十月二十五日

(お 伺) 愛媛新聞紙上に「幼児のお腹に子供」として左記の様な記事が出て居りました。即ち、

「弓削村、村瀬氏の娘惠ちゃん、現在生後一年十カ月になるが、何かお腹に固まりでもあるのではないかと気付いたのが、生れて三カ月目、それから固まりは段々大きくなるので、レントゲンを撮った処、腹に赤ちゃんが居るので喫(吃?)驚して岡山医大で診察の結果、異状(常?)状妊娠双生児と断定」

 果して右の様な事があり得る事で御座いましょうか。又そうであるとしたら、御浄霊にて解決出来得るもので御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 之は浄霊でも難かしいでしょうね。大体、赤ん坊のお腹はそう大きくならないから―子宮もそう大きくならないからね。だからまあ、御浄霊すれば死んで出るか、御浄霊しなければ手術で出すかどっちかでしょうね。若し生れた処で、この位の赤ん坊だからね。まあ、猫の子位しかないだろうから駄目ですね。異状(常?)妊娠双生児――まあ双生児と言う訳ですね。やっぱり霊的の罪ですね。そう言うのは、妊娠して、妊娠の儘変死する――自殺するか、殺されるかしたのが――直ぐ死なないで暫らく生きていて、死ぬ場合に、生きている間にお腹の子が惜しい――可哀相だと言う想念が強かったんですね。それが生れ変って来る場合にこう言う事があり得るのですね。そう言う訳でしょうね。

(お 伺) 桜木和子(昭和二十四年四月入信。二十才)本年四月頃より腎臓及び腹膜の御浄化を戴き、二カ月位は順調で、腹部も小いさく、浮腫も減り、大変喜んで居りました処が、その後、夕刻になると三十八、九度の熱が毎日続き、それより肩、頸が非常に軟かくなりました。只今の処、熱は左程御座いませんが、熱の出始めた頃より食欲減退、食事を摂ると腹部が膨って、時折嘔吐致します。尚腹部全体は始終痛みがあり、その様な状態で今日迄続いて居ります。その為衰弱激しく、現在では生きて居る事が苦痛となりました。本人は幼少より病気をした事が余りありませんが、平素より月経不順にて御浄化後は六月上旬に若干ありましてより、現在迄ありません。尚本人は服薬は余りありませんが、出産の折、母親は妊娠腎にて死線を彷ったそうで御座います。又母親の姉は昨年腸結核にて死亡致す時に妹(当人の母)の名を呼んで亡くなったそうです。その後母親は姉の夢を時々見るので、娘の御浄化と関係があるのではないかと気にして居ります。当人一家は大変熱心で、家中入信し、御神体、御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。尚娘の浄化は家中の罪の浄化と思い。(、?)神様にお任せ致し、喜ばして戴いて居ります。と申して居ります。右の御浄化につき御垂示御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 之は誰が浄霊しているんですかね。腎臓の処に固まりがあるんですね。

 「最初の頃は固まりがありましたが、最近は軟かくなりました」

 だが、未だ相当にありますよ。食欲減退と言うのは、熱の為もありますね。お腹に固まりがあるんですね。幾らか霊力が足りないな。こう言うのは、どんどん溶けていくものですがね。押すと痛いんですね。

 「お腹を押すと痛がります。始終お腹に手をあてゝ居ります」

 未だ毒がある。それが溶けていくんですがね。

 「家の人が御浄霊を致して居りますが――」

 家の人じゃ、未だ無理です。もっと頻繁にやらなければならない。之を続けていけば命がなくなります。もっと下痢しなければ駄目です。

 「日に五、六回は固い便通があります」

 固い便と言うのは――そうある筈がない。浄霊に力が入るんじゃないかな。溶けが悪いんだ。

 「最初は教会に行って居りましたが、それからは起きる事が苦痛になって居ります」

 それは、衰弱している――食欲減退していたからです。之は、医者の方では腸結核ですね。お腹に毒が固まっているからで、こう言うのは、順調に治るものですがね。今度は出来るだけ力を抜いて奥に通る様にしてやるんです。こう言うのは難かしいんです。それで、元は腎臓だがね。本人は入信してますね。

