十月二十一日

(お 伺) 信者後藤祐三(七十才)以前蓄膿を患った事が御座いました処、本年三月頃より血膿が出ましたけれども大した事もないと思い、且つ家にも病人がありました故、その儘過して居りました処、四月頃より段々悪くなり体もだるく、六月中旬耳鼻科に診て貰いました処大分悪くなっている故私の手には負えないから、一応他で診察を受けろとの事に、他の医師に診て貰いました。やはり同じ事を言っていましたが、そこえ(へ?)一週間許り通い、洗って居りますうちに、段々悪くなり、癌になる徴候があり、療法なしと言われ、七月中旬頃より段々痛みを感じて参りました。之は神様にお縋りするより他に道はないと思い、七月上旬お守様を戴き御浄霊をして戴きました。八月中旬より九月中旬にかけ、肉の破片の様なもの十片許り鼻から出ました。その後はそう言うものは出ません。只血膿が始終出て居ります。今は鼻に近き頬は痛みが薄らいで参りましたが耳寄りの方が二カ所腫れ上り、痛みを強く感じて居ります。一方の小いさく腫れ上った処に御霊紙を貼りました処二、三日にて小いさな穴があき、少し許りの膿が二、三日出ましたが直ぐ繋がり、現在は別に腫れ上っては居りません。それより耳の方え(へ?)も御霊紙を貼りましたが、何の事もなく痛んで居ります。之が現在の状態で御座います。現在は協力者森井秋夫が御浄霊をさせて戴いて居ります。九月下旬頃口中左奥が腫れ、口を嗽ぐ時三、四回腫れた先から黒色の血が少しづ(ず?)つ出ましたが、今はそれも出ません。医師は余命二カ月と言って居りますが、癌で御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 癌でも何でもありませんよ。余命二カ月なんて。全然嘘です。お医者にかゝったら、この通りかも知れませんがね。お医者にかからなければ――こんな事で命を無くては堪らないです。こんな処に癌が出来るものではない。第一、十片許り出たと言うのは、癌の膿の固まりなんです。之は治ります。こんな良い浄化で、出るんだから――血膿が出たりするんだから良いです。浄霊していれば必ず治ります。医者にかゝったら駄目です。かゝったらこの通りになります。浄霊なら何でもないです。この位の事で人間が死んだら堪りません。神様はこんな様には拵えてないんだからね。

(お 伺) 姉正子は工藤惣三郎に嫁ぎ当年三十二才で御座います。昭和十四年十一月二日結婚し、十五年十一月二日秀一を分娩(十六年八月胃病で死亡)、十七年七月愛子を分娩(十九年十月胃病で死亡)、二十年十一月正樹を分娩(二十一年十二月胃病で死亡)、二十一年九月流産(三カ月)し、農繁期の為身体具合の悪いのを我慢して稲刈をしました処、十一月初旬頃より胃と肝臓を患い、医療を受け、約二カ月療養せしも効果なく、本教を知り御浄霊を戴き、一週間にて起き歩く事が出来、十二月二十五日入信。二十二年五月生家に帰り、静養中九月頃不眠症となり、御浄霊により快復。二十三年九月嫁ぎ先え(へ?)帰り、同年十一月病気の為生家え(へ?)戻り、精神病となり療養中の処、本年十月七日物凄く熱を出し、精神に異状(常?)を来し、申訳ない事に光明如来様の御神体をはずしましたるを、伏してお詫び申上げます。首がおちる、顎が落ちると叫び廻り、朝からこゝが火事になるとか、子供が毒殺されるとか、縄を取って呉れと言い続けて居りました、(。?)症状としては狐、狸、祖霊等の憑依現象あり、十五日夜より昏睡状態となり、十七日午前三時三十分御守護を戴き覚醒致しましたが、尚精神に異状(常?)あり、現在に至って居ります。此家は祖母が熱心な稲荷信仰者で、現在も屋敷内に祀ってありますが、父親の時より誰も信仰して居りません。又父は四十六才の時、本家厩舎にて縊死し、母は急性肺炎で死亡しており、二十四年十一月親代りでありました、祖父も急性肺炎で病死し、現在は私達兄弟だけの家庭ですが、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居り、近く大光明如来様も御奉斎させて戴く予定であります。右は祖霊と狐霊の憑依と思いますが、御浄霊は如何させて戴きましたら宜敷いでしょうか。又屋敷内にある稲荷は如何致したら宜敷いでしょうか。

