大祭の時に〝今までのミロクは五六七で、これからは三六九になる〟という事言いましたが、五日の参拝者が三六九名なのです。神様は〝ヘン、ドンナモンジャイ〟というところをお見せになったのだろうと思います。神様は自由自在ですから、時々そういう面白いような奇蹟をやられます。これが一人々々集めても、そうきっちりと数がゆくものではないのですが、それが、まるっきり偶然のように数が揃うという事をみても……。神様は霊に言いつけて一人々々引張って来るのですから、そうすると〝明日は行かないはずだったが、とても行きたくて堪らない。我慢ができない〟又多い場合には〝お前は今日はちょっと止せ〟となって、丁度よい数だけを集めるのですが、実に神様の力と言いますか、腕前と言いますか、どんな事でもできるという事が思われるのです。
今大騒ぎをやっている水爆という事なども、少しも恐れる事はないのです。あんなものは神様の方では訳ないのです。水爆を止めようとする事も、破裂させようとする事も、神様の方では指一本もかからないのです。しかしあれも神様の方での深い仕組があるのです。あれは神様がやっているので、悪魔がやっているのではないのです。仮に悪魔がやっているとしても、悪魔が神様に使われてやっているのですから、元は神様です。ですからいずれ〝アレが良かった、有り難かった〟という事になるのです。その点、日本人として一番分りやすいのは、広島、長崎の原爆を、日本人は大いに感謝しなければならないのです。アメリカにお礼を言ってよいのです。というのは、若しあの時に原爆がなかったらそうなるかという事を考えてみれば分ります。あれまでは、各都市を順繰りに爆弾で破戒して来たのですが、若しあの時に原子爆弾が出なかったら、日本はなかなか降伏しませんから、結局日本の主な都市は全部やられます。ところが、ただ広島、長崎の二つを犠牲にしただけで、あれで止める事ができたのですから、〝原爆日本を救う〟というわけです。あと復興するにしても、あれ以上もっと壊されて、それと共に人間が何十何百万死ぬか分らないですから、そうなってからの復興では大変なのですから、あの程度で止めてくれたという事は、日本を救った第一の功労者は原子爆弾です。あの当時は、とんでもない恐ろしい物を持って来やがったと言って憤慨もし、いろいろ愚痴もこぼしましたが、それを大局から考えてみると今言ったとおりですから、今の水素爆弾が将来どんなに大きな働きをするか分らないです。なにしろ神様は、もう時期が近寄って来たので、予想外の事をやります。だから救世教信者なら大体分るが、そうでない人だったらテンデ分るはずがないです。
そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄が出て来たのです。この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神憑りの事を言ったけれども、あれは京都の方の若い女性ですが、今度は熱海に居る若い女の人が、やはり霊憑りでいろいろそういう事を言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますから今読ませます。
(御報告)
これをみると、キリストはキリストらしい、バイブルの書き方みたいな事を言われているので、面白いと思います。バイブルのいやにくどい所などがよく似てます。そういうわけで、今迄は光を持った人間が現われなかったのです。つまりヨハネが二千七百五十年地下に苦しんだという事は、光というものがなかったからです。それで、光を受けなければ救われないのです。神仏も、つまりこの光をいただきたがって、今霊界では大変なのです。それで今度奈良に行くについて、あっちの各海、湖水、池などの龍神が次々と京都の人に憑って、その報告が来ました。そういうようなわけで、まあ、光を憧がれているわけです。
