医学に対しては始終いろんな角度から批判していますが、いくら書いても後から後から出てくるのですから、内容に余程種々雑多なものを含んでいるのです。これも今での見方と違った見方で書いたのですが、つまり医学というものは素晴しい封建的のものです。ところが今は素晴しく進歩したものと思っているのです。そこにおそろしい食い違いがあるのです。では一体何処が封建かという事を書いたのです。
御論文〔医学封建〕 【註 栄光二二七号】
医学封建
『医学革命の書』より
医学封建といったら全然耳新しい言葉なのでちょっと見当はつくまいが、これを読んだらなるほどと思わない人はあるまい。それというのも今日知らるるごとく、実に病気の種類は固より病人の数も多い事である。そうして病気の場合十中八、九は持病または重難症であって、根治する者のほとんどないのは、医師もよく知っているであろう。そうして常に患者に対してはより速かによりよく治そうとし、最新の療法をもって出来る限りの努力を払うにかかわらず、思うように治らない。最初診察の際何週間、何カ月なら治ると予定し、患者にもそれを聞かせるが恐らく見込通りに治った例しはほとんどあるまい。それというのもこの薬なら、この方法なら学理上では治るようになっているので、その通り実行するが中々治らないのは、患者も医師も常に経験しているはずである。
そのような訳で一時的には確かに学理通りに治ったように見えるが、それが長くは続かない。時日の長短こそあれ必ず再発するかさもなくば他の病気に転化する。これも医師なら数知れず経験しているので分っているであろう。従ってこの事実に対しては医師も常に疑惑を抱き、不思議に思っているのは想像に難からない。それこそ全く医師が信じている程に医学は進歩していないからであって、進歩していると思うのは、錯覚以外の何物でもないのである。そのため絶えず学理と実際との矛盾の板挟みになっており、それを知らない世の中からは尊敬され、確固たる社会的地位を占めているのであるが、胸中の煩悶苦悩は並大抵ではあるまい。しかしいつかは医学の進歩によって、解決の日も来ると思う一種の自慰観念によって、淡い希望を繋いでいるに過ぎないと私は思っている。従ってこの説を読み、今までの疑惑のべールが剥ぎ除られるとしたら、ここに白日のごとき真理の光に誤謬が浮かび出され、愕然として目覚むるのはもちろんである。ところがこの迷盲こそ文明の進歩に対する一大障礙となっているため、これ程科学が進歩しても人類の幸福は増進しないにかかわらず気がつかないのである。これがためこの私の説に対しても全然検討もせず、宗教家の説なるがゆえに非科学的であり、日進月歩の今日進歩した科学の理論を裏切るものと決め、採り上げようとはしないのである。つまり科学迷信の黒眼鏡をかけているから、正確には見えないはずである。
ではその黒眼鏡とは何かというと、医学者の根本的考え方が最初から人間の生命を、他の物と同一レベルにおいており、病気も科学によって解決出来るものと信じている事である。ところが私は神示によって知った事は、なるほど人間以外の他のことごとくはそれに違いないが、独り人間のみは根本的に異っていて、これだけは科学の分野ではないからである。例えば人間の趣味嗜好、喜怒哀楽、恋愛等は固より、智性、芸術、神秘性、人類愛等高度の思想など、他の動物には全然ない事で、これだけにみても他の動物との異いさが分るであろう。というように科学は人間の特殊性を無視し、動物並に扱っている事が大いなる欠陥である。しかもそれが医学の根本理念となっている以上、科学の枠の中に立籠り、他の世界が見えなかったのである。これを別の面から見ても、仮に人間のレベルが地平線とすれば、それ以下が物象であり、以上が人間であって、これが宇宙の法則である。この理によって地平線以下のことごとくは人間の自由になるが、以上はその反対である。ゆえに人間が造った科学をもって人間生命を自由にする事の不可能なのは当然であって、何よりも無病である事も長命も意のごとくならないに見て明らかである。とすれば人間が人間の病気を治そうとするのは下剋上で逆であり、神位の侵犯である。この理によって人間の生命のみは世界中の学者がいかに努力しても、徒労以外の何物でもないのである。それに気付かず、見当違いの横道をひた走りに走っているのが現在の医学であるから、その無智なる実に哀れむべきである。私は思う、今日の医学者こそ科学の亡者であり、邪教迷信者と同様の心理である。また彼の封建時代武士道をもって最高道徳とし、主君のためなら殺人行為も敢えて差支えないばかりか、団体的大量殺人者程賞讃され、栄誉を得たのであるから、今日から見れば野蛮というより外はない。つまり公然罪悪が奨励されたのである。この事を医学に当嵌めればなおよく分る。
