(お 伺) 古田五男の長男春明(五歳)生れた時より、目が青黒くどんより濁り、全然見えないとも思われませんでしたが、三歳頃よりは絵本等も目の側迄持って来て、やっと赤白の見分けが、つく時とつかない時もある程で、殆ど見分け出来ません。其頃より目の玉の真中にチョボチョボが一杯出来、御浄霊を致しておりますと、真中で水腫れの様に白く腫れ上り、一皮むけば直ぐにでも見える様な感じが致しておりました。会長先生の御浄霊を戴き、中京別院にお詣りさせて戴き、少し良くなり、大きな物は二尺位先でもボンヤリ見える時もある様になりました。初めは伏せてでないと寝れず、太陽もまばゆくて見えず、始終下許り見て居りましたが、最近は大分良くなりました。御浄霊の方法及び今後如何させて戴きましたら宜敷いでしょうか。又、霊的に関係が御座いましょうか。私共夫婦は昭和二十一年七月入信させて戴き、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります。尚、この目の時一回丈医診を受けましたが、薬は生れてから一回も入れておりません。右御垂示御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は治りますよ。之は、目に毒が固まっているんですからね。之は大分溶けて出つつありますがね。大丈夫ちゃんと治りますからね。安心して居て良いですよ。霊的もありますがね。霊的と言うよりか、罪穢れですね。祖先の誰かが人の目を晦ますとか、そう言った様な目の怨みですね。その為に、その怨みの霊がつまり膿になって出るんですね。で、浄霊は目と後頭部の真中頃――そこを浄霊すれば良いんです。それから頸の廻りも、固まりがある処があるでしょうから、そこをやると、それで良いですね。
(お 伺) 伊藤兼行(三十八歳)二十五年二月精神異常となり、一家九人入信させて戴き、大光明如来様も御奉斎させて戴いておりますので、早速教会の先生に御浄霊を戴き大変良くなりましたが、御法難頃から親類の反対が激しく、本人が家を飛出したり、川に入ったり致し、弟迄も精神病院に九カ月入院し、ペニシリン四十本、其他を致しましたが、一向良くならず、身体全体に浮腫みが来ました。昨年五月末退院し、今日迄御浄霊を続けております。浮腫みも去り、食欲も普通となり、弟も今ではお縋り致しております。本人は昨今極めて無口で、倉庫(旧酒倉)に入りたがります。家族の者が御参拝に出ますと、落着きを失い、酒倉に入っていたり、縊死でもする様な様子になります。生来病弱で肺炎、盲腸炎、腎臓炎、十二指腸潰瘍、胃痙攣等を致してを(お?)ります。入信以前に六〇六号も致しております。入信後疥癬の御浄化を戴き、以来精神異常となる迄丈夫で仂いてを(お?)りました。先日一信者に、酒倉の中の蛇だと言って憑依し、今迄出来る丈邪魔していたが、どうしても邪魔する事が出来なくなったと申したそうです。それから落着きも出て、夜も良く眠れる様になりました。只今でも時々酒倉に入りたがるので御座いますが、蛇と関係が御座いましょうか。又御浄霊上の御注意戴きたく右御垂示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は蛇の霊ですよ。之は始終酒倉に居た蛇ですね。それで、酒倉に入りたがるんです。蛇が――殺された怨みですね。それですから、もう一息で治ります。大分蛇も弱って来ましたからね。それですから、眠れる様になった。
精神病と言うのは、最初は暴れて、それから無口になるものです。それから治る順序になるんですがね。ですから、そう言う順序ですからね。それから、蛇と――六〇六号ですね、之がいけない。六〇六号をやると、大抵頭が変になりますがね。そうすると、医者は、黴毒の為だと言うんですが、そうではない。黴毒を治そうとする六〇六号の為なんです。もう大分弱って来ているから、もう一息です。浄霊は前頭部――ここに一番憑るから、ここですね。それから頸の廻りですね。頸の廻りに必ず固まりがあるから、頸の廻りと――それですっかり治りますよ。然し、相当年月はかかります。三年や五年はかかると見なければならない。気がつくのは、もうじき気がつきますがね。それから又、気がついた様でも、又ヒョッヒョッと憑りますからね。それで、すっかり治るのは数年かかるものです。
