漸く上棟式という事になりましたが、二、三日前に行ってみましたところ、家屋というものは出来上るに従ってだんだん広く見えるもので、思ったよりも随分広く見えて、後の方の人などは双眼鏡でなければいけないかもしれません。とに角宗教的建築としては劃期的の物だろうと思います。展望台でも一緒に出来るだろうと思ってます。鉄材の余ったのが大分あるそうですから、ついでにやると非常に楽にゆくわけなので、一緒に出来るつもりです。それで展望台も最初の設計よりも大分大きくして、大勢入れるようにするつもりです。これはガラスずくめの家ですから、余程変っていて面白いと思います。今美術館の敷地も作ってますが、箱根の経験からみますと、あんまり大き過ぎてもいけないようです。それは、見る人が疲れてしまうのです。今でさえ箱根で見るのに、一度にでは疲れて駄目だ、どうしても三度ぐらいで見なければ頭に入らないというわけですから、熱海は箱根の三倍ぐらいの大きさのつもりでしたが、それでは大き過ぎるので倍ぐらいの大きさにするつもりです。その代り箱根のは窮屈でしたが、今度はゆったりと落着いて鑑賞できるというような形にしようと思います。休憩室とかそういうものも、もっとゆったりとしたものにして、箱根で気がついた欠点を残らず取去り、本当に理想的な美術館にしようと思ってます。
何時も言うとおり箱根は霊で熱海は体、箱根は経で熱海は緯ですから、どうしても箱根の方は日本的ですが、熱海の方は世界的という意味になるのです。それで熱海が出来ると、日本は無論ですが、外国の方まで発展するわけです。つまり熱海は体ですから、どうしても体的に拡がってゆくわけです。本年ハワイからアメリカの方に進出しましたが、丁度この救世会館が建築に取掛る頃からハワイ、アメリカとなって来ました。会館が出来上るとアメリカの方へ素晴しく発展するという段取になるわけです。それで神様の事は総て型で行くのですから、型が出来ただけずつは霊界でそのとおりに拡がるというわけなのです。この点が人間の仕事と非常に違うのです。ですから順序と型です。それを見ていると分るし、それから又私はそういうようにやっているわけです。それですから別に心配する事もいろいろ迷う事もないわけです。神様の方の設計順序がチャンとありますから、そのとおりにやっておればドンドンうまくゆくわけです。実に不思議な事です。それでこういう事は人間が始まってから未だないのですが、それは今までは夜の世界ですから、全部月のやり方です。今度は太陽が出たのだからまるっきり違うというわけです。ですから反対な事が多いです。それは日と月とでは反対になります。つまり月の方は右廻り、日のほうは左廻りです。そこでここに肝腎な面白い点があります。日の働きというものは「引く」引寄せるという事です。それから月のやり方というものは「突く」つまり攻撃です。ですから「引く」と「突く」との違いさです。それをよく知っているとよいです。突進むでなくて、引寄せるのです。それで一番分り易いのは、月は水で日は火ですから、物質はみんな月になるわけで、霊が日になるわけです。そこで水を寄せるとかえって向うに行ってしまうのです。それで逆にやるとこっちに来るというわけです。よく、あせったりして突進むという事は割に結果が悪いので、落着いている方がかえって引寄せられ集まって来るという事がありますが、これは真理に合っているからです。ですから私は割合にあせらないで落着いて悠々としてやってますが、それで非常に仕事が果取って沢山できるという事は、そういう意味になるわけです。ですからそのやり方でゆくと、楽に順調に行って失敗がないわけです。
一昨日ハワイからの報告が来ました。今ハワイの信者はもう千人は突破してます。今度本部ができますが、この三月に樋口さんと安食さんが行ったのですから、それでこれだけの素晴しさに発展したという事は、無論神様がやっているのですが、実に楽な簡単なものです。それで白人の方にも大分信者ができかかって来ましたから、この分でゆきますといずれはアメリカ人の信者も沢山できます。何でもそうですが、今まで日本で生まれた宗教で白人を信者にしたというのは殆んどないでしょう。今度救世教が初めてです。つまり世界的宗教です。この報告にもありますが、カトリックの信者などもボツボツ入って来たようです。カトリックというのはキリスト教の一番カンカンです。それでいて一番勢力があるのです。ですからカトリックを落せば、あとは楽なのです。それはいずれキリスト教全体がみんな救世教の信者になるのは分ってますが、それは相当先の事です。とに角口が開けば割合に早くドンドンゆくわけです。今その報告を読ませます。
(ハワイ通信 十) 【註 栄光二三二号】
ハワイ通信 十
(栄光二三二号)