以上によって科学をもって最高の治病方法としていた事は、狭い封建の殻から脱け切れない盲目であった。ところが実は未知の素晴しい世界があり、そこに真の医術があって完全に病を治し得る事を私は知ったので、この一大福音を普く世界万民に知らせるべくその前提としてこの説を全世界の医学者に向かって発表するのである。
これは「医学革命の書」の中の一項目です。今読んだとおり医学というものは文明の一部なのです。それを全部と思ってしまったところに誤謬があるのです。文明を進歩させる全部と思って、実は一部の城郭に楯籠(立籠?)って、そうしてその城郭の中に入っていない人間を自由にしようとする、そこに大変な間違いがあるのです。地平線の下にあるのが万物ですから、それはどんなにでも自由にできるのです。人間は地平線であるからして、地平線の上に人間を救うべきものがあるのです。つまり地平線が人間とすれば、下に行くほど獣になって行き、上に行くほど神に近くなるのです。結局最高は神であり、人間は神と獣との間にあるのです。それで人間を救うというのですから、人間以上の存在でなければ人間を救う資格はありません。それを今の医学は獣の救いを人間に当て嵌めようとしているのです。医学は猿やモルモットや兎や二十日鼠を試験して、それをそのまま人間にもってゆくのですから、つまり地平線に居る人間としたら、それより以下は獣ですから、獣を材料とするのは当り前ですが、それをもって来て人間の病気を治すというのは、およそ見当違いです。今読んだのはそういう意味のものです。だからして医学が如何に一生懸命にやっても、全然見当違いを一生懸命にやっているので治るはずがありません。それでは今まで何故そういう愚な事をやっていたかというと、地平線の上にあるものが見えなかったのです。見えなかったというよりか、実際は見せなかったのです。これは実際神様も人が悪いのです。しかし見せては神様の方で都合が悪いからです。これを見せては、今までの物質文化を発達させるに都合が悪かったのです。どうも人間は、物質文化を発達させるには、神様のような最高のものを見せない方が、物質を進歩させるという精神力は非常に強くなるのですから、神様はそういう手段を選ばれたのです。しかし神、仏と、宗教は出しましたが、あんまり上のものを出しては物質的の進歩は形式がちになるから、何処までも最高の神という事は隠して、二流三流のものを出して、これが神であり、これから生まれたのが宗教だというわけで、悪く言えば人間は神様に瞞まされていたのです。しかしそれは仕方がないので、そうでなかったらこれまで物質文化は発達しなかったのです。ですから非常に素晴しいトリックというわけです。そして今までの人間が神をみる、神観というものも間違っていたわけです。キリストでも釈迦でもマホメットでも、偉いには違いないが、やっぱり二流三流の地位だったのですから、本当のものはぼかしてはっきりはしなかったのです。ただそれでよかったのです。そこで私は宗教では救えないという事を言うのですが、宗教で救えれば、今までに天国になっているのです。宗教があれだけ沢山出ても相変らず地獄という事は、つまり今までの宗教では救う事ができなかったわけです。これは超宗教でなければ救えないわけです。そこで救世教というものは超宗教であり、これが始めて出来たわけです。そこで宗教と言うから他の宗教と同じに見られるのですが、今のところは致し方ないが、いずれはだんだん分って来ます。そういう意味ですが、それを分らせるのが仕事なのです。それはなかなか難かしいのです。やっぱり本物のダイヤモンドは今まで見せなかったので、つまりガラスに角度をつけて、これがダイヤモンドだと言っていたのですから、本物を分らせ、信じさせるという事はなかなか骨が折れます。しかしその代り、今までにないような奇蹟や、いろいろなものを見せるからして、信者になる人はそれが分るから入信するのです。ですから非常に面白くもあるし難かしくもありますが、しかしどうしてもこうしなければ、こういう時期を越さなければ救えないのだからしかたがありません。