(お 伺) 教師安田憲義(四十四歳)本年一月十日頃より全身的悪寒があり、肛門附近が奇形的に紅腫し二十三日肛門附近三個所、陰部二個所より、驚くべき多量の排膿があり、其悪臭は側の者が嘔吐する位で、其後続いて多量の排膿があり、高熱と食欲不振の為に相当衰弱し、二月になり右足の自由が利かなくなり、毎日午前三時頃無数の霊に頼られ、全身的痙攣をし、油(脂?)汗を流し苦しみましたが、善言讃詞を奉唱させて戴き苦痛はなくなりました。其後小鼻を打ち、視力衰え危篤状態となり、二月十日御守護御願い致し、紐状の膿を排泄し楽にさせて戴きました。その時死亡の場合を考え医診を受けますと、肺欠症と肛門周囲膿膢であると言われました。現在右足は多少動く様になり、排膿後は食欲は一杯半位戴き、視力は元通りになり、白色又は赤色のヌラ状の排膿が続き、排泄口は肉が盛り上がって参りました。三日前より左足裏に気味悪い熱さを感じます。右は痔瘻によるカリエスの膿の排泄で御座いましょうか。御浄霊の個所及び今後如何させて戴きましたら宜敷う御座いましょうか。尚、本人は八年前に入信し、光明如来様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります。
〔御 垂 示〕
肛門周囲――之は病名じゃない。説明だな。周囲に違いないからね。痔瘻によるカリエスなんてありませんね。痔瘻とカリエスは違います。之は結構です。体内の毒が肛門の附近や下に集まって来て出るんですから、之は上等ですよ。大変なお蔭だ。それに、峠はもう過ぎてますから、あとは日数の経つに従って、段々良くなります。あと、食欲だとか、みんな熱の為ですからね。結構です。もう少し経つとずっと良くなります。
それから痔瘻と言うのは、やはり頭の毒ですね。それが下りて来て肛門から排泄され様と言うんで、それを放ったらかして置くと、痔瘻なんかにならないんです。痔瘻はお医者が作ったんです。つまり切りますね。すると、お隣に腫れて来る。そうすると、又切らなければならない。すると、又お隣に腫れて来る。だから、終いに蜂の巣みたいになる。それに手術したあと、消毒薬をつけますからね。それが、又一つの因になって来る。あれは医療が作った病気ですね。カリエスと言うのは、肛門からは膿が出ません。臀部とか股とか――そう言う処から出ます。
(お 伺) 教師可児正則の妻すみ子(三十三歳)入信前ノーシンを服用致し居りました。昭和二十二年卵巣膿腫で手術し、全快しない中に妊娠した為にツワリが強く、体の衰弱もあり堕胎手術を致しました。それから肋膜で二カ年療養しましたが、良くならず、人に奨められる儘に色々致し、人骨を煎じて二カ月程飲みました。注射はザルブロ、ビタミン数十本を射ち少し楽になりましたが、今度は主人が喘息にかかり、その時より再度御浄霊を戴く様になり御守護戴き主人は税務署を辞して御神業にお使い戴く様になりました。大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴き、初めて農耕の手伝を致し、不思議に仂く事が出来ました。処が、首にグリグリが無数に出来、数回膿が出、今ではグリグリが沢山ある儘に口は塞がっております。昭和二十六年十月「大光明」の御守様を拝受致し、痔出血の御浄化を戴き、本年一月頃に左手に激痛が起り、皮膚は蝋細工の様な色となり、血色悪く、体はフラフラとなり、毎日御浄霊を致してを(お?)りますが、手の神経痛、腹部の痛み、腹の張り、胸の痛み、足の御浄化で、一進一退で御座いました。二月上旬より、痔の出血は止まり、通じも二回位で軽くなりました。二月十一日「大浄光」の御額を戴きますと、胃の御浄化で、咳が出、痰の様な唾の様なヌラや苦い水が沢山出ました。心臓が苦く床に就いております。