ハワイ本部の落成式が「ハワイ報知」という新聞に出たのですが、なかなかよく書いてあります。ハワイに二つの新聞があるそうですが、その一つなので、信用はできる新聞です。
(ハワイ報知二月十五日付掲載「世界メシヤ教布哇教会落成式」)【註 栄光二五二号】
世界メシヤ教布哇教会落成式
(ハワイ報知二月十五日付)
写真も出てますから見たい人は後でゆっくり見られるとよいです。
ハワイを始めたのは丁度去年の今月です。しかし本当に活動を始めたのは二、三ヵ月先からなので、しかも最初行った時には殆んど無人の境に行ったようなもので、別段何もなかったのです。本当に無から有を生じたようなものです。それが一年たつかたたない内に千名以上の信者が出来たのですから、殆んど世界にも例がないでしょう。しかも教会建設費約十万ドル、日本の金にして三千六百万円ですが、それが全部ハワイの信者から出たので、私は一文も出してないのです。ですからなかなか大したものです。この勢いで進めば、今年一ぱいぐらいたつと、素晴しい、ちょっと想像もつかないぐらい発展するだろうと思ってます。その原因をよく考えてみると、ちょっと日本と違う点があるのです。それは何かというと、非常に病気の治りがよいのです。それと、再浄化とか、そういうややこしい事が、あとあんまり出ないのです。きれいに治るのです。ちょっと不思議ですが、それはどういう訳かというと、向こうの人は漢方薬を飲んでいる人が殆んど無いのです。それで、これは皆経験しているからよく分るでしょうが、日本の病人が浄霊で治りながら、後から後から薬毒が出て来るのです。実に薬毒が多いのです。これは何故かというと漢方薬なのです。それで西洋の薬は毒は強いが量は非常に少ないのです。だから取れやすいのです。この点がだんだん分って来たのです。ですから結核などで再浄化がよく出ますが、あれは何かというと、西洋の薬もありますが、結核などの人は最初は西洋の薬でやっているがどうしても治らないのです。迷って、大抵は漢方薬を飲むのです。ですから結核の再浄化というものは漢方薬が主な原因です。そしてお茶の代りに飲むようなものですから、非常に量が多いのです。取っても取っても後から後から出て来るのですが、これはみんな漢方薬です。ですから、こうなると、西洋の薬よりも漢方薬の方が恐ろしいです。近来日本で〝寿命が延びた〟と言いますが、これはそれなのです。以前は漢方薬のために寿命が縮まっていたのです。早死にしていたのです。ところが近来に至って西洋の薬になって漢方薬はずっと減りましたから、それで寿命が延びたわけです。つまり前には毒を多く用いたから早死だった。それで今度は毒を少なく用いたから延びたというわけです。少ない毒も全然止めてしまえば、もっと延びます。実に人間というのは馬鹿なものだったのです。薬を全然止めてしまえば、人間は百以上は生きます。丁度肥しをやって米を穫れなくしているようなものです。薬で寿命を縮めていたのです。ですからハワイあたりはそのために非常に治りがよいのです。そうして、治ると、後いろんないざこざがないのです。治りきりになってしまうのです。だから、それらの人がドンドン活動するのです。それに、ごく最近ロスアンジェルスの方もお蔭話が時々来るようになりましたが、それも非常に治りがよいです。それこそ、何十年ぐらい煩らっていたり、或いはアメリカの大病院でアメリカの有名な医者が四人も見放したようなものが、一週間かそこらで忽ち治ってしまうのです。だから本当にあっちに知れるに従って素晴しい発展になるだろうと思ってます。
それから、エリス・グリリという人が手紙を寄越したので、それを翻訳したのですが、これは箱根美術館の野木という女の人に来て、この人がチャンと翻訳したのですから、なかなか英語ができるのです。今度初めて知ったのですが……。
(グリリ夫人からの御礼状) 【註 栄光二五一号】
グリリ夫人からの御礼状
(栄光二五一号)
