昨夜自然農法の報告を見ましたが、素晴しい成績で、ちょっと良い所は十五俵ぐらいとれてます。ですから五割増産というのは嘘になってしまったわけです。三倍増産です。尤も私は三年前に十割以上は増産になるという事を書きました。本当は最初からそう書きたいが、そうするとかえって信じないと思ったのです。五割でもなかなか信じないのですから、倍とか三倍と言うと、かえって逆効果になって、馬鹿々々しくて信ずる気になりませんから、それで遠慮して五割としたのです。ところが今度は、中京の渡辺さんが方々を調査した結果、去年十八俵とった伊野という人も、そのくらいはとれそうだという事を言ってます。そういうようなわけで、あっちの講演会などには人が沢山来るようですし、会員もドンドンできるようです。ですから三倍増産は確実です。ごく内輪にみて二倍としても、今の六千万石の二倍とすると一億二千万石ですから、余ってしようがない事になります。これを一度に世の中の人に知らせるため何かの方法をしようと思ってます。なにしろ今年の不作は、新聞やラジオで言っているとおり、実に馬鹿々々しいくらいのものです。ところが飽くまで迷信に固まっているのです。この間のニュース映画にもありましたが、虫害のためだと言って消毒薬、殺虫剤を盛んに撒いて、殺虫剤が足りないと言って、それを得ようとして大変な騒ぎです。そうすればするほど逆効果になって悪いのですが、それに熱中してやっているのですから、この間書いたとおり〝超愚〟です。この超愚到る所にありで、これを何んとかして早く知らせなければしようがないのです。今までのやり方、現在のは酷すぎるし、又こっちでやる自然農法はあまりに良過ぎるのですから、両方の違いさというものは天と地ほどの違いです。全く天国と地獄です。というのは、つまり物凄い迷信です。医学迷信の方は直接それほどはっきりはしないわけですが、今の米の方は実にはっきりしているのですから、非常にやりよいわけです。この方は手取早く分らせられるわけです。二、三年たったら素晴しい事になると思ってます。ところで信者の人の中にも未だ肥料迷信から抜けられない人が大分あります。それで無肥料だ無肥料だと言いながら、外の物を使いたがったり、それから又堆肥に頼るのが非常に多いのです。ですから今書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。ただ新しい土などの固まり易い土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生の堆肥を沢山やると、雨が降った時には根元に湿気を含んで乾かさないために、それが有利なわけです。 (だ?)から果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によく出来ます。堆肥というのはそれだけの意味です。古い土などは、そのままで堆肥も何もやらない方がよいです。それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁と土をねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、外には何もありません。そういうようなわけで、堆肥迷信も分らせなければいけないわけです。近頃は大分それが分って来たようで、土に重きをおくようになりつつあります。
それからもう一つは、今年の成績でよく分ったのですが、深く耕すという事が非常によいのです。それは今まで長い間沢山やった肥料が、丁度稲の根が行くぐらいの所に固まっているのです。というのは今までは肥料をやるほど良いと思っていたから、なるべく根を肥料に近くするというやり方だったのです。それで今度は肥料からの悪影響を受けないために深く耕すのです。そうすると肥料の固まりの所が散らばりますから、つまり肥毒が薄くなるわけです。そのために非常に成績がよいのです。そういう工合に深く耕した所は、最初の年から三割くらい増産になってます。初年度からそういうふうですから附近の普通の農民には直ぐ分るので、オレもワレもと、ドンドン増えるのです。だから堆肥はなるべくやらない事ですが、絶対にやらなければなお結構です。ですから深く耕すという事だけで初年度から増産になります。
