救世会館もいよいよ昨日上棟式が済みました。何時も言うとおり、箱根は霊界の型で熱海は現界の型だから、この救世会館が出来るに従って現界的に現われて来るのです。それからもう一つは箱根が日本の型で、熱海は外国の型と言っても良いのです。だからハワイに今年始めた頃が丁度救世会館がいよいよ建築に取掛った頃と大体同じになってます。それでこれからだんだん会館の工事が進むに従ってアメリカの方が発展してゆくという順序になります。だから言わば世界の型になります。してみると昨日の上棟式というものも大変な大きな意味があります。そういうわけで、最近になって白人の方にもボツボツ信者ができ始めて来たのです。今度白人のカトリックの信者が二人向うで入信したようですが、カトリックはなかなか強い信仰で、他の宗教などに触れるという事は非常に喧しいという事を聞いてましたが、それほどでもないらしいです。それについて二、三日前に樋口さんから報告が来たので、これを読む方が早いですから、今読ませます。
(ハワイ通信 十) 【註 栄光二三二号】
ハワイ通信 十
(栄光二三二号)
右のような工合で、着々と進展しつつあるわけです。信者も、もう千人を突破しましたし、本部もハワイ本部として相当な家ができましたし、まだ半年とちょっとでこれだけ開けたのですから実に早いです。この分で行ったら、来年あたりはどのくらい発展するかと思って、非常に喜びに堪えません。
それから自然農法も今年は技術的に大改良をされて、今までは初年度から一、二年くらいというものは大した成績が上がらなかったのです。初年度で多少減産になる所もありますが、大体は漸く平年作を保てばよいぐらいに思っていたのですが、今度中京の方の二、三の自然栽培で初年度から相当に増産になったのです。一番増産になったのが、初年度で五割増産した人があります。これはどういう訳かというと、最初から深耕したのです。それから稲の株間を広くしたのです。無論一本植えです。深く耕すのは大体一尺から一尺二寸ぐらいが適当(適当と?)してますが、それをよく考えてみると、今まで肥料がだんだん溜まって、つまり土の表、表土は肥毒の壁みたいになっていたのです。だから無肥にしても、稲の根は其処につかえて本当の土の養分を吸えなかったわけです。ところが深く掘るとその壁を突破ってしまうわけです。そうして下の良い土が表に出るわけで、つまり天地返しをするというわけです。それをやると、多少はその壁土が混じりますが、なにしろ壁を破ったのですから、平均されて大した害はないわけで、害が少なくなるのです。そのために成績がよいのです。そうなると稲がよく育ちますから、分蘖なども多くなります。それから株と株との間を広くしないと、葉の陰になって根に天日がよく当らないのですが、間を開けると日がよく当りますから、つまり土が温まるというわけで、素晴しい出来になるのです。そういうようなわけで、これは一大改良です。そのために初年度から増産になるという事は大変な魅力ですから、これが分ればどんな農民でもやらずにはおられないという事になります。そこにもっていって今年はあのとおりの大不作で実に惨憺たる有様です。政府の発表では、五千八百五十万石と言ってますが、事実はもっと少ないのです。それで各地で、このとおりだという事を知らしたいためにいろんな運動が起こってます。こっちの方は素晴しい増産のやり方が現われるとともに、世間は反対に不作ですから、神様が丁度いい工合にそういうようにされたものでしょう。そこでもう一つはこういう事があります。土というものは変化するのです。という事は、米なら米、豆なら豆と、一つの作物を連作すると、それに対する土の性能が発達するのです。だからその作物を育てる性能がだんだん強くなって来るわけです。丁度人間と同じ事で、新しい土にやると、土そのものがつまり素人なのです。ところがいろんな物をだんだん作ると、土にそれを育てる力が出て来るわけです。職工なら熟練工になるわけです。これを分りやすく言うと、年々土の養分が増えてゆくわけです。だから今平年作は六千三百万石ですが、一年か二年たつと五割増産になるでしょう。それから五、六年過ぎると十割増産になり、もっと過ぎてゆくと二十割、三十割というようになってゆきます。それは嘘のような話ですが、神様は土も稲もチャンとそういうふうに作られているのです。というのは人間は何処までも増えますから、人間の増え方が無限だから、そうすると人間が食う米もやはり無限なのです。