(お 伺) 沢田敬哉(二十六歳)六年前肋膜にて入院、三カ月後医師の診断の結果、異状なく会社に復職、一年半後に脊椎カリエスとなり灸、鍼にて大分楽になり、二カ月間休んだ丈けで、一年六カ月勤務して居りますうちに、右腎臓部が腫れて痛みが激しくなり、又鍼、灸に頼りましたが効果なく、一カ月後に多量の血尿が出ましたので医師に診せた処、腎臓結核と診断され摘出手術をしましたが、その傷は今も塞がらずにを(お?)りました。其後膀胱結核、副睾丸結核(片方摘出)腹膜等になり、昨年十二月左腎臓部が腫れ上り、切開して膿を取り、今年五月退院し、現在軽微な腰痛と右切開部より少量づ(ず?)つ膿が出て居ります。発病時より最近迄、多量の服薬と注射(主に葡萄糖、カルシウム、ビタミン、ペニシリン七、八十本、マイシン二十本、パス七百グラム等)を致しました。現在体重は五十一キロ、平熱で食欲はあります。只今の処は御浄霊を戴いて居りますが、十二月に入信を希望して居る者で御座いますが御救い戴けましょうか、御浄霊の急所を御垂示の程御願い申上げます。
〔御 垂 示〕
之はどうも、余りいじくり過ぎちゃったんで、確実な事は言えませんがね。まあ、御浄霊して、それこそ無理をしない様に、普通でやっていくんですね。別にいけないとも言えないし、請合う事も出来ない状態ですね。今迄の経路を話して見ますと、最初肋膜の時に固めたんですからね。それ迄に、水が下って脊髄に固まったんです。それを、脊椎カリエスと、こう間違えて――鍼、灸でしょう――又固めたんですね。それから腎臓部に肋膜の水が下って固まった。そこに浄化が起ったんだから、打擲らかして置くと良かった。腎臓から滲みて小便になって出ちゃう。効果が無い――というのは、浄化が強かった。固まらなかった。一カ月後に多量の――と言うのはそれが溶けて病原になって出るので、非常に良かった。それを――之は放ったらかして置くと、みんな治ったんですがね。医者が、みんな拵えたんですね。気の毒なものですね。傷は今も塞がらず――塞がらない方が良いんです。出る丈け出た方がね。之は、消毒薬中毒ですね。その為に容易に塞がらないんです。副睾丸結核――それは、腎臓摘出の時の消毒薬ですね。それが滲みて、下っていった。之は、よく生きてますね。右を摘出したので、左の方に毒が寄って来たんですね。何にもならない。結極(局?)両方取らなければならないが、両方取っては命が無いから、しょうがないですね。どうも、しょうがない。一番恐ろしいですね。自然に出ると言う事を医学は知らないんですね。何も取らなくても良い。自然と言う事を全然無視してますね。少量づ(ず?)つ出ているから非常に結構なんです。平熱で食欲があるから生きている様なものですね。一週間に二回位にね。気長にやっていると、何うやら生きて居る丈けには治るでしょう。之は何うとも――請合うとか、色々な事は言えませんね。と言うのは、薬を何の位やっているか、切開手術を何う言う風にしているかでね。私がやった訳ではないから分らない。
「入信は差し支えないので御座いましょうか」
結構ですよ。差し支え――なんて。どっちにしろ、入信しなければ駄目ですよ。入信したら、少し生きるかも知れないが、入信しなかったら数年ですよ。だから、偶に――浄霊を一週間に二度位で良いと言うのは、入信しての話ですよ。入信してなかったら、一週間に二回でも駄目ですよ。
