(お 伺) 妻チエ子(三十五歳)昨年七月肺浸潤と診断され、弟栄(三十二歳)も昨年十一月肺門淋巴腺及び肋膜と診断され、色々と療養致しましたが、思う様に快復の見込みもなく、本年一月七日大本教に入信。大本教の御神体も祖霊神もお祀り致しましたが、病状は日に日に悪化して行く許りで、迷っている処に救世教のお蔭をお伺い致し入信。妻と弟を浄霊させて戴き、一週間位で御守護を戴き、絶対安静を宣告された妻も弟も起上り、散歩するようになり、弟は好きな魚釣りに行ける様な元気になり、五月に妻と弟が入信。六月には弟の妻も入信させて戴きました。五月中旬頃より、弟が浄化を戴き左右全体が浮腫し、激痛が伴い、浄霊を戴くと少しは楽にさせて頂いて居りますが、最近腹部が腹膜状態に浮腫み、呼吸も苦しく、右側を下にして寝ると楽ですが、上向きや左側を下にして寝ると苦しみます。七月二十日に御神体並に御屏風観音様も御祀りさせて戴いて居ります。尚大本教の御神体は大光明如来様の右前に安置させて戴き、大本教で祀った祖霊神は新しく位牌を作って、仏壇にお祀りさせて戴いて居ります。尚先祖に、祖父が四十三年前水溜りに身体に石を括り附け自殺致し、姉も十八歳より癲癇にて十五年前、三十一歳にて死亡、妹(三十六歳)は十八歳より精神病に罹って居ります。右弟の御浄化は霊的なものと存じますが、御浄霊の重点に就き御教え御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は霊的ではありませんよ。やっぱり薬毒ですよ。薬が溶けて下って来たのと、先に下がって足に固まっていたのが溶けて来たのと――両方ですね。之は浄霊すれば、段々良くなります。腹膜状態――之も薬毒ですよ。右側を下にする――と言うのは、右側の方に溜っているからです。それで左側を下にすると、肺を圧迫するからね。之は肺から胸の方にかけて溶けている。それから、上向き――と言うのは、胸の方に毒がある為、上向きになると圧迫するから苦しい。之は気長に、段々溶かしていけば治りますがね。
色々と大分罪穢れがある家ですね。処が、腹膜の為―に病気で苦しむんじゃないんですよ。之は面白いのです。病気で早死にするのは、医者にやられるんですからね。医者の思うが儘にやられて命を無くする―と言う処に罪がある、と言うのは、御守護が無いんですね。医者の思うが儘にやられる。それに気がつく様な何かが起らないと言うのは、神仏の守護がない。守護があると、教えて貰える。守護があると、知らされて喫(吃?)驚りして医者を離れて助かる。間接でなくて、結果に於て罪が禍すると言う訳ですね。この例として―良い例がある。私が、今から三十六年前に、歯で悩んだと書いてありますが、凡る東京中の有名な医者に行って―何しろ四本痛むんですからね。それは薬毒の為だったんです。それに気がつかないで、益々方々の歯医者に行って薬をつけた。終いに、有名なアメリカ帰りの歯医者ですが、私の知っているだけの薬は皆んなつけたが駄目だ。私の友達が来月アメリカから帰って来るから、何か新薬を持って来るかも知れないから――と言うんです。それで、頭が段々変になって来て、発狂するか、自殺するか、どっちかの運命だ。と言うどん詰りになった。処が時々来る人で、日蓮宗の行者で素晴らしい人で、どんな病気でも治る。と言うので、一ぺん行った。すると、一週間やって御覧なさい。その間は歯医者に行ってはいけない。と言うので、歯医者を止して、東京から毎日横浜に通った。そうすると、四日目かに、汽車に乗っていると、今迄幾月にもこんな事はない。良いんです。行者の行が效いたんではない。その時ふっと思ったのは、歯医者で薬をつけた。その為ではないかと思った。行者で治ったと言う形跡はないんですが、兎に角薬が原因と言う事が分った。それで、薬を止めて嗽をしたりしていると治って来た。