今理論物理学の研究があって世界中から偉い学者が寄って、日本でも非常に喜んでますが、これは私からみると、丁度東京に行くのに、やっと北海道を出て津軽海峡を渡ろうというくらいの所でしょう。だから未だ東京は見ないから、東京の話をしたところで分らないのです。そうかと言って、宗教家がそんな事を言っても、テンデ振り向きもしないから、幾らそう思っても何んにもなりません。今物性論というのを盛んに唱えてますが、これはこの間も話したとおり、丁度宗教の方に入るちょっと手前なのです。だから未だ内地には入れないのです。北海道の函館辺りで切符を買っているようなものです。それが丁度物性論の所なのです。馬鹿々々しいものです。私は昨夜ちょっと書いたのですが、間に合わなかったので、ただ出たままを書いたのです。題を「超愚」としようと思います。「馬鹿以上」と書こうと思ったが、どうもそれではあんまり酷いので「超愚」という題にしました。愚かを「超越」しているというわけです。つまり、考えてみても、馬鹿というのは割合にそう困るほどではないのです。よく〝馬鹿の一つ覚え〟という事を言います。でも、一つでも覚えるという事は大したものです。だからそう馬鹿にできません。ところがそれどころではないので、とに角それに合う言葉は日本語にはありません。英語にもないだろうと思いますが、それほどの馬鹿は今までにないからです。では一体それほどの超越した馬鹿は何処にいるかというと、無論世界中にいます。日本でも、とに角学校教育を受けた者ほど超馬鹿なのです。そうなるといよいよ分らなくなりますが、これに気がつかないのです。それはどの点にあるかというと、その事について書きましたから読ませます。
御論文〔超愚〕 【註 栄光二二九号】
超愚
(栄光二二九号)
この題を見たら随分変な題と思うだろうが、これより外に言いようがないから付けたのであって、言い換えれば超馬鹿である。従ってこれを読むに当っては、既成観念を全部捨ててしまい、本当の白紙になって読まれたいのである。しかも今日智識人程そうであるから始末が悪いと思う。例えばダイヤモンドと思って長い間珍重していた宝石が、実は石の欠片と同様なお粗末なものであったからで、これが分ったなら唖然として腰を抜かすであろう。前置はこのくらいにしておいて、さて本文に取掛るが、まず病気と薬との関係である。今日誰しも病気に罹るや、薬の御厄介になる。恐らくこの際何らかの薬を服まない人は一人もないであろう。もちろん薬を服めば治ると思うからで、この考え方は随分古い時代から、人間の常識とさえなっているのである。
そこでこの事について今まで何人も思ってもみなかった意外な事を以下かいてみるが、それには充分心を潜めて読めば、至極簡単に分るはずで、難しい事は少しもないが、何しろ長い間の迷信が災して、分りそうで分らないのである。そこでいとも平凡な説き方をしてみるが、それはこうである。例えば普断至極健康で働いていられたのは、薬を出来るだけ服んでいたからで、それがたまたま懐都合が悪くなったりして薬を買う事が出来ず、一時服む事を休めざるを得なくなった。言わば薬が切れたのである。そこで今まで健康を維持していた薬が止まった以上、病気が起ったのであるから、早速無理算段しても、命には代えられないから、金を作り、薬を買い、からだへ入れたところ、たちまち快くなったので、ヤレヤレと胸を撫で下したというようなものである。これはちょうど一度か二度食事を抜いたため腹が減り弱ったので、早速食事をしたところ、たちまち元気快復して働けるようになったと同様な訳である。
これだけ読んだら、誰でも分ったような分らないような、不思議な気持になるだろう。ところが今日世の中の全部の人がそんな変な事を行っていながら、当り前の事として気が付かないのである。そうかと思うとよく自分は健康だから薬を服まないと自慢している人もあるが、これも可笑しな話となる。薬を服まないで健康であるという事は、最初にかいた薬を服むから健康だという事とは全然矛盾する。またこういう事も沢山ある。それは年中薬を服みつつ病気ばかりしている人である。これも可笑しな話で、薬で病気が治るとしたら、薬を服む程健康になるから、いい加減で止めてしまうのは当然で、何を好んで高い金を出して不味いものを服む必要があろうか。
