十二月十七日

 世間一般の人を相手にした話ですが、兎に角今日(こんにち)何処から何処まで何事もうまくゆかないのです。うまくゆくという事は滅多にないので、政治でも、外のいろいろな事でも、みんな失敗の連続です。以前或る人は〝人生は後悔の連続だ〟という事を言いましたが、これも全くそのとおりで、人間毎日後悔しているのです。それと同じように、する事なす事が失敗の連続なのです。政治にしても、政府や政党がいろんな事を言っても、まず(ことごと)く失敗です。そのために年中苦しんでいるわけです。その原因は何かというと、信仰者は神の実在を知っているからですが、神の実在を知る知らないにかかわらず、正義感が実に少ないのです。この正義についていろんな角度から書いてみました。

 御論文〔正義感〕     【註 栄光二四〇号】

正義感

(栄光二四〇号)

 今更いまさらこんな事を言うのは、余りに当り前すぎるが、実をいうとこの当り前が案外閑却かんきゃくされている今日であるから、書かざるを得ないのである。それは先ず現在世の中のあらゆる面を観察かんさつしてみると、誰も彼も正義感などはほとんどないと言ってもいい程で、何事も利害一点張りの考え方である。という訳で偶偶たまたま正義などを口にする者があると、時勢後れとして相手にされないどころか、むし軽蔑けいべつされる位である。ではそのようにして物事が思うようにゆくかと言うと、意外にも寧ろ反対であって、失敗や災難の方が多く、それを繰返しているにかからず、これが浮世うきよ常態じょうたいとして、別段怪しむ事なく、日々を無意識に送っているのが今日の世相である。

 ところがこれを我々の方から見ると、立派に原因があるのであって、ただ世人はそれに気が付かないだけの事である。では一体原因とは何かと言うと、これこそ私の言わんとする所謂いわゆる正義感の欠乏けつぼうである。というのは、多くの人は絶えず邪念におかされ、魂が曇り、心のめしいとなっている為見えないのである。これに就いて私は長い間あらゆる人間の運不運について注意してみていると、それに間違いない事がよく分る。では正義感の不足の根本は何かというと、それは目には見えないが、霊の世界というものが立派に存在しているのである。そうしてその霊界には神の律法というものがあって、人間の法律とはちが厳正げんせい公平こうへいいささかの依怙えこもなく人間の行為を裁いているのである。ところが情ないかな人間にはそれが分らない為と、又聞いても信じられない為とで、不知しらず不識しらず不幸の原因を自ら作っているのである。

 そんな訳で世の中の大部分の人は、口ではうまい事を言い、上面うわつらだけをよく見せようとし、自分を実価以上に買わせようと常に苦心しているが、前記の如く神の目は光っており、はらの底まで見透みすかされ、その人の善悪を計量器はかりにかけた如く運不運は決められるのであるから、どうしようもない。ところがこんな分り切った道理さえ、教養の低い一般いっぱん庶民しょみんならいざ知らず、教養あり、地位、名誉あるお偉方えらがたでさえ分らないのは、全く現界の表面のみを見て、肝心な内面にある霊界を知らないからである。それが為彼らは無い知恵をしぼって世をいつわり、人をだます事のみ一生懸命になっており、これが利口りこうと思っているのであるから哀れなものと言えよう。その証拠には、結果はいつも逆で、巧くゆかない事実に気が附かず、上から下までその考え方になっている為、犯罪者は増え、社会不安はつのるばかりである。従って今日の社会で何かやろうとしても、邪魔じゃまが入り、失敗し、ほね折損おりぞん草臥くたびれもうけとなる事が多いどころか、中には新聞種にされたり、裁判さいばん沙汰ざたになる人さえ往々あるのである。

 私はこれらの人達を、かしこ愚昧族ぐまいぞくと思い、何とかして目覚めさせたいと骨折っているが、それには神の実在を認識させる外にないのであるが、これが又非常に難しい。というのは、知らるる通り現在指導者階級の人程、無神思想をもって文化人の資格しかくとさえ思っているのだから、本当に分らせるには、どうしても機会を作って奇跡を見せる事である。という訳で私は神から与えられた力を行使し、現在驚くべき奇跡を現わしつつあるので、近来ようやく社会に知れて来たようで喜んでいる次第である。そうして以上の理を一層徹底すれば、こういう事になる。即ち正義そのものが神であり、邪悪そのものが悪魔であり、神即正義、邪悪即悪魔であると共に、神は幸福を好み、悪魔は不幸を好むのが本来であるから、幸不幸は人間の考え方次第であるから、この真理を肚の底から分るのが根本である。