〔御 垂 示〕

 赤ん坊が胃病で死ぬなんて、余りない筈ですがね。光明如来様は何時お祀りしたんですか。

 「三年程前と思います」

 精神病になって二年位ですね。最初は何時です。

 「教修戴く一寸前で御座います」

 こゝ(頸部)に固りがあります。之を溶かせば良い。こゝに固まりがある為に、前頭部が貧血する。そこに奴さんが憑く。狐も憑くし、祖霊も憑くし――幾らでも憑く。自分達の良い遊び場が出来たと言う訳ですね。替る々々やって来る。それが狐達には面白いんです。

 先に、私が精神病のをやった時分に――この暴れる状態が精神病の状態ですね。どんな精神病も、一番ひどいのは、こう言う状態です。死のうとか、色んな事を言う。こう言う事を言っていた中に入っている奴が、「お前、待って呉れ、もう少しやらして呉れ」すると外に居るのが「おい入れて呉れ」と、順次に「俺にさせろさせろ」と言っている。出ると直ぐお替りだ。その間に祖霊が出て来る。それから、狐で祖霊の声色を使う奴がいる。実に大変なものです。私がやっている時に五(、?)六疋待ってました。それが順繰りにくっついて来る。そうなると憑き良くなるんですからね。だから、祖霊なんか順繰りに替って来る。

 それから狐が一番面白がるのは、人を殺すのが面白い。だから、人を殺そうとする。一寸でも油断すると首をくゝらしたり、外に引っ張り出して水に飛び込ましたり、汽車や自動車に轢かせ様としたりする。殺すと中ま(仲間?)で幅がきゝます。だから、狐で自慢する奴は、俺は今迄に何十人殺した、と言う。先に聞いたのによると、一番多い奴は四十何人ですね。その時考えましたね。人間なんてなんと、情けないかとね。訳なく殺せるんですからね。そう言う場合に、神様を信仰していると、正守護神や神様に邪魔されて出来ない。信仰してないと、そう言う御守護がないんです。だから狐のやり放題です。自殺するのは殆んどそうです。新聞に出てましたが、熱海で自殺したのが、錦浦ですが、半年で百二十八人だそうです。その埋葬の費用が足りなくて、市の財政は困っている。恐らく、半年で百二十八人と言うのは日本中で一番でしょう。三原山も華厳の滝も敵わない。そう言う自殺をやりそこなうと、後で何うして死のうと思ったのか、命は惜しいと思う。そんな場合祖霊か或は御守護の神様が、一寸()めちゃう。すると助かる。そうすると、之はいけないと、狐霊は離れちゃう。そうすると本来の自分に戻るから、何うして死のうと思ったか、助かりたいと、無性に思う。そう言う訳だから、信仰に入ってないとしたら、人間には恐いです。安心して生活していけない。

 「惣三郎の家に嫁ぎ、病状がそこに参りますと、そうなり、家に帰りますと、少し良くなります。今度帰ってから、二回目が起きました。何か関係が御座いましょうか」

 ありますよ。霊界が曇っている場合はそうなります。家の霊界の曇りの少ない処は、そう言う悪霊が跳梁する事が出来ないからね。

 皆んな胃病で死んだなんて、おかしいですね。こんな事はないですね。余程祟りがありますね。

 「実家に帰って居りました方が宜敷いで御座いましょうか」

 その方が良いですね。惣三郎は信仰には――(。?)

 「入って居ります」

 それでは、当分実家に帰って居た方が良いです。何かがあるからね。惣三郎は、信仰は熱心ですか。

 「そうでもありません」

 色々霊的にゴタゴタがあって、或程度解決がついてないから、別々にして、その儘でじっと時日を経過すると、収まる処に収まって、良い状態――良い運命になっていくから、それ迄待つより外はない。急いでもしようがない。名前も悪いな。今暴れる様な事はないのですか。