(お 伺) 昭和二十三、四年と二回右頸部淋巴腺が腫れ、二度手術を受けました。処が昨年舌癌との事で又手術をし、其の後十四回程レントゲンをかけましたが、又首が腫れ、本年二月と七月前後五回に亘り手術を致しました。度々手術を致しても思わしくなく困って居りました処、知人からお道の話をお聞きし、本年七月私と二人入信し浄霊を戴きまして今日に至って居ります。八月から又、耳下腺及び顎下淋巴腺大小四箇腫れて参り首が締めつけられる様な圧迫感を覚えます。手術の折、右唾液線を切除したとの事で、夜分など、口の中が火傷した時の様にヒリヒリ致します。今の処、身体の苦痛は余り御座いません。お蔭様で御浄霊を戴きましてよりは、食物の味が判る様になって参りました。続けて御浄霊を戴いて居りますれば、御救い戴けますで御座いましょうか。子供四人の内長男、三男は耳が聞こえません。深い因縁に因る事と存じますが、御教の程御願い申上げます。
〔御 垂 示〕
之(頸部淋巴腺)だ。こゝに消毒薬が滲み込んで、下にいった。丸で、悪くする様にする様にやっているんですよ。之も犠牲者ですね。淋巴腺が腫れても、打擲らかして置けば、良い具合に腫れて出て良くなるんですがね。何時も言う通り、こゝを手術したら、もうそれで寄らなくなる。お隣りに腫れて来る。舌癌の時の手術――さっき言った通り、こゝ(頸部淋巴腺)のが、下に滲みていってと言うのです。レントゲンで固まらない程浄化が強かったのだから良かったですね。前後五回――之は何回でもやります。五回どころか、十回でもなる。又腫れて来ますからね。之は大丈夫です。治ります。それ丈けのものです。医者が薬で作ったんだから、浄霊して居れば――薬が無くなればそれで治って来ます。折角拵えた病気を、こっちが取ってあげる。それから、耳が聞こえないのは、大抵こゝ(頸部淋巴腺)に固まりがある。こゝに腫れる血統があるんだな。こゝを取ると全部治るか、何うか分らないが、大抵治りますよ。それから延髄ですね。
(お 伺) 御子柴泰弘(四十歳)心臓喘息の為、五年前に入信(約十五年前発病、エフエドリンを多量に使用)徐々に快方に向わせて戴きましたが、九月末より頭部、脊髄に高熱の浄化を戴き、痛みは無く常に朦朧として居り、十月末頃より腎盂炎の様に頭、頸筋、手先に、ぐっしょりと一日数回発汗あり、腎盂の御浄霊により発汗は止り熱も下がりましたが、頭がはっきりせず、脈搏は百十位常にありまして、体躯中調べても、熱は左の肩胛骨の処に少々あるのみにて、他には見あたりません。食事は一日二回、軽く二杯づ(ず?)つで衰弱がひどく中々回復致しません。最近、近親者より医診を奨められて居りますが、本人は真剣にお縋り致し居り、医診を好みませんが、御浄霊により御救い戴けましょうか。又今後何の様にさせて戴きましたら宜敷う御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
之は順調にいってますがね。食欲が少ない為に衰弱している。熱が出て発汗した――と言うのは非常に結構ですがね。エフエドリンを多量に服用した――この薬毒ですからね。だから、エフエドリンが出る迄――こう言う事が、チョイチョイあります。その積りでやらなければならない。それから、肩胛骨に熱があると言うから、そこを浄霊するんですね。未だ――喘息が治るには、何うしても二、三年かゝりますよ。長い喘息はね。この人のは、十五年の喘息ですから、二カ月や半年で治る筈がない。気長に、出来る丈け食欲の出る様にして、衰弱しない様にすれば治ります。食欲がないのは熱の為ですから、肩胛骨の処から熱が出るから、そこを良く浄霊してやる。それから、医者を奨められてますが、いけないと言えば、医療妨害になるから、いけないとは言えないが、本を読ませるんですね。御神書をね。特に病気の処を。そうして、本人に心から解らせるんですね。
