四月十七日

 あなた方は見られたでしょうが、三越の浮世絵展は予想外の盛況で、大抵一万二、三千から、多い時は一万八千ぐらいです。それでああいった催し物で今度の浮世絵展は三越始まって以来初めてだそうです。とても見られないです。よくもあれだけの良い物があんなに数多く集まったものだという事を一番感心しているのですが、ところがあれだけ集まるのに正味としたら半年でしょう。半年でバタバタと集まって、値段も割合安いのです。版画よりも安いのです。実際面白いものです。というのは、版画の方は世界的に知れ渡っています。ところが肉筆の方はあんまり知らなかったのです。何時も言うとおり、あれは外国から発見されて日本人が真似したという形です。外国が発見したのは、浮世絵というのは版画からです。外人はよく知っているから尊んだわけです。肉筆というのはあんまり世の中に出なかったから、明治時代に外人が来朝しても見る機会がなかった。それで版画が浮世絵と思ってしまったわけです。そこがこっちの狙いどころです。私は、版画より肉筆の方がずっと値打があるのですから、それが安いという事は、とんでもない話だというわけで、できるだけ買えという考えで買ったわけです。この頃は殆んど無くなってしまってます。偶に持って来てもまるで駄目で、買うような物はないのです。肉筆の〝これは〟と思うような物はみんなこっちに入っているわけです。それだからしてかえって肉筆の方を見ないからして珍しくもあるし、実際値打もあるわけです。そこで余計驚いたわけです。毎日新聞でも三越でも、非常なもので、期待以上なので驚いているそうです。あれでこっちの一番プラスになる点は〝箱根美術館は救世教がやっているのだ。どうもこれだけの事をするところを見ると、なかなか、普通新宗教ナンテ言って馬鹿にできない。とに角これだけの事をするのだから、余程内容がしっかりしたものでなければならない。これは大いに見直す必要がある〟というような印象を与えるだろうと思います。その点において、とに角新宗教の中で傑出したものだという信用を高める点においては、大いに効果があると思うのです。あんまり混むので、みんな見られないものですから、有料にした方が見良いという要求が随分あるのです。それは分りきった話ですが、あれはただ、あんな立派な物を沢山見せるという事が、如何に社会のために良い事をしているかという事になりますから、今後はどうか知りませんが、最初は人のやらないような、世の中のために良い事をするというわけで〝只でこんな結構な物を見せてくれる、有難い〟という、そういう事が社会的に非常に良い影響を与えると思います。それで、僅かの間にそういった事が出来るという事は、無論神様が自由自在にやっているのですから、人間業ではないのです。第一、人間業とすればアンナ良い物がそう無造作に集まるものではないです。あれはなかなか集まる物ではないのです。それが面白いように集まってしまうのです。あれらは何かというと、無論作者なり持主なりが、つまり救世教の御用をして、御用をしたために自分が救われるというのが根本なのですから、霊界でそういう霊が大いに活動する、そのためにトントン拍子に集まったというわけです。そういうようなわけで、霊界においてもだんだん、救世教というものが霊界の霊に知れて来たのです。だからドンドン集まって来ているのです。この間も読んだとおり、京都の方の婦人は三十三歳で未亡人だそうです。それから熱海の婦人もそのくらいの人ですが、今は主にこの人達に憑ってます。それから普通霊視は茨木という婦人ですが、これもなかなか面白いです。今度の御祭を霊視したのなにかも、なかなか正確で、信用するにたるものです。今度の栄光に出ます。つまり御祭の時の霊界の模様が実に細かに書いてあります。それから十二になる子供が夢で毎日順序立って知らしてくれるのですが、これも実に素晴しいものです。夢のは世界的で、世界にもそういった霊的状態は、私は今まで記録でも見た事がありませんが、おそらく無いでしょう。あれは実に神秘です。最近の霊界の一部を今日読ませようと思います。これで大体霊界の今の状態が見当がつくわけです。

 (御報告)