現在は頭がガンとして胸が苦しく、胃が空の様な気が致し、口が苦しく足腰がだるくフラフラで、御浄霊を致しますと熱が出、咳が出ますが、痰が切れないので苦しみます。食事は軽く一杯三度食べます。尿も良く出、便通も御座います。右御垂示の程御願ひ申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は薬毒の浄化ですからね。色んなものが色んな形で出て来るんですから、その間辛抱していれば、段々良くなりますよ。こう言うのは、段々何時とはなしに良くなりますから、辛抱して居れば良い。別に何うと言う病気じゃない。入れたものが出る。それ丈の話です。それから痰が切れないのは、浄霊の見当違いをしている。だから、良く調べて見る。之は自分で体中触って、調べてみる。熱があるから、そこから痰が出るから解ります。解らなければ、御主人に体を触って貰へば良い。之も、峠を過ぎてますから、もう一息です。
(お 伺) 伊東房子(廿一才)昨年八月一日お盆のお参りを済ましてより、毎日午前九時頃から一時間程鳥膚が立ち寒気を催しますので、御浄霊致しますと楽にはなりますが、同じ状態を繰返します。九月に入信させて戴き、其後大変楽になりました(其間食欲は余り御座いません)本年正月より衰弱が目に見えて参り二月には床に就き、最近は腰から下は特に痩せて歩行も困難で御座います。微熱は御座いますが、さしたる苦しみもなく、午前三時頃から咳と痰を催す程度にて、食事は毎回一杯位で御座います。曾て中耳炎にてペニシリン数本致してを(お?)ります。叔父にあたる者三人程結核で死亡致しております。先日教会の先生より、長男として生れた叔父(二十一歳で結核にて死亡)の位牌がない事を教えて戴き、早速御祀りする事に致しました。霊的の関係が御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
これは肺病で死んだ霊が憑っているんで、出来る丈御神書を読ませる。都合で側の者が読んで聞かせても良いんですがね。そうして霊を救うんです。それで治る訳です。丁度やっぱり――色々、歩けなくなったりするのは、肺病で死んだ様に、体が色々になるんですね。だから、霊を早く救わなければならない。今言った様にして、浄霊は前頭部の中心ですね。そこを浄霊する。それから、あとは胸から背中と――そう言う処を浄霊するんですね。それで段々良くなる訳ですがね。で、その状態を、この次あたりに又、質問に書いて来たら良いです。それによって、又方法をします。
(お 伺) 米山伊左衛門(六十六才)昭和二十五年十二月頃より口中に痛みを感じ、医診を受け、血液検査の結果ワッセルマン及び沈降の強陽性の反応が現われ、二十六年七月迄に六〇六号十本、ペニシリン二十二本を射ちましたが、極度の苦痛の為に流動食さえ咽喉を通らなくなり、体は衰弱し、夜も苦痛の為に眠れず、医師は之以上の注射は不可能であるとて、レントゲンに八回かかりましたが何等の効なく、衰弱は加わる許りで、遂には舌癌と言われました。以後も苦痛を紛らす為に、強度の睡眠剤を相当量服用致しました。其後遠縁の者よりお道の話を聞き、早速御浄霊を戴き、徐々に快方に向い、九月頃は痛みも取れ、家族と同じ食事を摂る様になり、自転車にて教会にも行ける様になりました。早速入信させて戴きまして、其直後より再び悪化し、現在口中は、左側頬内部と下の一部が爛れ、外部には左側耳下に固結があります。顎は痺れ頭の左側、肩も左側が凝り、目の縁が爛れております。食欲はありますが充分食べれません。辛うじて流動食に近い物を摂っており、体は痩せ衰えております。口から特有の悪臭あるヌラを止めどもなく流し、呂律が廻りません。御浄霊は教会から来て戴き、家にても致してを(お?)りますが、最近は余り変化が御座いません。尚、宗宅裏側に六尺程の楠の古木がありましたのを昭和二十二年に伐倒しました。右御垂示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