(お 伺) 重森小二(三十四歳)右半身不自由にて、六月より御浄霊を戴いて居りますが、七日に一度位手足が引き吊り、紫色に変り、シャックリをして、意識不明になり、最近では十分か五分で元に戻り、あとはケロリとして居りますが、顔は少し腫れます。口はきけませんが、朝夕仏前にてお経を奏げます。又君が代等を歌い、又子供の名を時々呼びます。医診では、脳ケッセンと言われました。病人の妻は九月に入信させて戴きました。現在足を引きづ(ず?)り乍ら歩ける様になりましたが、其の他は変化ありません。病人はよく肥り、血色もよく、本人並びに家族も一生懸命にお願い致して居ります。御浄霊は何処をさせて戴きましたら宜敷いでしょうか。又、霊的に何か関係が御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
ケロリとして――死霊が憑るんですね。今はお経じゃ駄目なんです。お経じゃ効き目がないんです。霊的関係――じゃない。霊的ですよ――病気はね。七日に一度――之は、死んだ病人が、そう言う状態で死んだんです。それが、あの世に行って浮かばれない。それで賴って来るんで、この人に憑る。癲癇ですね。之は、光明如来様をお祀りしてないですか。
「未だで御座います」
之が第一ですね。それと、御屏風観音さんは未だですか。
「未だで御座います」
それが根本だから、それをやらなければならない。それをやらなくても治りますが、ずっと暇がかゝる。それをやると、ずっと早く治る。何分の一かになる。死霊が救われないんだから、出来る丈け本を読ませるんです。神様の本をね。
「本も読めない様な状態で御座いますが――」
それじゃ、奥さんか何かゞ読んで聞かせる。結局治りますがね。大したものではない。この霊を救ってやれば良いんですからね。仏教ですか。仏様はありますね。何宗ですか、
「門徒で御座います」
今言った様にしてやりなさい。
(お 伺) 柏木薫(二十七歳)昭和二十四年十月肺の御浄化を戴き、お道によって治して戴き、夫婦にて入信させて戴きました。今年四月頃より再度御浄化を戴き、咳がひどく八月十九日より私方(支部)に泊り、御浄霊をさせて戴いて居ります。来た当時は、非常に痩せ、又よく眠たがり、暇があれば眠って居ります。現在は少し肥った様で、咳は多少少なくなり痰がよく出る様になりました。左を下にして寝ると咳が激しく眠れません。何かすると、呼吸が激しくなります。私方え(へ?)来る前、皆に奨められレントゲンを撮りましたが、左肺は全部、右肺は半分悪くなっていると言われたそうです。又、耳も聞え兼ねる様になり、呼吸激しく入浴や散歩も好みません。光明如来様、御屏風観音様はお祀りさせて戴いて居ります。六年程前、初めの妻と折り合い悪く別れ、間もなく再婚し二人の子供がありましたが、当人が支部に来た頃亡くなり、子供の死因が不明にて行者(島根県)にみて貰った処、先妻の呪にて病人に対し、地方でよくある「午の刻参り」がしてあり、稲荷の裏の木に人の形を彫り、六寸釘が七本打込んであったそうです。病人は島根県にて、現在滋賀県の支部え(へ?)来て居り、本人は子供の死を知りません。何の様に御浄霊致しましたら宜敷いでしょうか。又この悪縁を何うすれば宜敷いでしょうか。
〔御 垂 示〕
之は、霊的は少しありますが、あんまりありません。肋間神経痛ですね。肋間に毒がありますから、少し良く浄霊してやれば大した事はない。左を下にして寝ると――と言うのは、右のこゝ(横腹)に毒があるんです。息が激しく――と言うのも之です。右の横腹を押して御覧なさい。痛い所があります。その浄化です。こう(左を下に寝る)すると、垂れて来て肺を圧迫するんで、それで咳が出て息苦しかったりするんですね。耳が聞え兼ねる――之も、耳の方に来ているんだから、こう言うのは治ります。入浴、散歩を好まない――息苦しくなるから好まない。
それから、こんな呪をされる事がありますが、神様の御守護があれば何でもないですよ。呪と言う事が間違っているんですからね。然し、呪と言うのは、効かない事はないですよ。中々効きますよ。あれは、怨の霊ですからね。効くけれども、こっちに神様の御守護がある以上、障りはありませんよ。然し、こっちが信仰する神様の力がないと、或る程度やられますが、メシヤ教の神様は何んでもありませんからね。そんなものは寄り附けもしません。ですから、今言った――胸から横腹にあるから、それを浄霊してやれば良い。力を入れないで、痛い処か熱い処がありますから、それをやると、段々治っていきます。
