自然農法の報告が大分来ましたから、もうじき特集号を出せると思いますが、大体を見た工合ですと、初年度から大抵二、三割の増産になってます。だからこれは前年までと比べてみると随分違ってます。前年までは、最初は増減なしというのが殆んどで、精々一、二割ぐらい増えたのが偶にあるくらいで、どうもあんまり芳しくなかったです。去年は一般が非常に悪いのと反対に自然栽培は良い成績です。今までよりも大分良くなったという事は、一体どういう訳かと言いますと、霊界が違って来たためです。つまり霊界に火素が増えたわけです。それで火素が増えると、やっぱり浄化作用が強くなりますから、肥料のような間違った事に対する影響が著しくなるわけです。それと反対に自然栽培の方は道理に合ってますから、そこで良くなるのですが、良くなるという事は火素が増えるからですが、これはやっぱり一つの熱ですから、熱のために、肥料の妨げがなければ育ちがよいという理窟になります。それからもう一つ特に注意する事は、前に二毛作はいけないと言ったのは、米と麦をチャンポンにする事はいけないので、米だけの二毛作なら、かえっていいくらいです。しかしこれは気候が暖かい所でなければ無理ですから、気候が暖かい所で可能ならしてよいです。農業の事はそのくらいにしておきます。
それから病気について、浄霊でどうして治るかという事を、新しい人から……よく患者などで、ばかによく治るがどういう訳で治るのだろうかという事を聞かれた場合に、はっきりとその説明をする事は、私は今まであんまり書かなかったように思うのです。一度書こうと思ってましたが、最近頻りにそういう気がするので書いてみました。というのは、以前はなかなか医学が喧しく、政府が言論の自由をなくしていたから、下手にやって酷い目に遭うといけないからと思って、はっきり書かないようにしていた。それがずっと続いて来たので、あまり徹底しなかったのですが。今度、今言ったような訳で書きましたから、それを読ませます。この説明でもなかなか分り難いのですが、しかしよく話して、そうして考えれば分ります。
御論文〔浄霊は科学療法なり〕 【註 栄光二四三号】
浄霊は科学療法なり(1)
(栄光二四三号)
これは以前からよく信者が新しい患者を扱う場合、浄霊の原理を訊かれるので、簡単に分りやすく説明をしたいという希望を聞くので、私はここにかいてみたのである。というのは散々医療を受けても治らない病気が、浄霊を受けるやアッ気ない程速かに治るので、驚くと共にその理由を知りたいと思うのは無理もない話である。もっとも浄霊をする方にしても、一度はそういう経験が必ずあるであろうが、今までのところ時期尚早の関係もあって、私は余り徹底的には説かなかったから、ここに詳しくかくのである。ところで昔から病気は医者と薬で治すものと相場が決っているばかりか、今日の人間は何事も科学ならでは信じられないという科学至上主義になり切っている以上、解するに苦しみ、訊きたいのも当然であろう。それについて最も肝腎な事は医学と科学との関係であって、これをまず知る事である。なるほど他のあらゆるものは科学で解決出来るのは言うまでもないが、独り医学に限ってそうはゆかないどころかむしろ見当違いもはなはだしいのである。というのは人間と人間以外の一切とは根本的に相違している事である。それを詳しくかいてみよう。
そもそも人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。ところが科学はそのような深い点は全然未知なるがため、人間を以って単なる一個の動物とみなし、物質である肉体のみを対象として来たのであるから、病気をもって肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質をもって修理しようとするはなはだ単純な考え方であった。しかし事実はそんな簡単なものではない。人間は肉体以外生命力というむしろ肉体以上重要な霊的個体なるものが存在しており、それが体との密接不離な関係にあって、人間は生きて活動出来るのである。しかし霊は無に等しいものであるため、唯物科学では発見されなかったのである。という訳で科学は肉体のみの研究に耽っていたのは、彼の死体の解剖などを見てもよく分る。従って何程進歩したといっても、両者の一方だけであるから跛行的進歩でしかない以上、いかに努力したとて結局徒労以外の何物でもないと言えよう。