今日でも、未だですが、今では慣れたんです。今でも、話がはっきりいかないと言うのは、痛むんで加減してやっているからです、日蓮宗の行者にめぐり会ったと言う事が御守護です。無論、神様がやられたんですがね。将来、私には重大使命があるので、助けて下さったんですがね。その時にはじめて、薬と言うものは恐ろしいものだ。薬毒と言う事も知らなかった。そうすると、今日人を助ける事が出来なかったかも知れない。神様の御仕組と言えば、御仕組ですね。それからと言うものは、風邪引こうが、扁桃腺の持病がありましたが、薬をつけないで、医者にもかゝらないで、段々丈夫になって来た。そうすると、西洋医学は間違っていると言うので、医学衛生のあべこべにやったんです。そうすると、どんどん丈夫になった。自分の体で、医学の間違っている事が判った。ですから――腹を冷やしてはいけないと、昔から言うが、それで、温めずに冷やした方が良いと思った。私の子供なんかは、昔から一人も腹巻をさせません。そうすると、以前はよく下痢なんかしていたのが、温めない様になってからは、下痢なんかしなくなった。だから、今でも言うんですが、丈夫になりたいと思ったら、医学の反対をすると言うんですね。
(お 伺) 長野県湯田町田中の小林光善(四十一歳。本年六月入信)と申す信者で御座いますが、カフェー及び美容院を経営し女給、見習等三名を雇って居ります。其内二名の女子(未入信)が不思議な霊憑り状態となりました。最初は先月二十八日より、二人が前後して薬毒の御浄化を戴き、激痛を訴えましたが不思議な事に、大抵二人同時に痛み出し御浄霊を致しますと体をくねらせ、猛烈に痛みを訴えて居りましたが、三十日より、やはり二名同時に激痛後失神、霊憑り状態となりました。其状態は、最近不品行や同僚に対する暴行等の為解雇された他の女給の生霊と思われるものに苦しめられ、二人共同様に首を締(絞?)められたり、脅迫されたりする情況を寝言の様に喋り、気がついてから、失神中に喋った事と同様に苦しめられた情況を話すので御座います。又、他の死霊が引っ張る様な事を申す場合もあり、二名共定まって、激痛後は同時にグッタリとなり、眠った様になって失神致します。此様な状態は九月三十日より今日迄に五回程あり、失神の時間は、初め二時間位でしたが、去る六日には十時間も続きました。以前服用致しましたクレオソート、胃腸薬、杏仁水、石炭酸等を嘔吐致して居りますが、食欲もあり元気で、熱も脈も平常で御座います。二名共入信を希望して居り、真剣にお縋りして居ります。この少し前に、以前この家の奥さんが、熱心に信仰して居りましたお不動様の幣束を、教会に相談なしに破って焼いて了ったそうで御座います。又、同じ頃に御屏風観音様をお祀りしてある仏壇を猫にひっくり返された事も御座います。此家の主人は、入信前迄は世を果敢無み、自暴自棄的になり、大量に飲酒し、酒乱の如く暴れ、その結果心臓狭窄となり、卒倒する等、結婚後十数年、その為に家庭不和が続きましたが、入信後生れ変った様にお救い戴きましたので、その喜びは一方でなく、今日では夫婦共真剣に神様にお縋り致し、布教に専念して居られます。小林宅には十年程前に註文して彫らせた、龍の木彫板(縦二尺、横三尺位)が御座いますが、中々良く彫ってあります。奥さんが申しますには、主人が酒乱になりましたのは、この木彫板を入手して以来の様に思われるとの事で御座いますので、この浄化と関係があるかも知れぬと思い、念の為生米、水等を供え、祝詞を奏上致しました。只今、御神体をお迎え致すべく準備中で御座いますが、それ迄の間、中教会本部より光明如来様をお借り致し、御奉斎させて戴く事となりました。この憑霊は生霊だけで御座いましょうか。木彫板の龍や、この家のカフェーと言う職業に関係のある邪霊のいたずらで御座いましょうか。