それで、今読んだ中に〝神ならぬ神〟という事を言ってますが、これは非常に面白いと思います。実際今まで神と言って拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから神ならぬ神というのは、うまく言いまわしたものです。そういうわけで、「聖夜」と言って、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとしては苦しんでいるのです。そこで歌詞を教えたのですが、これで非常に面白いと思うのは、私は、メシヤ会館が出来たら、前から言っているとおり、ヘンデルの作った「救世主」という歌を御祭や何かの時には歌って、オーケストラもやるつもりで、舞台の下の所にオーケストラボックスを拵えましたが、歌うその歌詞は、ヘンデルのような外国語では工合が悪いですから、どうしても日本の言葉でなければならないのです。私が作ろうと思っていたのですが、ところが私が作るという事は嘘なのです。私は歌うのではなくて、歌われる方なのですから……。だから讃えるという事が、自分が自分を讃えるような事になってしまうから、どうしても何か然るべき歌詞が欲しいなと思っていたのです。そうかと言って、適当に作れる人はないのです。ところがキリストが作ってくれたのですから、実に結構なのです。そこで私も一安心したわけです。この歌詞もなかなか良くできてます。簡単で実に讃える心持、気持がよく表われてます。ですからこれを採用するつもりです。そういうようなわけで、これからは、ああいう神ならぬ神達が大いに活動始めますから、どんな事があるか分らないです。いよいよ本舞台になったわけです。今年から表になるという事の最初の一つの現われです。
もう一つ面白い、ちょっとした何かがあるのですが、この間ハワイで英語教修をした時に、聞き手が四十人ばかりあって、その時に外人は十人ばかりだそうですが、その中で最近信者になった、アメリカの人で、ちょっと面白い事を言ったのを書いてありますから、読ませます。樋口さんの報告の中にある一節です。
(ハワイ通信 十八) 【註 栄光二五七号】
ハワイ通信 十八
(栄光二五七号)
今の〝世界を救う聖者が八人目に出る〟という事は、伝説にあるのです。仏教の方では釈迦が八人目だという事になっているのですが、それは仏教の都合のよいように作ったものです。釈迦は「八」という事はないのです。釈迦は「七」で、七人目なのです。というのは五六七のミロクとして、釈迦が七のミロクになるのです。釈迦は何処までも「七」の数字で支配される人です。だからつまり「地」は「七」ですからして、地のミロクです。私は伊都能売ですから「八」になるのです。伊都能売というのは、数で言うと「五」「三」ですから「八」になるのです。そして「八」という数字は富士山になるわけです。ですから「八」という数字を書くと、富士山の形になります。それで私は大和民族の宗家になるのですが、大和民族というのは、今の駿河の附近が発祥地なのです(本当は富士山の上なのですが)富士山の麓なのです。だから昔は富士山が本当の神様の山として、あそこの上に今でも木の花咲爺姫が祀ってありますが、そういった意味で、私は富士山と非常に因縁があるのです。それで静岡の裁判であっちの留置場に入った時に大きな神秘な事があったという事も、そういう因縁なのです。そうしてあの時も話したとおり、夢で、私が富士山に乗っかって景色を見るという話もしましたが、その時が私が生まれた、第二の誕生です。そこで、出てから「散花結実」という事を言いましたが、花が散って実を結ぶで、散花結実という事は種が宿ったという事です。それから私の力とかいろんな、そういう事が違ってしまったわけです。それからが本当に開けたわけです。ですからあの時に救世教というものはすっかり壊れてしまったわけです。もうこれで駄目だというくらいに見えたのですが、それが花が散るという形です。それはその当時よく話しましたが、そういうようなわけで、今の八人目という事も合っているのです。