 「左様で御座います」

 之は自分で始終やると良いんです。やっているんでしょうね。この為に月経も不順なんだ。之は浄霊する人の霊力如何です。霊力が強ければ直き治っちゃう。霊力が弱いと言うのは、力を入れるからで、全然力を入れなければ非常に強くなる。そうなればどんどん溶ける。

(お 伺) 未入信の夫(五十六才)五月初旬より両足の甲が非常に腫れましたので、医診を受けました処、血圧が高いと申しましたのみで、注射と飲薬をやりましたが何の効果もなく、無痛でありましたのでその儘にして居りました。六月中旬になり、右足の膝下が痛み始め「ツト」に小いさい「しこり」が出来、七月初旬に至り、今度は左足が痛み出し、八月になり、右と同様の「しこり」が出来ましたので、民間療法を受けましたが立てなくなり医師より注射三本して貰いました処、心臓が悪化し、その手当十日間程で、一応小康を得ましたが、前記の箇所は治らず、右足の方は卵大になって居ります。八月下旬より御浄霊戴きました処、排尿も相当量になりましたが、今以て腰より下が痛んで立てません。腹部及び腎臓部は固く、足部裏筋が吊り、左足及び右の膝下から甲にかけて「むくみ」があります。九月九日からは毎日正午頃より夜の八時頃迄発熱致します。七、八年前三回程痔病をやり、塗り薬と「川ヒル」にて治した事があります。霊的方面には、兄が「リューマチ」か神経痛かで五、六年間病み、三年前死亡、又脚気にて死亡した者もあります。主人は御神書を非常によく拝読致して居ります。家は両養子を迎え戦病死して居ります。如何なる関係で御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 之は霊的じゃありませんよ。之は、最初両足が腫れたと言うのは、薬毒です。上から垂れて来た薬毒ですね。それから、血圧が高い――注射と飲薬、之も悪いけれども、こう言う人は――重い薬は下に下るし、又人によっては、下り易い人もあります。こう言う人は、薬が下に下るんですね。しこり――それは固まりですね。足部裏筋が吊り――固まっている。固まって、筋を押している訳ですね。発熱――之は結構ですね。痔病の時の薬ですね。塗り薬が皮膚から滲み込んで、下に垂れていく。之は霊的じゃありません。之も浄霊すれば段々治りますがね。然し相当固まっているから、長くかゝりますね。別に心配も何もありません。唯、気長にやれば、少しづ(ず?)つ少しづ(ず?)つ良くなっていきます。

(お 伺) 尾川(カサミ)(本年六月御垂示戴きました者で御座います)当時の浄化は強い疲労感、胸部圧迫感、発熱、咳等で、熱は朝三十七度五、六分、最高は午後四時頃三十九度近くを前後し、発熱時に於て、胸部の疼痛最も激しく、定って午後一時頃大量の盗汗があり、熱が下がりました。少しの動作にても下腹部より絞り出す如き痰が出、連発する時は呼吸困難とさえなる事がありましたが、喀痰は割に少なく全然出ない事も御座いました。その他鼻血、歯茎より毒血の出る事も御座いました。