又この様な場合には如何致しましたら宜敷いでしょうか、御教えの程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は龍神が関係あります。之は非常に良く彫ってあると、余計霊が憑ります。大抵、彫刻や絵で良く出来ていると憑り良いんです。それで、この祖先で、龍神になったのが、このカフェーに憑っているんですね。二人の女給の浄化が行われているのと、生霊や死霊が色々憑っているんですね。之は主人に見せるんです。霊界があると言う事を――霊があると言う事を、良く分らせて、信仰的に働かせ様と言う考えですがね。その場合、木彫の龍神が、やはり働かれるんです。それで、木彫の龍神の独自の考えでなく、祖先が働いて、龍神を働かせている。そうして、神憑りによって分らせ、信仰を進ませると言うのです。大量に飲酒―その当時から計画的に龍神がやったとみられますがね。そうして大いに信仰を深くさせて、大いに宗教的に良い事をさせ様と言う訳ですね。ですから、女給二人も無論信仰に入りますが、之もその道具に使われている訳ですね。ですから、こう言う――霊の憑り良いのは、今後も色々と霊が憑って教えたり、良い事をしますから、一向心配する事はいらないです。
それから、不動さんの幣束を破って焼いた。と言う事は本当ではないですから、よくお詫びして置くと良い。光明如来様を祀ってなければ、お祀りしてから、不動さんの幣束を破った事を、不動さんに許して貰う様に、光明如来様にお願いすると良い。光明如来様がやって呉れますからね。猫にひっくり返されたと言うのは、之は何か意味があるんです。猫を使ったんですが、御先祖が気に入らない点があるので、やったんですね。
「この商売は直ぐに止めるべきでしょうか」
周章てて、止めなくても良い。それは神様にお任せして置くと良い。何うしても止めなければならない様な時には、全てがそう言う事情になります。例えて言えば、止めても食うに困らない様な収入があるとか、それ迄は両方になるとか、無理にやらなくても自然にして置けば、支障なく楽にいける様になる。結局はそうなりますが、それ迄は周章てなくても良い。
「光明如来様お祀りの後、木彫の龍は如何致しましたら宜敷いでしょうか」
何処に置いてあるんですか。
「床の間の隅に棚をつくり、そこに――」
それで結構です。
「お供え物は宜敷いでしょうか」
水をやると良い。水を鉢か何かに入れてね。それから、月に一度づ(ず?)つ月並(次?)祭の時、お盛物をすると良い。水は絶対に必要です。毎日それに入るんですからね。龍神は体が熱して苦しいんですからね。一日に三度入るとしてあります。水も、飲む水と入る水は違うんです。飲む水は月に一度で良いのです。
【御 教 え】
お蔭話で、よく御霊紙を貼って、大分お蔭を頂いていると言う報告がありますが、浄霊で治りますけれども、御霊紙は、又特種の――特別の力があるんです。昔はよく拵えて別けてやったものです。例えば瘍疔なんか出来ますが、御霊紙をはった丈でも――その時分は御霊膏と言ってましたが、膏薬の膏ですが、瘍疔なんかは直きに治るんです。実に簡単にね。それから「おひねり」と言う一々小さい字を書いたものを作ったが、今度は御霊紙を拵えましたから、今日からわける心算りです。それは、勿論「オデキ」とか腫物とか、そう言うものに貼って良いし、それからお腹の中―体内の病気の時、それを小さく切って、或はちぎってでも良いが、それを水で飲むと、非常にお陰がありますからね。それがあると気強いですね。それを続けてやりたかったが、以前は非常に喧ましくて、口に入れるものとかは≪我々は消毒とかそう言う事をしないから≫危険だと言う。こっちは何でもないが、他の宗教で、御符だとかを水で飲ませるとかやったが、あれを喧ましく言われたから、私の方もつまらない事で引っ掛るから止したんです。今日はその時分と違いますからね。最近気がついたものですから、そう言う風にした訳で、今度は大いに利用した方が良いと思います。