(お 伺) 山口いち(二十八歳)昭和十九年入信後嫁入り致し、四年間程御面会も戴きませんでした。一昨年女児を産みましたが、子供はメレナで死亡し、本人は産後が悪く四十日間床に就いて居りましたが、母親や近所の信者さんが御浄霊させて戴き全快致しました。本年又妊娠致し、至極丈夫でしたが本月五、六日頃より少々脚に浮腫みが来、九日にお産致しましたが、極く軽く済み、下り物は少しもありませんでしたが、直ぐに足がひどく浮腫んで(主に左足)翌日に紅く腫れ上り、痛み激しく、その翌日は「火ブクレ」の様になり、忽ちくづ(ず?)れて方々が、赤、青、白等に色どられ、丁度火傷のくづ(ず?)れの様になり、その傷口から水が沢山出て居ります。医師も原因不明と言い、ペニシリンを打って帰りました。産婆も初めてだとの事です。私は四日目に迎えに来られて出張致し「之は霊的でしょう」と申しますと、産婆は、自分の枕元に髯ボーボーの老人が立ちスーッと脚の方に廻って、悪い方の足を持上げる様にしたそうです。近所の老人に聞きますと、その家は三代目で、先々代がつぶれ屋敷を買って建てたものだが、前の家の隅に掘立小屋を作り、一人の老人が住んで居り、脚が悪く杖に縋って歩いていたが、何時の間にか何処かえ(へ?)行って了ったとの話です。多分癩病だったのではないかと思われます。三回程御浄霊をさせて頂きますと大変楽になりました。右は癩病になって了ったのでしょうか。それ共、一時的で直き治して頂けますものでしょうか。尚、その家の娘も嫁入りしてお産しますと、急に頭髪が抜けて一時はツルツルになりましたが、放って置いて、近頃は生えて参りました。
〔御 垂 示〕
之は、入信後四年間御無沙汰したと言う事の為に、御守護がなかったんですね。それで、メレナで死んだと言う事が、そう言う訳ですね。四十日間――之もそうだ。御浄霊で治った――之は結構だ。脚に浮腫み――之は妊娠腎ですから何でもないですがね。軽く済み、下り物がなかったのがいけない。之がおかしいですね。普通、うんと下りなければならないが、下りない為に、足が浮腫んだんですね。古血ですね。翌日は紅く――と言うのは、古血が出なかった為に、足にいった。出ないと言う事が少しおかしんですがね。之が、或いはじいさんですね。じいさんの霊が憑ったかも知れない。と言うのは、お産をしたあとは、非常に霊が憑り易い。貧血する為にね。だから、産後におかしくなるのがありますが、その為です。出るべき血が出なかったので足に来た。色どられ――丁度癩病の様だね。じいさんの霊も障ってますがね。足の方から――之は救われたいんだね。之は心配ないです。何でもない。癩病になりっこないから心配ない。癩病なんて、そう言う事でなるものではない。癩病の霊が憑るとそうなる事がありますが、一時的なもので、長くなるものではないから心配ない。こゝは、光明如来様は未だでしょうね。
「未だで御座います」
光明如来様をお祀りして、屏風観音さんもそうですが、じいさんですね。この霊を救ってやるんです。光明如来様をお祀りする事と、お嫁さんが出来る丈け、御神書を読む事ですね。それで良いですね。それで、時々月に一ぺん位は中教会――支部に行かなければならない。それで、出来たら一年に一回か二回は本部に――此処に来なければいけない。大した事はない。他人の霊ですからね。すっかり解決つきます。
【御 教 え】