 これは一つ一つ解説すると面白いのですが、主なものだけを言います。

 狛犬 狛犬というのは、よく神社仏閣の前に両方に主従みたいにありますが、あれは「天犬」「狛犬」と言って、天と地になっているわけです。男、女――陰、陽というわけです。あれは霊界では門番というわけです。それが立派にこういった御用をしているのです。それで自分の状態を知らせたわけです。

 日蓮 日蓮は以前も言ったとおり、畜生道に落ちて狐の親玉になったわけです。ですから日蓮宗の信者は全部狐が憑くのです。それを私が日蓮上人を狐から救って人間にしたわけです。それで狐と言ったところでみんな人間なのです。人間が畜生道に落ちて狐になるのです。龍神は執着によって龍神になるし、狐は人を欺す、嘘をつくという、それを沢山やると狐になるのです。

 それから又再び人間に還元するのですが、しかしそれは相当の苦しみや信仰上の関係でなかったら、容易には復活しないのです。日蓮上人は私が余程前に箱根で救ってあげました。それから留置所に居る時もやっぱり御礼に来て、それから一層良くなって、今救世教のために働いているわけです。そこで今言っていたとおり〝全部狐を救ってもらいたい〟という事は人間にしてもらいたいというわけです。これがみんな人間になると、日蓮宗というのは崩れてしまうのです。今まであれまで盛んになったという事は、狐がやったのです。ドコドンドンと叩きますが、ああいう浮かれるような事は狐が大好きなのです。一種の浮かれたようになって太鼓を叩きながら歩いていますが、あれは狐が面白くて嬉しくてしようがないのです。人間の方は狐の入れ物で、やっているのは狐がやっているのです。そう言うと甚だ型無しになってしまうが、もうこうなったら早く分った方がよいわけです。

 今宮神社 今宮神社というのは熱海の南西の端の方にある立派なお宮です。事代主命というのは大国主命の長男です。

 良寛 これが非常に面白いと思います。これは苦しみがないのです。地獄に落ちてないのです。極楽です。というのは、このくらい、それこそ清浄な罪の無いという人は珍しいです。それで〝子供らと鳥と風と遊ばん〟というこれが、良寛の面目躍如としてます。生きている時がそうで、始終子供と遊んで、他愛なく日を送っているのです。しかしなかなか学問も熱心にやってますし、歌とか詩とか、そういう事もなかなか大したものです。それで書は私は好きですから、よく良寛の書を見るのですが、良寛の書の一番の特色は、実に邪念がないのです。野心も何もなく、本当に有るがままの、その時の自分がそっくり出ているのです。だから見ていて実に微笑(ほほえ)ましいような、気持が良いのです。書というのはその人の人格を一番表現しているわけです。書を見ればその人が大体分るわけです。書で一番好きなのは良寛と一休です。一休のは実に、何と言いますか、正直有りのままです。私は一体の書で真偽を確かめるのは、下手なら一休と思えばよい、上手なら偽物と思ってよいと言うのです。一休は上手に書こうと思わないのです。沢庵などは上手に書こうと思うのです。上手に書こうと思わないところに一休の良さがあるのです。これは私でも(かな)わないです。私でも上手に書こうと思うから、それが出ます。一休より私が、上手く書こうと思っているから、それは上手く書けてますが、一休は上手に書こうと思わないから、その点は敵わないです。そういうわけで、今の良寛のそれは実によく出ていると思います。

 川崎大師 本当は弘法大師を祀ってあるのですが、こういうのはみんな弘法大師の代理なのです。それで、川崎に長く居ると川崎大師という一つの固定した名前になってしまうわけです。