大宅壮一と言う人
(栄光一二九号)
此人は不思議な頭脳の持主である。今度も東京日日の「蛙のこえ」で、三回に亘って例の通り巧妙に私の悪口を書いたが、此人は廿年も前から、親の仇のように私を狙っていて、根気よく時々私の悪口を新聞に出している。処が今度の記事は、今迄にない御念の入ったものであるので、よく考えてみると此間の彼の悪口に対し、教団の方で名誉毀損の訴えを起した為、口惜し紛れにかいたものであろう。といって又訴えられるのは怖いとみえて、極力独断を避け、根拠らしいものを集めて、材料にしている点がよく分るのである。
処で、其材料なるものは、昔の私の知人であった頭の少し変な人が、私を恨んで語ったらしい嘘の記事が、昨年某三流新聞に出ていたのをネタに使ったり、まだ白黒も判らぬ昨年の事件を黒と決めて了って、悪口の材料にしたりしてデッチ上げたもので、何も彼も一方的に取上げて私の名誉を傷つけようとするのだから、斯んな不徳義な行為をして何の利益があるのか、確かに普通の頭脳ではない事が分る。だから斯ういう精神変質者を相手にするのは大人気ないが、広い世間には立派なジャーナリストと思っている人もあるだろうから、それに瞞されないようにと筆を汚した次第である。
只右のネタの内、信者の中で霊写真に就て真相を知りたい人もあるだろうから、此一つだけかくが、最初右の変な人が写真を撮った処、其翌日驚いて飛んで来た。それは不思議なものが映ったといって、乾板のまま見せに来たので、それがアノ千手観音様が写った写真なのである。又煙りのようなのは鏡に反射した為というが、其部屋には手鏡一つさえなかったのである。又龍神は誰が見てもハッキリしており、御本人も之は正に龍神であるといって、不思議を繰返えし得々としていた位である。
では何故此様な嘘ッ八を新聞へ出したかというと、昨年私の著書の奇蹟物語へ霊写真を出したので、其謝礼が欲しかったらしく、十六年振りで訪ねて来たが、気まりが悪いと見えて、明ら様に口へ出さないのと、私は其人を以前立派な人と思っていたので、そういう事をいうと侮辱になると思い、反って触れないようにした処、彼は私を、没分暁漢だと思って憤慨し、返報返えしの意味であったに違いないと想像されるのである。
(御論文「大宅壮一と言う人」のあとの御教)【註 栄光一二九号】
之は、一寸お笑い草に書いた。大宅壮一と言う人が、日々新聞に三日間続けて――まあ悪口ですね――書いてあった。この人は昔から、私を親の仇の様に思って、よくやるんですが、それに就いて少し許り書いた。今度の新聞に出そうと思う。色々とメシヤ教を邪魔するんですね。処が御本人ではないんです。つまり邪神ですね。邪神界では、私の言うのが出たので恐がって、何とかしてやっつけなければならないと言うので、凡る計劃をして努力しているんです。こう言うのは、邪神の中のインテリですね。それが憑いてゆすぶるんです。お前、こう言う風に書け、岡田と言うのはけしからん。こうだ。こうしなければいけないと言って、頻りにその人の心を動かす。そう言う事は、邪神の少し力のあるのに遭ったら一溜りもないんですからね。二カ月許り前に書いたのを名誉棄損の訴えをしたが、それ以来、「栄光」新聞も配っている。それも、読んだか読まないんだか分らないが、何しろ恐ろしくて読めないんですね。邪神は、あれを読まれるのが恐いので、読ませない様にする。然し、妻君だとか読みますから、段々心が動くのと、新聞が家にあると、新聞から光が出ますから、その家が段々明るくなりますから、それに反抗的に余計こっちに妨害しようと言うんです。今度の現れもそうです。然し、結局段々改心して頭を下げるか、結局お陀仏になって、あの世に行くか、どっちかです。