霊憑りの為に、時々問題を起したり、色々あるんですよ。霊憑りと言うのを、全然いけないと言う訳にはいかないけれども、先ず九割迄はいけないのが多いですね。だから、それに就いて、一体霊憑りと言うのは何う言うものかと言う事を、良く知る事ですね。霊憑りでも、邪霊と本当に正しいのと両方ありますからね。その関係なんかを、はっきり知って置けば安心ですから、それに就いて精しく書いたものです。
霊憑りに就いて
(栄光一三三号)
霊憑りの危険な事は、常に私は注意しているに拘らず、今以て止めない人があるが、これは断然やめるべきである。それに就いて何故悪いかを詳しく説明してみるが、霊憑りの八、九割迄は狐霊であって、狐霊の九割九分までは邪霊であるから、人を瞞す事など本能的であり、人間に悪い事をさせるのは何とも思わない処か、寧ろ面白くて仕様がないのである。という訳で彼等の中でも高級な奴になると、憑依する場合何々神だとか、何々如来、菩薩、龍神などと言い、本人にもそう思わせると共に、人にも信じさせようとするので、御本人もすっかりその気になってしまい、生神様扱いにされて多くの人から敬われ、贅沢三昧に耽るのがよくあり、これが狐霊の本性である。そうして狐霊中でも劫を経た奴になると、相当神通力を有っており、人間に憑依するやその人の思っている事は何でも分るから、それに合わせて色々なたくらみをする。例えばその人が神様のように人から尊敬されたいと思っていると、いつしか憑依してしまい、本人の思惑通りにとりかかる。自分はこれこれの立派な神の再来だとか、最も多いのは天照大御神の御名を僭称することで、これは誰も知っているが、そうかと思うといとも巧妙に、この人はと思う人には自分との因縁を結びつけ様としたり、多少の奇蹟も見せるので善男善女は一杯くってしまうのである。これは世間によくある話で、方々にある流行神などは皆この類で勿論こういうのはイッパシ腕のある狐霊で、世間の甘い人達はつい瞞されてしまう。又中には無暗矢鱈に金を欲しがる人があると、それを知る狐霊は、憑依するや悪智慧を働かせて、巧く金を摑める様にするが、勿論手段を選ばず式で、大抵は罪を犯させ、一時は巧くゆくが結局は失敗してしまい、その筋の御厄介になる者さえよくある。又女を得たい人間には巧妙にその女に接近させ、女の関心を得るよう甘い言葉や手段を用い、時には暴力を振う事さえあるのだから危い話である。その様に元々動物霊であるから、善も悪もない。只人間を道具にして自由自在に躍らせればいいので他愛ないものである。このように狐の方が人間より一枚上になるから、万物の霊長様も情ない話で、これが分ったなら人間様も余り威張れたものではあるまい。その他狐霊の外、狸霊、龍神、悪質天狗等も憑って人間を誑すが、その中でも邪悪の龍神が最も恐るべきものである。本来龍神なるものは、並々ならぬ強い力と、そうして智慧を有っているから、人間を自由にし、場合によっては人に傷害を与えたり、命をとる事等朝飯前である。昨年の事件の時なども、多くの悪龍が活躍した事は以前もかいたが、そういう場合血も涙もない残虐極まるものである。しかも狐霊などとは異い、龍神は智能的で、悪智慧が働くから思想的にも人間を自由にする。何々主義などと言って悪質犯罪を平気でやらせ、社会に害毒を流すのも原因の多くはそれである。そこへゆくと狸霊や天狗の霊は大した事もないが、只天狗は霊力が強いのと、学問のあるのが多いので、彼等の中の野心家はそういう人間を摑えて躍らせ、世間に名声を博し、出世をさせて多いに威張りたがる。その様な訳で、天狗の霊憑りは昔から禅僧、学者、宗教の創立者などに多く、長続きする者は至ってないのである。以上憑霊に関しての色々な事をかいたが、ここで充分知って置かねばならないのは、単に邪神といっても個性的に悪い事をするのではない。その奥に邪神を操っている頭目があって、此奴こそ最も恐るべき存在である。この頭目の力には大抵な神も歯が立たない位である。処がこの邪神の頭目は陰に陽に絶えず我々の仕事を妨害している。特に本教は邪神にとっては一大脅威であるから、彼等の方でも頭目中の頭目が対抗しているので、これこそ正邪の大戦いである。