グリリという人は日本が非常に好きで、日本の家を買って、永久に住むのだそうです。ですから、やっぱり畳で日本食で、日本人と同じような生活をしているわけです。将来この人は非常に救世教のために働くようになっているのです。今でも大分活動しています。各国の大使館などに行って〝救世教というものは素晴しいものだ〟と、非常に宣伝しているわけです。これは私の方で一言も頼んだわけではないので、つまり私の仕事に共鳴して、本当に世界のためだという気持でやっているのですから、実に素晴しい人です。いずれはアメリカの新聞などにも堂々と書くはずになってます。だから熱海の地上天国が出来たら、外国に知れるのも忽ちだろうと思ってます。この人の他にも、シモンズという人がやはりそれと同じように期待しているのです。みんな神様が用意された人達です。だからとても分りが早いです。
今の一番の問題は汚職問題ですが、今までにこんなに一度にいろんな種類の汚職が出た事はないでしょう。汚職インフレです。それについて書いてみました。この前書いたのとは又違う見方で書いてみました。
御論文〔再び汚職の母体〕 【註 栄光二五一号】
再び汚職の母体
(栄光二五一号)
この題の下に前号に色々書いたが、まだ言い足りない点があるので、再び書いてみようと思うのである。というのは、目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈は書いているが、その実平々凡々何等新味はなく、その言う処、相も変らず法規上こういう点を改めよとか、罰則を一層重くしろとか、選挙に金がかかりすぎるからだとかであって、その何れもが的外れであり、これなら確実に効果あると思うような案は、一つもない事である。何しろ唯物観念が土台となっている以上、これより外に考えようがないからであろうが、このような方策を何遍繰返したとて駄目なのは、已に試験済となっている。何よりも肝腎な無神思想を度外しての方法である以上、気の毒ながら徒労以外の何物でもあるまい。
玆で一層突き進んでこの問題を解剖してみるが、分り易く言えばこのスキャンダルは、丁度動物の智能が進み、法の檻を破ろうとしたのを番人に見つけられ、遂に大問題となったのである。そこでこれを見たジャーナリストは、これは大変と、今迄よりも一層頑丈に、容易に壊されないようにと、その作り方を工夫して教え、注意を与えたのが昨今の新聞論評であろう。それやこれやを考えてみると、全く文化国家としての一大恥辱ではないかと思う。勿論この根本は全然見当違いである事は已に述べた通りであって、原因は檻ではない。檻を破ろうとする動物的本能にあるのである。従ってその本能を抜いてしまえば、檻を必要としない真の人間になるのは当然であり、この役目としての宗教である。以上を読んだら、随分酷い言い方と憤慨するかも知れないが、これが真理である以上、何人も否定は出来ないであろう。つまり問題の核心は人間の魂にあるのであるから、この向上こそ真の解決法であり、これ以外にない事は勿論である。茲で今一つの譬えを書いてみるが、有神観念と無神観念と両方並べて、どちらの方が政界を腐敗させるかという事で、これ程明白な話はあるまい。処が、遺憾乍ら日本の指導階級の殆んどは、無神族で占められている以上、汚職問題や社会悪が絶えないのは致し方ないのである。これに就いての例をアメリカにとってみよう。即ち、同国に於けるこの種の事件も偶にはあるが、日本と比べたら問題にならない程少ないのは誰も知るであろう。又社会批判の厳しい事も同様であるから、実に羨ましい限りである。その原因こそ、同国に於けるキリスト教の為であって、これに就いて近頃私の処へ時々訪問されるアメリカ各社の特派記者にしても、談偶々信仰問題に触れるや、驚く程適切な質問や意見を吐かれる事で、その信仰に対する理解や神に対する敬虔な念は驚く程で、私はいつも敬服させられるのである。同国政界の明朗な事や、政治家に対する人民の信頼感などにみても成程と頷かれる。これに比べると、日本のそれはアメリカに比べたら、少なくとも半世紀は遅れているであろう。いつぞやマ元師が日本を十二歳の子供と評したのも宜なる哉である。というわけで、失礼乍ら日本のジャーナリスト諸君も、大いに発奮の必要ありと思うのである。それは今度のスキャンダルに対する日本新聞の論調がよくそれを語っている。というのは、神の言葉など一言半句もない事である。故に、この問題が若しアメリカで起ったとしたら、どんなに物凄い輿論が捲起ったか知れないと思うのである。