それから土を穢さないようにという事は、大体肥料というものは、地霊―土からは始終霊気が発散してますが、地球の真中は火の固まりで、それが始終上昇しているのです。そこで地霊には非常に熱があるのです。熱と言っても体的の熱ではなく霊的の熱です。やはり浄霊と同じようなものですが、その熱が非常に強いのです。それで肥毒がないとその熱が始終通るから、それが肥料になるのです。それが地から上昇して空中にだんだん溜まって行くのですが、それが雨によって又土にしみ込むという事になり、それが窒素肥料です。だから土から肥料となる霊気が絶えず上昇しているという事をしっていればよいわけです。そこで土を穢したりすると、それを妨げるわけですから、これもやっぱり〝超愚〟の方です。
それから今度「救世教奇蹟集」という本を出すべく新聞広告をしようと思ってますが、その広告文は外の人ではどうも書けないから私が作りました。大きさは、普通の新聞は全部で十五段になってますが、その三分の一の五段二つ割にしようと思います。普通は四つ割りにしますが、それではどうも貧弱ですから、二つ割が大々的で一番よいです。
〔世界救世教奇蹟集 広告文〕
世界救世教奇蹟集 広告文
(読売 昭和二十八年十月三十日)
凡そこの世に神は在るか無いかという事程、簡単にして難しい問題はあるまい。という訳は昔から今日迄肯定派と否定派とが何程論議を闘わして来たか分らないが、今以て結論は得られないにみても明らかである。これに就いて私としてもよく考えてみると、神が無いという方が当ってはいないかと思う。何故なれば目にも見えず、耳にも聞えず、手にも触れないからである。従って誰にでもハッキリ分る処の唯物科学を以て唯一無上のものと信じ、絶対的信頼を払っているのが現在である。処が困る事には何程科学が進歩しても、割切れない問題が次から次へ出て来るので、科学のみでは到底安心出来ないが為、或者は哲学へ、或者は宗教へ、或者は何々というように、何等か力強いものを求めてはいるが、それを満し得る程のものはないので、人々は不安に怯え乍ら、希望なき人生を送っているに過ぎないのである。成程文化の進歩は何も彼も便利となり、政治も社会機構も改善され、昔とは比べものにならない程恵まれているに拘わらず、右の如しとすれば現代文明の何処かに気の附かない大きな欠陥があるに相違ない事が考えられる。
では欠陥とは何かというと、即ち科学過信であって、特に智識人程そうであるから、何よりもこれに目覚めさせる事で、これが先決問題である。といっても智性の進んだ今日、何事も学理第一主義になっているから、この誤った考え方を是正し奇蹟によって神の実在を認識させる事である。従ってこれが一般に知れ渡るとしたら、玆に人類待望の平和幸福な世界実現は必然である。又昔から奇蹟は宗教に附物とされているが、その中でも彼のキリストの奇蹟である。これが同教発展の上に如何に大きな役目をしたかは、今日文化民族の大半が基督者であるにみても明らかである。それに引換え彼の仏教が、現在見る如き極東の一角に漸く命脈を保っているにすぎないのは釈尊在世中見るべき奇蹟がなかったからでもあろう。又今一つの重要事がある。それは昔から宗教、倫理、道徳、教育等々理屈を以て教化の方法として来たが、これも殆んど魅力を失ってしまった。というのは如何に巧妙な理屈といえども、事実が伴わない限り、人心を捉える事は出来ない。理屈だけで悪人が善人にはならない。理屈で幸福は掴めない。理屈通り医療を施しても病人は減らない。というように人間は最早理屈不感症となっている(只医学のみはそれに気附かないだけの事だ)然しこれより外に方法がない現在、ないより増しだ位に続けているのである。斯うみてくると今日真に人類を救い得る力のあるものは殆んどないといってよかろう。