それから一週間ばかり前に例のアメリカのグリリ夫妻が、駐留軍の星条旗(スターズ・アンド・ストライブス)の主筆の人を連れて来て、いろいろ話し合ったのです。私は五分か十分ぐらい会うつもりだったのですが、話をすると、話がばかに面白くなって一時間以上話をしました。私は近頃時々アメリカの人と話をしますが、話が実によく分るのです。間に通訳が入っていながら、日本人と話をするよりもよく合うのです。丁度私の考えとアメリカの人の考えが一致しているのです。だから両方でうなづき合ってます。ところがどうも日本の新聞記者と話をしていると、先方で分ったのか分らないのかという事がよくありますが、アメリカの人はイエス、ノーでやって来るからはっきりしてます。又先方でも、一、二回会うと非常に共鳴して、信者でなくても、私に対する一つのファンみたいになってしまうのです。その時もいろんな話がありましたが、その話の中で印象に残っているのは、グリリ夫妻が言った事で〝美術館の品物を集めるにはまず五十年はかかるだろう〟という事から、〝どのくらいかかったか〟と言うからして、〝戦後ボツボツ集め始めて、本当に集まったのはまる三年ぐらいなものだ〟と言ったところが、驚いて〝どうしても分らない。その理由を聞かしてくれ〟と言うので、〝理由と言うよりか、奇蹟で集まったのだ〟と言ったのですが、それが分らないのです。しかし、霊界における作者やそういう人達が骨折って、救世教に、御用をさせてもらったというように説くと、これは信者でないとちょっと分り難いですから、一番分りやすく言おうと思って〝つまり集まるのも、集まったという事はつまり金の力だ。その金が集まったという事は、医者から見放された病人や、死ぬばかりになっていたのが助かるというような事で、その感謝の気持でみんなが金を献げた、それが集まって買う事が出来た〟というように説明したのです。そこで阿部さんが〝というのは、弟子や信者が病気を治す事ができるという、これが非常に大きなものだ。一人対一人ではないので、治す人を作るという事が、今まで例がなかった〟という話をしたので、又非常に驚いて、〝自分は今まで世界のいろんな偉い人を見たり聞いたりした事は随分あったが、みんな、つまり一人対一人が、或いはただ救えというようなわけで、釈迦、キリスト以上という人の話は聞いた事がない。ところがキリストぐらいの奇蹟をやる弟子を多く作るという事は、おそらく見た事も聞いた事もない。そういう点において実に驚いた〟というような事を言ってました。そこでやっぱりアメリカの人らしい事を言います。〝明主様をどうこうと批評はできない。若し相手を批評するとしたら、相手と同程度かそれ以上の人でなければ批評はできない。ところが明主様は人間よりずっと上としたら、ただそれを有りのまま感じるだけの事で、批評という事はできない〟という事を言ってましたが、これは非常に正直な言い方です。日本人はあんまりそういうふうには言わないのです。言わないどころではない、テンデ考え方が違ってしまっているのです。日本の新聞記者とすれば、まず〝救世教という、岡田という奴はなかなかだ。戦後の混乱状態に便乗して、うまく大勢を瞞しやがって、金を儲けて、こんなものを造るナンテ、これは怪物だ、腕のある奴だ〟というように思うでしょう。下から上を見上げるような言い方は決してしないです。新聞雑誌を見ても分るとおり、茶化したような、愚弄したような見方をします。それは丁度新聞記者自身の方が〝救世教の岡田という奴より上だ、だからオレの筆の先でいい加減に書くだけの人間だ〟というように見ているわけです。だからアメリカの人との違いさというものは大変なものだと思います。その事を書いてみました。
御論文〔迷信非迷信〕
迷信非迷信
(栄光二五八号)
標題のごとき迷信、非迷信について、私は是非一度は言わねばならない重要な事があるので、ここにかいたのである。それは何かというと、私は随分長い間現代医学と農業について鋭い批判のメスを揮って来たが、それは前者の医学が病気を作り、悪化させ、生命をも脅かすものであるという事と、後者の肥料によって地力を弱め、虫害、倒伏、不作等の原因を作るというこの二つを二大迷信として、極力啓蒙宣伝に努めて来たが、それに気付くどころか現在政府はじめ学者、専門家等は益々援助奨励している事である。しかもこれは日本のみではなく、世界共通の文化的理念となっている今日、これを分らせる事は難事中の難事である。