これ等によってみても、日本文化の低さもそうだが、特にジャーナリストの無神観念が大いに原因している事も、否とは言えまい。何よりも、今日の社会を見れば分る如く、官公吏の汚職、一般的社会悪、政界の腐敗、派閥争い、労資の軋轢、危険思想、経済難、生活不安等々、数え上げれば限りがない。勿論一切は原因があって結果がありとすれば、その原因こそ無神思想であるのは言う迄もない。然も、右の原因のその又原因がある事も知らねばならない。即ち、無神思想をして有神思想に導くだけの力ある宗教は日本にない事である。そこへゆくとアメリカはキリスト教一本で都合がいいが、日本は八宗九宗その種類の多い事も世界に例がない程である。それというのも、国民全体をリードする程の偉大なる宗教が出なかったからではある。ではそのような立派な宗教はこれからも出ないかというと、決してさに非ずと私は言う。それは今や現われんとする超宗教である。故にジャーナリスト諸君は巨眼を開いて、この宗教を見出されん事であって、必ずや発見されると共に、或いはキリスト教以上かも知れなのである。
汚職問題も浄化作用ですが、おまけに霊界がだんだん明るくなるにつれて、ああいう問題が発見されやすくなるのです。それを書いてみました。
御論文〔疑獄も浄化作用なり〕 【註 栄光二五二号】
疑獄も浄化作用なり
(栄光二五二号)
標題の如く、今度の汚職問題にしても、病気と同様一種の浄化作用である。信者は知る通り病気の原因は、溜りに溜った薬毒が或る程度に達するや、ここに浄化作用が起り、その汚物排泄の苦痛であるから、病気を除くには原因である薬毒を排除し、それと共に新しく入れないようにする事であって、これが汚職問題と同様の理である。故に被告に溜っている汚物排除の苦痛が裁判沙汰である。只違う処は、病は体的苦痛であり、事件は精神的苦痛である。これに就いては大体書いたから、今度は別の角度から批判してみようと思うのである。それはこの事件に限らず、凡ゆる疑獄問題でもそうだが、これを根絶するとしたら、敢えて難かしい事はない、洵に簡単である。今日只今からでもその気になれば、効果百パーセントは勿論である。処が孔子の言われた如く〝言うは易く行いは難し〟で、実際上中々容易ではないのである。
要するに、この世に神が有るか無しかが問題の鍵である。そこでよく考えてみて貰いたい事は、若しもこの世に神が無いとしたら、ズルイ事をするだけ得になるから、仮令国家に損害を与えても人々を苦しめても、法にさえ引掛らなければいいとして、出来るだけやる事になる。つまり、自分さえよければ他人はどうなってもいいとする利己的観念で、金を儲け、出世をする。今日、こういう人間が到る所にノサバっており、これが利口者とされているのであるから、厄介な世の中である。従ってその反対である正義や道徳など、黴臭い事を言う真面目な人間は、仮令、儲け話や出世の道を聞かされても、ビクビクもので手を出さないから、馬鹿か意気地なしに見られ、折角の運も逃してしまい、年中下積になって碌な生活も出来ないのである。
というように、今の世の中で偉いとか成功者とか言われる程の人間は、三角流で腕もあるから、忽ち伸して一角の地位を得られる。又それを見た野心家は俺でも出来ない事はないと思い、そのイミテーションも続々出来る有様である。従って今度の事件にしても、手繰れば手繰る程いくらでも出てくるので、そういう人間が如何に多いかが分るのである。そこで考えてみて貰いたい事は、どんなに巧妙にやっても虚偽は虚偽であるから、いつかは暴露しない筈はない。というのは先にも書いた如く、人間の眼は塞げても神の眼を塞ぐ事は出来ないからである。処がそこに気が附かないのが無神亡者である。それを今想像してみると、こうであろう。俺は随分巧くやったつもりだが、今度という今度は失敗した。今まで随分危い処を切抜けて来たので、大いに自信は持っていたが、到頭駄目だった。実に残念だが仕方がない。そこで、この事件だけは何とか罪の軽くなるよう骨折ると共に、巧くいって有耶無耶にでもなれば勿怪の幸いと思っているであろうが、そうは問屋で卸さない。何故なれば、神様の御眼は厳然と光っているからである。
