(お 伺) 信者、本山あやめ(五十四歳)産婆を致して居りますが、本年九月十日より御浄化戴き、腰より膝まで浮腫にて動けなくなりました。続いて御浄霊させて戴いて居りますが、十月二十日頃より段々発作が起き、その激痛の為、身をもだへ(え?)水を欲しがります。食欲、便通共に御座いますが、二、三日前より排尿が少なく、局部的の痛みが起きます。御浄霊致しますと、痛みが移動致します。夜分には蛇が「とぐろ」を巻いた様な様子の発作を起して苦しみます。只今では資格者が泊り込みで、夜中でも発作が起きますと御浄霊させて戴く様に致して居ります。尚、本人は御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。御神体も拝受致して居りますが、家が無く只今は田舎の古寺に住って居りますが、其処も立退きを強請されて居りますので、御奉斎が出来ない状態で御座います。御垂示の程御願い申上げます。
〔御 垂 示〕
そうすると、御軸は何処に置いてあるんですか。
「教導所でお預り致して居ります」
やっぱり薬毒ですね。
「二十年前、慢性腎炎になり、医学で固めて居ります」
そこに、やっぱり蛇が憑った様ですね。やっぱり毒があるから蛇が憑るんだからね。薬毒を無くすれば良いんでね。腎臓が相当固まっているんですね。痛いのは薬の為ですからね。手術はした事はないですね。
「御座いません。激痛が点々と移動致し、お静まりと言いますと、静まります」
蛇ですね。私の本に書いてある。それを、どんどん追いかけて行って、お静まりと言うと、静まる。之も少し気長にやったら良いです。痛みは、段々追いかけて行って、段々気がつかない位に迄追いかけてやると良い。そのうちに、又痛みますから又追いかける。そのうちに段々薄くなりますからね。
(お 伺) 昭和廿四年十二月入信の信者、植田ナカ(五十九歳)同年九月初め、右足を蟻の巣に踏入れた為、そこに小さい傷が出来、それが二、三日するうちにキリキリと痛み出したので御浄霊を戴きました処、痛みは益々ひどくなる許りで、遂に歩行も出来なくなりましたが、十二月頃から小康を得、杖に縋って歩く事が出来る様になりましたので、早速教修を戴く光栄に浴しました。傷口は依然として残り毎日相当量の拝膿がありました。翌廿五年二月頃より、全身が浮腫み始め、次第にひどくなり、五月頃には口中特に舌が痺れ、火傷の様な痛みを感じ、遂には顔面迄痺れ、同時に手足の第二関節迄ローソクの様に白くなり、感覚がなくなって了いました。此頃ふと邪神にやられ、病院にも一寸行き、手当てを受けましたが、排尿は益々悪く、遂に全身は浮腫み心臓の動悸も激しくなりましたので、再び御浄霊を戴くうちに、十二月頃足の傷はやっと治りましたが最近又、右足に傷口が出来、痛みも以前と同じ様な状態となって参りました。二十年前胃潰瘍、腎臓炎、肋膜、腹膜、膀胱、盲腸、肺炎を一時に患い、生命の危険を感じた事も御座いました。注射の名は解りませんが、二本以上打つと生命の保証は出来ないと言う注射を、主人と同意の上毎日二本宛一ケ月続けて打ちました。やっと生命は取止め、一年病床に就き全快致しましたが、以後右の足が常に腫れています。私の家は、昔お寺の屋敷跡で庭の隅には先祖の墓と無縁仏の墓がありますが、本年八月家の墓を山の墓地に移した時に、その無縁仏の墓も一所に移し、仏壇には「諸霊位」として祀ってあります。因に御屏風観音様は二十四年四月、御神体は二十六年五月御奉斎させて戴いて居ります。右御開示の程御願い申上げます。
〔御 垂 示〕
之は、この薬毒ですよ。二本づ(ず?)つ一ケ月続けた――と言うこの薬で、今そう言う風になって出るんです。それで蟻の巣を踏みつけて傷がついたと言う、あの為じゃないんです。針の先でも同じなんです。そう言う薬毒は、何処か一寸した刺戟で、そこに寄って来て出ようと言うんです。それで、最初のは出て、今度は残っているのが出ようとしているんです。もう少しの辛抱です。痛みと言うのは、全部薬ですからね。だから、人間薬を止めれば、痛みは無くなる―苦痛はね。人類から薬を無くすれば、痛みと言うのは無くなるんです。薬が痛みをつくっているんです。大変な世の中ですね。だから、薬の恐ろしい事が本当に分れば、それで人類は大体救われた訳です。それから、霊が憑るのも――やっぱり霊が曇っているから悪霊が憑るんで、曇りと言う原因は殆んど薬毒ですね。あとは罪ですからね。罪を犯すと言う事は、薬毒で血が濁り、霊が曇ると言う事ですね。結局人間の身体から薬を抜けば、悪人も無くなるんですね。然し悪人も今迄は必要だったんです。血を濁らせて、悪人をつくって―やっぱり必要だったからです。だから、観音さんは薬師如来になって、薬を飲ませたんですからね。やっぱり仕組なんです。