 金毛九尾 金毛九尾は大変なものですから、これが改心したという事は非常な良い事なので、ミロクの世の最も有力な原因になるわけです。有力な働きになるわけです。金毛九尾というのは凡て女に憑っていて、男を堕落させるのが専門です。それで眷属が何億と居るのです。その中にいろいろな階級があって、汚職事件などは金毛九尾の働きなどがなかなかあるのです。あの人達が御馳走になったり賄賂をとったりするが、御馳走と言っても、食うだけでは大した御馳走ではないので、やっぱり芸者を買わしたり、そういうのが最も魅力があるのです。しかしそれも、金毛九尾の狐がただ堕落させるばかりでなく、一方非常に役には立っているわけです。やっぱり神様が使っている、拵えているわけです。というのは、ああいう活動があるために男が働くのです。あれがないと男はあんまり働かないです。ただ食ってゆけばよいというだけのものになります。女の魅力というのは大変なものです。男がみんな夢中で働くのは、みんな女のためです。男の活動力の源泉です。だからなかなか難しいので、それは活動力の源泉になるし、罪の源泉にもなるのです。そこのところをうまくして、あんまり沢山悪い事をしないようにお灸を()えるのですが、それが今度の汚職事件です。だから凡て善悪共にみんな必要があってあるのだからして、大乗的に見れば「正邪一如」「善悪不二」になるわけです。そのどっちも善悪であり、それから悪はいけないというような、そういういろいろな真理を覚る、それが本当なのです。それで今は大分そういう方面の巨頭が改心しつつありますから、これが今に現界に写って来ると、それは実に結構な事になるのです。

 それから、スターリンも最近では改心しかけたのです。悪い事が分って来たのです。というのは、昼間になりますと地獄の暗い所まで光が射して来るのです。そうすると執着とかいろんな悪い面のそういうものが薄くなって来るわけです。そうすると分って来る、救われるという事になるわけです。それが、霊界の救われる状態がよく現われているのです。

 それから龍神というものは東洋ばかりのように思われますが、これはそうではなくて世界中に居るのです。ただ東洋に一番多いのです。特に支那、日本です。印度とかあっちの方は少ないです。その内で一番多いのは日本で、次が支那、朝鮮となります。ところがこれは西洋の龍神の事が出たので読ませます。

 (御報告)