裁判官、検事、警察官等にも、半年程前から「栄光」新聞をやってますが、之も例の邪神が抑えて放さないから、未だ未だ改心するどころではない。益々悪を逞しくしている。何しろ、邪神の方では大変なんですからね。そう言う事を今書いているが、之は非常に面白い記事ですが、この次あたりにね。邪神の何んな奴でも私の側にも寄れませんからね。そこで、私の周囲の者にですね。之もちょいちょいやるが、それも長くは憑けない。大抵数分位ですね。何時間も憑けない。之は良く分るので――何か、お祭りがあるとか、重要な人と面会する時、私に腹を立たせ様と言うんです。自分には分らないんですが、邪神がやるんです。それ以上は憑けないんです。それから、信者の人でも、ちゃんと信仰の固まった人には何うする事も出来ないから、新しくやって来る人とかを邪魔しようとして、あの手この手でやるんです。だから、信仰に入ろうと言う人が入らなかったり、来る人が来なかったりするんです。昔は、邪神の方も大分強かったが、この頃は年々弱っている。だから信者も増えていくんですがね。
戦争も同じ事です。今アメリカとソ連が戦争してますが、あれと同じです。
そう言う訳で、邪神が一番眼をつけるのが官憲、役人と新聞ですね。之は、邪神の頭目が皆んなそうです。頭目が憑って――何しろ、今社会で権力を持っているのは役人と新聞ですね。之が一番の権力を持っている。これの勢力を、頭目は始終狙っている。そうしてメシヤ教をやっつけ様やっつけ様と狙っている。然し今日は民主主義政治になっているので、目茶苦茶な事は出来ない。然し去年の事件の様に拷問の様な事をやったんですね。けれども、それが現在の状態ですからね。勝ったり負けたりしているうちに、段々神様の方が勝っていくんです。つまり、神様と悪魔の闘いですね。私は神の総大将になっている。又、悪魔の総大将がありますからね。之は以前から始終狙っている。そのやり口を始終見ていると、面白いものです。この頃は大分神様が勝っちゃったんでね。悪魔の方で教団を狙って、随分入り込んで来ました――昨年の事件を契機として―邪神の方は殆んど今は逃げちゃったり、窒息したりした。そんな訳で、大分楽になりました。結局、こっちが全部勝っちゃったのが五六七の世なんです。もう一息と言う処ですね。未だ、邪神の方の小童がやっているのがね――先にもそれだけの力があるんですね。それで、邪神が本当に悪い事を思わせるのは、そう恐くはないが善の仮面を被るのは恐いんですね。新宗教は全部インチキだ。戦後の社会に乗じて旨く瞞して――金を儲けてやっている。その親玉がメシヤ教で、その親玉が岡田茂吉だ。と、邪神が思わせるんです。それで、そうかな――と思ってやるんです。大宅壮一と言うのは、新宗教と言うのは、敵みたいに思って書いていますが、可哀相なものですね。いずれ地獄の苦しみをしなければならないがね。
経と緯
(『文明の創造』)
およそ天地の真理を知る上において、経と緯の意味を知る事が最も肝要である。この事は今までにも幾度となく説いて来たが、なお一層詳しく徹底的に書いてみよう。それについてはまず根本的認識である。それは私が常にいう日は火で、火は経に燃ゆるものであり、月はその反対に水で緯に流動するものである。従って日の本質は高さであり、月の本質は広さである。この理によって今地球を説明してみると、地上の空界は水素が緯に流動しており、火素は経に上下を貫いている。つまり経緯の精が綾のようになっており、布地のごときものである。しかもそれが想像を絶する程の密度であって、この事実として卑近な例ではあるが、人間が横臥すれば寒いのは、緯に流れている水の精によるからであり、起きて経になれば暖かいのは、経に昇降している火の精によるからである。また火は霊的、精神的、陽であり、水は体的、物質的、陰である。この理は世界の東西文化をみてもよく判る。東洋は経であるから霊的、精神的であるに対し、西洋は緯で体的物質的であるから、今日のごとき科学文化が発達したのである。宗教においても仏教は経であるから、経文といって経の字を用いており、祖先を崇拝し、子孫を重視すると共に、孤立的であるに反し、キリスト教は祖先を祀らず、夫婦愛を基調とし、隣人愛を本義とし、どこまでも国際的緯の拡がりである。