(お 伺) 昨年九月、結核再発以来絶対安静にて専ら灸療法にて薬は殆んど服用せずに治療して居りましたが、はかばかしくないので、本年に入りマイシン二本とパス三十日間服用致しましたが、益々衰弱し、一時は食事もろくに入らず苦しんで居りました処、三月末より本教の浄霊を戴き、五月中旬には大変元気にさせて戴きました。六月廿三日には御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。妻は結婚前、昭和二十四年の暮に入信させて戴いて居りましたが、私が分らなかった為、一時お道から遠ざかって居たのですが、私の入信により、改めて信仰させて戴く事になりました。御屏風観音様を御奉斎した翌日、再び再浄化を戴き痰が多量に出ましたが、その後お蔭様にて漸次楽にして戴き、痰も少量となり、七月中旬よりぼつぼつ起きる事が出来る様になりましたが、動くと呼吸が苦しくなるので、戸外散歩は出来ず、室内丈けをぼつぼつ動いて居りました。九月上旬より咽喉が痛くなり、声がかすれて来ましたが、御浄霊により、間もなく痛みは取れました。現在二、三日咳が続くと咽喉が痛くなり、咳が少なくなると痛みは取れます。只今の所、常時床に就いて居りまして、咳をすると呼吸困難になります。食事は毎食茶碗で山盛一杯は入りますが、余り美味しく頂けません。毎日妻に浄霊を受けて居りますが、先生にして戴くと其日及び翌日は非常に元気が出ます。因に私の家では、最初私が肋膜炎で病状はかばかしくない時に、実兄が戦地より帰り、胆石病らしい原因不明の病気に罹り、私の病気は治りましたが、兄は手術をし原因が分らず、以後持病となり苦しんで居りましたが、家を分ける事になって、兄が現在私の住んで居る家を出て行きましたら、兄の持病は次第に治り、只今では元気になって居りますが、私が発病しました。父は二十六年前腹膜炎で死亡、弟は十二年前肋膜炎にて死亡して居ります。位牌は御教え通りに御祀りさせて戴いて居ります。私の浄化は、何か家にも関係がある様にも考えられますが、御垂示の程御願い申し上げます。尚、只今は浄霊箇所として後頭部、頸部、延髄、肩、心臓(前後)、腎臓、鼠蹊部を主として居ります。
〔御 垂 示〕
之は、浄霊を少し見当違いをしている。だから治りが悪い。之は割合に治りが悪い方じゃないですね―旨く急所に当れば、相当早く良くなっていきますからね。普通息苦しいと言うのはよくありますがね。肋間神経痛じゃないんだが、肋間に毒が固まっている。そう言うのは押してみて、一番痛い所を――大抵横腹が多いですが――そこを浄霊すれば、息苦しいのは、非常に良く治ります。それから、こゝ(頸部淋巴腺)です。之が大抵の原因ですね。熱、息苦しい――咳ですね。そこがどっちか熱いですね。固まりがあります。この人も、そこをやって御覧なさい。そうすると、ずっと良くなる。霊的も幾らかありますね。肋膜で死んだこの人が、救われたくて憑るんですがね。悪い意味じゃない。だから、自然に段々救われていきますからね。弟は十二年前――之ですね。父は二十八年前――之は関係ありません。方々を浄霊してますがね。こう言う――動悸や息切れは、心臓が悪いんじゃないんだからね。他に原因がある。こう言う処(咽喉)が悪くてドキドキするのがありますからね。今言った様にしてやれば治りますよ。
【御 教 え】