それから何時も言う話ですが、ちょっと面白く書いてみました。
御論文〔毒塊人間〕 【註 栄光二二六号】
毒塊人間
「栄光」二二六号
私は常に現代人は毒の塊だといっているが、随分酷い言い方と思うかも知れないが、これが事実であってみればどうにもならないのである。信者の誰もが知るごとく、今日どんな人でも祖先から受け継いだ先天性薬毒と、生まれてから入れた後天性薬毒との、二種の薬毒によって毒の固りになり切っている。というのは私は二十数年来今日まで、何千何万の人間を取扱って来た経験によっても、そうでないものは一人もない。残らずといいたい程人間の形をした毒の塊といっていい。もちろん浄霊によれば容易に溶解排除せられ、病気も生命に別条ないまでに快くなるが、薬毒全部を除ってしまう事は、まず一生かかっても難かしいであろう。
このような訳だから今日人間の形をした毒の塊が高慢な理屈を言ってノサバっているのだから、これを吾々から見れば滑稽千万であり、碌な智慧も出ないのは当然であろう。そうして私が常に唱えているごとく、その毒は人間が神経を使う所ほど集溜固結するのが法則であるから、近代人のごとく非常に頭脳を使う以上、首の周りから肩へかけて固っている。どんな人でもその辺を探れば必ず大小様々の固結やグリグリがあるからよく分る。
この固りの浄化作用が風邪であるからそのまま放っておけば毒素は順調に排泄され治るものを、無智な医学は薬その他の手段で出るのを停め、固めようとする。その上そのための薬毒も追加されるとしたら、それだけ固りも増え、益々毒塊人間となるのは当然で、浄化も起り易くなり、今日のごとく病人が多いのである。しかも頭脳が最も侵されるため、近頃のごとく頭の悪い人間が増えるばかりで、どんな人でも頭痛、頭重、朦朧感、焦躁感、眩暈等の苦痛のない人はほとんどあるまい。この結果物の判断力が鈍く、正邪の区別さえつかず、常識の欠乏、智能の低下、鈍智鈍感、何事もその場限りで済ましてしまうのは、御自分を見てもよく分るであろう。従って病気、犯罪、貧困、争い等々忌わしい事の多いのは驚くばかりで、社会はさながら地獄絵巻である。
そうして特に言いたい事は智識人のレベルの低さである。彼らの説くところ矛盾撞着、定見も主張もなく筋も通らず、ただ活字の羅列に過ぎず、ほとんどは原稿稼ぎといってもいいくらいで、近頃の論説を読んでも後へ残るようなものは滅多にない。その中での二、三の例を挙げてみるが、まず宗教家である。彼らの説くところ何百何千年前の骨董的教説に、新しい衣を着せたようなもので、何ら新味はない。もちろん人々に感動を与えるなどはまずあり得ないといえよう。また政治家にしても普通の頭なら、精々三十分くらいで結論の出るような問題でも、大勢かかって幾日も練るどころか、何カ月、何年に及んでも結論が得られないのを見てもその頭の悪さ加減が分るのである。一例として彼の再軍備問題にしても、この可否など実に簡単明瞭であるにかかわらず、擦った揉んだで未だに結論が出ないにみても肯くであろう。これも智慮あり信頼出来る指導者がないからでもあろうが困ったものである。それについて私は常に部下にいっている事は、相談や会議の場合、三十分以上かかるようなら止めた方がいいとしている。それでも纏りそうもない時は、私はワンマン振りを発揮して、一言で片付けてしまう事もよくある。本教が何事もスピード的に運んでゆくのもそのためである。次に経済界であるが、これも余りに頭が悪すぎる。衆知のごとく政府や財界の主脳者始め、日本の商工業者がいつも苦しんでいるのは借金である。恐らく世界中日本くらい借金インフレの国はないであろう。この最大原因こそ利潤と利子との釣合せが下手糞なためと、事業盛衰の判断力、世界の趨勢や国家経済の動向などに見通しがつかなすぎるからである。それもこれも鈍智のためはもちろん、借金の苦労がそれに拍車をかけるからでもある。
まだ色々あるが、これだけでおよそ分ったであろうが、今一つ言いたい事は、近頃のごとく社会各面における忌わしい問題の多い事である。交通事故、火災、鉱山の災害、殺傷沙汰、自殺、心中、裁判沙汰等の外、風水害、農村の病虫害等々、要するにそのことごとくは頭脳の明敏を欠く結果で、その原因こそ薬毒であるから、何としてもこれに目覚めさせなければならないと痛感するのである。遠慮なくいって現在の社会は、毒塊人間が押し合いへシ合い、蠢いているとしか思えない程で、思えばこれを浄め給う神様の御手数こそ、さこそとお察しする次第である。