以上のごとく人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それがまた体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯の作用であり、後者は霊主体従の経の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字のごとく霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。従ってこれ以外の療法はことごとく非医術である事を知るべきである。以上が病原と治療との根本原理であって、一言にしていえば病気とは外部に現われた症状であり、病原は内部にある曇りである以上、この解消こそ真の治病法である。ところがその理を知らないがため医学は現われた症状さえ除けばいいとしているので、たとえ効果があってもそれは一時的で、必ず再発するのは医師も常に経験しているはずである。
では一層突進んで浄霊の根本原理を科学的に説明してみよう。それには便宜上科学の方程式に則り、理論科学と実験科学との両面から検討してみるが、今のところこれが最も正しい方法であるからである。そこで霊の曇りとは何であるかというと、これこそ薬剤の毒化したものであって、その本質は不純水素である。不純水素とは水素中に毒粒子が混入されたもので、この毒粒子を潰滅すれば純水素となり、病原は根絶される訳だが、これには非常な高熱を要する。それによってこの毒粒子を焼尽出来るからである。しかしこの高熱は地球上未だ嘗て存在しなかったところのXであるが、幸いなるかなこの説明に最も好都合な一事が発見された。それが彼の原子爆弾であって、人も知るごとく原爆の高熱も今まで全然なかったもので、二十世紀の今日初めて発見されたもので、この点よく共通しており、偶然の一致というよりももちろん神意の表現である。ただ異うところは原爆の熱は体の熱で、浄霊のそれは霊の熱であるから、その強力さは比較にならない程のものである。すなわち体熱の方は限度があるが、霊熱の方は限度がない程の高度であって、もちろん科学では発見出来なかったのである。もっとも発見出来ても人為的には作り得ないから、この点から言っても原爆とは比べものにならない程の性能である。しかし科学が現在より数層倍進歩した暁、あるいは発見出来るかも知れないが、それは今のところ未知である。ではこの本質は何かというと、これこそ太陽の精であって光と熱の霊である。私はこれを名付けて火素といっているが、この火素が不純水素に向って放射されるや、水素中の毒粒子のみ一瞬にして焼尽される。つまり病原を焼いてしまうのである。というのは体的不純物と異い、霊的の方は霊熱でなくては焼けないからである。その方法としてこれも私は一紙片に「光」の文字を書き、それを希望者に頒ち与える。するとこれを御守として懐中へ入れるや、太陽から不断に放射されている火素が、私を通じて御守に伝流され、その人の掌から放射される。ちょうど太陽が放送局とすれば私は中継所であり、術者は受信機と見ればいい。それによって毒粒子は全滅し純水素となって漿液中に吸収され、かくして病気は全治するのである。これを一層分りやすくいえば、例えば痛む個所に向って手を翳すやたちまち痛みは去る。それは患部の曇りが間髪を容れず解消し、体に映るからであって、しかも毒粒子は結核菌でも伝染病菌でもあらゆる菌の発生原であるから、それが全滅するとしたら、これこそ万病治癒の理想的医術である。以上で大体判ったであろうが、これを大雑把に言えば、医療は溶けかかった毒素を固める方法であり、浄霊はより溶解し排除させる方法であるから、前者は病気保存法であり、後者は病気解消法である。としたら公平に見ても、治る方が科学であり治らない方が非科学であるから、私は医学は非科学であるというのである。その例として医学の説明をみればよく分る。なるほど徴に入り細に亘ってはいるが、ことごとく枝葉末節的で、根本には触れていない以上、実際に合わないのは医師も認めているはずであろう。ちょうど枯死せんとする樹木は、原因が根にあるのを知らず、枝や葉を研究するようなものである。
これで病理と医学の大体は理解されたと思うが、要するに現代医学は根本が不明であるため合理性がない低科学である。これに反し浄霊医術は合理的高度の科学であり、未来の科学である。その証拠として低科学の頭脳をもって浄霊の驚異的効果を見る時、奇蹟として驚歎するが、実は奇蹟でも何でもない。治るべき理由があって治るのであるから当然である。これについて何人も知りたいであろう事は、一体太陽の精などという素晴しい力が、なぜ私という人間を通じて万人の病を治すのかという事で、全く世紀の謎である。しかしこれを説くに当っては深奥なる神秘を露呈しなければならないから、次に譲る事とする。
