明日救世会館の上棟式という事になりましたが、お天気も良さそうです。日本建築の方は建前と言うと、一種の建前気分と言いますか、そういうものがありますが、ああいったコンクリートの鉄筋の建築では何んだか建前という感じはしないようです。考えてみると、セメントと鉄材でドンドン作ってゆくのですから、別に意味はないわけです。これは日本だけだろうと思いますが、日本の昔の木造建築の習慣が残っているために、そういうような形式をやるのだろうと思います。
兎に角、前にも言ったとおり箱根が霊で熱海が体ですから、この救世会館が出来るという事は、体的に一つの始りです。箱根の方は霊ですから、ちょっと目には見えないわけです。しかし熱海は体ですから、この救世会館がだんだん出来るに従って、その影響が世界に現われるわけです。一番著しいのは救世教の発展ですが、これが体的ですから目について来るわけです。そして神様の事は総て型でゆくのですから、例えて見れば何処か拡がるとか出来るというと、やはり御神業の方もそれだけ増え、拡がってゆくわけです。つまり小さい型を拡げれば、大きいものも拡がるという事になるわけです。ですから建増しとか地所を拡げるという事は非常によいのです。支部などもそうで、拡げれば拡がっただけは必ず御神業の方も発展します。これが型です。昔の宗教が小さな所に楯籠(立籠?)もって、ごく地味にやっているああいったやり方とは全然違います。昔とても立派な堂宇や伽藍を作るには作ったが、それはかなり成功してからの事で、最初は誠にそういった事にはあまり関心を持たなかったのです。ところが救世教の行き方はそれとは違うのです。今までは一切衆生を救うという建前でしたが、救世教の方は地上天国を造るという建設が主になってますから、やっぱりこっちの根本がそういったようになってますから、体的にも建設をしてゆかなければならないのです。そういうようなわけでこの救世会館が出来るに従って、日本は固より外国の方にもドンドン拡がってゆくわけです。
つい二、三日前に一カ月ぶりぐらいで樋口さんからの報告が来ましたが、これはみんな早く知りたい事ですから今読ませます。
(ハワイ通信 十) 【註 栄光二三二号】
ハワイ通信 十
(栄光二三二号)
これで見ても、外人の方にもボツボツ知れて来たようで、面白いと思います。それからカトリックの信者も二人救世教の事が分って来たようですから、それほど骨の折れる事もないと思います。なにしろ米人に拡がらなければ面白くありません。神様がいいようにしますが、とに角信者もハワイだけで千人を突破したようですし、ハワイの本部の土地家屋も、金の目安は大体ついたようですから結構です。五万弗のうちで二万弗は借り二万五千弗は信者間で出来たわけですから、もう完全に手に入ったわけです。なにしろハワイという所は島が沢山あり、ややこしい所です。其処で、到る所に、一つの繋がりができつつあります。ハワイで大分評判になっていて、その評判を聞いて来たフランス人があるくらいですから、僅か半年あまりで、これだけの土台が出来たのです。神様の腕前というか、とに角素晴しいものと思ってます。そういうわけですから、来年あたりになったら随分面白くなると思います。そういう事が、さっき言ったとおり、救世会館が出来るに従って、一つの響きと言いますか、そういうふうになって来ます。神様の御経綸というものは実に正確なものなのです。ボーッとしているようでいて、実にピタリピタリとゆくのです。私なども何時も、何かボーッとしているけれども、時期が来るとはっきりするので、それは実に面白いものです。何かヒョッと浮かぶのです。それがなかなかあり得べき事ではないと思うが、少したつとそれが出て来るのです。だからとてもそれは駄目だと思った事でも、案外早く現われて来るのです。美術品などもそうです。あれはとても駄目だ、あの家で持っているのだからとても手放すわけがない――道具屋などの話でもそうですが――と思って居ると、時が来るとヒョロヒョロと入って来るのです。それは実に面白いものです。
それからみんな気がつかない事で面白い事があるので書いてみました。
御論文〔詐欺時代〕 【註 栄光二三一号】
詐欺時代
(栄光二三一号)
これも可笑しな題だが、実は本当の事であって、只一般が気が附かないだけの話である。それは何かと言うと、今日の社会は真実そのものは至って少なく、大部分と言っていい程、大なり小なり詐欺的手段が公然と行われている。それを今書いてみるが、例により医薬の面で、先ず薬である。毎日の新聞の広告欄を見ても分る通り、薬の広告が大半を占めている。このような莫大な広告料を払ってまで割に合うのだから、如何に売れるかが分る。これでみても、今の人間が飲む薬の量は大変なもので、少し有名な売薬は、五段抜き二つ割大の広告を毎日のように出しているが、この広告を我々の見地から検討してみると、殆んど詐欺ならざるはないと言っていい位である。