今一つの分らない話は、世間には健康だから薬を服まない。薬を服まないから健康だという人と、その反対に弱いから薬を服む。薬を服むから弱い、という人との二通りあるのが事実で、むしろ後者の方がズッと多いであろう。としたら右の二様の解釈はつかないのはもちろんである。なぜなればこの説明が出来るくらいなら、病気は医学で疾うに解決されているからである。この解釈こそ私の方では何でもない。それは医学で治らない病人がドシドシ治るのであるから、これが何よりの証拠である。それを説明してみれば実に簡単明瞭である。すなわち薬が病気を作り、薬をやめれば病気が治る。ただそれだけである。
以上によってみても分るごとく、今の世の中は薬で病が治るとする迷信で、高い金を費って病気を作り、悪化させ、苦しんだ揚句命までフイにしていながら、それに気がつかないどころか、反って満足しているのだから馬鹿どころではない。馬鹿を通り越して言葉では言い表わせない。それは昔からこれ程の馬鹿はないから、言葉が生まれていなかったのであろう。そこで止むなく超馬鹿では耳障りと思うから、超愚とかいた次第である。このような訳で私が医学の蒙を分らせるのには、普通のかき方では、迷信のコチコチ頭を打ち砕く事は難しいので、これでもかこれでもかと色々工夫して、新熟語を考え、目を廻すような鉄拳を喰わし救うので、この文がそれと思って貰えばいい。
病気によって薬をのむという事は、つまり始終薬をのんで健康だった、それがたまたま薬を中止したために病気になったというのです。丁度不断メシを食っているのでピンピンしているが、ついメシを一度か二度抜いた、だから弱って働けない、それで早くメシを食って腹をくちくしろ。それで食うと、くちくなって働けるという理窟です。だから薬をのんでいたために達者でいたのだ、ところが薬が切れたので弱ってしまった、要するに病気になった。だから薬を入れれば又達者になる、という理窟と同じ事です。ここをよく考えてみると分ります。浄化作用という事を知らないで、ごく常識的に平凡な理窟で考えてみてもわかります。〝あなたはこの頃大変体が弱ったようですね〟〝ええどうも薬が切れたのでこんなになりました〟〝では薬を沢山なるだけ強い薬をのみなさい〟というので強い薬を沢山のんだら快復した、というのが今の人です。ところでごく山奥の人や、下層階級の人や、又全然何も知らない人は、薬をのまないから、そういう人は体が弱くなっていなければならないのです。それから昔は弁慶とか、いろいろ強い人が居ましたが、そういうのは薬をウンとのんでいなければならないのです。ところが文明時代と言われるようになってからだんだん弱って来ているのです。それで今は世界中が大騒ぎになって薬をのませようとしているのですから、これはどうも変な話です。それで薬をのまないから丈夫で、丈夫だから薬をのまないという人が沢山あります。ところがどうも不思議なのです。〝大体薬をのむから丈夫なのではないですか。あなたみたいに薬をのまないで丈夫という事はおかしいではないですか〟という事になったら、これは変におかしい事になります。だからそれだけの簡単な理窟が分らないのです。
そうして今度は浄化作用が分ってからの話ですが、そうすると、その薬をのむと、近頃のように新薬などがドシドシ出て――新聞広告などは薬の広告で埋まってます――そうしてのんで、結局命まで無くするのですが、平凡に考えてさえその馬鹿さ加減が分ります。今度はそれ以上にマイナスになるとしたら、全く馬鹿を通り越しているわけです。そういう事の理窟が分らないだけは馬鹿で済みますが、今度はそうして苦しんで命を縮めるという事は、馬鹿よりか以上です。そこで「超愚」という題をつけるよりしようがないのです。
これは独り医学ばかりではなく、何んにでも言えます。今年などの米は、今日の新聞では五千九百八十万石と言ってます。それでいろんな対策を講じてます。特に人造米というのを作ってますが、人造米は栄養がどうとか味がどうとか言っても駄目に決まってます。これが米だからいいようなものの、外の物だったらおかしなものになります。菜葉や沢庵とかを人造にしても、そういうのは……。たとえ食えるとしても手数がかかってしようがありません。それよりか土から自然にとれるのがどれだけよいか分りません。なるほど今年は水害がありましたが、しかしこれは全体からみれば一部です。今年の不作の原因は、何んと言っても虫害です。