次はその説明ですが、まだすっかりは出来てないが、出来ているだけを大体書きました。とに角この説明は非常に難しいのです。今のはどうやら分らない筈はないだろうと思いますが、これから先は非常に難しいのです。科学でもなければ宗教でもないし、今までになかったものだからして、私が考えている事を文章にするのに、うまい文字がないのです。それは、今までにこういう事がなかったから文字が出来ていないのです。だから或る所まで説いてゆくと、それから先は文字がなくなってしまうのです。余程工夫して書いてみたのですが、まだうまくは書けてませんが、出来ただけを読ませます。
御論文〔浄霊は科学療法なり〕 【註 栄光二四七号】
浄霊は科学療法なり(2)
(栄光二四七号)
前にかいたところの太陽の精なるものは、もちろん太陽の霊であるのは言うまでもないが、ではなぜ今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。すでに述べたごとく人間は霊と体との両原素から成立っていると同様、地上といえども霊界と現界との両面から成立っており、その霊界もまた二つの原素から成立っている。その一つは霊気界、今一つは空気界である。そうして前者の本質は火主水従であり、後者のそれは水主火従であり、すなわち陽と陰である。この理によって万物は太陽の精と月の精が抱合一体となって地球を哺育している。つまり父と母が協力して子を育てるようなものである。というように日月地の三位一体によって生まれるこれが自然力であって、これによって一切万有は生成化育されているのであって、これが宇宙の真相である。しかもその中心としての王者が人間であるから、人間なる者は神を除いての最高位の存在である。この故に万物は人間のために存在し、人間を哺育する以外の何物でもないのである。
以上は人間と宇宙との関係であるが、ここに驚くべき大異変が近づきつつあるのである。それは史上空前の一大驚異であって、今日までの世界は夜の世界であったのが、今や昼の世界に転換せんとする、その黎明期が現在であるといったら、恐らく何人といえども何が何やら見当がつかないであろう。そこで言うであろう。昼と夜とは一日の内にあるだけではないか。それを時代的に結びつけるなどは荒唐無稽もはなはだしいとして一笑に付するであろうが、それも無理はない。私といえども真相を知らないとしたらそう思うのはもちろんである。しかし私は神示によって知り得た以上、信ぜざるを得ないのである。しかもこれは真理である以上、この文をよく読めば必ず納得がゆくはずである。
以上のごとく火主水従の霊気界、水主火従の空気界の両素が渾然融合し大気界が構成され、この地球を囲繞しているのであって、五感で分る一日の昼夜なるものは、言わば体的昼夜であって、これとは別に時間を超越した霊的昼夜のある事を知らねばならない。これこそ最も重要な意義であり、宇宙の大神秘である。すなわち現界の昼夜を無限大に拡げたようなもので、空と同様であるから人間には分らないが、しかし規則正しく流転しつつある。しかもそれが十年に、百年に、千年、万年といったように大中小になっている。その一期間は三、六、九合計十八になっており、これが宇宙の実相である。彼の釈尊が唱えた五十六億七千万年後ミロクの世が来るとの説は、文字通りとすれば、余りに長過ぎて実際上無意味であるのは、全く右の数字を示唆したに外ならないのである。そこで前へ戻るが、今までの夜の世界は月の主宰であり、月は水であり体であるから、物質文化が発展したのであるが、それに反し昼の世界は日の主宰で、日は火(霊)であり、精神的である。またこれを善悪に別ければ体が悪となり、霊が善となる。これが真理である。従って今までの世界は悪主善従であったのが、今度は善主悪従の文明世界に転換するのである。つまり悪主善従のため現在のごとき地獄世界が生まれたので、これが長く続くとしたら、結局人類の破滅にまで及ぶのはもちろんで、彼の原子爆弾の発見もその一つの示唆に外ならないのである。このように神の経綸の深奥なる到底人智などで窺知し得られるものではない。以上によって世界の今後の動きはほぼ分ったであろう。彼のキリストのいった世の終りと、そうして天国は近づけりとの予言もこれであり、私の宣言する病貧争絶滅もその基本的条件である。そのまた基本が病気の解消であるから、神はこの鍵を私に与え給うたので、私は現在病の解決を主眼としているのである。
以上によってみても、この大経綸たるや破天荒的大偉業であって、この結果文明は革命され、第二紀元の誕生となるのはもちろんである。これは余りに驚異的な説で、この著を読んだだけでは茫然として理解は困難であろうが、事実は飽くまで事実であり、しかもその時は迫っている以上、一日も早くこれに目覚められん事である。