処で、反対派の側にしてもポチポチであろう。愈々時が来たとばかり、何とかして内閣瓦解にまで漕ぎつけなければならないと、あの手この手の策略を考えているので、ここ当分は双方智慧比べといった処であろう。ここでぜひ言いたい事は、最早そういう嘘は止めて、国家人民本位に、心の底から悔改める事である。何となれば、神は正義に組するものであるからである。処がこれを読んで、成程と感心はするであろうが、直に切替えられる人は果して何人あるであろうか、怪しいものであろう。併しこれは御説教ではない、事実が示している。それは、彼等が随分一生懸命にやったつもりでも、今回のように水の泡となり、骨折損の草臥儲けとなってしまった事である。然も、揚句の果に社会的信用は落ち、仕事はやり難くなるばかりか、暫くの間泣かず飛ばずで、手を拱いて時を待つより仕方ないであろう。勿論起訴は免れまいし、何れはヤレ公判、ヤレ証拠集め、ヤレ弁論等々、弁護料や雑費だけで相当な支出となり、オマケに無収入と来ては、その苦しみはお察しする。然もこの種の事件は案外長引くもので、恐らく数年はかかるとみねばなるまい。その間毎日憂鬱な日が続くのであるから、全くやりきれない事は、私の経験によってもよく分る。それもこれも無神主義の為の神罰であるから、往生するより仕方がない。こうなった以上、大低な人は目が覚めるであろう。それは因果律の法則にある事である。それは、何事でも最初から有神観念を以て進んだとしたら、凡ては順調にゆき、苦しみはなく、楽しみつつ成功出来るから、天下は泰平、世間の信用は厚く、地位も向上するというわけで、信仰抜きに算盤から言っても、そのプラスたるや予想外であるのは断言する。
これに就いても思い出されるのは、私が若い頃の政治家である。その頃正義の士も幾人かはいたが、そういう人達は自己の利益など顧みず、国家本意によって断乎として正義を貫いたもので、自然社会の尊敬も大きかったのである。当時毎日新聞社長島田三郎氏、足尾の鉱毒問題で有名な田中正造氏、万年議員の尾崎行雄氏などもその組であった。併しこの種の人は数は少ないが、議会内の空気を清浄にした功績は、今でも忘れられないのである。処が知らるる如く、今日の政界と来たら、そういう人は殆んどないと言っていい。大部分の人は利口者で、融通が利き、綱渡りや官界遊泳術の達人等が多く、政界の寂しさは誰も同じであろう。というように、今日最も不足しているものは、千万人と雖も吾往かむの硬骨漢である。然も、そういう人物こそ神から愛せられるから守護も厚く、失敗などあろう筈がない。
これに就いては、今迄の宗教にも罪がある。というのは、正直や正義は自分だけ守ればいいとしている一種の自己愛である。その結果国家社会に於ける不正不義なども、見て見ない振りをしているかのようで、何事に対しても無抵抗主義的である。この点私は大いに間違っていると思うのは、そういう消極的考え方であればこそ、社会悪はいつになっても減らないので、これでは宗教の理想たる地上天国は、いつになっても出来る筈はあるまい。この意味に於て私は、昔から悪に屈せず、随分悪と戦って来たものである。併し、一時は負ける事はあっても、最後には必ず勝つ。これは名前は発表出来ないが、社会的知名人や、財力、権力のある人達とも戦って来たが、一度も負けた事はない。いつも正義を立通して来たのである。勿論神は善であり正義である以上、神が味方するからである。従って私の過去は悪との戦いの歴史であり、勝利者でもある。処が一般人特に宗教家は、えてして悪に抗する事を好まない傾向がある。その為悪を許容するわけになるから、言わば善意の罪悪である。これでは世の中は良くなる筈がなく、悪人は益々増長し、善人は虐げられ、頭が上らない事になろう。それは兎に角、最後は至公至平な神の裁きによって、悪は厳しい愛の鞭が加えられるのは勿論であるから、一日も早く改心されん事を望むのである。