 以上の理によって、正義感を基本としなければ幸福をつかまえる事は絶対できない。という訳で、悪ほど損なものはないのである。私は「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と常に言っている位で、この理が分りさえすれば、今からでもたちまち幸運街道驀進ばくしん者となるのである。ただしこれには一つの条件がある。それは単に正義と言っても二通りある。一つは個人の利益を本意ほんいとする小正義と、社会国家を主とする中正義と、そうして世界人類を主とする大正義とである。ところが小と中は真の正義ではなく偽正義であり、大正義こそ真の正義である。例えば親に孝、君に忠は、せんめれば利己本意である以上偽正義である。この間の戦争にしても、日本が負けたのは日本だけの利益を主とした偽正義であったからで、どうしても世界全体の利益を目的とする大正義でなければ、永遠の栄をもたらす事はできない。これが真理である。勿論宗教にしても同様な事が言える。彼の仏教やキリスト教の如き大宗教が今日衰えたというのは、大正義に見えても実はある程度の欠陥けっかんがあったからで、それが今まで分らなかったのである。

 ところが我救世メシヤ教に至っては、信者も知る如く、病貧争絶無の地上天国をモットーとしている以上、人類全体の利益が本意であるから、真の大正義の実行者である。

 薬毒というものは、信者になった人はみんな分ってますが、ただ本当に分らないのは、薬毒の量を大抵な人は少なく見ているのです。ところがこれが非常に多いのです。私はこの間何かに、薬毒を全部除るには一生かかっても難かしいと書きました。まず一生の内に薬毒を全部無くす事はできないです。二代三代ぐらいはかかるでしょう。そうすれば病気する事はなく、寿命も百以上は必ず生きます。薬毒というものはそのくらい厄介(やっかい)なものです。よく、随分酷い疥癬などを(わずら)(わずら)?)った人が、もう自分の毒はあらかた取れたように思いますが、とんでもない話です。それから薬毒にも種類がいろいろあります。まず三つも四つも五つも六つもあります。それで疥癬は沢山出るようですが、これは天然痘の毒素です。つまり遺伝毒素です。ですから疥癬の重いのをやって、オレはいいと思っていると、それから酷い浄化が起こりますが、これはそういう訳です。何よりも自分の薬毒というものは殆んど無限にあるように思っていれば丁度よいのです。それでその薬毒というものはどういうふうになっているかというと、血膿です。よくオデキなどにやって腫れて出る血膿です。それが一ぱいあるのです。それで人間の体から血膿を除いてしまったら、骨と皮だけになってしまいます。そういう例があります。随分肥っている人が、毒が出てゆくとヒョロヒョロになってしまいますが、痩せたから薬毒が無くなってしまったかと思うと未だあるのです。本当にこれを取ってしまったら骨と皮になってしまいます。私は何時も言うのですが、人間の皮膚ぐらい有難いものはないと思います。人間から皮膚を取ってしまったら、どのくらい汚いか分らないです。ですから随分美人とか言って、ストリッパーなどは体がきれいです。又油絵などに画く人もそうです。ところがその美しさは皮膚だけの話で、中身ときたら汚ないものです。それを包んでいる皮膚というものに感謝してよいと思います。少なくとも女性は大いに皮膚に感謝すべきだと思ってます。そういった薬毒が取れるに従って女はきれいになるわけです。それは化粧の必要もないです。私の所に居る女中で、一人、生まれてから未だ薬をのんだ事がないというが、実にきれいです。それはどんな化粧をしたかと思うくらいです。これは立派な生きた見本ですが、そういうわけで、女が薬をのまなくなったらどんなに美人になるか分りません。昔――千年以上前の女は(さだ)めしきれいだったと思います。小野小町なども、あの時分には漢方薬が相当入りましたが、それでも余程きれいだったと思います。それを考えると、今の人間は実に馬鹿です。骨を折って、金を使って化粧して、体の中は薬毒で汚なくするし、外は化粧品で皮膚から染み込ませて汚なくしているのです。それに気がつかないで、ますます念入りに化粧してます。化粧品が売れるわけで、新聞広告と言えば、まず売薬の広告と化粧品の広告です。今言ったとおりのそういった間違いが、薬屋と化粧品屋に金を儲けさせているというわけです。そうして手数をかけて、金をかけて病気の種を作っているのです。だから〝超愚〟では追付かないくらいで、もう一つ〝超〟をつけた方がいいくらいです。つまりそれを早く無くするには浄霊より外にないのですが、その浄霊について書いてみました。