 まだいろんな霊が次から次から出て来ます。昔からの著名な霊ですが、順次これから発表します。

 それから今一番問題なのは水素爆弾です。これについて二、三日前に、シーンという雑誌で(アメリカに本社があって東京に支社があるのです)これは日本の文化をアメリカに紹介する、又アメリカの方では日本の文化を研究する、それから両方で文化的知識を交換するというような雑誌で、この間見たがなかなか立派な堂々としたものです。日本ではちょっと見られないくらいの立派さの物です。其処の記者が、アメリカから、私の著書の「アメリカを救う」と「原爆恐るるに足らず」という事について調査の目的で来たのです。それにラジオ東京の記者も二人一緒に来ていろんな質問や話をしました。それについて原子爆弾の質問もあったからして、その答えをしたわけですが、それはこういうわけなのです。「原爆恐るるに足らず」という事は、あの広島、長崎にやった原子爆弾は、お蔭話にいろいろあったとおり、傷でも治る、それから霊的に逃れる事も出来るのです。そこで〝恐るるに足らず〟と書いたが、今度の水素爆弾は違うのです。これは逃れる道はないのです。前の原子爆弾の方ですと、何米か下に防空壕を作り、或いは鉛の板なら遮断が出来るのですから、鉛の家を作ってその中に居れば原子爆弾の被害を受けないのです。ところが水素爆弾はそうではないのです。なにしろ何百倍というのですから。ビキニ環礁のあれが六百倍とか言われてます。ところが今でさえそうであって、まだ進んでいますから、先々どんな事になるか分らないです。あれだと地面が掘れるわけです。小さな山は吹飛んでしまうわけです。そういう恐ろしい物です。これは科学的方法では絶対に逃れる方法はないのです。それから又、今国際連合で協定をするというような事を頻りにやってますが、これとても、そんな条約というのはいよいよ戦争になったら何にもならないです。戦争のために作るのが、平和の時だけ間に合って、戦争の時には間に合わないという事になります。結局水素爆弾は今までの人類にあるあらゆる方法をもってしても免がれる事は出来ないという結論に達するわけです。しかしそんな気味の悪い恐ろしい物は、なんとかしなければならない、根本的に防ぐ方法はないかという事です。この間の湯川博士の談話をみても〝根本的に逃れる方法はない〟という事を言われてますが、そのとおりです。ところが私から言うとなんでもないです。いとやすいものです。そうすると不思議に思うでしょうが、それは根本的の点です。それは何処にあるかというと、これも今月の一日にアイゼンハウアーが発表しましたが、〝水素爆弾そのものは少しも恐るるものではないが、ただその使用目的によって恐るるものになる〟という、これはよく言い表わしてます。使用目的が、戦争のために使用するから恐ろしい物になるのであって、これを平和のために使えば何んでもないのです。ナンデ戦争のために使うかというと、武力を持って世界を己れのものにしようという、つまり自己の欲望です。欲望と言うのは心、魂です。ですからそれを戦争をしないように、戦争は止すという、そんな欲望を制限するというそれだけでよいのです。ではその欲望を抱いているのは誰だというと、これは知らるるとおりソ連です。共産主義の首謀者です。ソ連の人民ではないので、何人かの者です。一握りの共産主義の采配(さいはい)をふっている首脳部です。その人達の魂をちょっと引繰返せばよいのです。しかしその魂を引繰返すという事はちょっと難しいようですが、これは何んでもないのです。というのは霊がみな、金毛九尾でさえ改心するのですから、神様の光を放射すればよいのです。しかしただその光を放射する段取をつけるのがちょっと困難です。そこで私は記者に言ったのですが、〝一番手取早い事は、アメリカの大統領が私の御守をかける、それでよいのだ〟と言ったところが、変な顔をしてました。それはどういう訳だというと、今仮にマレンコフとかモロトフという人達がああして活動している目標はアメリカですが、それでアメリカの国としての魂は大統領にあるのですから、彼等は〝アイゼンハウアー〟〝アイゼンハウアー〟という事は始終思ってます。そうするとアイゼンハウアーの方でも〝マレンコフ〟〝モロトフ〟という事は始終思ってます。これは霊界では両方の霊が霊界で闘っているのです。そこでアイゼンハウアーが御守をかけると、マレンコフの霊が始終来るのですが、そこで御守の光を受けるから、マレンコフの方はだんだん霊の曇りが取れて来ます。そうすると〝戦争してもつまらない、オレは今まで考え方が間違っていた〟ということになるわけです。ですから間接射撃です。霊的水素爆弾を間接射撃によってやっつけるという理窟になります。これが一番手取早いです。ところがアイゼンハウアーに御守をかけさせる事がなかなか出来ないのです。しかしそれは神様がそういう順序をつけますから、今直ぐという事にはならないが、いずれはそういう事になるに違いないのです。しかしそれもそう長い事はないのです。というのは、霊界の方がだんだん明かるくなりますし、それとアメリカは非常に分りが早いですから。ですから非常に興味ある問題です。

 それについてちょっと書いてみました。

 御論文〔恐るべき科学迷信〕

恐るべき科学迷信

(昭和二十九年四月十五日)

 現代はヤレ科学、ソレ科学と、何でも彼んでも科学でなければ夜も日も明けない有様で、全く人間科学の奴隷である。としたらそれでいいものであろうか。科学のみで凡ては解決されるであろうか。科学の力によって平和幸福な良い世の中が出来るものであろうか等々を考える時、どうも納得のゆかない点が多々ある事である。第一人間の最大欲求である幸福にしても、科学のみで得られるであろうかを考えてみるまでもなく、事実は寧ろ逆でさえあり、科学が進歩すればする程、反って不幸は増大するかのように思われる。

 という訳で思い出されるのは宗教であるが、之とても余り期待が出来ないのは、現在の世の中を見ても分る通り、幸福な人よりも不幸な人の方がどの位多いか知れないに見て明かである。というように、人間は一生涯かかっても幸福などは痴人の夢で、先づ諦めるより外はない。そこで大多数は苦楽繩の如きその日その日を只漠然と暮しているにすぎないのである。そこでどうしても、科学以上、宗教以上の新しくして偉大な救いの力が生まれなければどうしようもあるまい。