だから虫害を無くしさえすれば大変な増産になるわけです。それを幾ら言っても――農業特集号などを全国の農家等に一万部以上配っても――殆んど反響がないのです。尤も今までの迷信が急には抜けないから、首をひねらせるだけの効果はありますが、それがだんだん育っていって、だんだん分るような時期が来る事にはなります。そういうわけで「超馬鹿」は農業の方にもあるわけです。そういった原因というのは、やはり科学迷信です。それを破るのが根本です。とすれば、有神思想を養う事で、というのは神様が在るという事を見せるよりないのです。ところが神様を見せるという事は救世教よりないのです。それには奇蹟よりないのですが、奇蹟というのは外の宗教にしても全然ないのですから、どうしても救世教が救わなければしようがないのです。それについて書いてみました。
御論文〔理窟で人を救えるか〕
理窟で人を救えるか
(栄光二二八号)
分っていて分らない
これはまことに変な題だが、こうかかざるを得ないからかいたのである。これは信者はよく知っている事だが、本教浄霊によって医者から見放された重難症患者が奇蹟的に治った場合、医師も無神論者も大いに驚愕すると共に、この世の中にこんな不思議な事があるだろうかと思い、いくら考えても分らない。そこでそれを治した先生に訊き、数多くの実例を話されるのでなるほどと分り、では自分も信者になろうと決心をしても、種々の事情のため直ぐには入信出来ないとし、愚図愚図していると、必ず親切な悪魔が口を極めて邪魔をする。いわくこれ程科学が進歩した今日そんな事で治るのは時節が来たからだとか、今まで入れた薬が効きはじめたためなどと、言葉巧みに勧告されるので、ついその気になり、御話のごとく医学が進歩し、日本はおろか先進文明国でさえ現代医学を採り入れ、保険制度を立てているし、世界中の学者は力かぎり研究に没頭し、立派な病院は至る所に建てられ、完璧な施設、顕微鏡、解剖、分析、新薬の続出等々治病手段は驚異的発達を遂げた今日、医学のイの字も知らない普通の人間が、三日や五日の修業でただ手を翳しただけで、医学以上の治病力を発揮するなどとは、奇想天外で、あり得べからざる話である。従ってウッカリこの非科学的迷信の虜となっては大変だ、と言われるのでなるほどと思い、桑原桑原、アア危なかったわいといって済ましてしまう。
ところがこれで無事に済んだ人は今までに一人もないので、ほとんどの人はしばらく経つと再び最初の通りか、輪をかけたくらいに再発悪化するので後悔し考え直す。ヤッパリ医学は駄目だ、アノ時先生の言われた通りにすれば、神様の力で治ったに違いない。アア俺は飛んでもない間違いをしたと思い、極り悪気に再び浄霊に来る人が御蔭話中にもよく出ているが、全く現代人がいかに医学迷信に嵌込んでいるかが分ると共に、そのため苦しんで命までワヤにする人も少くない。
しかし遅くとも気の付いた人は、まず命は取り止めるが、中には飽くまで医療に噛りつきつつ苦しみ抜いた揚句死の直前になってやっと気の付く人も多くあるが、もうこうなっては後の祭りで、いくら地団駄踏んでも最早地獄行より仕方がない。以上のごとき経路をみると、最初治ったらその事実をそのまま信ずれば何でもないが、親切な迷信の亡者に唆のかされるのだから、現代人の頭脳は事実よりも理屈の方を重く見る事で、全く変になってしまったのである。早くいえば標題のごとく、分っても分らないというより外はないのである。
〝救世教が非常に僅かの間に大きくなったという事は不思議だ〟と、そういう事を思っている人も大分あるようですし、時々聞かれもします。それで私は〝それは病気が治るからだ。それでその感謝感激が献金となるので、それで金が集まる。それが急激に発展する一番の動機だ〟と言って話してやりますが、あなた方もそういう事は始終聞かれるでしょうが、それについて書いてみました。
御論文〔本教発展の主因〕 【註 栄光二二八号】
本教発展の主因
(栄光二二八号)
我救世教が宗教法人として、表面的活動に発足したのが、昭和二十二年八月であった。何しろそれまでは官憲の圧迫が甚だしい為、知っての通り日本浄化療法の名によって、民間療法を営業としてやっていたのである。といっても信仰が伴なわないと病気の治りも悪いので人によっては私の描いた観音様を拝ませていた。これなら昔からある信仰だから差障りがないという訳で、それ程当局は新宗教を嫌ったものである。処が幸いなる哉世は民主主義となり、信教の自由も許されたので、玆に天下晴れて宗教団体として活動が出来るようになったのである。そのような訳で、当時としては信者といってもいい位な人は、先ず二、三百人位であったであろう。