今度京都に行ったのは、大体主な目的は、美術館に就いて色々参考になる点がありますから。それで京都に行った訳ですからね。で、京都に大徳寺だとか東福寺だとか行って見ましたが、多少参考になりましたが、何しろあゝ言う処は、仏教芸術ですからね。仏教芸術と言うより、お寺芸術ですからね。お経だとかね。東福寺なんかは、宋時代に偉いお坊さんが書いたお経ですが、之は美術館向きにはならないですね。それから、東福寺は兆殿司があそこの寺に居て書いた、兆殿司のものが大部分でしたが、可成り上手いけれども、大した事はない。今度すっかり分りましたがね。それから大徳寺の本尊ですね。其宝物を何していたが――真珠庵と言う――そう言うものが一番ある寺です。末寺ですが、それを見ましたが、大したものはないですね。大徳寺なんか、一寸如何わしいものが多いです。やっぱり、本物は傷んだりするから、仕舞ってあるだろうと思う。だから、出してあるのは、如何わしいのがチョイチョイあるんです。一寸普通に見ては分りませんがね。例えて見れば、巨勢金岡の画いた観音さんがあるが、私の処にもあるが、私の処のは本物です。同じ様な絵ですが、私の方が古いですからね。大徳寺の方は、時代が新しいです。同じ様には画いてありますが、品格と味がないです。そんな様なものです。その他にも二、三ありました。それで良いんだろうと思いますね。そう、良い物を始終一般に見せると言うのは、傷んだりしますからね。面白い事には、本尊ですが――坊さんが、お釈迦さんだと言うんです。之は観音さんだと言っても、いゝやお釈迦さんだと言う。禅宗ですからお釈迦さんは祀らないのが本当です。禅宗は達磨ですから反対になるんです。達磨と観音さんは祀っても良いんですが、お釈迦さんは祀らないんです。あそこは観音さんを祀ってあるので成る程と思いました。京都の博物館は、支那陶器の一寸面白いものがありました。絵も二、三私が見たいと思うものがありました。それから大阪の博物館も、又行ったんですが、銅器の良い物が出てました。館長になっている人が、色々説明して呉れましたが、大いに得る所があった訳ですね。そんな訳で、大体京都に於る美術的なものは今度で大体分った訳です。今度私が造る美術館に就いても、参考にはなりました。処で近頃、古い美術ですが、非常に世の中の人が関心を持ち始め、流行みたいになって来ましたが――何処に行ってそう言う美術なんて見ても―仮に、京都にしても、仏教的な仏画だとか、立派なものがありますが、あれじゃ一般人が見ても興味がない訳ですね。お釈迦さん、観音さん、文殊菩薩。藤原時代だとか、天平だとか言っても、余程研究してないと分らないです。美的に、あゝ美しいなと言うのは、分らないと思います。感心しないです。処が、日本では古美術です。古美術と言うと、京都ではお寺ですね。あゝ言う処になっている。然し、私が造る美術館はそう言う意味ではない。京都を歩いても、光琳とか宗達とか殆んどお目にかゝる事は出来ないですね。京都で盛んに活躍した芸術家ですからね。そう言うものは殆んど京都に無いせいもあるでしょうが。殆んど見る事が出来ない。仏画以外としては、狩野派ですね。探慶、雅信だとかです。そう言う人たちの絵は、余り価値がない。と言うのは、狩野派の絵と言うのは、支那人から習ったんですからね。支那の宋、元時代のものをお手本として習ったんですから、支那以上のものは出てないんです。処が、琳派ですね。光琳と言うのは、勿論支那にもないし日本独特のものですね。こう言うものを、大いに見せなければならない。それから陶器と言っても博物館にも立派な素晴らしいものがありますが、全部支那のです。日本だって素晴らしいのがあります。仁清、乾山と言うのは、それはもう支那に決して負けない様なものですね。あとは、尾張の瀬戸の系統ですね。黄瀬戸とか、織部とか――そう言うので、中々良いものがある。
そう言った日本で出来た日本美術の良い物は、殆んど目に触れる事がないですね。僅に東京の博物館にある丈だそうですね。そう言う良い物を、今度出来た美術館に並べる心積りですがね。そう言う良い物は、何処にあるかと言う事は、殆んど決っている様なものですね。だから、それを上手く聞き出して、承諾を得れば良い訳です。それも、旨くやりつつあるから、日本の何処にもない様な美術品を並べられると思います。随分問題になると思いますがね。