これについて、昨日元日活の社長をした人が来ての話で〝実は今度素晴しい計画をした。それは東京に立派な娯楽場のような物をこしらえて、そこでいろんな享楽をさせる計画をしているが、それに賛成してもらいたい〟と言うのです。その裏には援助してもらいたいという事なのでしょう。しかし私は〝それは止した方がいい。どういう訳かというと、それは罪を作るからだ〟と言ったのです。そうしたら非常に感心して〝一言でピタッとやられて、どうも今までこんなにはっきり言われた事はない〟と言って非常に感心していました。その人はお寺の息子でお寺の出なので、仏教の事もいろいろ聞いているが、確かに罪を作るという事はいけないと言ってました。それで〝これからやるなら、良い事と悪い事があるが、全部良い事は世の中にはないから、良い事が幾らかでも悪い事よりも勝っていれば、差し引いて良い事の方がオツリが来るから、プラスになるから、それならよい〟と言ったら、〝なるほど〟と言ってました。なおいろんな事を簡単に言ってやりましたが、驚いてました。結局今の人は急所を摑んでないのです。急所を摑めないのです。急所を摑むほどに頭が良くないのです。ですからいろんな事を見ていると、余計な事をしたり、骨折って失敗したりして、カラカサ屋の子憎(小僧?)式が多いのです。偉い政治家などはみんなそれです。又そのとき共産主義の話も出ましたが、その人は右翼団体を作るというのです。その人はなかなか覇気はあるのです。相当に腕もあるようです。けれどもやる事がみんな見当違いや無駄があるので成功しないわけです。それで右翼団体を作って共産主義と戦うと言うのです。それについては次のように言ってやったのです。即ち〝共産主義と戦うのもよいが、そうすると結局争いになるではないか。争いでもよいから成功すればよいが、成功しない。一方が勝ち、一方が負ければ、負けた方は悔しがって又勝つ事を考える。つまり仇討ちと同じで、一度殺すと、その伜が悔しがって仇を討つ。そうすると負けた方は又悔しがって、その又伜がやるという事になり、それではしようがない〟と言うと、〝なるほど〟と言ってました。第一共産主義というものは失敗するに決まっているから、私はよく共産主義の事を聞かれるが、気にしないでいる。つまり共産主義というものはスターリン一代限りのもので、今にだんだん衰えてゆくから、問題にするにあたらないと言ったら、感心してました。そして私は何時も仕事をするのに、ただ急所だけをチョッチョッと手を打っておくだけです。ですから私は随分いろんな仕事をしているが、あせったりしないで、何時も悠々としているが、それは肝心な急所だけをちょっとやっておき、あとは人にやらせればよいのです。人間は急所を見付けるのが肝腎だから、あなたもそういうようにしなさいと言ったら、非常に喜んでいました。それを連れて来たのが日置という人で、何時かサンデー毎日に私の事を書いた人で、この人もそれを聞いて、笑って感心したような顔をしていました。
そういうようで、信仰でも何んでも一切は急所です。ですから急所を見付ける能力を養うわけです。それには頭が良くなくてはならないのです。頭が良くなるという事は、頭の薬毒を早くとるという事です。ですから熱が出て頭が割れるほど痛いという事は非常によいのです。それは頭の深い所の毒が溶けて出る時は非常に痛いのです。神経の側だからです。頭の外側の場合はそうでもありません。そういう割れるように痛いのは頭の奥の方だから、それは非常によいのです。それを知らないから医学の方は氷で固めるので駄目になるのです。だから日本脳炎というのは、このくらい結構なものはありません。子供などは日本脳炎をやったら、必ず学校の成績が良くなります。そういうようなわけで、浄霊でも急所です。やっぱり病気にはみんな急所があります。又その急所がとんでもない所にあるのです。これなども意外なのですが、ロレツがうまく廻らないで舌がつる、という原因は何処にあるかというと、鼻の奥(アデノイド)の又奥にあります。ですからそういうのは鼻の其処を目掛けて浄霊すると治ります。それから鼻に関係した事で、臭覚がないとか、始終風邪をひいて水洟が出たり、鼻がつまりますが、それは此処(小鼻の両側)をやればよいのです。前からやってもよいですが、その場合其処を押すと痛いですが、蓄膿などは此処が原因です。鼻から出ようとして此処に来るのです。