そういう結構なように神様が造られたのに、人間がとんでもない事にしたのです。それは丁度人間が薬をのんでだんだん病人を増やしているという事と同じです。それで何時も特集号は春に出しますが、そういう事では追い付かないから、丁度、今言った良い成績の報告が大分来てますので、それを根拠として、この次か、遅れてその次あたりに特集号を出そうと思ってます。そうしてとに角、栄光新聞だけででも各地で宣伝する材料にしようと思ってます。去年十八俵とった伊野さんは、今に二十五俵にしてみせると言っているそうですが、そのくらいはとれます。とに角今に日本は米が余ってしようがないようになります。何処に輸出しようかと、今度は輸出先に苦しまなければならないという事になります。そうすると大体今は輸入超過で困っているという事も、米だけが解決すれば今度は輸出超過という事になります。そうなれば税金などはずっと減ります。勿論一番お蔭を受けるのは農民ですから、これだけでも農村の地上天国は一番先に出来ます。それがひいては物価も下りますから、生活はどのくらい楽になるか分りません。日本の地上天国というのも近付いたという事も言えます。あんまり話がうま過ぎますが、嘘ではないので実際の成績が挙げられているのです。
結局日本の地上天国が出来て、それから外国にだんだん行くのが順序です。それでさっき言った箱根が日本の型、熱海が外国の型という事はそういうわけです。それで神仙郷の地上天国が今年出来上って、これからだんだん熱海になるのですが、そうすると、まず日本の地上天国のごく小さい型、それから熱海に外国の地上天国のごく小さい型と、だんだん拡がってゆくわけですから、神様はその型を着々としてやられているわけです。そこで箱根の道場は「日光殿」で、日の光で、つまり日本は日の本です。それから熱海は「救世会館」と言ってメシヤというのは西洋の名前ですから、そこで名前だけでも西洋の意味になってます。それが分れば、世界でも、神様の事もよく分るのです。箱根は何処までも山で熱海は何処までも水なのです。山が経で、熱海は水で緯ですから、チャンとそうなってます。だから経と緯になるわけです。今度熱海が出来れば、経と緯が出来た事になります。だから私は面白いと思うのは、箱根と熱海の間が十国峠と言って、丁度経と緯の真中になりますから十になるわけです。将来は十国峠には素晴しい物が出来るに違いありません。この話はそのくらいにしておきます。
ちょっと面白い事を書いてみましたから読ませます。
御論文〔詐欺時代〕 【註 栄光二三一号】
詐欺時代
(栄光二三一号)
これも可笑しな題だが、実は本当の事であって、只一般が気が附かないだけの話である。それは何かと言うと、今日の社会は真実そのものは至って少なく、大部分と言っていい程、大なり小なり詐欺的手段が公然と行われている。それを今書いてみるが、例により医薬の面で、先ず薬である。毎日の新聞の広告欄を見ても分る通り、薬の広告が大半を占めている。このような莫大な広告料を払ってまで割に合うのだから、如何に売れるかが分る。これでみても、今の人間が飲む薬の量は大変なもので、少し有名な売薬は、五段抜き二つ割大の広告を毎日のように出しているが、この広告を我々の見地から検討してみると、殆んど詐欺ならざるはないと言っていい位である。
例えば、この薬を飲んだら何病に効くとか、何病の発病が予防出来るとか、血が増え肉が殖えるとか、サモ素晴しい効果がありそうに思われるが、悉くは売らんが為の欺瞞手段である。というのは、第一当局にしても薬の効く効かないは問題ではない。只害にさえならなければ許可する方針だというのであるから、売薬業者もその点充分承知している筈であるから、怪しからん話だ。尤も昔から、売薬の効能といって誇大が当り前のようになっているのは、誰も知っているであろう。これ等も公平に見て一種の詐欺的行為と言えよう。然も人の弱身につけ込んで金儲けに利用するのだから、その罪赦し難しであろう。次は医学であるが、これも大同小異で、只世人が気が附かないだけの事である。例えば、貴方の病気は一週間通えば治るとか、この注射を何本うてば快くなるとか、この手術なら、この薬を続ければ、などと言って患者に安心させるが、恐らく言葉通りに治った例しは極く稀であって、大部分は見込違いであるのは医師もよく知っている筈で、これをパーセンテージで現わしたら、意外な結果であろう。してみれば、これ等も善意の詐欺と言えない事はあるまい。