帰り掛けに、で、駅々で信者さんが見送ってましたが、誰も言う事は、今年は自然栽培は、非常に成績が良いと言うんですね。相当増収になっていて、非常に喜んで居ましたがね。と言うのは、段々肥料が抜けて来ますからね。何処でしたか、今年で三年目ですが、反当り二、三俵増えたと言う事を言ってましたが、それで丁度当り前ですね。三年経てば三割位増えるんですね。五年経てば五割位増えるんですがね。今年の成績が良かったら、大々的に自然栽培の宣伝をやろうと思う。処が一般の場合は、今年は馬鹿に悪いですね。静岡県の何とか言う村は、四割の減収で、六割しか穫れないんですね。その原因はイモチ病とウンカと言う事になっている。こう言う話を聞きましたが――農民は肥料をやり過ぎるから、肥料を少なくしなければならないと言う説が、農民間に出ているそうですが、それは幾分判った方ですね。だから、その方面は之から大いに面白いと思うんですがね。
それからもう一つは、B・C・G問題ですね。之は大騒ぎをやってますが、それに就いて非常に良いお蔭話を聞いたので、今度の「栄光」に出して、之を厚生大臣に送ってやろうと思ってますがね。
BCG問題
(栄光一三〇号)
昨今BCG問題が喧しくなって来て、言論機関も盛んに論議されており、医家の間でも賛否両論に分れていて、仲々決着はつかないようである。そうしてこの問題の起りというのは、先頃米国ミネソタ大学の教授マイヤース博士が、BCGの有害無益論を、八月十八日発行の米国医学協会雑誌に掲載されてあったところ、折も折日本においても武見太郎博士が文芸春秋四月号に、結核撲滅対策を撲滅せよとの題下に、BCGの効果に疑問ありとし、法によって強制するのは不可なりという意見を発表したので、それらに刺激されてか、最近に至って橋本厚相が、同薬の効果はいまだ不確実な点あり、充分確定するまで接種は見合した方がいいとの主旨を発表した事から、俄然波紋を捲き起し、政治問題なども絡んで、面倒臭くなったようである。これについて私としての見地から、いささか批判を加えてみるが、
これは事改めていう程の事もないが、BCGに限らずどんな薬でも効果は一時的で、時が経てば必ず薬害が表われる。というのは私の持論であって、今度の問題などもそれである。もちろん吾々にはよく分っているが、科学者としたら実に不可解千万と思うであろう。というのはこの薬は、昨今使用しはじめたものではない。すでに二、三十年も前からさかんに使用されて来たにかかわらず、今までは別段何事もなかったにかかわらず、思いもかけぬ今度のような事が起ったので、本来なれば何よりもこの原因を究明しなければならないが、それも無理であろう。なぜなれば、この原因は科学の分野には属していないからであって、その証拠には今もって決定しないため、今度の問題が起ったのである。というのは真の原因は霊的であるから科学的智識では分りようがないので、今ここにかくところの私の説明を見たところで、科学者から見ればまず一種の珍説か、迷信的ドグマにしか思えないであろう。ところが吾々から見ればこの人達こそ、立派な科学迷信に陥っているからである。
さてこれから真の原因を明らかにしてみるが、それはこうである。私は以前かいた事もあるが、長い間の夜の世界がいよいよ昼の世界に転換する事となったので、霊界においては太陽の精である火素が増え、浄化力は日一日と旺盛になって来たので、以前は薬で固め得たものも、今日では固まりえなくなったためで、それが今度の問題の原因である。そのような訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、いずれは医師自身がすべての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分って、ついには医学の再出発という事になるであろうし、ここで初めて眼を他の面に向ける事となる結果、本教の浄霊療法こそ真の医学としての真価が判り、医学の大革正となりやがては世界医学界に一大センセーションを捲き起すのは、時の問題でしかあるまい。従って今度の問題も、その時機の接近の示唆でなくて何であろう。
(御論文「B・C・G問題」のあとの御教え)【註 栄光一三〇号】
つまり今迄は、結核が疑わしいのにB・C・Gをやると、発病しないと言うのですね。処でそれは、疑わしいと言うのは、要するに浄化が起っているか、起り掛けているんです。それをB・C・Gで固めるから、一年なり半年なり固まり、小康を得ている。と言うのは、B・C・Gは一回ではいけない。と言うのは結局、本当に固まりっこないんですからね。何時か溶けるに違いないから、B・C・Gを打った人は結局何時かは結核患者になって了います。そんな訳で、今迄固まった人も霊界のお浄化(浄化?)が強くなったから、固まらなくなった。固まらないで溶けるからです。そうなる訳だから、之から色んな固め療法が駄目になって来ます。結局薬じゃ駄目だと言う事になる。それからこっちの舞台になる。大分近寄りつゝある。