ここで今一つの重要事がある。それは前記のごとく物質文化発達の途上長年月にわたって犯した悪主善従による罪穢の堆積である。これを人間についていえば、体的には薬毒であり、霊的には悪による曇りである。これが霊界における火素の増量によって、浄化作用も旺盛となり、最後は決定的清算が行われるのである。これがまたキリストのいった最後の審判でもあるとしたら、この難関を切り抜けなければならないが、それに失敗したら何人を問わず永遠の滅びとなるのである。この事は今私が唱えるのではない。すでに幾多の聖者、賢哲が幾千年前から予言された事であって、これを信ずる信じないはその人の勝手だが、私は信じられる証拠としての奇蹟を現わしつつある現在、何ら疑うところはないはずである。
今読んだ中で肝腎な事は霊と体です。体にある毒素が霊に写って曇りとなるという事は、つまり緯の作用であり、それから霊の曇りを取ると、それが体に写って、体の毒素が出るという事が経の作用です。だからこの点をよく知っているとよく分ります。それで緯に写る作用は、つまり体的であるからして、それでは解決はできないのです。それから経は霊主体従で、霊さえ良くすれば体はきれいになるのだからして、病気は解決されます。経の作用は霊的作用であり、それから緯の方は体的作用だから悪の作用であり、経の方は善の作用という事になります。今の世の中は地獄の世の中という事は、緯の文明のために悪が発生するのです。そして今まで経がなかったのです。無神論というのは緯で、有神論というのは経です。だから、つまり緯だけでは体的だから魂がないのです。経は魂があるのです。それで経というのは天から地軸まで抜けるのですから、これは大変な力です。緯だけではそういった経の骨がないようなものですから、そこで本当の文明はできないわけです。しかし緯がなければ物質文化は発達しない。要するに経だけでは人類は世界に拡がらないです。そこで経と緯と両方が必要なわけです。だからごく昔は経の文化だったのです。文化というよりも、経の働きだったのです。それから神様は、物質文化を発達させるために緯の働きをされたわけです。だからどっちも本当ではないから、経と緯を十文字に結ばなければならないので、それが本当の文明になるのです。この経と緯を結ばせるのが私の仕事であるし、救世教の仕事というわけです。だからいろいろな仕事をやるわけです。農業をやるかと思うと、美術館を造るというのですから、およそ反対ぐらいに違います。そういうようなわけで、なかなか大変な仕事なのです。非常に難かしいようでいて、又非常にやさしいのです。この事を知るにはどうしても既成観念があると、邪魔して分り難いのですが、それを捨てて何んにも囚われないで考えてみれば、何んでもなく分ります。話は学校の講義みたいになってしまいました。
三日間は殆んど美術館の話をしたのですが、今度の五、六、七に来られた人は、三日間に来られない人が来られたので、やはり美術館の話も急所だけを話してみようと思います。一度は見られたでしょうが、熱海の地上天国もドンドン進みつつあります。これが出来ると、それは今見たのではまだ想像もつかないほど立派なものになります。会館も、私は見ませんが、昨日見て来た人の話では大理石の柱が立ったそうですが、その色や何か、非常によいと言ってましたが、それで出来上がったら外郭と言い、中身と言い、これだけでも今まで見た事がないような物が出来ます。大きさも日本では一番大きいのです。他は、大きく見えますが、二階、三階があるから、人間も沢山入るし大きくも見えます。しかし一階としては凡ての点において一番大きいです。それから設備も一番進歩しているそうです。例えば音楽の時のオーケストラ・ボックスという……舞台の前の下にあって、これは昔からあるものですが……それを私は不断は見せないように、何んとかの装置で隠れるようになるのだそうですが、これはまだ何処にも出来ていないそうです。その他、中の工夫とか、意匠というもの余程素晴しいと思ってます。それから展望台の水晶殿も、これはアッとするようなものです。それで水晶殿と会館は秋までに出来上がります。それから美術館は箱根の美術館とはまるっきり違ったものです。この美術館の様式は、勿論新しいのは新しいですが、実に何んとも言えない、一つの美的感覚を受けるわけです。これが出来たら世界の話題に上るだろうと思ってます。それで今敷地や、あの附近を造ってますが、これは見れば分ります。大きな道路だとか、展望台の方に行く狭い道とか、実にうまくゆくのです。これは神様がそういうような地形を支度してあったのです。ですからこれがすっかり出来上がると、世界にないものになります。似た物もないくらいなものです。これが大変なことになり、日本は無論ですが、世界の評判になるだろうと思ってます。そこで〝一体救世教というものは何だ〟〝新宗敎であんな大袈裟な物を拵えて、一体誰がやったのだ〟〝何、岡田茂吉という元小間物屋の親父だったそうだが、それがあんな物を作って、怪物だ〟と、最初は怪物だぐらいでしょう。