処が驚くべし、この大問題を確実に解決出来る一大福音が生まれたのである。これこそ人間が夢想だもしなかった超人間力、即ち最高神の力であって、これが本教を通じて今や暗黒無明の世界をして、光明赫々たる世界に転化せしめんとするのである。その唯一の方法が奇蹟であり、本教位奇蹟の多い宗教は未だ嘗てないとされている。一例を挙げれば一信者にして、キリストと同様の奇蹟を顕わし得る者已に数十万に及んでをり、尚益々増加の傾向にあり、この事自体が已に一大奇蹟である。その実例百二十を載せてあるが、余りに超現実的なものばかりで、直ぐに信じ得られまいが、事実は飽くまで事実であり、全部本人手記のものである以上、疑念のある人は本人に直接打っかって訊くか、本教に来って直接検討されん事である。以上によってキリストの曰われた天国も、釈尊の曰われた彌勒の世も神の準備は已に成り、今や呱々の声を挙げんとするその直前が今日である。故に現在迄の人類苦闘史は、その陣痛の為でしかない事が分るであろう。
今年の台風はなかなか猛威をふるって大損害を与えましたが、これについては前にも書いたから分ってはいるでしょうが、又見方を違えて書いてみました。早く台風を無くする一つの警告というわけです。
御論文〔台風禍〕 【註 栄光二三〇号】
台風禍
(栄光二三〇号)
知らるるごとく今年程、後から後からと物凄い台風が現われた年は、今までに覚えがないであろう。そうしてこの災害たるや人畜をはじめ、田畑、道路、堤防、橋梁、船舶等々全部の被害を換算したら、どのくらいの額に上るか見当もつかない程である。ところが情ない事にはこの台風に対しての対策は、政府始め地方当局においても、余程以前から年中行事のように、鋭意あらん限りの方策を講じてはいるが、いずこも同じ秋の夕暮で財政逼迫、計画通りの実行はとても困難で、手も足も出ない有様である。としたら今後当然来るであろう数知れない台風に対しての、その不安たるや考えるだけでも慄然とするのである。それもこれも台風なるものの本体が全然不明であるからで、私はその根本を知らしたいためここにかくのである。言うまでもなくその原因は科学迷信の結果、何事も唯物的方法をもって解決しようとする、その考え方が根本を外れている以上、一時的膏薬張でしかないのである。
という訳で、どうしても真の原因である唯心方法によらなければ永久的解決は不可能である。では唯心的方法とは何かというと、つまり台風なるものの真の発生原因を知って、それに合う対策を立てる事である。それは度々言うごとく台風は天災ではなく人災であって、人間が作って人間が苦しむという呆れる程の無智なためである。といったら現代人は驚くであろうから、これを詳しくかいて一般の眼を覚そうと思うのである。そもそもこの世界とは見ゆる物質と見えぬ霊との二つから成立っており、ちょうど掌のようなもので、表(手の平)は体で裏が霊と思えばいい。つまり表裏結合一体となっている。そうして一切は霊が主で、体が従であるのが万有の法則である以上、現界に発生するすべては最初霊界に発生し、それが現界に移写するのである。ゆえに台風も最初霊界に発生するのはもちろんであるから、この発生原因を作らないようにすればいいので、それ以外の方法は決してないのである。ところがこの理を知らない人間は、結果である物質面のみを対象とする。ちょうど医学の対症療法と等しい訳で、一時的効果でしかない訳である。では霊的原因とは何かというと、すなわち霊界を曇らす事である。その曇りがある程度を越えるや、ここに自然浄化作用が発生する。これが台風であるから、この曇りを作らなければいいので、それには人間の想念と言葉に注意する。というのは想念が悪に属するもの、すなわち憎み、妬み、そねみ、怨み、嫉妬、不平等が霊界に反映し、気候不順の原因となると共に、今度は悪に属する言葉、行為すなわち讒侮〔誣〕、中傷、欺瞞、愚痴、卑劣、あらゆる罪悪等で、前者は一次元、後者は二次元の霊界を曇らす事になる。これを台風という自然浄化作用発生によって払拭するのである。
今一つは全然物質的原因である人肥金肥等の肥料、病虫害防止の薬剤等によって土を汚すため、自然はこの浄化のため大雨によって水で洗い流すのである。といったようにすべては人間の無智が作るのであるから、この事を知って原因を作らないようにすれば解決するのは当然で、大災も小災となり、小災も無災となる。これが宇宙の真理であるから、これを守る以外根本的効果のない事は断言するのである。