沈降の強陽性――血沈じゃないかな。レントゲン八回――之は医者に病気を拵えられたんですね。実際、災難ですね。之は医学の被害者ですよ。この人の状態は――之は霊的じゃないですね。薬毒ですね。で、左が――ここら(左顔半面)一杯薬毒が寄って来たんです。ですから、それが段々腫れて行って、何処かに穴があいて出ますから、それで治るんですよ。だから、別に難かしい病気じゃないです。浄霊は誰がしているんですか。
「教会の先生と家でも戴いてを(お?)ります。長引いて参りました為、龍神の関係かと思われましたので――」
龍神じゃないですよ。薬毒ですよ。痛みは結構ですね。赤い処はないですか。
「中は赤くなっておりますが、外はありません」
口はあきませんか。
「時々あき、膿が出ております。」
結構です。癌じゃありませんよ。普通のオデキです。浄霊する人の霊力が弱いんだな。霊力が強いと、段々溶けて出ていきます。霊力が強いと、痛みはないんですよ。霊力を強くするには、力を入れない事ですよ。力を出来る丈抜く程霊力は強くなります。未だ、浄霊する人に力が入るんじゃないかな。あべこべなんだからね。力を入れると霊力が弱くなる。それから、舌とか口の中の色んなオデキですね。あれは、薬を飲むでしょう。薬を飲む度に粘膜からしみるんです。それが溜ってオデキになるんですね。私なんか、奥の方が痛いんです。喋り方が変でしょう。之は、昔薬を飲んだ時分――四十年前ですね――飲んだ薬が粘膜にしみ込んだのが、時々ここに出て来て痛むんです。そんなに、薬は恐ろしいものです。だから、口の中の全部のオデキは、そう言う風に思って決して間違いない。
【御 教 え】
「結核信仰療法」の、この前の続きを読ませます。
黴菌の発生
(『結核信仰療法』より)
前項に説いたごとく、結核菌は、自然発生であるとしたら、ではどこからいかなる過程を経て発生したかを、何人にも理解し易いよう理論物理学的に、理論心理学的にかいてみるが、何しろ見えざる霊を対象とするのであるから容易でない事は、今日まで何人といえども試みた者のないにみても明らかである。というのは事実の裏付が困難であったからでもあろうが、私は事実を根拠とした理論を発表するのであるから、たとえ唯物科学をもっていかに反対するといえども、打ち破る事は不可能である。
それについて前もって知っておかねばならない事は、世界というものの構成である。これ程進歩した現在の学問でも、そこまではいまだ判明していないに反し、私はそこまで徹底して説くのであるから、静かに心を潜めてこの文を熟読すれば、何人といえどもこの発見の偉大さに驚くと共に、医学の誤謬に目醒めない訳にはゆかないであろう。そうしてまずこの世界の構成であるが、それは一次元の物質界と、二次元の空気界と、三次元の霊気界との三段階から成立っているものである。ところが現在までの学問では、一次元と二次元の世界だけしか判っていないため、この二つの世界を基本として形成されたものが現代科学であるから、その点に一大欠陥があったのである。というのは右の無とされていたこの三次元の世界こそ、実は一切万有の力の根源であって、この力によって万物は生成し化育し、無限の発展を遂げつつあるのである。ところがそれに未知である学者は、現在の科学をもってすれば、何物をも解決出来得るとするこの科学過信の誤りが、三次元の霊気界を否定し、今日のごとき不具的医学を作ってしまったのである。その結果今までに種々説明したごとく、表われた病気症状を抑えるだけで、根本的治病は不可能なるため、結核は減らないのである。
右のごとく根本から外れた医学としたら、進歩すればする程横道に迷い込んで、枝葉末節に囚われてしまい、すべての病原を黴菌にしてしまったのである。その証拠には甲の病気を解決しようとすれば、乙、丙の病気がおこるというように、ただ形を変えるだけの事で、これが余病である。さて論旨を進めて右の霊界と人間とは一体どういう関係にあるかというと、もちろん人間といえども右の三段階中の存在である以上、肉体は物質であり、水分も空気でヤハリ物質であるが、今一つの見えざる霊こそ実は人間の本体であって、これが病気の発生源である。ところが唯物医学は病気とは肉体だけのものと思い、一切の病原を肉体に帰し、外部からの黴菌浸入のためとの、言わば外敵説に反し、吾々の方は内敵説であり、医学の感染説に対し、吾々は自然発生説である。しかし外部説は機械で分かりうるが、内部説は分かり難いため、今日のごとき迷妄に陥ってしまったのである。それを以下順をおって解説してみよう。