その後の浄化は、痰が溶け易くなり濃い痰も出る様になりました。咳も以前より大変楽になって参りましたが、八月頃より、次第に胸部の圧迫が強まり、右肺中央部及び上部附近と胸側に空洞を覚えました。以後呼吸が頻繁となり、本年に入って背部の圧迫が著しく強くなって参りました。熱は平常朝三十七度四、五分。午後に至って最高三十八度五、六分を上下し、胸部は胸側から下肺部にかけて熱を持ち、特に指圧すると激痛又は鈍痛を覚えます。喀痰の排泄次第により胸の圧迫も幾分和いで参りますが、一旦痰が出ると、又甚だ呼吸が苦しくなり、夜分は特に咳がひどく(仰向いて臥床した時)痰の排泄もひどいので中々眠れない時も御座いますが、比較的に熱は低くなり、朝のうちは楽ですが、昼過ぎより次第に発熱、背部圧迫感と呼吸が困難となり、息切れがして苦しく、脈搏は百乃至百二十を越す事もあります。一週間前用便に行って失神し、それからは人手を借りる様になりました。腹部の動脈が硬化し、横隔膜附近より下腹に熱が出、圧迫されますので、食欲が減退して居ります。尚、腎臓部より腰部にかけて筋金が入っている様な感じがし、大腿部より足にかけて横筋が痛み、脚全体がだるく感じます。御浄霊は主として、圧迫されている処、熱のある処、痛い処をさせて戴いて居ります。御浄霊を戴きました後には大変楽になり、気分も良くさせて戴いて居ります。暫くすると、又段々苦しくなって参ります。苦痛の箇所は毎日の様に異(移?)動致し、御浄霊の箇所もそれに伴い異って居ります。この様な御浄化が毎日繰返されて居りますうちに、次第に疲労致して来ている様に思われます。尚、(カサミ)は六月、私は本月入信させて戴きましたが、未だ御神体、御屏風観音様は御奉斎致して居りません。祖母は熱心な日蓮宗信者で御座います。家庭も色々に複雑致して居ります。右御教えの程御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 背部圧迫感――前の胸の方の肋骨附近に薬毒が溜っているので、圧迫するからですね。之わ(は?)ね、簡単なものなんです。薬毒ですね。それが一杯溜っている訳ですね。固まっているんです。ですからその為に呼吸困難も熱も痛みもあるんですから、之を早く取れば良い。早く取るには、浄霊する人に余程霊力がないと、早く取れない。誰がやっているんです。霊力が強くてやるか、さもなければ浄霊を成だけしない様にする。溶かさない様にする。そして気長にやる。今の、このやり方では、結局危ぶないです。つまり、良く溶かさない様にするんですね。だから一週間に二回位浄霊する。そうすると、咳も痰も少なくなり、食欲もあるから衰弱しないで済む。それが一番無事だね。こう言うのは、そう言うやり方をしなさい。然し、一時苦しいかも知れないが、そうかと言って浄霊すると、一時良くなるが、あと浄化が強くなって、平均浄化が起るからね。そうすると苦しむから、今言った様にする方が安全ですね。家の人で反対する人があるんですか。