 御論文〔日本の誇り〕        【註 栄光二四一号】

日本の誇り

(栄光二四一号)

 これは衆知のごとく、昔から日本には世界に誇り得る程のものは、遺憾ながらほとんどなかったといっていい。強いて求めれば人間が造ったものの内、絵画、彫刻のごとき美の文化財くらいなものであろう。言うまでもなく宗教や学問、その他の無形文化財にしても、外国を凌ぐ程のものはなかったのは確かである。それが日本人の物真似好きの原因となり、劣等感の原因ともなっているのであろう。ところが喜ぶべし、私が神示によって創成した神霊医学なるものは、恐らく有史以来未だ嘗てない偉大なものであって、これこそ初めて世界に誇り得るものが日本に生まれたといっても過言ではあるまい。従ってこの真相が分った暁、世界を挙げて愕然とするであろう。

 そうしてこの発見がいかに素晴しいものであるかは、これが動機となって世界文明はここに百八十度の転換となり、新文明生誕となるのは断言するのである。故にそうなった暁、日本国民は今更のように驚き、手の舞、足の踏む所を知らざる一大歓喜の渦に巻かれるであろう。ここにおいて我民族のいかに優秀性であるかを感得せずにはいれまい。何しろこの事たるや全人類が何千年も前から要望し、念願していた最大悩みである病気が追放され、人間の寿齢は百歳以上は易々たるものであるという夢の実現であるからである。というように、むしろ余りに破天荒、意想外な福音に、唖然として、本当に信じ得るまでには相当の時を要するかも知れないと思う。

 という訳でいずれはこの真相が一般に分り出すに決っているから、そうなったらまず最初日本人が狼狽するのは目に見えるようである。次いでいよいよ世界に分り出したら、いかなる民族も何を措いても飛びついて来るのはもちろんである。その結果二十世紀後半に至った今日、世界の歴史はここに書き変えられると共に、日本は一躍世界の救世主として仰がれると共に、釈迦、キリストをはじめ、幾多聖者の予言の裏付がここに実現した事によって、その教の信仰者の歓喜もまた大変なものであろう。その結果ここに苦悩の世界は一転して歓喜の楽土と化し、人類の理想世界は実現の一歩を踏み出す事となるのである。しかもこれは単なる夢ではない。現に着々として進行しつつある事実を見れば、絶対確信していいのである。