医学と浄霊の原理をはっきり分らせるには有限力と無限力という事を説くと一番よく分ると思います。というのは、病気の原因というものは無限的なのであって、有限的の性質のものではないのです。ところが医学の方の顕微鏡で見た黴菌というものは―つまり細かい粒子です。そうしてだんだん細かいものが見えるようになって―今日ではヴィールスとなってます。ところがヴィールスというよりもまだまだ細かいものが発見されます。それは、科学の方では中間子とか素粒子と言うのは、やはり粒子です。そういうようで、結局科学の進歩というのは、細かいものが見えるというだけのものです。ところがどんな細かいもの、例えば一ミリの中に一千万個、一億万個と数えますが、数えるとそれで限度があります。無限ではありません。ところが一ミリの間に一億万個から十億万個となると、どのくらい小さくなるか分からないが、それでも十億という数があるのだから有限です。ところが実は病気は有限なものではないのです。肺病なら肺病でも、これだけの黴菌は何億万個という事が分ったとして、それを殺菌しますが、それで治るかというと治りません。何故治らないかと言うと、その出来た黴菌だけ殺しても、後から後から出てくるからです。伝染発生にしても自然発生にしても、黴菌が何億万個という事が数えられたとしても、それだけでお終いなら、みんな殺してしまえばよいですが、大体出来るという事は、何処かから発生したもので漠然と出来るものではないから、そうすると発生原(源?)というものは科学でも分らないのです。それは何かと言うと無限的だからです。ですから無限の病原を除り去るとしたら、やはり無限の力でなければ駄目なのです。そこで浄霊とは無限力になるのです。だから原子爆弾は決して恐れるほどのものではないのです。というのは有限力だからです。あれ一つで地球全部が破壊できるものではありません。何キロ何十キロと限度があるものです。又水素爆弾が出来たとしても、日本全体を焼き切る事はできないし、東洋全体を焼き切る事はできません。例え東洋全体を焼き切る事ができたとしても、世界全体を焼き切る事はできません。というのは有限力だからで、有限力というのは要するに力が弱いわけです。ところがこの方は無限力で、無限力というのは絶対力です。今アメリカのロスアンジェルスで随分奇蹟があったりお蔭があってますが、そうすると私の霊力がロスアンジェルスにも行っているのです。それは無限力だからで、無限力は地球全体に行きます。そのくらい力が違うわけです。有限力では絶対の力がないから、或る限度しか解決できないのです。病気を治すと言っても治り切りには治らないわけです。逆進歩してうまくやったとしても一時的です。ですからこれは時の限度があるわけです。浄霊の方は時の限度もなければ、力の限度もないのだから、そこで病気をすっかり無くしてしまう事ができるのです。これは科学の説明です。そういうわけで、科学というものは有限力の範囲内が科学です。それで無限力に入れば科学ではないわけで、宗教の方に入るわけです。しかしその無限力の中にも、絶対無限と、ある限度があるものとがあるのです。というのは今までの宗教で病気が治る場合もありますし、奇蹟もありますが、しかしそれは救世教の奇蹟ほど素晴しいものではありません。それは救世教の奇蹟というものは三日の修業でキリストができるのですから、さっき読んだとおり、最早や数十万のキリストができているというわけです。キリストと同じ事ができるのだから少しも間違ってはいないわけです。結局において、有限力と無限力の力比べです。その点が分れば、今の科学信者にも分ると思います。科学的に説けばそうなります。ですから科学というものが如何に進歩しても限度があるのです。神様の方は無限だという、その点が逆です。それで無限力の中にも上中下があります。それでは今までの宗教で病気が減りそうなものだという理窟になりますが、それは実は徹底するほどの無限力でなく、或る程度の有限力なのです。