そのような中へ、私の説たるやこれまでの常識から言っても余りに飛躍しすぎているので、到底理解は困難である。何しろこの問題に関しては、国家的最重要事である以上、年々巨額の国帑を支出し、多数の大学、専門学校等を設立、生徒を養成すると共に、大仕掛な設備、研究機関等、至れり尽くせりの方法を講じており、世界各国の文化水準より後れじと大童になっている現在、それを私は根本的迷信であり、有害無益な存在として警告を与えていると共に、事実を以って立証しているのであるから、当事者としては反対は出来ず、といって今直に取上げる事も事情が許さないというのが現状であろう。
これを分りやすくいえば昔の切支丹バテレンと同様、今日の文化がいまだ低級であるため気が付かず、既成科学を唯一無上のものとしている。という訳でおかしな言い方かも知れないが、私は科学封建として、この丁髷思想をして、第二の文明開化の風に吹飛さねばならない事を痛感するのである。もっともこの事は洋の東西を問わず、昔から時代を超越した新発見、新宗教等発生の場合、一度は必ずと言いたい程当時の有識者から誤解の洗礼を受けるのが御定りとなっており、これが先駆者の悩みと言ってよかろう。故に私といえども予期はしていたが、それがため時を遅らす事が遺憾と思っている。そうしてよく考えて貰いたい事は、もし私の説が異端であり、迷信であるとしたら、そのような文化の反逆行為は許すべからざるものとして、断乎弾圧し抹殺すべきであるが、それは恐らく不可能であるどころか、反って薮蛇となるおそれがあろう。何となればこの私の説の信奉者は日に月に増えつつある現状をみれば、そこに動かすべからざる根拠があるからである。
察するに当事者は私の説が余りに桁外れで容易に信じられないが、そうかといって理論上からは反駁の余地なく、事実の立証はいかんともなし難いので、一種のジレンマに陥り、静観の止むを得ないのであろう。もしそうだとすれば、この考え方こそ実に無責任もはなはだしく事なかれ主義の姑息的態度としか思えない。何しろ国際競争劇甚な今日、これほど人類に対する超文化的救いの偉業はないのであるから、これこそ日本の誇りとして大々的世界に向って推奨すべきであり、しかも我が国現在の行詰りを打開するに最も有力なものである以上、一日も早く取上げ調査研究に取掛るべきであろう。その結果私の言にいささかでも誤りがあるとしたら、断乎制圧を加えるもよし、もし真実であり、確かに世界にも国家社会にもプラスであるとしたら、速かに援助すべきが至当であろう。それと共に既成文化の誤謬も発見されるに違いないから、是正すればいい訳である。ところが当事者は呑気千万にも、本教を以って世間並の新宗教と同一視し、何ら積極的態度に出ないのは、怠慢が進取的情熱の足りないためか、理解に苦しむのである。故に私は言う、何よりも大乗的見地に立って白か黒か、迷信か非迷信かを速かに決定する事であって、これが根本である。そうして私がこの事を急に言い出したのは、外でもない、近来アメリカのジャーナリストが私を訪問し、私の説を聞きたがり、私の事業を研究する人達が、漸次増えつつある事実であって、このまま進むとしたら、近き将来アメリカの識者間に相当問題となるのは予想されるからで、その時になって肝腎な御膝元の日本の識者が茫然自失するような事があっては、一種の国辱でもあろうから、今の内に警告する次第である。
これは私の臆測ではない。目下有力な米国のジャーナリストで、重要な責務のため数年前から日本に在住している某氏の言によれば、最近日本の外務当局や有力な幾人かのジャーナリストに、私の事業が世界平和建設に大なる貢献の価値ありとして推奨したところ、ほとんど歯牙にもかけない態度には唖然としたとの事である。これでも分るごとく、米人間には、漸次私と私の事業に注目を払うようになりつつある事は、喜びに堪えないのである。
原爆と水爆についても話をするつもりだったのですが、この次に話をするとして、今日はこれだけにしておきます。これは一番知りたい事です。ところで神様の方から見たアレについて、相当知っておく必要がありますから、それはこの次にします。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.

-1-scaled-2.jpg)