それが知っての通り、今年の八月で満六年になるが、驚く勿れ現在信者は数十万に及び、教師の数三、二四二人、大教会四、中教会八八、支部五二四というように発展し、しかも日に月に教勢益々拡大しつつあり、その上今年春から布哇、夏からアメリカというように拡がると共に、布哇の信者数僅か半カ年にして千人を突破するという盛況で、最近相当立派な本部としての土地家屋(五万弗)を買入れると共に、土着の人々の中で熱心な人が支部長となり支部の数も数カ所に及んで、尚続々各地に出来つつあるという現状である。又アメリカの方も八月羅府に支部が出来るや、日に日に教修者の数も増えつつあるという報告も先日来た位で、将来は予想もつかない程の発展の兆も見えるとの事が書き添えてあった。
次に箱根の地上天国も完成し、昨年出来上った美術館は益々充実すると共に、漸く天下に知れ渡り、今夏の如きは昨年の数倍の観覧者があった程である。特に外人間にも知れ渡り、毎日数人はかかさず見えるので、この分でゆけば何れは日本の名物となる日も余り遠くはないと思えるのである。又強羅の中央箱根第一の位置を占めている土地約一万坪を数年前手に入れてあったが、此処へ将来総本部を造るべく計画中である。
次に目下造営中の熱海の地上天国並びに救世会館、景観亭、美術館等の建設も着着進捗しつつあり、京都嵯峨の地上天国も土地だけは手に入ったので、何れは建造の運びとなる予定である。右の如き数々の素晴しい発展振りをみても、到底人間業とは思えない。私自身でさえ予想以上の大規模に進展しつつあり、その速度に於ても只々驚くの外はないので、恐らく世界の宗教史上にも例はないであろう。ではこの原因は何処にあるかというと、これこそ本教独特の浄霊医術と、そうして奇蹟の多い事である。重難病で医師から見放され、死を覚悟した者が忽ち快癒に向い、健康となり生命までも恵まれたのであるから、その感謝感激は並大抵ではない。どうしてもそれに酬いざるを得ないので、先ず金銭を献げる事になる。しかも本教の方針として搾取は禁じてある以上、自発的献金である。それらの人が非常に多数に上る事とて、その額も相当になり、以上の如き諸般の建造物が次々出来るのである。
これによってみても本教の御利益が如何に驚くべきものであるかが想像出来るであろう。然も悉く奇蹟であるから、本教位奇蹟の多い宗教は、未だ嘗てないとさえ曰われている。つまり大きな御利益、奇蹟、発展というように進展するのである。処が右は日本だけの事であるが、何れは米国始め他の国々へも教線は拡がる事になろうから、その発展の勢は到底想像もつかないであろう。玆に到って予期の如く世界的大宗教となり、全人類救われる日も左程遠くはないと思うので、それらを考える時血湧き肉躍るの感なくんば非ずである。
さっきの「超愚」の中でもう一つ、気がつかない事でこういう事があります。新聞などを見ると売薬の広告が目につきますが、これは昔と違って余程書き方がうまくなりました。昔は〝何んでも治る〟というような事を書きましたが、今は〝特種な病気に〟というように書いてあります。ところがその薬は一つとして本当に治るものはありません。これは売薬に限らず、信者は知ってますが、どんな立派な医者が高価な薬とか進歩した世界で有名な薬とか言ったところで、結局病気は治らないのです。若しそれで治れば、救世教の信者は一人もできません。治らないからこうして信者が増えるのです。そうしてみると売薬の広告は全部詐欺です。ですから高い薬を買って治らなかったり悪くしている人は詐欺にかかった被害者です。あなた方は皆そうです。薬の詐欺にかかったのです。しかしこれには誰も気がつかないでしょう。信者の人でも、そう言われなければ気がつかないでしょう。そうしてみると、ああしてデカデカと詐欺行為を許しているというのは、これは当局も知らないからでしょうが、当局も詐欺の被害者なのです。そう考えてみると、これも「超馬鹿」の中に入ります。私は前に〝大抵な宗教は詐欺だ〟という事を言った事があります。宗教の詐欺というのは珍しい言い方なので、初めて聞いた人は喫(吃?)驚します。