 「今は少し落ち着いている様で、覚醒してから、一昼夜半眠り――」

 眠るのは非常に良いんですよ。眠れる様になれば、治る迄に入っているんです。そうして浄霊を続けていれば、段々良くなります。ですから、こゝ(頸部)の固まりをやって、それからこゝ(前頭部)を良くやって、出来るだけ御神書を読んで聞かせる。それで良いです。そう言うのが治るのは何うしても四、五年掛ります。すっかり治るのは十年以上ですね。どうやら危ぶなくない様な状態にでも二、三年かゝる。すっかり頭が壊れているからね。でも、治るのは治ります。

 稲荷は祖先からですか、途中からですか。豊川稲荷とか、伏見稲荷とかがありますが、そのお稲荷さんは祖先から続いているのとは違うんですからね。

 「途中からと思います」

 そうすると、之も関係ありますね。

 「最後の時非常に長いので、稲荷に何か供げまして、やっておりましたら、それから少し良くなりました」

 そうでしょう。最初の時は稲荷かもしれないですね。そうしたら、光明如来様によくお願いして、稲荷にお詫びするんだね。長い間構わなくて、寔に申訳なかった。だから勘弁して呉れ。と謝まるんだね。之は当然ですからね。稲荷として祀ったら、人間が世話焼くと言うのは当然です。それをしないと言うのは、狐が怒るのは当り前です。だから、謝罪するのが本当です。之からは、月に一ぺんお祀りするからと、よく言うんです。月並(次?)祭の後でお祀りするんです。なるだけ好きなものを――油揚とか――供げるんです。少なくとも、三年以上ですね。そうしてから、気違いをすっかり治せと、よく言うんです。すると、余程違います。そうして、すっかり治ってから、適当なやり方にすれば良いんです。処理するか。或は又、別の方法にするか。その時そう言えば、私が教えてあげますからね。

(お 伺) 昨年二月入信、七月に光明如来様御奉斎。本年四月資格拝受させて戴きました。入信当時肺浸潤にて二カ月程御浄霊を戴き、その後二回程喀血、後軽い御浄化をずっと戴いて居りまして、御守護によりまして、驚くべき多量の喀痰を排出させて戴きました。今月初旬左前胸部下部に激痛の御浄化を戴き、三回程の御浄霊にて喀血の御浄化を戴き、激痛も大変楽にさせて戴きました。現在の御浄化の状態は呼吸困難の為歩行に非常に激痛を覚えます。非常に元気で御座いましたが、この四、五日衰弱を増し、大変に痩せて参りました。食欲は普通人よりある位で御座います。小尿は普通位にて、強烈頻繁な咳嗽に苦しみ、多量の痰及び血痰、寝汗を出させて戴いて居ります。全身的に疲労感(脈搏百二十位)が御座います。二年程前に気胸十八回及びその時半年近く服薬及び注射をして居り、又以前淋病の折、相当量の薬毒が入って居ります。御浄霊の重点御垂示賜り度御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 之は、浄霊は誰がやったんですか。浄霊が見当違いをやっている。この人は肋間神経痛があります。肋骨に膿が溜っている。だから、肋骨を押して見て、痛い処に固まりがあるんだから、その為に息切れと熱が出、それで衰弱するんです。それを見つけるんです。こう言うのはこゝ(頸部)にありますから、之を見つける。それから頭、肩ですね。押して痛い処ですね。それから触って熱い処ですね。熱のある処、そこをやれば良い。浄化の状態は非常に良いですがね。之は治らない事はないですがね。原因は勿論薬毒です。薬毒が方々に固まっているんです。それを早く取ると言う事です。何時も言う通り、一寸でも力を入れない。そうすると溶け易いですからね。食欲があるんでしょう。ですから治ります。良い浄化です。唯、衰弱を増さない様にするんだが、今言った様にすれば衰弱も治りますがね。

 