故に〝貴方の病気は私には分らないから、確かな事は言えない。飲薬でも注射でも何々療法でも、治るとは断言出来ない。入院しても確かに治るとは請合えない〟と言うのが本当であろうが、それでは患者は来なくなり、忽ち飯の食い上げとなるから止むを得ないとは思うが、患者こそいい面の皮であり、医師の立場もサゾ辛いだろうと御察しする。又手術にしても一回で治らず、二回、三回というように回を重ねても治らず、酷いのになると一週間の入院で治ると請合っても治らず、二週間、三週間、遂には半年、一年となっても治らない例もよく聞くのである。これ等に至っては、多額の入院料を払いつつ、長い間散々苦しんだ揚句、病気の方は入院当時よりも悪化し、結局退院か死かのどちらかというような人も随分多いようで、結果から言ってヤハリ詐欺になり、患者は被害者になるわけである。そのような事が、何ら怪しまれず公々然と行われている今日であるから、実に恐ろしい世の中と言わざるを得ない。処がこういう場合、医師は巧く逃げる。曰く、貴方は異常体質だ、手後れだったのだ、非常な悪質な病気だ、万人に一人しかない病だなどと言って済んでしまう。中には良心的な医師もあって、自分の見込み違いだったという事もないではないが、これ等は極く稀である。
次は政治面であるが、政府の公約も、議員候補者の選挙演説なども、国民や選挙民に誓約した言葉など、その場限りで忘れてしまい、何等責任を負わないのが通例となっている。又政党なども、口では国家本位などと言うが、実は我党本位であって、是々非々も御都合次第で、いつかは煙になる事が多い。又商工業者の見本と現品の違う事など当然のようになっており、手形の不渡の多い事など、書けば限りがない程で、只法に触れるか触れないかの際どい詐欺は、当然のように社会一般に行われている。というように、今日の世の中で正直明朗は殆んど見られない。今一つの驚くべき事は、宗教にも詐術があると聞いたら、誰しも意外に思うであろう。それは何かと言うと、例えば、貴方の病気を治すには、幾ら幾ら金を献げなさいという宗教がある。併しその通りに上げても治らず、死ぬ事もあるから、これ等は神の名を利用した立派な詐欺であろう。そうかと思うと、御利益のない内から、信じなくては治らないと言うかと思えば、御利益のないのは信仰が足りないからなどと逃げるのも、厳密に言えば詐欺でないと誰か言い得よう。
こうみてくると、今日の世の中は真実は絶無とは言えないまでも、洵に寥々たる有様で、殆んど嘘つき瞞し合いが普通の事のようになっている。全く闇の世の中である。この闇の世の中を明るい世の中に切替えるのが我が救世教の使命であるから、世間でもお光様と言うのであろう。
それから今度「救世教奇蹟集」という本を出しますが、なにしろ奇蹟などというのはあまり知らないので、漸くキリストの奇蹟ぐらいが宗教的奇蹟として知っているぐらいで、救世教の奇蹟というのは想像もできないのです。そこでこの広告文などもなかなか難かしいのです。やっぱり迷信を鼓吹するというようにとられやすいのです。だからそうとられないように、なるほどそういう事もあるかというように注目されるようにしなければならないのです。それで広告文の書き方もつまり信用されるようにして、それでは買って読んでみようという心を起こさせるというようにもしなければならないのです。私は今まで書いた事はないが、これだけは一生懸命に書きました。
〔世界救世教奇蹟集 広告文〕
世界救世教奇蹟集 広告文
(読売 昭和二十八年十月三十日)
凡そこの世に神は在るか無いかという事程、簡単にして難しい問題はあるまい。という訳は昔から今日迄肯定派と否定派とが何程論議を闘わして来たか分らないが、今以て結論は得られないにみても明らかである。これに就いて私としてもよく考えてみると、神が無いという方が当ってはいないかと思う。何故なれば目にも見えず、耳にも聞えず、手にも触れないからである。従って誰にでもハッキリ分る処の唯物科学を以て唯一無上のものと信じ、絶対的信頼を払っているのが現在である。処が困る事には何程科学が進歩しても、割切れない問題が次から次へ出て来るので、科学のみでは到底安心出来ないが為、或者は哲学へ、或者は宗教へ、或者は何々というように、何等か力強いものを求めてはいるが、それを満し得る程のものはないので、人々は不安に怯え乍ら、希望なき人生を送っているに過ぎないのである。成程文化の進歩は何も彼も便利となり、政治も社会機構も改善され、昔とは比べものにならない程恵まれているに拘わらず、右の如しとすれば現代文明の何処かに気の附かない大きな欠陥があるに相違ない事が考えられる。