或る程度の有限力というのは、今まではみんな月の力です。月の光というのは太陽の光の取次です。それは科学でも分ってますが、月の光というのは太陽から受け継いだ光なのです。そこで太陽の光を弱めたようなものです。救世教の光というのは太陽直接の光です。そこで此処は「日光殿」という名を名付けたわけです。太陽の光だから昼間の世界というわけで、月の方はその六十分の一ですから弱いわけです。だから有限力の方に負けるわけです。即ち今までの宗教は科学に押し倒されたわけです。そこで今までの宗教家も、科学には敵わないと言ってカブトをぬいだといわけで、それがどの宗教でも病院を造っているという事です。それから社会事業などをやっているのは、つまり力が弱いから、科学に負けたわけです。そこで今までは総て有限力でいろいろな事を解決しようとしていたから、そこで肥料もそういうわけです。さっき言ったとおり、地から放射する地霊というのは無限力であって、肥料というのは有限力です。それで有限力で押(抑?)えると一時ちょっと良いので、それに迷わされていろんな迷信ができてしまったのです。その無限力を大いに発揮するという事によって、大いに増産になるというわけですから、その点さえ分れば、別に難かしい事はありません。むしろ有限力で効果を上げれば、それこそ不可解な事です。ですから医療で病気が治れば大奇蹟です。おそらく奇蹟以上の奇蹟です。二、三日前に或る医学博士に遇った時にその話をしたのです。〝医療で病気が治れば、これは大問題だ〟と言ったら変な顔をしてました。そういうようで、救世教で病気が治るという事は実に簡単明瞭な理窟ですから、何んでも分るのです。若し医学の方病気が治るとしたら、難かしくて説く事はできません。つまり一般人が分らないという事は、酒を飲んで顔を赤くして〝どうだ、このとおり顔色がよいだろう〟と言って威張っているようなものです。とに角あべこべなのですから、その頭をちょっと引繰返せばよく分るのです。それで今の有限力と無限力で説いてゆくと、その頭を引繰返すのに一番効果があります。おまけに今の智識人というのは、近頃はみんな頭が大分進んで来ましたから―と言っても上面が進んで来たのですが―ですから余程科学的に説明しないと納得しないのです。その場合に今の有限力、無限力でやってゆくと一番分ります。
それからこの間の学会での物性論なども馬鹿々々しいくらい幼稚なものです。科学者はみんな大したもののように鼻高々とやってますが、子供がオモチャをいじっているとしか思えません。結局あれがだんだん進んで行けば、今の無限境に入って行くに決まっているのです。そこまでで科学はお終いなのです。つまり科学は必要がなくなるのです。ですから粒子が幾らかでも分る間は科学が必要だが、その先に行けば必要がないのです。それは無限境に入って行くのだから、科学はお終いになるのです。ですから科学者というのは技師などになったらよいでしょう。そういった学問というのは必要がなくなって来るのです。それがやっぱり限度というものです。そういうようなわけですから、もう長い事はありません。割合に早いです。というのは私がその理窟を知ってしまいましたから、これをだんだん多くの人に知らせて行くから、そうすれば当然無限力が勝つに決まってますし、それが真理なのです。それをお釈迦さんは知っていたのです。奥までは知らないが、或る程度は知っていたのです。そこで一切〝無〟或いは〝空〟と言ったのです。それは間違ってはいません。無限力というのは空です。物質的には分らないのです。ところがもう一層徹底して、今言ったような説き方をすれば、それはずっと分っていたのですが、時期がそこまで行ってないから、その時にそこまで言ったところで、その時代の人間には分りようがありません。今日科学が進歩したために分り易くなったわけですから、その点においては科学の進歩も大いに役立っているわけです。つまりその理を分らせる手前にまで文化を推し進めて来たという点においては、科学の功績も大したもので、高く評価してもよいわけです。
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