処がここに注意すべき重要事がある。それは本教信者は自分は御守護が厚いから大丈夫だ、邪神など容易には憑れるものではないと安心しているその油断である。この考え方が隙を与える事になり、邪神は得たり賢しと憑依してしまう。然も小乗信仰者で熱心であればある程憑り易いから始末が悪い。いつも私は小乗信仰を戒めているのはそういう訳だからである。何しろ邪神が憑るや小乗善に尤もらしい理窟をつけて押し拡げ、巧く瞞すので大抵な人はそれを善と信じ切って一生懸命になるのだが、何しろ根本が間違っている以上、やればやる程結果がよくないから焦りが出る。そうなると人の忠告など耳へも入らず、益々深みに嵌ってしまい、二進も三進もゆかなくなって失敗する人がよくあるが、こういう人も早い内目が醒めればいいが、そうでないと何が何だか分らなくなってしまい、御蔭を落す事になるから、小乗善の如何に恐ろしいかが分るであろう。小乗の善は大乗の悪なりと私が常にいうのはこの事である。又この点一番よく分るのは小乗善の人は必ず常軌を逸する事で、これが奴等の狙い処であるから、何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、全く邪神の苦手は常識であるから、私は常に常識を重んぜよというのである。この例は世間に有りすぎるほど有る。よく奇矯な言動をよいとする信仰や、同様の主義思想、神憑り宗教などもその類であって、何れも問題を起し、世間を騒がす事などよく見聞する処である。
そうして右の理は霊的にみてもよく分る。何しろ狐、狸等は動物霊であるから、人間より以下である。従ってこれを拝んでいると、四つ足の居所は地上であるから人間は地の下になり、霊界では畜生道に落ちている訳で、霊界の事は一切現界に映るから、その人は地獄に落ちているのである。世間よく稲荷の信者などは、必ずと言いたい程不幸な運命に陥ってしまうのは、右の理によるからである。勿論霊憑りもそうであって、動物の入れ物になる以上、やはり畜生道に落ち、不運な境遇となってしまうのである。
併し乍ら同じ狐霊でも、全部が全部悪い訳ではない。稀にはよい狐もある。それらは改心した狐であって白狐である。白狐は何れも産土神の下僕となり、神のご用に勤しんでおり、中々役に立つものである。というのは狐は霊的には種々な特徴を有っており、悪もそうだが、善の場合も中々力があり、よい働きをするものである。併し神憑りにも除外例がある。それは祖霊又は正守護神が重要な事を人間に知らす場合、一時的に憑る事がある。これはホンの僅かの時間と必要だけの言葉で、決して余計な事は言わないものである。ここで序でだから正か邪かの判別法を教えるが、神様に関係のある正しい言葉には無駄は決してない。物事の急所を簡単明瞭にお知らせなさるものである。故に邪霊であれば必ず余計な事を喋りたがるもので、よくあるノベツ幕なし立て続けに喋るなどは、狐霊と思えば間違いない。併しこういう場合もある。それは正守護神が言葉で知らせようとする場合、狐霊は人間に憑る事も、喋る事も巧いので、狐霊を使う事もあるが、そういう場合必要以外の事を喋り、地金を現わすから大いに注意すべきである。
(御論文「霊憑りに就いて」のあとの御教え)【註 栄光一三三号】