例えば、この薬を飲んだら何病に効くとか、何病の発病が予防出来るとか、血が増え肉が殖えるとか、サモ素晴しい効果がありそうに思われるが、悉くは売らんが為の欺瞞手段である。というのは、第一当局にしても薬の効く効かないは問題ではない。只害にさえならなければ許可する方針だというのであるから、売薬業者もその点充分承知している筈であるから、怪しからん話だ。尤も昔から、売薬の効能といって誇大が当り前のようになっているのは、誰も知っているであろう。これ等も公平に見て一種の詐欺的行為と言えよう。然も人の弱身につけ込んで金儲けに利用するのだから、その罪赦し難しであろう。次は医学であるが、これも大同小異で、只世人が気が附かないだけの事である。例えば、貴方の病気は一週間通えば治るとか、この注射を何本うてば快くなるとか、この手術なら、この薬を続ければ、などと言って患者に安心させるが、恐らく言葉通りに治った例しは極く稀であって、大部分は見込違いであるのは医師もよく知っている筈で、これをパーセンテージで現わしたら、意外な結果であろう。してみれば、これ等も善意の詐欺と言えない事はあるまい。
故に〝貴方の病気は私には分らないから、確かな事は言えない。飲薬でも注射でも何々療法でも、治るとは断言出来ない。入院しても確かに治るとは請合えない〟と言うのが本当であろうが、それでは患者は来なくなり、忽ち飯の食い上げとなるから止むを得ないとは思うが、患者こそいい面の皮であり、医師の立場もサゾ辛いだろうと御察しする。又手術にしても一回で治らず、二回、三回というように回を重ねても治らず、酷いのになると一週間の入院で治ると請合っても治らず、二週間、三週間、遂には半年、一年となっても治らない例もよく聞くのである。これ等に至っては、多額の入院料を払いつつ、長い間散々苦しんだ揚句、病気の方は入院当時よりも悪化し、結局退院か死かのどちらかというような人も随分多いようで、結果から言ってヤハリ詐欺になり、患者は被害者になるわけである。そのような事が、何ら怪しまれず公々然と行われている今日であるから、実に恐ろしい世の中と言わざるを得ない。処がこういう場合、医師は巧く逃げる。曰く、貴方は異常体質だ、手後れだったのだ、非常な悪質な病気だ、万人に一人しかない病だなどと言って済んでしまう。中には良心的な医師もあって、自分の見込み違いだったという事もないではないが、これ等は極く稀である。
次は政治面であるが、政府の公約も、議員候補者の選挙演説なども、国民や選挙民に誓約した言葉など、その場限りで忘れてしまい、何等責任を負わないのが通例となっている。又政党なども、口では国家本位などと言うが、実は我党本位であって、是々非々も御都合次第で、いつかは煙になる事が多い。又商工業者の見本と現品の違う事など当然のようになっており、手形の不渡の多い事など、書けば限りがない程で、只法に触れるか触れないかの際どい詐欺は、当然のように社会一般に行われている。というように、今日の世の中で正直明朗は殆んど見られない。今一つの驚くべき事は、宗教にも詐術があると聞いたら、誰しも意外に思うであろう。それは何かと言うと、例えば、貴方の病気を治すには、幾ら幾ら金を献げなさいという宗教がある。併しその通りに上げても治らず、死ぬ事もあるから、これ等は神の名を利用した立派な詐欺であろう。そうかと思うと、御利益のない内から、信じなくては治らないと言うかと思えば、御利益のないのは信仰が足りないからなどと逃げるのも、厳密に言えば詐欺でないと誰か言い得よう。
こうみてくると、今日の世の中は真実は絶無とは言えないまでも、洵に寥々たる有様で、殆んど嘘つき瞞し合いが普通の事のようになっている。全く闇の世の中である。この闇の世の中を明るい世の中に切替えるのが我が救世教の使命であるから、世間でもお光様と言うのであろう。
伊都能売という事をよく言いますが、伊都能売というのは数でゆくと「五」「三」です。「イズ」「ミズ」です、「イズ」という事は五つ、「ミ」という事は三つという事ですから、「ヒ」「ミズ」という事です。「ヒ」「ミズ」という事は「カミ」です。「ヒ」は「カ」「ミズ」は「ミ」ですから、伊都能売が本当の神なのです。そこでこれについて面白い事があります。私が大本教に居た時に分ったのですが、〝大本教は世界の型であるから〟というのがお筆先にあるのです。だから神様の経綸の最初の型になるわけです。というのは教祖の出口直という人は、経つまり火になるわけです。経ですから実に几帳面で厳格なのです。決して膝をくずしません。大体が女ですからそうですが、キチンと坐って少しも体がくずれないのです。それで実に極端なくらい厳格なのです。食べ物でも、動物の油などは食べません。ですから教祖の時代には信者がやはりそういうようで、なにしろ洋服は絶対にいけないし、それから皮のカバンも持たないのです。これには訳がありますが、以前大本教では一年に一度、丹後の沖に男島女島という二つの島があって、艮の金神様が女島男島で行をされたというのでお参りをするのですが、その時に一度非常な暴風に遭って散々船がもまれてみんな心配した事があります。