今読んだように順調にゆきつつあるわけです。
それから今度「救世教奇蹟集」の本を出そうと思ってます。なにしろ変った本で、今までそういうものは見た事がありませんから、広告文も余程うまく書かないと読む気にならないのです。そうかと言って、あんまり変った飛上った書き方では又駄目です。至極真面目で心を動かすというのでなければならないので難かしいのです。それで小さい活字で沢山書くより、大きい活字で短かく書く方が、目につきますから、できるだけ切りつめて書きました。
〔世界救世教奇蹟集 広告文〕
世界救世教奇蹟集 広告文
(読売 昭和二十八年十月三十日)
凡そこの世に神は在るか無いかという事程、簡単にして難しい問題はあるまい。という訳は昔から今日迄肯定派と否定派とが何程論議を闘わして来たか分らないが、今以て結論は得られないにみても明らかである。これに就いて私としてもよく考えてみると、神が無いという方が当ってはいないかと思う。何故なれば目にも見えず、耳にも聞えず、手にも触れないからである。従って誰にでもハッキリ分る処の唯物科学を以て唯一無上のものと信じ、絶対的信頼を払っているのが現在である。処が困る事には何程科学が進歩しても、割切れない問題が次から次へ出て来るので、科学のみでは到底安心出来ないが為、或者は哲学へ、或者は宗教へ、或者は何々というように、何等か力強いものを求めてはいるが、それを満し得る程のものはないので、人々は不安に怯え乍ら、希望なき人生を送っているに過ぎないのである。成程文化の進歩は何も彼も便利となり、政治も社会機構も改善され、昔とは比べものにならない程恵まれているに拘わらず、右の如しとすれば現代文明の何処かに気の附かない大きな欠陥があるに相違ない事が考えられる。
では欠陥とは何かというと、即ち科学過信であって、特に智識人程そうであるから、何よりもこれに目覚めさせる事で、これが先決問題である。といっても智性の進んだ今日、何事も学理第一主義になっているから、この誤った考え方を是正し奇蹟によって神の実在を認識させる事である。従ってこれが一般に知れ渡るとしたら、玆に人類待望の平和幸福な世界実現は必然である。又昔から奇蹟は宗教に附物とされているが、その中でも彼のキリストの奇蹟である。これが同教発展の上に如何に大きな役目をしたかは、今日文化民族の大半が基督者であるにみても明らかである。それに引換え彼の仏教が、現在見る如き極東の一角に漸く命脈を保っているにすぎないのは釈尊在世中見るべき奇蹟がなかったからでもあろう。又今一つの重要事がある。それは昔から宗教、倫理、道徳、教育等々理屈を以て教化の方法として来たが、これも殆んど魅力を失ってしまった。というのは如何に巧妙な理屈といえども、事実が伴わない限り、人心を捉える事は出来ない。理屈だけで悪人が善人にはならない。理屈で幸福は掴めない。理屈通り医療を施しても病人は減らない。というように人間は最早理屈不感症となっている(只医学のみはそれに気附かないだけの事だ)然しこれより外に方法がない現在、ないより増しだ位に続けているのである。斯うみてくると今日真に人類を救い得る力のあるものは殆んどないといってよかろう。
処が驚くべし、この大問題を確実に解決出来る一大福音が生まれたのである。これこそ人間が夢想だもしなかった超人間力、即ち最高神の力であって、これが本教を通じて今や暗黒無明の世界をして、光明赫々たる世界に転化せしめんとするのである。その唯一の方法が奇蹟であり、本教位奇蹟の多い宗教は未だ嘗てないとされている。一例を挙げれば一信者にして、キリストと同様の奇蹟を顕わし得る者已に数十万に及んでをり、尚益々増加の傾向にあり、この事自体が已に一大奇蹟である。その実例百二十を載せてあるが、余りに超現実的なものばかりで、直ぐに信じ得られまいが、事実は飽くまで事実であり、全部本人手記のものである以上、疑念のある人は本人に直接打っかって訊くか、本教に来って直接検討されん事である。以上によってキリストの曰われた天国も、釈尊の曰われた彌勒の世も神の準備は已に成り、今や呱々の声を挙げんとするその直前が今日である。故に現在迄の人類苦闘史は、その陣痛の為でしかない事が分るであろう。
いずれは英文にも訳して世界的に配るつもりです。