 今話したように、つまり人間の体の中が一番汚ないのです。汚ない物もいろいろあります。糞尿も随分汚ないですが、血膿の方がもう一層汚ないです。万物の霊長たる人間が一番汚ないのです。だからいろいろな寄生虫が腹の中にわくというのは当り前です。大体人間の体は生きているので、腐っているのではないのですから、それに虫がわくという事は如何に汚ないかという事が分ります。しかもその虫の種類がいろいろあります。真田虫という馬鹿げて大きいのもあるし、小さいのもいろいろあります。一番小さいのは蛔虫ですが、これはオソバみたいな、奇怪な形の奴で、沢山わく人のは、ゾロゾロと、それこそソバみたいに重なり合っているのです。それが人間の腹の中にわくという事は、実に不思議なくらいです。それでごく細かい目に見えないものが結核菌ですが、結核菌と言っても虫の小さいのですから、わいたに決まっているのです。それは伝染もしますが、それは汚ないから伝染するのです。丁度便所の(うじ)みたいなもので、これは糞尿のない原ッパに出せばすぐに死んでしまいます。それが、生きているという事はやっぱり其処に自分が生活し得るだけの材料があるからです。ですから人間は兎も角威張る事をやめるのです。つまり、一口に言えば虫の巣です。巣だけならよいが、自分の体でそれを作っているのですから、実に、何んという汚ない動物であるかという事です。ですから私は真善美の「美」の世界にするのは、まず人間の体の中からと思ってます。それをみんな知らないから威張っているのですが、まずこれを知らせるのが肝腎な事だと思ってます。そのくせ今日はいろんな虫というものが発見されて、ごく知りぬいているとしているのです。ではどういう訳で体の中にそういう虫がわくかという事に気がつかないのです。ごく低級と言いますか、単純なものです。尤も、どういう訳で腹の中に虫がわくかという事を考えてみても、気がつかないから、そこでそういうものだと諦らめているだけの事です。そうすると、それに気がつかないという、つまり(おろ)か――暗愚(あんぐ)という事も不思議ですし、われわれから見ると、今の文化だとかヤレ教育があるとか学問があるとか言っても、肝腎な事がまるっきり暗愚です。だからこの間のように〝超愚〟というのは、どうしてもそういう言葉が出るのです。それで浄霊より外にないのですから、結核が治るという事は、浄霊によって虫が殺される……というのは結果であって、虫が住むような条件が無くなるわけで、きれいになるのです。わく条件が無くなるとともに、虫が其処に生存する条件も無くなるというわけだから、病気が治るという事は分り切った話です。ところが医学の方で治すのは、その条件を医学が作るのだからして、逆になるわけです。昨日か今日の新聞に出てましたが、日本は今まで癌は西洋よりか少ないとされていたが、西洋と違わないというのです。今まで、いろいろ死亡者を研究してみると、癌の死亡者というのは数において三分の一くらい日本が少ないとされていたのですが、そうでない、いろんな病気で死んだのを調べてみると三分の一増えたというのです。それでは外国と同じという事になります。それでは癌というのは何かというと、結局薬毒なのです。ですから薬毒癌と言ってもよいです。それから薬毒の外に肉ですが、これは「アメリカを救う」の本に書いてありますが、肉の毒です。これを消すために野菜というものがあるのです。ですから野菜の食べ方が少ないのです。少ないと肉の毒が余るので、そこに薬毒が混合するのです。ですから浄霊して薬毒が無くなると共に肉の毒が無くなるのです。これは何時かも話しましたが、私は年々食欲が減っているので、おかしいと思って、前から鳩尾(みぞおち)の所を見ると丁度骨みたいな物があるのです。それで私は此処に骨みたいな物があって、人よりも変っているのかと思って大して気にも止めなかったが、しかしこれはおかしいと、これを浄霊してみると少しずつ溶けるのです。つまりこれは胃癌なのです。それで自分で寝る時にチョイチョイ浄霊しているとだんだん小さくなって、それにつれて食欲がだんだん増えてきて、去年からみると丁度倍になりました。そうしてみると癌というのは実に……これは痛くも何んともないのですが、丁度骨くらいの固さです。ですからこういう人が世間には沢山あるのだから大変だと思いました。これは何時頃からあるかというと、私がチフスをやった時で、二十八の時です。その時に肺炎と間違えられて、肺炎の薬を沢山のみました。この肺炎の前に胃が悪くて胃の薬をのんで、それから肺炎になって肺炎の薬をかなりのみました。それでチフスが治ってからは、食べても或る程度までゆくとピタッと止まってしまうので、おかしいおかしいと思っていたら、今言った結果なのです。それで、胃癌は減りました。今三分の二ぐらい減りましたが、これが取れたらもっと食欲が増え、肥るわけです。寿命も十五年や二十年延びるわけです。実に驚くべきものです。あなた方も、食欲が少し変だと思った時には鳩尾を調べてみるとあります。これは大抵あるようです。大きい小さい、固い柔らかいは兎も角、古いのは固いようです。それで私のは四十年ぐらいの古くなったものです。だから薬毒というものは、そのくらい古くても決して減るものではないのです。ただ固くなるぐらいなものです。あんまり汚ない話ばかりだから、少しきれいな話をしましょう。