それから、農作物の方で非常に虫がわく。毎年増産と言って色んな方法をやっていますが――農地改良だとか、交換分合だとかやっていますが、増えないですね。増えないで、虫害が非常に多くなって来た。と言うのは霊界が変って来たからです。霊界が夜の間は浄化力が弱いですから、医療も一時効くんです。処が霊界が段々明るくなるに連れて、そう言った間違った事は、段々駄目になって来る。つまり浄化力と言うのは、浄めの力ですね。そう言う汚ごれたものは、浄めの力が弱くなる。逆になるので、虫がわくと言うんです。綺麗なものは益々綺麗になり、汚たないものは益々汚たなくなる。そう言う訳ですから、時日が経つに従って、益々今迄のやり方は結果が悪くなると言うんで、いずれは気がつかざるを得なくなるんですね。ですから我々がやっている事は、その準備行為みたいなものですね。先で、愈々目が醒めてから、本当のものを見出すと言う、その準備の様なものですね。けれども、一ぺんに来る訳じゃない。少しづ(ず?)つ来る訳です。昨日も、汽車の窓からの話ですが、県の方や農会の方で注目して来たと言う事を言ってました。医学の方よりも大分早く分ると思う。之が分ったら、今迄肥料をやっていたのが、堆肥丈けで良いと言うので大問題ですね。食糧問題なんか一挙に解決しますからね。そうなると、医学の方と違って早いです。それ丈け解った丈けでもメシヤ教と言うのは、本当の「救世」だと言うですよ。それで、段々段々そういった解きが早くなるんですね。全て、ものは坂から落ちる様なものですね。最初落ち始めは緩慢ですが、勢いがつくと、段々早くなると言う、こう言う事は解り出すと早い。だから大いに楽しみと言う訳ですね。
それから「文明の創造」の中で、種痘の事が肝腎ですから、種痘の事を精しく書きました。今日注射が之丈け発達したのは、結局種痘の為なんです。こゝにやった丈で、天然痘から逃れられる。有難いと言うので、それによって注射と言うのは段々流行る様になったんですね。この前も――古い――「明日の医術」かに書いてますが、今度はあれよりずっと精しく書きましたからね。あの時代は危ぶなくて、そう深くは書けなかったですが、今は時代が違ったから、充分書けるから、良く解ると思います。
種痘
(『文明の創造』)
(御論文「種痘」のあとの御教)
之は以前に一ぺん出した事があるお蔭話です。やっぱりこう言うのは、皆専門家に見せる為に、丁度挿入するのに良いですからね。それで入れた訳です。
余り、病気の事許りだから、少し変ったのを――これを読まないうちにさっきの――禅宗とバラモン教の事を言いましたので、それを書いてます。
仏教に於ける大乗と小乗
(『文明の創造』)
(御論文「仏教に於ける大乗小乗」 のあとの御教)
この大燈国師の有名な看讀眞詮搒と言う巻物がある。後醍醐天皇が非常な信者で、大燈国師に絶対的にしていた。で、後醍醐天皇をお助けしようとして看讀眞詮搒と言う――随分長い巻物です―後醍醐天皇を助けて戴きたいと言う意味で書いて、仏様にお願いした訳ですね。之は有名なもので大燈国師の言看讀眞詮搒と言って大変なものです。容易に見せないんですが、特別に見せて呉れたんですがね。中々、書体も力強い書体です。見ていると、迫力が――まあ、身の引締まる思いがすると言うが、そんな様な具合で、私も感心した。之は余談ですが、後醍醐天皇が、あゝいった不幸な目に遭って、結局位を捨てなければならないと言うのは、この影響がある。大体、禅はバラモンから来るんです。名誉とか、天皇とか言う位は、信仰に徹底すれば無くしなければならない。取って了わなければならない。だから、一生懸命になればなる程、天皇の位に止どまる事が出来なくなる。天皇の中で後醍醐天皇なんか一番不幸な人でしょう。それは、信仰の影響ですね。それに違いないですね。
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