ここで一体人間の霊なるものは、何であるかというと、科学的に言えば非常に密度が高く超稀薄なものであって、現在進歩した原〔電?〕子顕微鏡でも、到底見る事は出来ない程の超々極微粒子であるにもかかわらずこれこそ前記のごとく人間の本体であるから、全く想像もつかない程の神秘幽幻なものである。この理によって病原の最初はこの霊の全部または一部に曇りが発生する。曇りにもその原因に二種ある。一は人間が犯す罪穢によるものと、二は薬毒によるものとである。前者の罪穢とは言うまでもなく因果説に属するもので、人を苦しめるとか、社会を毒すとかいうつまり悪の行為からであり、後者の薬毒とは先天性のそれと後天性のそれとの合併したものであるが、それは別の項に譲るとして、ここでは曇りそのものについてかいてみるが、曇りの本質はちょうど大空の雲のごときもので、言わば水素の密合体である。これにも不純性と純粋性があり、後者は晴れた日の鱗雲や段々雲に等しいもので結構だが、前者に至ってはいずれは風雨発生して払拭されなければならない。これが天体の浄化作用であって、人間の病気もそれと同様であるにかかわらず、それを知らない医学は、せっかくの浄化作用を停止するのであるから、この不純性の曇りは漸次濃度を増してゆくと共に、ここに一種のバクテリヤが発生する。これは無機質植物性のごときもので、時の進むに従い段々生育し、遂には有機質に変化する。この有機物こそ黴菌の卵であって、この卵が時を経て一人前の親となり個性となって、初めて顕微鏡で見得る程度になるのである。この理を知ったなら彼のウイルスも分かるであろう。すなわちウイルスとは右のごとくまだ親にならない黴菌の子供であるから、顕微鏡では見えないが、確かに育って親となり病原となるので、これは学問でも認めている。
以上の理によって根本的に病気を治すとしたら、右のごとき黴菌の発生源である霊の曇りを解消する以外に、真の治病法のない事は明らかである。としたらこの原理こそ現代科学の水準よりも、遥かに高度である事も認識出来るであろう。ではその曇りの解消はどうすればいいかというと、私はこの方法を神から教えられあわせてその力をも授けられたのであるから、本著の付録〔略〕に見るごとき、素晴しい実績を挙げつつあるのである。以上のごとく私は病理の根本にまで突き進んで説いたのであるが、なお一層深く解説したいが、そうなると宗教的分野に入り、第三者には信じ難いから、ここでは出来るだけ科学的に解り易く説明するつもりである。
それについての曇りの解消とは一体どういう意味かを説明してみるとこうである。すなわち施術者は患者の患部にむかって掌をかざすや、施術者の掌から一種の光波が放射されるのである。ではこの光波とは何かというと、分かりやすく言えばこれは太陽の精であって、私はこれを火素と名付けた。すなわち空気の本質は水素であるに対し、霊気の本質は火素であるからで、もちろん火素といえば火には違いないが、人間が現在目で見、熱く感じるそれは火素の体であって、右の火素とはつまり火霊である。この火霊が人霊の曇りに向かって放射されるや、曇りの中の不純分子だけ焼尽され、その灰に相応する分子が排泄物となって体外へ排除され、純粋分子は漿液中に混入されてしまい、ここに曇りすなわち病原は解消されるのである。