 「御座いません」

 毎日浄霊しているんでしょう。

 「左様で御座います」

 今言った様に良く訳を話して、二日置きか三日置きにやる。今は安静にしているんですか。起きているんですか。

 「一週間前から寝たっきりになって居ります」

 寝た居た方が良い。浄化を弱らせるんですね。食事は――(。?)

 「一杯位です」

 駄目だね。喀血は――(。?)

 「ありません」

 上っ側に溜っているんですね。大体肋間神経痛ですね。それが一番ひどい。やっぱり、あなたも力を入れているんだね。

 「心配の為に力が入る様で御座います」

 心配の為に力を入れると余計駄目なんです。浄霊に力を入れたら駄目ですよ。以前とは違うんだからね、神様の御守護が違って来ているからね。浄霊は何分位やっている。

 「四十分位で御座います」

 それから、幾らか急所を逸れていないかな。急所を逸れているんで、平均浄化が起っているんだね。痛い処をやっているでしょう。今言った様な方針でやって御覧なさい。非常に苦しかったりする場合には臨機応変にやって良いですが。方針をそんな様な具合にして続けて、結果が良かったらそんな風にするんですね。

(お 伺) 私の妻(二十三才)本年四月下旬、下腹部が膨れて激痛が起り、婦人科医と外科医の「卵巣膿腫」との同一診断で、五月二日開腹手術をし、左の卵巣全部と、右の大部分を切取りました。順調に退院し、間もなく元の職業である自分の父が経営する洋裁学校の教壇に立ちました。秋に入って、昼間、夜間の授業に疲れが出ている様子でしたが、右卵巣部に激痛が始り、先の膿腫が悪性のものであった為、再発したのだとの医師の診察にて、結果は保証出来ないが、再手術しろと言われました。私は本年六月中旬頃入信させて戴き、このお道以外に救われる道はないと思い、当時婚約の仲であった為、即日結婚の心(必?)要を感じ、無理矢理手許に引取りました。以来、当地の西谷先生、杉山先生に御浄霊戴き、私も戴いて居ります。先づ(ず?)痛みが取れ、一週間後には起きて軽い縫い物をする迄になりましたが、数日後より腹部の膨れが増し、重い苦しさと鋭い痛みがあり苦痛と嘔気の為に食欲が落ち、衰弱が募って参りました。一昨日より変った便や血液が少量づ(ず?)つ下る様になりましたが、今日は腹部の圧迫が胸の方に来て、心臓の苦しさを頻りに訴えて、度々嘔吐致します。数年前より月経が年に三、四度だった由ですが、手術後は軽い乍ら月毎となり、今月も既に十日程前に済ませました。尚三、四年前、度々強度の蕁麻疹に悩まされ、その度に医者が強い注射を打った由です。妻の家族は浄土宗の寺にて、その父は養子です。母方の祖母は、八年前子宮癌にて亡くなったそうですが、発病後、野の一軒家に離され、親身に世話する者もなく、息を引取る時だけ、妻の父母が世間体を繕う為家え(へ?)連れ戻ったそうです。今(未?)だに祖父とはお墓も別にしてある由です。妻の幼児此祖母に誰よりも可愛がられた由にて、今度の御浄化数日後、夜中に祖母の霊が恐ろしい形をして頻りに妻を脅かした由です。又、今日など苦しい時、皆から世話されて幸福な己に比べて、世話する者もなく淋しかったろう。祖母を憐れむ想いのみ多いと話ました。因みに、妻は長女にて、妻の父母は、長く私達の恋愛と結婚とを深く憎み、二人を呪い殺してやると迄申し、今度仕方なく許したとは言え、このお道が判らず、反対し続けて居ります。尚妻は、去る十月七日私の母と共に、西谷先生よりお守りを戴きました。一日も早くお救い戴き度いと思いますが、差当り如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 切取ったら再発ではないですね。之はおかしいですね。野の一軒家――随分薄情な人だね。卵巣を取ったんですかね。取っても、昔なら之で済んだんですが、今は霊界の浄化が強い為に固まらないんです。そこで、こう言う後味が悪くなっちっ(ゃっ)たんですがね。一時は固まったんで教壇に立つ迄になったんですが、浄化の為に激痛が始まった。この激痛は先のと違って、消毒薬の為です。先には消毒薬も固まるから良かったが、今は固まらないからね。再手術したら駄目ですね。唯、衰弱さえしなければ治りますがね。問題は腹部の膨れが増し――嘔気――と言うのは、薬毒を吐くんです。鋭い痛みは、消毒薬の浄化ですね。腹部の膨れと言うのも。やっぱり薬毒が溶けた奴ですね。変った便――之は手術後の汚たないものですね。然し、之はそう悪い状態ではないんですがね。圧迫が胸の方に来ていると言うのは、薬毒が嘔吐によって出ようとして、胸の方に来るんです。度々嘔吐――之は結構ですがね。昔の蕁麻疹の時の注射ですね。それが最初の原因ですね。それが卵巣に溜って痛んだ。普通、卵巣は痛むものではないですがね。痛むのは薬毒の為ですね。

 霊的関係は余りありませんね。体が弱ると霊は憑りますが、祖母が苦しんだ処でこの人が苦しめた訳ではないから、恨みと言う事はないが、唯時々募って来て憑るらしいね。祖母を憐む――と言うのはそうですね。だから之は病気には関係しません。之は今は何とも言えませんね。それから家の人が日蓮宗(浄土宗?)信者で、それが反対すると言う霊も幾らか障ってます。出来るだけ御神書を読ませるんです。

 こう言う人の浄霊は幾らやっても良い。浄霊を加減すると言うのは、胸に関係する――肺ですね。そう言うのは加減するんです。他の浄霊はやる程良いんですからね。まあ、そんな処ですね。非常に愛し合っているんだから助けてあげたいですがね。光明如来様をお祀りすると良いんだがね。そうして、良くお願いするんです。そうして出来るだけ浄霊して、御神書を読ませる。そうしたら、治らない事はないですね。今言った様な事を熱心にやる。それより他に助かり様がない。まあそうやるんですね。