それから自然農法も大分面白くなって来ました。特に今年は恐ろしい不作です。それから又自然農法の方は恐ろしい好成績なのです。そういうようなやり方も、神様はなかなか行届いたものだと思います。だから非常にいいチャンスというわけです。そこでこの際、何処でも抜からず宣伝をしているでしょうが、一層馬力をかけて宣伝をしなければならないので、それについて今年の新しい成績によって技術的に非常に進歩しましたから、そういう点を主にして単行本を出そうと思いましたが、そういう事をすると遅くなりますから、とに角この次あたりの栄光を特集号にして、今年の実例を加えて、できるだけ利用するというようにしたいと思ってます。それで今年のその技術的の進歩の主な点はこういう事です。今までは、所によってですが一年目二年目から増収というのは滅多にないので、大抵うまくいって今までどおり、下手をすると一、二割ぐらい減る所があるのです。どうもこの点が面白くなかったのです。最初の年から増産にならなければ早く分らせるのに困るのです。よくお蔭話にあるように最初は黄色い色で、針みたいな細さで、隣近所から嘲笑されるという……これがどうもまずいのです。ところが今度発見した方法は深く耕すのです。一尺から一尺二寸ぐらいの深さにして、天地返しをするのです。それがために非常によくできるのです。今までとは断然違うのです。一番成績が良いのは初年目で五割増産した人があります。それで気がついた事は、つまり今まで長い間肥毒を沢山やって、田の面が肥毒のコンクリート、肥毒の壁ができているわけです。だから無肥料でやってもその壁に根がぶっつかるから思うようにいかないのです。それを深く耕すとその壁を突破る事になるのです。それで又いい事には、壁で蓋しているから壁の下の方は良い土なのです。ですからそれを掘り返して天地返しをすると、肥毒の壁が粉々になって良いのと混じるから、肥毒の害というものは減り、そこでよく出来るのです。ですから初年度から幾らかでも増産するという事になったら、これは否応なしに信者でない百姓も大賛成して直ぐからでも始めます。その実例もできましたから、これを土台にして大いに宣伝をすれば、みんな簡単に分ります。それで去年十八俵とった伊野という人は、今年は勿論そのくらいか、それ以上はとれましょうが、その人の話では反二十五俵までにはしてみせると言っているそうです。無論そのくらいはとれます。というのは今までこういう事を知らせなかったのです。つまり連作というものの効果です。ところが今までの農民は連作はいけないと言っていたのです。という事は、肥毒のために連作をするとだんだん弱ってゆくのです。そこで耕作を変えると、変えただけは、肥毒の一つの悪循環と言いますか、それが減るのです。これは薬でよく分ります。一つ薬をのんでいると、だんだん効かなくなります。それで薬を変えると一時効くというような意味と同じです。だから連作でなく耕作すると、丁度田や畑が変りますから、丁度薬を変えたようなものですから、それで一時よいわけです。そういう意味で、つまり肥毒のない清浄な土で稲なら稲を作ると、土の方で稲に適するような成分がわいて来るのです。それは実際神秘な話です。そこで年々土自体に特種(特殊?)な性能ができ、その性能がだんだん発達してゆくのです。ですから素晴しく良い土になってゆくのです。という事は素晴しく肥が効いた土になるのです。肥と言っても今までの肥とは違って、良い意味のもので、つまり神様の作った肥で、それが増えてゆくのです。ですから沢山とれるに決まってます。そういった肥毒のない清浄な土が連作によってだんだん沃えた土になるのです。それですから今反五俵として、これが反十俵になり二十俵になり三十俵になります。そうなると分蘖が非常に多くなります。それで最も多くなると稲に枝が出て来るのです。だから一本の稲に千粒ぐらい成るようになります。五百粒ぐらいは何でもありません。ですから十俵になり二十俵になるのは当たり前です。その方法でゆくと日本は今に米が余って始末に困ってしまうようになります。それこそ今度は輸出の方に苦労しなければならなくなります。そうなると農村天国になります。それで救世教によって病気が無くなったら、農村に病貧争絶無の世界が出来てしまいます。神様の方は実にドンドン地上天国を作りつつあるのです。人間もそれに合わしてやってゆくと、案外早くできるわけです。尤も私の命のあるうちに造らなければしようがないわけだから、神様は余程急ぐわけです。そういった工合で、自然栽培は劃期的に良い方へ大飛躍するわけです。それで農業の方は医学の方と違って、分ったら非常に早いですから楽です。それにこれが実行されても失業者はできないのです。反対に大いに恵まれるわけです。ところが医学の方は、無薬時代になると実業者が大変ですから、これはなかなか難かしいわけです。ですからどうしても後廻しになるのです。農業の方は一番手取早いし、今年のように非常な災害で農村の苦しみは、よくニュース映画で見ますが、田はまるっきり枯れ野原のようなものです。それで充分わかったでしょうが、そういうわけですから、大いに自然農法の宣伝に馬力をかけないといけないのです。
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