之に書き忘れたが、正守護神が人間に知らせる場合に、狐霊を使ってやる事があると言うのは、狐霊は人間に喋ったりする事が、非常に上手いので、そう言う場合に正守護神が狐霊を使うと狐霊が憑って色々喋るが、処が正守護神の命じた儘を言えば良いが、狐は――何しろ狐ですから、地金が出るんですよ。それで、余計な事を喋る。そう言うのをみると、狐霊だか本当の正守護神だ分らない事がある。之は狐だから本当にしちゃいけないと思う事もあるし、之は正守護神だから本当だと思う事もある。だから、喋る言葉によって、正しいか正しくないかを判断する。そして正しい処丈けを取れば、正守護神の思う通りになる。その見別けが難かしい――とも言えるし、常識的な判断をすれば、そう難かしくない。それをはっきり見極めるのが審神と言う。審神と言うのはそう難かしくないです。言う事が正しいか、正しくないかを判断するんですね。正しいか正しくないかを判断するにも意味がある。小乗か大乗かですね。小乗で良くてもいけない。大乗から見て正しいと言う事が、本当の正しさですから、その見別けですね。その点を、解る様に何時も書いているんですよ。大乗と小乗もね。ですから、何処迄も、信仰は大乗と小乗を基本として考えていくと間違いないですね。処が、一寸聞くと、小乗の方が本当の様に見えるんです。正しい様にね。
算盤と能率
(栄光一三六号)
私は今日の日本人をみると、どうも算盤を無視する事と、能率に就いての余りに無関心である事で、それを今警告したいのである。勿論右の二つは大いに関連があるから一緒にかくのだが、単に算盤と言っても金銭上に関するもののみではなく、他の面にもそれが大いにあるからである。然もこれは案外重要なものであって、この事に注意したなら、処世上大いに益する事は言うまでもあるまい。この点に関しては、どうも日本人は案外無頓着であって、時間の観念が薄く、計画性がなく、行き当りバッタリ式の人が殆んどといっていい位である。という訳で算盤を無視する結果無駄が多く、それが又能率にも影響するので、案外損する事が多い。その為仕事も面白くないから焦り勝ちになり、この不愉快が又能率に影響するという工合で、気附かないで大きなマイナスをしている。
そこへゆくと彼のアメリカである。恐らくアメリカ人位算盤をとる国民はあるまい。例えば戦争にしろ、極度に機械力を利用して、人命を損じないようにする行り方である。今度の朝鮮戦争にしろ、敵と味方との人的損害を比べてみると驚く程で、敵の損害百数十万に対し、味方の方は僅々十万に足りないという事である。又この間の太平洋戦争にしろ、日本人は肉弾を敵の軍艦に飛行機諸共打っつけたり、竹槍の練習したりする等、人命を粗末にする事甚だしいに反し、米国の方はどうであろう。たった数人の技師が飛行機一機を飛ばし、原子爆弾一個で、一都市を全滅するというのだからお話にならないのである。これも全く算盤を採る採らないの異さであるから、大いに考えるべきである。それというのも日本人は今以て昔の武士的根性の粕が残っているとみえて、算盤を蔑視する傾向がまだ大いにあるようだ。これが今日及び今日以後の時代に即して、如何に不利であるかは考えるまでもない。然も日本人中には今以て面目とか、痩我慢、御体裁などという空虚なものに囚われ過ぎる傾向がある。これが国家及び個人にとっての不利益は、割合大きいものがあろう。そうしてここで私の事を少しかいてみるが、私は宗教家に似合わぬ算盤を忘れない主義で、何よりも私のやり方をみればよく分るであろう。教修にしろ、御守にしろ、色々な会費にしろ、一定額を決めるようにしている。それで出す方も宗教にあり勝ちの思召などの面倒臭さがないから気楽であり、只除外例として任意の献金は受けるが、これも強請はしない方針になっている。この様な行り方は恐らく今までの宗教には余り見られない処であろうが、これが如何に本教発展の有力なる要素となっているかは言うまでもない。