鼻がつまった時には此処が多いです。それから他の鼻は此処(後頭部)です。此処から前の方を目掛けてやると霊が通ります。そういうようで、思いもつかない所に原因があります。だから急所と言っても、分り易い急所と分り難い急所があります。又病気ばかりでなく、いろんな事情も、意外な所に急所がありますから、それを発見しなければならないのです。それにはやはり智慧正覚です。智慧が働かなければならないのです。この智慧が働くという事は、頭の中の毒素と、その人の精神状態にあります。ちょっとでも不純なおかしな野心でもあると智慧が曇るから働かないのです。その人の考え方にそういった不純が無く本当に世の中人のために尽くすという気持だと智慧も働くのです。だからやっぱり心の悪い人は必ず失敗しますが、それはそういうわけです。だからさっき言ったように共産主義は必ず失敗するという事はそういうわけです。それは不純だからです。本当に世の中のためになり、多くの人を幸福にするという考えはないので、自分の利益のためには人を殺すのはヘでもないのです。粛正(粛清?)と言って非常に多くの人を殺してます。中共などもやってますが、中共もそういうようで必ず倒れます。もう長い事はありません。ですから朝鮮問題にしても結論から言うと中共の大失敗で、アメリカの大成功です。韓国がまさに風前の燈という事になった時に、もう一息で成功するところだったのですが、ドッコイとアメリカが遠くから援軍を寄越して間に合って、とに角押し返して封じ込めたという事は、アメリカの方が正義があって、中共の方が不正義だったからそういう結果になったのです。だから共産主義を恐ろしがってますが、共産主義は恐れる必要はありません。そういうのは決して成功するものではないので、或る時期までなのです。だから先が本当の正義でやればそれは恐ろしいです。と言ってもこっちは恐ろしくはないので、悪人には恐ろしいのです。そういうようで、悪い奴はそんなに恐ろしくありません。そういうような見方も、やっぱり急所です。どっちが不正義かという事です。日本が戦争に負けたのも、日本が正しくなかったから負けたのです。それで日清日露の戦争は日本の方が正しかったから勝ったのです。ですから日本は神国と言ったところで、これは人間の都合のいいように解釈したので、つまり正義の方が勝ったわけです。だからそういうように考えてゆけば、正義の方が勝ったとすれば、正義は神様だから神国には違いないです。つまりそれが物事の判断の急所です。
それからこれは参考になるからちょっと話しておきますが、この間或る支部で、一生懸命に働いていた人が、ちょっと理窟に合わない変な事があったのです。その事情は言えませんが、それで私は変だと思って、その支部を監督している中教会長とその変な人もチャンと良くなって一緒に来ましたので聞いてみると、其処は出張所になっていたのです。――中教会は地方にあって、東京に出張所をやっていたのです――。出張所をおくという事は別に悪くないが、其処の支部長がいないのです。支部長が無くて出張所があったのです。それは嘘であって、それを知らせるために神様がなさったのです。ですから支部は結構ですが、支部長が居なければならないのです。支部長が居なければ、若しかそこの信者が病気とかいろんな事があった場合に、中教会は地方にあるのですから、支部長という責任者が無かったら、空ッポのようなものですから嘘なのです。支部と名のつく以上は必ず支部長が居なければならないのです。それで〝それは閉鎖しろ、支部長ができたらやるように〟と言ってやりました。ですから理窟に合わない時には必ずお知らせがあります。ちょっとでも変な事があると、それをすっかり調べてみると必ず何か間違った事があります。ですからそういう理窟に合わない事や、何かおかしな事があると思ったら、そこを考えて、何処かに間違った事があると考えると必ず何かあります。それもこれもやっぱり智慧正覚がないとそれを発見する事ができないのです。ですから急所を発見する事と、それから順序を間違えない事です。この順序を違えるという事はよくあります。違えるという事は、気がつかないのです。それから知らない事があります。例えばこれを先にやり、こっちを後からやるという区別が分らなかったり気がつかない事がよくあります。そういう事はちょっと面倒なようですが、それを知ってしまうと無意識で順序を正しくします。霊界は霊主体従であると共に、それから体主霊従の事も沢山あるのです。