その時、これには何かあるというので、要するに誰かが穢れた物を持っているに違いないというので調べたところが、一人皮のカバンを持っていた人があったので、これが原因だというのでその皮のカバンを海の中に投げ込んだのです。そうすると暴風がビタッと止まったのです。ですからまんざら迷信ではないのです。それは教祖の身魂の因縁というか、経一方の一つの性格的のいろんな事が現われるのです。それから又出口王仁三郎という方は緯ですからそれが又極端なのです。年中寝てますが、著述をする時には寝ながら喋るのです。起きていると出ないというのです。ですからいろんな建物の各部屋々々にはみんな蒲団を敷いて枕をおいてあって其処に行くとゴロッと寝るのです。それで大本事件で官僚が調べた時に、各部屋に蒲団を敷いて枕があるので、これは此処で女を犯すのだというので調べられたのです。それで〝ワシは緯の身魂だから〟と言っているくらいですからしようがありません。その経と緯、火と水が実によく現われてます。そこで教祖さんの一方のために、大正十年にああいった大本事件というものを起こしたのですが、一時は非常な打撃を受けました。それから聖師様になってからは、緯のためにとうとう昭和十年に大本事件を起こしてしまったのです。これは致命的なものです。なにしろ七年牢屋に入っていて、終戦になったのでやっと出されたくらいなものです。結局経で失敗し、緯で失敗したのです。これを世界に合わせてみるとよく分ります。つまり東洋文明が経で、西洋文明が緯ですが、経の東洋文明要するに精神文明のために、緯の物質を否定したのです。それがインドですが、ああいう工合に物質的には貧困になってしまってます。これはつまらない話ですが、映画などで見ても、インド人は痩せてまるで骸骨みたいです。それは何かというと、食べ物を少なく食べるのが習慣になって、痩せるのが普通になってしまっているのです。そこにもっていって、近頃は余程変ったが、以前は菜食と牛乳だけだったのです。日本の封建制度というものはそれに大いに影響されているのです。ところが西洋の方は全然別で、逆に侵略し横に拡がったために争いが絶えないというわけで、結局今は横同志(同士?)が争っているわけですから、これも失敗です。ですから東洋は経の文明によって失敗し、西洋は緯の文明によって失敗したわけです。そこで伊都能売というのは十の真中で、経にあらず、緯にあらず、又経であり緯である、という融通無碍、それが伊都能売です。そこで大本教で、教祖の経と聖師の緯から生まれたのが私なのです。私がその両方をとった伊都能売です。私のやり方というのは、丁度伊都能売的です。バッチもそういう意味を表徴してあるのです。経と緯のどっちにも偏らない文明、それが本当のもの、真理です。それからもう一つは力の根原(源?)になるのです。それで「力」という文字は、最初経を書いて、横を書いて、それからこうゆくのです。ですから経緯を結ぶと力が出るのです。それで結んで活動を始める形です。浄霊で病気を治すという事も、これは力です。それでこの力というものは、歴史でも分るとおり今まではなかったのです。今までのは経か緯かどっちか一つです。この結んだものというのはなかったのです。それで結ばれないから力がないのです。ですから今までの宗教でも力は現わさなかったのです。みんな教えです。宗教という教え、仏教という教えです。しかし教えでは本当に人は救えません。教えでは病気は治りません。これは力でなければならないのです。その力というのは今言ったとおり、経と緯を結んで初めて現われるのです。それで大本の経緯を結んで私が生まれたわけです。世界の文明がやはりそうなっているわけです。そういう事を知れば、神様の経綸、救世教の出現という事がよく分ります。
それからよく御守護の電報が来る事がありますが、今何処が悪いとか何処が痛いとかありますが、それを読んでみると別に大した病気ではないのです。浄霊でも訳なく治るような症状なのです。それがどういう訳かというと、浄霊に力が入るせいです。だから治りが悪いのです。それで浄霊してどうも治りが悪いという時には力が入るからだという事を心得ておくとよいです。この力を抜くという事は、むしろ難かしいです。しかもだんだん浄化が強くなるに従ってますます光が強くなるから、そうすると光を出すには力を抜くほど出るのです。少しでも力を入れると光の出が悪くなるのです。妨げるわけです。力を抜くという事は、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。力が入るのと入らないのとでは大変な違いです。私などもそうで、浄霊していてもちょっと力が入っていると治りが違います。この力を抜くと何倍もよく治ります。
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