 美術館ですが、ついこの間行って見ると、大分道路が出来てきました。それから展望台が出来る、景色を見るガラスの丸い家の名前ですが、英国の宮廷に「水晶宮」というガラスで出来た立派なのがあるのです。それでこっちのは、「宮」というのではあんまり大き過ぎるので「水晶殿」としました。「殿」でも少し大き過ぎますが、外にうまいのがないのです。「水晶亭」「水晶庵」「水晶閣」でもどうもうまくないのです。それで水晶殿は半円形の奥行を少し長くして、最初の予定よりか大きくしたのです。というのは、見物人が随分沢山出来るだろうと思って、できれば新聞や雑誌に写真入りで大いに紹介するでしょうから、そこでどうしても一度は行って景色を見たいという考えは誰にも起こりますから、大変なものです。この間もアメリカの新聞記者が言ったように、日本の西は京都・奈良という文化財を見る価値のあるものがある。それから東では箱根・熱海の地上天国がそれと匹敵するものになるという事を言いましたが、全く私の思うとおりの事を言ったのです。そうなると見物に来る人が大変だろうと思います。それで美術館は箱根以上のものが出来ます。中に並べる物も普通ちょっと見られないような素晴しい物です。これは心掛けてとっておいてあります。ですから美術館としても箱根よりも又ずっと良いものが出来ます。広さも倍以上あります。そうして規模も大きいですし、それから今言ったとおり水晶殿で景色を見たら、それは素晴しいものです。そうするとまず押すな押すなというほど来ると思います。それで入場券を百円にしようと思ってますが、収入も随分大変なものだと思ってます。しかし別に金儲けでやっているわけではないのですが、儲かるのは結構です。それで未だいろいろな計画があります。箱根、熱海ももっと規模を拡げなければならないし、京都にも造らなければならないし、いずれ九州とか北海道とか東北とか、そういう方にも地上天国を造るつもりですから、金はどのくらいあっても多い事はないのです。それからいずれハワイにも造るつもりです。それからアメリカには美術館も地上天国も造るつもりです。それでアメリカの場合は、金は向うの方で出すに違いないから、設計だけを私がしてやろうと思います。それから箱根には来年は、ロックフェラーを連れて来るという事を言ってましたが、ロックフェラーあたりが、これは良い、一つアメリカにもやってみようという事になると、金は何んでもないのです。ロックフェラーの文化財団の基金というものは大したものです。結局アメリカに地上天国を造るようにならなければ、本当に救世教というものは世界的のものにはならないです。しかしこれは時の問題で、必ず実現する事になってます。そうすると今度はヨーロッパから東洋ですが、支那、インド、ビルマという方面にも出来ます。そういう方面に神様はチャンと支度してあるのです。準備してあるのです。この間聞いた話ですが、ビルマには仏様の彫刻があるのですが、ビルマの人は一生懸命稼いで金を儲けると金箔を買うのだそうです。向うには一匁とか十匁とか売っていて、その金箔を仏様に貼りつけるそうですが、これは何百年も前からだそうで、その金箔だけでどのくらいあるか分らないそうです。これはこの間政府の命令で行った小金代議士という人から聞いたのですが――この人は今度東南アジヤの経済相談で、三、四人行きましたが、信者なのです――私が前に書いたとおりで、そういった金無垢(きんむく)がどのくらい厚くなっているか分らないが、それは、いずれ弥勒菩薩が現われるから、その時にこれを献上するのだという事になっているのです。ですから私があっちに行くときには弥勒菩薩で行きますから、ビルマの方では、いよいよとなって、これを差し上げるという事になります。それによってあっちに立派なものを造ろうと思ってます。これは夢みたいな話ですが、神様が支度してあるのですから間違いないです。そういう事も、各国々に準備してあります。ですからイタリヤのヴァチカン宮殿もやっぱりその支度なのです。今にあそこも救世教で使うようになりますから、そうしたらあなた方でもあそこに大威張りで行けます。ヴァチカン宮殿の立派さというものは、私は写真で見ましたが、驚くべきものです。世界の凡ゆる彫刻から建築から絵から、この美術というものはやっぱり世界で一番です。だからこれからやる事は、何百年、何千年、何万年前から神様の方で準備してあるのですから、時さえ来ればよいのです。だから楽なものです。仮に熱海の地上天国にしても、石垣をのばすに従って石が幾らでも要りますが、この石が幾らでも無限に出て来るのです。今あの石垣が必要だという事がチャンと分っていて、何万年、何十万年前に神様が石をチャンと準備してあるのです。そうしてあそこで良い景色を見るというために、相模湾から初島から大島でも、その準備に作ったのです。そのくらい前から準備してあるのですから、今世界にあるいろんな建造物というのはごく最近準備したぐらいなものです。こんな事を言ったところで、あんまり神様の方は大きくて深いために、とても信じられません。まず或る程度までゆけば(なる)(ほど)と分りますが、今のところは、私は前から話をしようとしても、あんまり桁が違うので話が出ないのです。やっと今話が出るので、そうかなと思うくらいで、時期になって来たわけです。

 

 

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