 玆で飜って今日の世界を見る時、その素晴しさは全く驚異的であり、之も全く科学の進歩の御蔭であって、此趨勢を以て進めば、科学によって人類の幸福は益々増進するとし、科学に絶対の期待をかけているのが現在である。従って今日新聞、雑誌、ラジオ等にしても、科学の二字が入らなければ人々は絶対信じようとしない。昔平家に非ざれば人に非ずといった時代と同様、科学に非ざれば文化に非ずとして、科学は殆んど神格化された観がする。処が之に対して私は科学の大部分は迷信なりというのであるから、何人も私の頭脳を疑うかも知れないが、之を最後まで読めば成程と肯かざるを得ないであろう。

 以上の如く科学信者になりきっている現代人は、科学で解決出来ないものはないと信じきっている結果、科学で解決出来るものと出来ないものとの区別が判らないまま進んでいるのであるから、実に恐ろしいといえよう。その為生じた破綻にも一向気付かず、現在の如く何も彼も行詰りとなり、混迷の中に藻掻いているのであるから困ったものである。そこで私は科学では解決不可能なものを取上げてみよう。即ち、健康、道徳、芸術、恋愛、幸福、先づザット斯んなものであろう。

健康 之に就いて私は常に、人間は科学で造られたものではないから、科学での解決は見当違いであるとしているから、玆では略す事とする。

道徳 之こそ精神面である以上、科学とは何等関係はない。つまり科学的見方でいえば、道徳とは無形な観念の産物である以上、形である法にさえ触れなければいいとする考え方の為道義地に堕ち、今回の如き汚職事件などが発生したのであろう。

芸術 之も説明の要はない程明らかで、芸術と科学とは何等繋がりがないのは誰も知る通りである。然し間接的には多少役立ってはいるが、それも僅かで問題とはならない。

恋愛 之だけは最も科学と縁がない。男が女を愛し、女が男を愛するのは、神代からの宿命であって、科学と雖もどうしようもない。

幸福 之が最重要問題であるから詳しく記いてみよう。成程科学は幸福の一条件とはなっているが全部ではない。つまり補助的効果にすぎないのであって、それを幸福全部と思った処に欠陥があったのである。それは言う迄もなく科学に幻惑された結果、科学さえ進歩させれば幸福も伴うと思ったのである。処が事実は意外にも幸福はそれに伴わない処か、寧ろ不幸の方が増大するかとさへ思われるのである。例えば産業の発達によって人間は余りに機械化し、生活の楽しみは奪われ、只生きんが為に働くという洵に味気ない人生に追込まれて了った。

 而も職業によっては生命の危険にさえ晒される機会が多く、搗て加えて病気の脅威、経済難、生活苦、戦争の恐怖等々は勿論、最近に到って驚くべき事態の発生である。それは彼の水素爆弾である。之が如何に人類の度胆を抜いたかは知らるる通りで、今や世界を挙げて戦慄の渦中にあり、破滅の恐怖に脅えている。之等を見る時最早科学の進歩は極点に達した観がある。斯うなっては地球の捩子(ねじ)を逆に捲きたくなる位である。

 以上によって科学文明は、何といっても最後の段階に来た事で、前途暗澹たるものであり、勿論此儘で済む筈もないから、玆に私が常に唱えている世界的大転換の幕が切って落された事が分るであろう。之を私からみれば当然来るべきものが来ただけの事で、何等不思議はないのである。

 言はば旧文明と新文明との交替であって、此大経綸の担当者として選ばれたのが私である以上、此危機を脱せんとするには、速かに我救世教に入信する事であり、それ以外に方法のない事は断言するのである。そうして之こそ本教のモットーである病貧争絶無の世界であって、原爆も水爆も何等恐るるに足りない不安なき地上天国であり、此世界の住民となるこそ真の幸福者であり、神の大愛に浴したのである。

 

 

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