【御 教 え】

 一寸話して置きますが、私が何時も言う通り、経と緯ですね。之が、やっぱり色々な事に現われているんで、之は私の本にも書いてある通り、大きく世界をみると、今迄の東洋文化と西洋文化ですね。東洋文化は経で、西洋文化は緯ですね。経は、霊的――精神的で、緯は物質的――現代の科学ですね。そう言う様な具合で、世界と言うものは、最初経の東洋文化で失敗し、それから今度は緯の西洋文化で失敗した。私が現代の文明と言うのは、そう言う訳ですね。それで、経と緯の両方を結んだものが伊都能売です。経にあらず、緯にあらず、之は始終言っている事です。そうすると教団もそうなっている。最初天国会が経でいった。それで、天国会の中島さんがあゝなった訳で、結局失敗に終った。その次の五六七会が緯の働きですから非常に発展した。殆んど教団を背負って立つ位に発展したが。之も結局渋井さんが病気になり、色んな事件が起ったりして、失敗に終わった(。?)そうすると今度は伊都能売にならなければならない。丁度、その時期が来た。渋井さんの病気も殆んど治って、試験的に、今度は京都の方に行ってやってみると、立派に働ける事が出来る迄に、立派になった。そうすると、随分一頃信者をつくった。十何萬かつくったですが、それが渋井さんの病気の為や、色んな為に(カタ)まらないで、要するに未だ「なまこ」みたいな――堅い様な軟い様な―ふはふはですね。そう言う信者が可成り居る。それで、渋井さんとしては、そう言う信者をちゃんと生かしてやる事が一番手取り早くて良いと言う様な訳で、そう言う方針で、之から大いにやる事になった。と言うのは、去年の事件以来、この教団の組織を改めて、今日迄やったと言う事は、こんなに緯になると言うか、唯広がりっぱなしになっていたのをキュッと縮めて、一旦経で締めたんですね。今度は、経と緯を結ばなければならない。それが今度渋井さんが、そうやろうと言う状態になったのがそれなんです。経と緯を結ぼうと言うんです。今度は緯が活動されると、はじめて経、緯になる。

 以前は天国会と五六七会が対立していた。両方が一致しないで、一種の競走(争?)的であった。之も神様の御経綸なんです。競走(争?)させると言うのは、大いに発展させる刺戟になりますからね。あの当時急激に発展させる為に旨いやり方をされた。それだけでは本当のものではないから、結ばなければならないと言う事は、之からなんです。そこで、今の経の堅実なやり方ですね。今度は緯の軟らかい水の当りで広がるのと両方になる。その結果としては、天国会の系統の人のやり方は、つまり緯が足りなかった。それから五六七会のやり方は経が足りなかった。今度は両方が、そこで結合密着して伊都能売の働きになる。それが之からです。やはり、神様の大きな経綸なんです。だから、人によっては、天国会のあゝ言った堅苦しいやり方ではいけない。と言う人もあり、五六七会は唯拡げる一方で、だらしがないと言う事を、暗に私に注意めいた事を言った人がありましたが、それはそれで良いと言う事はないが、それをやらなければ、何うしても経綸がいかない。世界が、東洋文明が一時発展して、次に西洋文明が発展している。西洋文明の爛熟期になっている。それで、両方相一致した結びの文明――伊都能売の文明が出来るんです。つまり、メシヤ教はその型をやるんですね。大本教のお筆先にある「大本は世界の型であるから、この中を見ておれば、世界の事は何うなるか分るぞよ」と言う事は、私は良くみてましたから、よく分る。大本教の最後の弾圧が昭和十年十二月八日で、それから六年目の十二月八日に、日本が太平洋戦争を始めた。丁度六年先の同月同日になる。こゝに神様の経綸が非常にある。やっぱり、五六七になる訳ですね。三が三つで五六七になりますから、やはり五六七の経綸です。そう言う様な色んな事がありますが、大本は、つまりメシヤ教の準備ですね。準備の為に現われたんですね。それだからして、今度私の方――メシヤ教がやる事が軈て世界に写る訳です。之が大きな、神様の経綸と言うのは、そう言う意味もあるんです。ですから、人間が、あゝだこうだと、平気で批評なんか決して出来るものではない。お筆先に「神界が分らないと思う人は分りたのであるぞよ」とある。分ったと言うのは、分らない。分らないと言うのは、分ったと云う意味ですね。それから又、お筆先にこうある「神の奥に神があり、その奥に奥のある仕組であるぞよ」と言うのがあるが、旨く言ってある。そう言う訳で、神様の御経綸は深いんですからね。段々時日が経つに従って分ります。あれは、あれで良いんだ。あれが、この準備だとね。唯上っ面をみて、あゝだこうだと言うのは、上っ面の――唯(ウワ)(ウワ)です。こう言う事を話していると切りがないが、そう言う訳ですから、皆さんも、之からの教団の動きを見て行くと良く分る筈です。

 

 

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