しかし結局は霊主体従になりますが、一時的には体主霊従の事があるのです。というのは最近の事で、この間放送局で録音をとりに来たのです。――その放送の予定は明日の午前十一時半ですが、これは私と、立正交成(佼成?)会の会長の庭野という人、PL教団の三木徳近、もう一人日之教とか言うそこの教主と、四人が出る予定ですが――最初十日くらい前に来た時に喋ったところが、どうも思ったように喋れないのです。何んだか圧迫感があるようなのです。それで私は気に入らなくてしようがないのです。だからテストしてみて工合が悪いと思ったらもう一度やるから、遠慮なく来てもらいたいと言ったところが、先方でもそう思ったせいか間もなく来て、今度は私は無事にやれたのです。それで前にやった時にはどうして思うようにゆかないかというと、坐る位置が違っていたのです。先方が上座でこっちが下座になっていたのです。ですから仮りに坂なら、先方が上でこっちが下です。その時には気がつかなかったのですが、後でさっきはどうも変だなと思ったら、順序が違っていたなと思ったのです。それは上座でなければならなかったのです。このことは無理にしなくてもよいが、肝腎な時にはその位置が非常に影響するという事がよく分ります。ですから浄霊の場合にも上座に坐ると効きが大変違います。上座から下座に向ってやると効きが大変な違いです。しかし急な時にはそうはゆかない事があります。怪我をして出血が多いという時には直ぐにやらなければならないが、やっぱり臨機応変にやらなければならないのです。こういう事も急所なのです。前に信仰雑話にも書いてあったと思いますが、「順序」というものが如何に影響があるかという事です。今の人は順序という事には全然構わないのですが、今一番いけない事は、建築をする時に大抵な所は子供の部屋を二階にとるのです。これが大変な間違いです。それで親不孝が出るのです。それで不断居るという事より寝る所が大変なのですが、親よりも上に寝るという事は、形では分らないが、霊界ではそういうようになるのです。霊界は出鱈目ではないので、実に厳格になってますから、霊主体従の法則によって、順序が違っているとそれだけ影響がきますから、苦しかったり思うようにゆかなかったり、何んだか気持が悪いものです。ですから、私がこうして高い所で喋るから、喋りよいし、又あなた方も聞きよいのですが、これが逆になったら変なものです。ですから「神は順序なり」で、神様は非常に順序がやかましいのです。仏様を拝む度に祖霊が沢山来ますが、それは実に順序がキチンとしています。大先祖は上段に居て、それからだんだん新しい先祖ほど下にゆき、親子兄弟、親戚と、その順序は正確に並んでいるわけです。だから家庭でもいろんな場合は、親子兄弟の順序を出鱈目にしないようにするのです。そうすると何時も気持よく平和にゆくのです。争いや言い合いがあったりいろいろしますが、そういう時には坐る事とかいろんな事でみんな順序が違っているのです。それで親が坐る所、長男、次男の坐る所と、決まっているのです。それで食事の時に順序がキチンとしていると気持よくゆくのです。それが順序が間違っていると食事中に喧嘩した気持が悪い事があるのです。そういう事は些細な事のようであって、大きな事です。ところが霊界にはいろんな邪神も居るし、反対派の方の霊が居て、それが順序を壊そうと始終やっているのです。それが体に写っていろんな事があります。それで私を邪神は始終狙っています。しかし光が怖いから側には来れないが、遠まきにやっているのです。何かあると、これは邪神がやっているなと直ぐに分りますが、それでとんでもなく順序を変えるのです。詳しく言うとこんな事で影響するかと思いますが、私を下にしようとするのです。と言っても目に見えるようではないので、それは実に微妙なものですが、そうすると私の光がちょっと跡切れるのです。それで跡切れるほど邪神の寿命が延びるのです。それはどうせ自分達は長くないという事は分っているのですが、やはり邪神としての権力を持ってますから、その権力を一日でも長くさせたいのです。そこで私の光を妨げるのです。今までのいろんな事件もそれです。それによって一時延びるのです。しかし私の方がだんだん強くなって、しまいには先が往生します。それからがミロクの世になるのです。
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