では本教信者になると、このような治病力ある火霊が、なぜ放射され得るかというと、これは信者が首に掛けている御守から発する光波である。この御守というのは私が書いた文字で、光、光明、大光明の三種あるが、これこそ主の神(エホバ)の神霊が、私の霊体を中継として御守に伝達され、御守から信者の掌を透して放射されるのである。しかしこの説明を聞かされても、すぐに信ずる事は出来まい。むしろ反感を抱く者さえあるかも知れない。そんな馬鹿な事がこの世の中にあってたまるもんか、インチキにも程があるとするかも知れないが、それも無理とは思わない。何となれば有史以来、かくのごとき超物理的例はないからである。しかし事実はあくまで事実であり、百の議論よりも一の事実にしかずである。これを一言にしていえば、いよいよ天の時来って、神は人類救済の大任を私に命じられたのである。その一着手としての医学の革命であるから、この事を知ったなら今私の行っている事は、何ら不思議はないはずである。
以上のごとくこの項はすこぶる神秘的な説明になったが、これは神秘でも何でもない。実は純然たる科学である。ゆえにこれを読んで神秘と思われるとしたら、それは現在科学のレベルが低いからで、将来一層も二層も進んだ暁、容易に理解出来るのはもちろんである。そこに到って初めて科学と宗教との一致点が見出され、真の文明は生まれるのである。そうして今日口を開けば学問の目的は、真理の探究にありとしているが、私からいえば最早真理は発見されたので、その解説がこの著である。
ここまで説明してもなお信ずる事は困難であろうが、そもそも真理とは何かというと、端的に言えば現実そのものである。たとえば東から太陽が出るのも、人間が生れて死ぬのも現実であって真理である。としたら私が説くところの神秘な説といえども、理想でも桁外れでもない。現実そのものである。まだ色々言いたい事があるが結核問題とは段々離れてしまうから、このくらいにして置くとする。
(御論文「黴菌の発生」のあとの御教え)
之は、以前私は黴菌と言うのは大したものだと言いましたが、その説明です。黴菌と言うのは結果なんだから、結果の――黴菌が染るとか染らないとか、大騒ぎをやっているのが医学なんですからね。今の説は、黴菌は何処から何うやって発生する、と言う事を説明したんです。浄霊ですね。こうやると、ここ(掌)から霊光が放射されますが、之は光の霊なんです。ですから、ピカピカ目に見える光は、光の体なんです。で、光の霊は今言う様に、目に見えないが、光の体より強いんです。光の体丈なら、レントゲンとか電気とかでやれば治る訳なんですがね。光の霊と体は、反対の働きをする。霊の方は毒素を溶かすんです。体の方は固めるんです。ですから、レントゲンとか太陽燈は、光の体ですから、毒素を固めるんです。レントゲンなんかかけると、豆粒の様にコチコチに固まるんですね。霊の方は溶かすんです。それで、之(浄霊)でやると、霊が行って、霊の曇を溶かすんですね。溶かすと黴菌が発生しなくなるんです。霊の曇と言うのが黴菌の因ですからね。ですから、こう(浄霊)やる事は、黴菌を殺すことでなくて、黴菌の発生源をなくする事です。ですから、その点丈でも素晴しい進歩をしている訳ですね。処が、医学の方では、薬毒で、むしろその曇を増やす様にしているものですね。薬毒の曇と言うのは、薬を作って、薬から黴菌を発生する様にして――黴菌は医学が作っているんですね。そうして、その黴菌を殺そうとして一生懸命やっているんですから、恐らく、愚と言うか無智と言うか、例え様もないですね。そう言う事も説明して、いずれ目を覚まさせるんですがね。そこで、病気を無くす――病気を治すと言う事は、今言う曇を取る事よりない。曇を取るには、霊の光を放射するよりないんだからね。それを先づ(ず?)解らせるのが一番ですね。そうすれば、医学と浄霊と、比較が根本的に違うんですね。根本的に違うと言うより、こっちの方は、病気の根本を治す。先の方は病気の根本でなくて、結果ですね。現われたものですね。丁度、同じ理屈ですよ――今、不幸な者が出来ると、それを社会事業――色んな救貧事業、慈善事業、養老院、孤児院だ。何だ彼んだ色んな、保険とか――健康保険とか、災害保険とか色々ありますが――そうしてやってますが、丁度医学と同じです。あれは黴菌になったのを殺しているんです。不幸な人間が出来ると言う事が因なんだから、即ち霊の曇ですね。それを取れば良いんだ。それに気がつかないのと、気がついていても不可能なんですね。だから、メシヤ教と言うのは凡ての因を解決しているんだから、因を解決すれば、病貧争絶無の世界が出来るんだから、理窟はそう難かしい事はないんです。今の、社会事業と宗教事業のは、今度の新聞に出しましたがね。この前に読んだですね。だから、浄霊に就ては、未だ信者に入らない人に対する説明ですね。今言った様に説明してやれば、大体解ると思いますね。