右のごとく、今日までの世界は、東洋文化の精神的に偏した思想と、西洋文化の物質的に偏した思想とであったがため、どちらも極端に偏する以上、一切が巧くゆかなかったのである。従って人類の苦悩はいつになっても解決出来ず、世界の混乱は停止するところを知らない有様である。こうみてくるとどうしても経緯両方が結ばれなければ、完全な文化は生れないはずである。としたらこの経緯の結ばる時こそ問題であるが、驚くべしそれが今日であり、その力の行使こそ本教の使命であって、本教のバッジがよくそれを表わしている。
次に私は前から言っている事だが、観音力の働きもそれであって、すなわち経にも非ず、緯にも非ず、といって経でもあり、緯でもあり、いずれにも偏らない応変自在であるから、千変万化、自由無碍というのもこの意味である。この理によって人間の心のあり方もそうなくてはならない。すなわち心は常に原則として経緯結びの中心に置くべきで、これを一言にいえば常識である。本教が特に常識を重んずるのはそういう訳なのである。
ところが世間常識人はまことに平凡に見らるるもので、反って偏る人の方が偉く見えるものであるから、この点大いに注意すべきである。事実この偏在精神の持主が、偉く見ゆるのは大抵一時的であって大成は出来ない。いつかは必ず失敗する事は、歴史がよく示している。
右のごとく経は高いが小さく、緯は低いが大きいのが真理である。従って私はこの方針で進んでいるので、例えば箱根と熱海がそうである。箱根の聖地は高くて小さいが、熱海のそれは低くて大きいのである。
また経は霊であるから箱根を先に造り、熱海は体であるから後に造るので、これが霊主体従の順序であるからで、この通りにすると実に順調にうまくゆくが、少しでもこれを狂わせると、必ず故障が起るのはほとんど絶対的といってもいい。実に神様の御経綸こそ、一糸紊れずまことに整然たるものである。
(御論文「経と緯」のあとの御教)
之は今迄に書いたり言ったりした事ばかりですが、之は「文明の創造」の宗教篇に入れるものですから、それで読んだ訳なんです。唯、急所と言うべきは、人間は全て平凡に見える人が偉いんです。普通偉いと言うと、変った風ですが、それに誤魔化されるんですよ。ですから、宗教家で、何かと言うと、いやに普通の人とは違った恰好をしますがね、頭の毛を長くしたり、鬚をうんと生やしたりしますが、あれは本当に偉くはないんです。ですから、それを頭に置いて置くと間違いないですね。ですから、私に初めて会った人は、よく皆んな驚くんです。教主とか何とか――教祖様なんて、生神様然としているが、私は全然そんな事はないからね。喫(吃?)驚りして――分らない人も、好感を持つんです。そんな様な具合で、要するに、どっちか――経とか、緯とか。右とか、左とかに偏らないとすると、どうしても平凡になっちゃうんですね。だから、仕事の出来る人とか――結果の良い人は、何処が悪いか分らない様で、当りが極く良いんです。処が世の中は知らないから、変った人が偉い様に思われる心理状態の為に、偉く見せ様と言う人は、変った事を工夫してやりますが、一つの間違いですが、それを言いたい為に之を書いたんです。
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