右の様な訳としても、勿論細かい算盤は面倒であるから、大局的に見ての利害得失を忘れないようにしている。よく私の仕事振りをみて、アメリカ式などと言うが、私もそう思っている。全く算盤と能率に最も重きを置いているからである。そうして私は日常生活の上でも、その日一日の大体のプランを立てておき、予期しない事などある場合は、次の仕事で埋合せするようにしていて、出来るだけ予定を狂わせないよう気をつけている。そんな訳で普通の人が一日がかりでやるような仕事でも、私は一時間位で片附けてしまう。私の仕事が余りに速いので手伝う部下などいつも面喰い、悲鳴を挙げている始末で、彼等は明主様は特別な御方だから、到底真似は出来ないと弱音を吐くが、この考え方が大いに間違っている。勿論私のようにはゆかないまでも、その人の心掛次第では案外成績を挙げる事が出来るもので、断じて行えば鬼神も避けるという意気込みを以て、ウンと行るべきである。
(御論文「算盤と能率」のあとの御教え)
今ので大体分っただろうが、一番――人間が何かやる場合に肝腎なのは、急所を知る事です。鉄砲玉みたいに――敵を倒すのに一発で――だから、一発で敵にぶつかる様にする。そう旨くはいかないだろうが、それを、あんまり無駄玉を打ち過ぎるんですね。
私はつい二、三日前に――鉱山をやってますが――山に行ったんです。それで初めて分ったんですが、行って良かったと思ったね。何だか行ってみたくてしょうがなかったので行ったが、神様に行かされたんですね。やっぱり、全体から見て、全然見当違いをやっている。無駄玉やっている。一カ所丈けは、今月の月初めに急所をやる方法を指図したので、それはその通り準備してましたが未だ々々素晴らしい急所があったんですが、それは全然無頓着だった。尤も、そこの許可を受けたのは十日程前だから、後廻しにして居た。私は、許可を受けたらその日にやる主義ですね。それでそう言う素晴らしい処を発見した訳です。段々――考え乍ら帰って来ると一刻も早くやらなければならない。帰った晩に――十三日の晩に帰って来たが、以前の坑道精しく調べて帰れ、と言う電報を打った。十四日の朝電報を打ったが、調べて昨日かえって来た。私の思った通りで、直ぐに言って、こう言う風にしろと言った処が、二十一日迄待って頂きたいと言う。私は丁度映画があったので、聞きっぱなしであったが、映画を見て帰る途中、電話をかけて、あした行けと言った。それで二十一日迄に私が行(言?)った通りにして帰れと、すっかり指図したんです。そう言う事が、世間並のやり方と異る私の能率的な事です。私が昨夜言ったので、今朝行ったんです。そうすると十八、十九、二十、二十一――四日間節約した訳ですね。之が、今言う能率ですね。私のやる仕事ですね。だから、そう言う点が、見込みがついて良いと言う事になると、一刻も早くやるんですね。そうかと言って、急ってはいけない。急らないで、物の無駄がなく、急所々々をやっていくんですね。十三日に行った時に、一番の山の急所を発見したんです。だから、発見した以上は一刻も早く手をつけると言うやり方ですから、旨くいくのは当たり前なんです。そう言う事が普通の人は、割合のんきなんです。今の論文と言うのは、そう言う意味なんですね。
私は、随分仕事を沢山しますが、一々細かい話は出来ないんですがね。普通の人が十日もかゝる様な事が、大抵一日でやって了いますがね。一昨日、昨日も、東京に行きましたが、美術の事ですがね。二日間で素晴らしい事をやりましたがね。普通の人もある程度真似は出来るんです。何でも彼でも、急所を見附けるんです。浄霊でもそうですね。それで、急所を見附けるとそれをやる。一つの主義としてね。癖としてね。そうすると、案外早くいくんです。然し、無理にやってはいけない。何うして明主様はやらないんだら(ろ?)うと思う様な事がありましょ。それは、急所が来ないんです。それ迄は、のんきにして置いて、急所と時期が来たら疾風迅雷、素晴らしく早い、だから殆んど失敗しないですね。
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