こういうようなわけで、綱をたぐってゆくと幾らでも出て来るのです。ですから造船問題にしても、全部と言ってよいと思うのです。つまり言うと、腐った水に虫がわくようなもので、全体が腐っているからして幾らでも虫がわいてくる、それから、後から後からわくのです。だから今いろんな與論を聞いてみても――二、三日前の晩のラジオで町の声を街頭録音で聞きましたが――みんな憤慨したり、それから新聞などにも出てますが、〝こうしなければいけない〟と言ったところで、結局肝腎な「神」というものを認めない限り何んにもならないのです。人間は神を認めて、神様が見通しだという事を知ればそれでよいのです。他の事は別に必要ないです。それが、ややこしい、〝ああしろ、こうしろ〟と言っているだけでは何んにもならないです。肝腎な「神が有る」という事を唱える人は本当にないのです。そういう事を言うのは救世教だけなくらいでしょう。他の宗教でもそういう事は言っていませんから……。ですから九分九厘と一厘の仕組と言いますが、世の中全体は九分九厘の腐り水みたいなものです。そうして救世教が一厘でだんだん浄めてゆくわけです。そこで神様は私に、それを浄められるだけの力を与えているわけです。だから随分思いきった事を言いますが、それは言うだけの自信がこっちにあるから言うので、随分ひどい事を言いやがると言って突込もうと思っても突込めないのです。それは、こればかりでなく、不断から医学の事も随分ひどい事を言ってますが、何か突込んで来る人があれば結構だと思って待っているが、そういうのは無いです。突っ込めるような人があるとすれば、その人は気違いか、さもなければ、ものほど知らずというような人だろうと思います。ですからこの救世教なるものは大変な存在という事になります。今のところは一般に分らないでしょうが、だんだん分って来れば、文明は引繰返ります。大本教のお筆先に「今度は手の平を返すぞよ」とありますが、丁度手の平を返したようになります。つまり、こっちが本当だと思って一生懸命になっているのが、こう(反対)なってしまうのですから、今まで考えていた事が全然反対になってしまうのです。信者さんはみんな手の平が返った人です。その目で見ると世の中の間違っている事が実によく分ります。ですから私は前に「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と言った事がありますが、今のいろんな汚職問題などで苦しんでいる人を見ると、実に愚かというよりかやっぱり〝超愚の〟の方です。それがよく分ります。
昨日石丸悟平という人に会ったのですが、立派な本を持って来て、〝一つ教組の非常に肝腎な、是非知らなければならない事がこの本に書いてあります〟と言うのです。観音経の講義か何かを書いてあるのです。立派な本でした。それで喋り出したから、私は〝観音様はいいです。観音様は私に始終かかって直接教えてもらっているから。むしろ世の中で観音様を解釈しているのと大変に違っている事があるから、私の方でその違っている事を話してもよいが〟と言ったら、〝それではしようがない〟と大笑いだったのです。しかしその人は、宗教の方ではちょっと有名な人ですが、その人でさえ実に浅いです。一言で先の方が破られてしまいます。私は随分思いきった事を言いますが、これはしようがないわけです。ところがこれがみんなに分って来れば、思いきった事でも何んでもないので、当り前の事で、実に平凡な事ですが、世の中が平凡まで行ってないから、平凡な事を大変な事に思っているのです。昨日の人も、私の言う事が実に飛躍していると言ってましたが、飛躍でも何んでもないので、地面の上の人が、ちょっと地面より高い所に上ると、随分高いように思います。というのは、先の方は地面より下にいるから、地面よりちょっと上でも随分高い所に見えるわけです。
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