それから、今三軍備問題が非常に喧ましい。それに就て一寸書いてみたいんですがね。
(御論文「再軍備に就て」)
再軍備に就て
(不明)
之は一寸面白い言い方なんですけれどもね。
(御論文「ジャーナリストには言論の自由なし」)
ジャーナリストには言論の自由なし
(栄光一四八号)
この標題を見たら、恐らく何人も首を傾げるだろうが、これが本当だから、次を読んで貰いたい。それは、政治上の党派とか宗教とかいうものは、賞めてはいけないというのが言論機関の建前となっているそうだから、少しでも賞めようものなら〝彼奴は何かあるに違いない、屹度貰ったんだろう〟という疑念を抱かれるそうである。成程そう思ってみると分るが、本教の記事などが時々新聞や雑誌に出る場合、殆んどそういう書き方である。
だから早く言えば、仮令我々の方にどんなに善い事があっても、ありのまま賞める事はないわけである。としたら、成程悪い事だけは悪いと言えるが、善い事は善いとは言えないのだから厄介だ。つまり悪いことは悪く言い、善い事も悪く言えば差支えないのだから、変なもので、悪口だけは天下御免である。このように、善い事を善いと言えないとしたら、全く言論の自由はないわけである。だから、仮に本教を賞めでもすると〝奴は屹度貰ったんだな〟と睨まれるので、ウッカリ出来ない。そうでないとしても駄目だ。〝奴はメシヤ教にカブレやがったからもう駄目だ。仕方がないから馘だね〟という事になり、忽ち失業者となってしまうので、実に気の毒な職業である。だから悪口の好きな人はいいが、公平に見る人は勤まらない事になるのは勿論である。よく宗教記事を見ると、必ず軽蔑的冷かし半分、人を小馬鹿にしたようなかき方であるが、これが社会的通念となっており、かなり酷く書かれても敢えて気にする者も、咎める者もないので、いい気になって脱線したのが彼の○○氏で、名誉毀損の告訴をされたのである。このようなわけだから、本教の内容も知らず、新聞記事の内幕なども知らないので、新聞雑誌の記事を見て、本教をインチキ邪教と思い込むのも無理はないのである。とはいうものの、事実新宗教の中には随分如何わしいものも沢山あるから、それらと同列に見られるのも致し方ないとも言えよう。
ここで序だから、これに関連のある今一つの事を書いてみるが、それは社会的地位のある人程用心深く、本教信者にも大臣級や博士、有名作家などもいるが、どうも秘密にしたがるので、我々の方でも秘密を守るようにしているが、時には信仰を止めたのかと思っていると、意外にも蔭で熱心にやってる例などもよく聞くが、先日も元国務大臣を何回もやった人で、現在政界でも噂に上る程の著名人であるが、この人などは一寸変っている。それは、数年前一家族全部入信した程の熱心家であったのが、暫くするとピタリと来なくなってしまった。処が最近分った事は、この人は、本教が以前浄化療法時代に入った人で、その後宗教団体になったからやめたというのである。それで分った事は、政界人としては新宗教の信者になるなどは、大いに名声に影響を及ぼすからであろう。右は一例であるが、そういう人も随分あるようだ。これにみても、新宗教は如何に社会的信用が薄いかが分るのである。
以上のような種々な障害があり乍ら、日に月に、見らるる如く発展を遂げつつある事実をみれば、本教の力の如何に偉大なるかが分かるであろう。
之は未だ一寸書足りないですが、非常に為になる事だから、良く聞いて――
(御論文「神様が発展の調節」)【註 栄光一四七号】
神様が発展の調節
(栄光一四七号)