それからだんだんと〝只者ではない〟という事になって、そこに自然栽培なども同時に知れますから、そこで〝怪物〟から〝曲者〟になります。そして結局〝とに角確かに偉い、だから一つ研究してみる必要がある〟というわけで、〝岡田茂吉研究〟という熱が出るだろうと思ってます。〝それにはなによりも彼の書いた本を見る必要がある〟というので、そうなると私の書いた本が非常に売れるだろうと思います。そうして、それを見れば、医学とか薬の事とか、その他の教えもありますが、大体分る事になります。今教団に命じて、信仰雑話は古くなったので、新しい救世教の聖書というようなものを作ろうと思って、今まで私が書いたものの中から、これがよいというようなものを集めて、そういったものを集録して聖書的のものを作ろうと思ってます。そういうものなども大いに読ませるようにすると、一度に分るわけですから、それから本当に発展するという段取になるわけです。それで、医学革命にしても、今までのように一人一人病気を治してやったぐらいでは、とてもまだるっこくて、何時までかかるか分らないです。ところが今のような工合でゆくと案外早く分ります。神様はなかなかそつがないです。今度は地上天国、美術館というものによって多くの人の注目を浴びて、そうしてみんなを教えるという、一つのやり方という事になります。
それで、もう一つの驚くべき事は、その早さです。これはみんな知ってますが、とに角世界的の地上天国というものが、或いは美術館というものが、これに匹敵する世界的のものではイタリヤのヴァチカン、フランスのルーヴル、後は大英博物館ですが……これは英国では一番よいのですが、美術の方は一部になってます。世界的では、今のヴァチカンとルーヴルの二つです。それをアメリカの新聞記者が、箱根に匹敵して見たのですから、熱海が出来れば、勝るとも劣る気遣いはないです。ところがあっちは、ローマにしても千年近くかかってますし、ルーヴルにしても数百年かかってますし、又多くの人と大変な金がかかってます。ところが私の方は僅か十年です。とに角、始めたのが昭和二十一年ですから、三十一年に完成するとしても十年です。しかも私という、元は貧乏の方ではチャキチャキの方の者が、十年間にこれだけの物を造ったという事は、とても人間業ではないという事が分るのです。そうして日本では、昔からの大きな美術的の物としては、大阪城、二重橋=宮城、それから日光の東照宮ぐらいなものでしょう。ところがこれは根本が違うのです。あっちの方は、その時代の英雄が、その時代の権勢を誇らんがためと、自分の政権、主権を維持せんがための……戦国時代ですから……戦争の防備です。だから大阪城も二重橋も、戦争の防備と自己の権勢をみせびらかすという目的だったのです。それから東照宮は、三代将軍が徳川は三代になってもこのとおりだという事を見せるためと、又一説によれば、まだ秀吉の勢力が残っていたから危ない、そしてその大名が秀吉方と奸を通じて徳川に反抗する気勢がないとも言えない。それには彼等の懐をさびしくしてやろうというので、ああいう金のかかる物を造って、各大名の金を吸収するのだという策略もあったという事になってますが、どこまで信をおけるかしれないが、相当あったには違いないと思います。そこであればただ金さえかければよいというので、芸術的価値はないのです。ですから外国には認められてないのです。そういうようなわけで、日本にあるそういう物の目的というのは、本当に民衆のためにという事はないので、要するに邪念が根本になってます。つまり自己愛です。ところが私が造る地上天国というものは、本当に平和的で、民衆が楽しみ、そうして魂を清浄に、高くするという目的で造ったものです。今までそういった目的でこういう物を造った人は世界中にないです。ヴァチカンにしても宗教的です。その宗教を宣伝する意味と、その信者がいろいろなものを献げたので、自然にああいうものが出来てしまったのです。そういうようで、本当に平和的に、大衆のために立派な良い物を造ったという事は、世界始まって以来初めてですから、その意味において大変な価値があると思います。これからは世界中で真似をするでしょうが、その意味の事を、この間来たアメリカの新聞記者のグリリという人は盛んに言ってました。流石はアメリカ人だと思いましたが、自己の利益は少しもなく、民衆のためにやったという事は、日本人としては非常に珍しいと言ってました。箱根は規模が小さいが、熱海の美術館は、とも角世界に誇るに足るものと思います。
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