では欠陥とは何かというと、即ち科学過信であって、特に智識人程そうであるから、何よりもこれに目覚めさせる事で、これが先決問題である。といっても智性の進んだ今日、何事も学理第一主義になっているから、この誤った考え方を是正し奇蹟によって神の実在を認識させる事である。従ってこれが一般に知れ渡るとしたら、玆に人類待望の平和幸福な世界実現は必然である。又昔から奇蹟は宗教に附物とされているが、その中でも彼のキリストの奇蹟である。これが同教発展の上に如何に大きな役目をしたかは、今日文化民族の大半が基督者であるにみても明らかである。それに引換え彼の仏教が、現在見る如き極東の一角に漸く命脈を保っているにすぎないのは釈尊在世中見るべき奇蹟がなかったからでもあろう。又今一つの重要事がある。それは昔から宗教、倫理、道徳、教育等々理屈を以て教化の方法として来たが、これも殆んど魅力を失ってしまった。というのは如何に巧妙な理屈といえども、事実が伴わない限り、人心を捉える事は出来ない。理屈だけで悪人が善人にはならない。理屈で幸福は掴めない。理屈通り医療を施しても病人は減らない。というように人間は最早理屈不感症となっている(只医学のみはそれに気附かないだけの事だ)然しこれより外に方法がない現在、ないより増しだ位に続けているのである。斯うみてくると今日真に人類を救い得る力のあるものは殆んどないといってよかろう。
処が驚くべし、この大問題を確実に解決出来る一大福音が生まれたのである。これこそ人間が夢想だもしなかった超人間力、即ち最高神の力であって、これが本教を通じて今や暗黒無明の世界をして、光明赫々たる世界に転化せしめんとするのである。その唯一の方法が奇蹟であり、本教位奇蹟の多い宗教は未だ嘗てないとされている。一例を挙げれば一信者にして、キリストと同様の奇蹟を顕わし得る者已に数十万に及んでをり、尚益々増加の傾向にあり、この事自体が已に一大奇蹟である。その実例百二十を載せてあるが、余りに超現実的なものばかりで、直ぐに信じ得られまいが、事実は飽くまで事実であり、全部本人手記のものである以上、疑念のある人は本人に直接打っかって訊くか、本教に来って直接検討されん事である。以上によってキリストの曰われた天国も、釈尊の曰われた彌勒の世も神の準備は已に成り、今や呱々の声を挙げんとするその直前が今日である。故に現在迄の人類苦闘史は、その陣痛の為でしかない事が分るであろう。
昨日改進党の早稲田柳右衛門という人と会食を共にしましたが、この人は今度東南アジヤの方に行って来たのです。新聞ラジオにも出てますが小金義照という自由党代表の人と二人、政府から選ばれて廻ったのですが、二人とも救世教の信者だという事も余程意味があります。その人の話でインドには仏教信者というのは殆んど居ないそうです。全部ヒンズー教徒とイスラム教徒(フイフイ教徒)だそうです。そして残っているのはビルマが一番だそうですが、あとはマレー、タイ、その周囲、それから日本、それだけだそうです。ですから仏教は殆んど無くなったようなものです。というのは、今読んだとおりお釈迦さんは奇蹟を行わなかったという事が根本原因です。キリスト教がとも角ああして発展したのは、キリストは奇蹟を行ったからでしょう。しかしキリストの奇蹟をとればあとはバイブル、つまりお説教です。そこで神様は救世教をつくって大奇蹟によって救うのです。それで奇蹟々々と言うが本当は奇蹟ではないのです。つまりこれが本当なのです。今まで嘘の事ばかりやっていたから本当の事が奇蹟になってしまうのです。世の中が本当になれば奇蹟が本当の事で、そうなれば奇蹟とは言わなくなります。
それから一言いっておきますが、どうも浄霊に力が入るようです。よく御守護の電報が来ますが、直き治るような事が大変困るように書いてあります。これはやっぱり浄霊に力が入るせいです。そこで治りが悪いのです。この力を抜くのはなかなか大変なものですが、力を抜くほど治るのです。それで力を抜いて向うに通らなければならないので、これがなかなか大変なのです。ですから何処までも力を抜くという事に注意するのです。そうすると、とてもよく治ります。ですから私もこうして浄霊してますが、力を抜くという事はなかなか楽であって、骨が折れるわけです。
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