであって、分り易くいえば主人と家来との違いさである。この理によって人間以外のあらゆる物は、人間が作った科学によって思いのままに変化させ進歩させることが出来るのは当然で、それがため現在のごとき素晴しい文明が構成されたのである。しかも最近に到っては原子科学というような驚くべき発見がある等々、これら現実を見る人間は、ついに科学一辺倒となり、何物でも五感に触れないものはことごとく非科学的と言う、今日の人間にはお誂向の魅力ある言葉をもって抹殺してしまい、これが社会通念となっているのである。特にこの考え方が智識人に多く、文化人のマークとなっている程で、形は異うが迷信邪教信者と何ら撰ぶところはない。その結果科学の分野に非ざる人間生命の問題にまで立入ってしまった。それが医学であるからむしろ僭上沙汰といっていい。そのような文化的侵略者たる医学としたら、真の医学ではないことはもちろんであり、このような非医学をもって生命の神秘を暴こうなどは、木によって魚を求むるのと同様である。
この意味から私は医学の誤謬に対し、事実をもって彼らの眼を開かせ、真の医学を教えるので、これが神の意図である。つまり病だけは神の力以外地球上に治す力はあり得ないのである。これを一層徹底的にかいてみると、今日医学が病原としているのは、言うまでもなく黴菌である。菌発見以来医学が画期的進歩を遂げたのは衆知の通りであって、その後長期間に渉る経験によっても、予想外に不成績であるにもかかわらず、邪教信者と同様一度信じた上はそれが逆結果であっても目に入らないという迷盲である。
そうして前記のごとく、病原はことごとく菌としており、菌さえ殺すことが出来れば、万病は解決されると固く信じ、それのみに向って研究している。従って顕微鏡という硝子玉が、医学の鍵を握っている訳であるから、この硝子玉こそ人間の生命を自由にしている神以上の存在である以上、万物の霊長様も実に情ないものである。この頭脳によって宗教を観る時、神の実在を否定するのも当然であり、なおこれで判ったことは医学が尊い人間の肉体を矢鱈に切り刻むのも、これまた当然である。この意味において私が今実行しつつある救いの業こそ、神と硝子玉との闘争であって、どちらが勝つかこれは読者の判断に委せるとして、次に重要なことは、現在顕微鏡で見得る限度は二十万倍とされている。これでみると現在は二十万倍以内の大きさの菌を対象とし、その菌を殺す方法に専念しているのである。ところが実は菌の限度は二十万倍どころか、百万倍あるいは一千万倍にも上るか知れない。否それ以上無限かも知れないと推定される。たとえば大空の無限大なるごとくその反対は無限小であるからである。としたら帰するところ病菌といえども無限小であるに違いないから、これを殺すとしたら科学で造る有限力では駄目であり、どうしても無限なる病原は、無限の力でなくてはならないはずである。無限の力とはもちろん神の力であり、神の光である。この光を自由無碍に行使する機関こそ特殊の人間であり、その人間こそ私というものである。何よりも現在現わしつつある治病の実力をみても分ると共に、益々それを信ずる人々が増えつつある趨勢を見ても何ら疑うところはあるまい。自分でいうのも心苦しいが、かくのごとき超人的力を有する者は、古往今来一人もないのは誰も知るところであり、昔からいわれている神人合一もこのことである。ゆえにこの著を読めば分るが、その説くところ神霊の解剖であり、人間生命の本原であり、キリスト、釈迦、マホメットの三大聖者を始め、いかなる聖者も説き得なかったところの、深奥無極の真理の開明であり、天国の福音でもある。
これもさっき話した「医学革命の書」の中にはいる論文の一つになりますが、あらゆる角度から科学の根本をすっかりほじくり出して、遺憾なく、分るようにするつもりです。今読んだとおり結局今の医学は顕微鏡というガラス玉なのですから、それで黴菌を探し出して、それで進歩したと言って有難がっているのですから、実に子供だましにもあたりません。それで今年は今まで日本脳炎が去年の十倍だというのです。ところが一年おきに流行しているという事になっているので、今年は流行しない年になっているのですが、流行しない年が流行する年の十倍だから、何が何だか分らない事になります。今度は一年おきの事をあべこべにしなければならない事になります。それほど浄化が強くなっているのです。それで今もって蚊の媒介などと言ってますが、蚊の媒介という説は何処から出たかというと、日本脳炎と言うくらいですから、西洋にはないので、日本だけにあるのです。ところが西洋では設備をよくしてあるから蚊や蠅がいないのです。それで日本は今もってブンブンと、それこそ夏、場末にもでも行くと大変なものです。私も昔は蚊の一番多い所に居ましたが、夕方に家にはいろうとすると顔にぶつかる蚊が大変なものです。そういうようで日本には蚊が多いから、蚊の媒介と狙いをつけたわけです。それなら蚊の多い所ほど日本脳炎が出そうなものだが、そうではないので、蚊の少ない所でも同じように出るのですから、いい加減なものです。これは何時も言うとおり、頭を天日で照らすために後頭部に毒素が集中するわけです。その毒素というのは背中の毒が多いです。人間は背中の方がずっと毒が多いのです。何故背中に毒が多いかというと、人間はうつぶせに寝る人はないので仰向きに寝るから、背中に溜まるのです。それで背中一面から肩にある毒素が、頭を照らされるので、上って来るのです。それで人間の体はうまく出来ているので、後頭部まで来ると外に出される事になっているのです。それで後頭部から頭脳を通過して目脂や洟になって出るのです。それで出る場合には必ず血が混じっているのです。それは此処の毒血が出るのです。これが出るだけ出れば治ってしまうのです。それを氷で冷やし、いろいろして出さないようにするから、此処に固まりが出来てしまうのです。治ってから馬鹿になるとか、首が自由にならないとか、手が痺れてしまうというわけです。それは固めるからで、放ったらかしておけばあんなものは治るに決まってます。それが日本脳炎ですから、こういう結構なものはありません。日本脳炎をやれば、この辺の毒は余程減ります。それが分れば何でもありません。それが分らないために大騒ぎをやって今は血清注射などを試験的にやってますが、本当の泥縄です。もっと早いうちにやっておけばよいが、流行してから血清(ワクチン)をいろいろやっているのです。
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