(お 伺) 八カ月になる男の子、午前二時頃より突然泣き出し、中々御浄霊を致しましても止みませんので、尚一時間以上浄霊致しますと一時は止まりましても、十分位後には又泣き出すと言う有様で、誠に困り抜いて居りました処、ふと思い出し、今回戴きました御霊紙を二分角位に切りまして、お乳と共に服用させました処忽ち泣き止み、朝迄静かに寝ました。玆で不思議な事には、当日夜、一人の指導者に伴われ、親子連れの信徒が娘の精神病を治して戴きたいと来られた者で、母は娘の精神病を助けて戴きたい為に、当日より三日前に入信し、母が入信した時は既に指導者の御浄霊によって大変静かになり、乗物にも動ぜず教会迄参ったのでありますが、患者である娘は御浄霊の効果を霊的に感じたものと見え、自宅に帰る事を嫌い、何うしても教会に置いて貰いたいと言って、中々帰らず、以後三日間滞在して居ります。尚教会に来てからは、母の浄霊を徹底的に嫌い「貴女の浄霊は形式的であるから嫌だ」と言って居ります。この親子が教会に来てから、平生大人しい赤ん坊が同じ時刻に夜泣いて困らせますのですが、私が手枕をして寝かせますと安心した様にスヤスヤと寝ます。今、当教会に滞在して居る病人の副霊による災いではないかと思いますが如何で御座いましょうか。尚前記の病人は「ハルノウ山」の熱心な信者であったそうで、信仰中に精神病になったとの事で御座います。娘の病気は憑依霊によるもので御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 無論、憑依霊ですがね。普通の精神病的意味とは違って、救って貰いたいと言う霊ですね。そうして、それが精神病と言う形式にして救われたいんですね。そうして「ハルノウ山」と言う、この神様に関係がありそうですね。この神様が救って貰いたい為に、この娘に憑いて、それから又、娘が良くなると浄霊して貰えないから、赤ん坊に憑いたと言う訳ですね。結構ですよ。この霊は救われますね。

 

【御 教 え】

     仏教に於ける大乗小乗

(『文明の創造』)

(御論文「仏教に於ける大乗小乗」のあとの御教)

 この仏教などに、よく自力と他力と言う事を言いますが、今書いた様に小乗仏教が自力なんで、大乗仏教が他力と言う訳ですから、日蓮宗の人なんか、非常に熱心で、カンカンになって――余り熱心になると気違い染みた様になって来ますね。之は霊に偏る為ですね。それから、他力の方は南無阿弥陀仏を称えていれば、救われる――阿弥陀さんの側に行ける。と、全然自分の力と言うのを無視して、唯、阿弥陀さんに頼ると言う精神一点張りなんですね。仏教のうちでも、どっちかに偏っているんですね。だから、どうしても――つまり伊都能売式になっていなかった。そう言う事は知らなかったんですね。それで、そう言う事を、仏教の方では同じ様に思っていて、禅宗なんか今言う通り、仏教よりバラモン教なんです。それを知らなかったんですね。だから、仏教が堕落したと言う―どうしても、今の坊さんはいけないと言うが、禅宗の坊さんは割合にそうではないですね。今日でも割合修業が喧ましくて、禅宗寺なんかは、実に坊さんの修業なんかは―粗衣粗食で、今から言うと、カロリーも何もない様なものを食べている。冬でもタビもはかず、中には火にあたらないのも居る。そうして修業している。之は純然たるバラモンのやり方で、仏教のやり方ではない。

 墨染めの衣――あれは非常に良い感じがしてね。洋服に袈裟かけている坊さんより見良いですね。洋服に袈裟と言うのは、余り見てが良くないです。全く禅宗の坊さんは或程度偉い処があるんですね。今も書いてある通り、禅宗の坊さんの書いた書ですが、実に良い処がある。書は大して上手(ウマ)くなくても、それから受ける感じが、邪念――そう言う処がなく気持が良いですね。以前にはそう関心持たなかったが、近来色々研究してみると中々値打がありますね。今の美術館が出来たら、そう言うものも集める積りですがね。大体書の良いものは日本では大徳寺ですね。あの代々ですね。今度京都に行ったら、大徳寺の真珠庵と言う、大徳寺末寺ですが、大燈の書かれたものがあるので、そこに行ってみたいと思っている。官休庵と言うお茶の先生が懇意にしている。中々喧ましくて、普通は見られないそうですが、今度見せて呉れるそうです。昔の通りで、二階に上るのに猿梯子だそうです。危ぶない位だそうです。真直になっていてね。それも昔の通りで変えないんですね。そこに大燈国師の書が一番あるそうです。そんな訳で、中々今でも禅宗は一寸面白い処があるそうですね。この前京都に行った時に、大徳寺であそこに茶碗で日本一の喜左衛門井戸と言うのがあり、見せて貰ったが、別に変った茶碗でなかったが、有名な茶碗です。そこに行った。お寺の生活状態を見ると実に質粗(素?)で床しい感じがしたね。

 

 

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