というのは、病気の時にどうしても治らない、お医者の方でも治らないというので、信仰を求めるというと、まずどんな宗教でも〝信心すれば治ります〟と言うのです。よくこういう事があります。即ち随分一生懸命に信心しても良くならないと言ってこぼすのです。そうしてその宗教の先生に言うと〝それはあなたの信仰が足りないのだ、もっと信仰をしなければいけない〟と言うのです。この〝信仰が足りない〟という事は、結局金の上げ方が足りないという事なのです。それは信者をつくるという手もありますが、それは相当の先生格にならなければなかなかそうはゆかないのです。救世教では直きに信者をつくれますが、外の宗教ではなかなかそうはゆきません。だから手取早いのは何んと言っても金を上げることです。この方の親玉は天理教です。その金の上げ方のひどいのになると、前によくこういう事がありました。〝あなたは幾ら幾ら金を上げなさい。そうすればきっと治る〟と言うので、その人はひどく工面して、借金したり質に入れたりして、先生の言う額を上げたのです。そうしても治るわけがないから結局死んでしまったのですが、そこでどうせ死んでしまうのなら金を上げなければよかった、と言うのです。〝それは神様の詐欺にかかったのだ〟と言ったら、〝神様が詐欺をしますか〟と言うから、〝神様は詐欺はしないが、神様を取次ぐ者が詐欺をするのだ〟と言ったら、〝へえ、恐ろしいものですね〟と言ってました。これは売薬の詐欺よりももっと上のものでしょう。ですから世の中には大中小様々の詐欺があるのです。それを見別けるだけの目がないわけです。だからとに角今の世の中というのは殆んど詐欺の世の中と言ってもよいのです。
話は違いますが、道具屋はいろんな物を持って始終来ますが、私は道具屋に〝道具屋というのは、うまく法律にかからない詐欺だ〟と言っているのです。というのは、持って来る物は殆んど贋物なのです。十品持って来て、本当の物は一品くらいなものでしょう。あとは怪しげな物です。品物だけが詐欺ならまだよいが、値段が詐欺です。仮に品物を百万円と言って持って来るので、こっちは驚いて突き返すと、早いので数日、遅いので数カ月後に、他の道具屋がそれを持って来て、百万円と言った物を二十万円とか言いますが、それでも買わないと、今度は又他の道具屋が持って来て、八万円とか言って来ます。そうすると最初の百万円というのは大変な詐欺です。――それからこういう事を聞きます。相当に力のある人が美術館を造ろうとしているのですが、それができないのです。というのは、本物ばかりでなければ公衆の観覧物とはできないのです。この間も小林一三氏が来て、四時間此処に居て非常に喜んでいました。あの人は他所では大抵五分か十分しか居ないそうで、こういう事は例がないと、随行の人が言ってました。それで美術館以外の物も見せてやりましたが、よくもこんなに集まった、と言ってました。あの人は古くから買ってますから、数はあるので、量においては私なども負けます――。道具屋が知らないで持って来るのならよいですが、それを知っていて持って来るのです。長年来ている者が、一杯食わせようと思って持って来るのですから、実に恐ろしいものです。今の売薬の詐欺は命に関わる事ですから悪質ですが、詐欺の点においてはボチボチです。お医者さんはもっとはっきりした詐欺をしてます。〝あなたは入院すれば治る〟〝この薬をのめば治る〟と言っていて、そのとおりになった事はおそらくありません。これはお蔭話にも始終あります。それは医者は長年経験しているのだから、治るか治らないかは、はっきり分るに違いないのですが、そうしてみると〝試しにやってみよう〟〝うまくゆけば治るだろう〟というわけですから、これは立派な詐欺です。ですから今の世の中の人で少し懐の温かい人は殆んど詐欺の被害者です。それがはっきり分るのは救世教信者だけです。殆んどの人は詐欺を見破る事ができないで、詐欺のために命までに関わっている人が沢山あります。そこで神様はそういう事をはっきり暴露するのです。その詐欺の本元は邪神ですが、霊界では邪神は救世教というのが随分怖いのです。しかしだんだん邪神の方の力が弱って来つつありますから、別に対して心配はありませんが、話をすればそういうことになるわけです。
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