これは信者は誰しも思う事であるが、救世教位素晴しい宗教はあるまい。これ程進歩した医学でも治らない重難病が、片端から治ってゆき、又色々の有難い奇蹟が続々顕われ、全く一家全部が救われて天国となるので、今までこれ程偉大な宗教は見た事も聞いた事もないので、どうかして一人でも多くの人に分らせ、自分のように安心立命の境地にしてやりたいというのが、誰もが痛切に思っている事であろう。
中には余り思い過ぎて凝乎して居られず、随分熱心に親戚、知人、友人等に勧めるが、中々オイソレと信じようとする人が少いので、これは俺の説き方が悪いのか、それとも神様の思召に叶わないのか、自分に罪穢が多過ぎる為ではないかなどと、気を揉む人も随分あるようである。又支部長などで、どうも思うように発展しないのは、何処かに原因があるに違いないから、それを知りたいと考え、喘ぐ人もあるのをよく耳にするが、これも無理はないが、それに就いて私の経験をかいてみよう。
私が最初この仕事を始めた時には、宗敎ではなく民間療法であったから、今でさえ医学の間違いや薬は毒だ等と言っても誰も本当にする処か、頭脳を疑われる位だから、況してやその頃としてはウッカリ医療に就いての非難めいた事を言うと、直ぐ警察から喚び出されるので危くて仕方がない。そのような凡ゆる困難の中を、兎も角切り抜けて来たのであって、それが今日の発展の土台となったのであるから、よく考えてみれば、如何なる職業でも三年や五年で一人前になるのは滅多にない。どんな職業でも先ず十年以上かかるのは通例で、世間を見ればよく分る筈である。にも拘らず、本教信者となるや、一年も経たない内に立派な先生となり、相当の収入も得らるるので、恐らくこの様な素晴しいお蔭はないであろう。それらもよく考えてみるべきである。
そうして本教は地上天国を造るのであるから、何よりも先ず自分一家が天国にならなければならない。それには先ず自分自身の心が天国になる事で、心の天国とは心に苦悩のない状態である。という訳で焦るのも苦悩なら、思うようにならないと煩悶する悩みも地獄であるから、少くとも苦悩から脱却する事である。つまり心の中に地獄を作らない事である。それに就いて心得べき事は従来の凡ゆる宗教は信仰の苦しみを良いとしている。中には態々苦しみを求める信仰さえある位で、世界的大宗教であるキリスト教ですら、歴史をみれば、殆んど苦難で開いている。そういう事が一般人の頭にあるので、本教信者になってもそれが附纏って離れ切らない。
右は全く今までの世の中は、夜の世界即ち地獄世界であったから、仮令立派な信仰者となっても、地獄の苦しみから脱却出来なかったのである。処が愈々夜は終りを告げ、ここに昼の世界とならんとしている今であって、然も本教が指導者となって天国を造るのであるから、前述の如くどこまでも地獄を造らないよう、天国を心の中に築く事である。
(御論文「神様が発展の調節」のあとのみ教え)
一昨日ですが、今度アメリカから帰って来た人で、この人はサンフランシスコの講和記念の美術展覧会――あの仕事の中心になっていた人ですがね。あっちで色々の世話をやいて、品物なんかを選んだり、送ったりする事をやって――繭山と言う人ですが、之は支那陶器では第一人者で、半分位骨董的な仕事をして、あとそう言った様な貿易をしている。ですから殆ど、あっちの美術館なんかにある日本品は、その人が預かっているんです。それから、アメリカの人に色んな説明なんかを色々やったんですが、この人も今後こっちの美術館の支那陶器を大いに手伝う事になってますが、その人の話と――あっちの美術館のカタログとか、そう言う物を沢山持って来て、私は一通り見ましたけれども、感心する物が無いですね。殆ど、日本品なんてのは贋物許りと言っても良いですね。本当の物は無いんです。随分ひどいです。で、アメリカの人も最近になって、非常に変って来たです。以前はアメリカ人なんて言うと、ケバケバしい、唯パッとしていれば良いと、それに贋物を作って随分送ったんですが、最近随分変って来て、サンフランシスコなんかでも、一カ月の会期で二十万人から来たんですからね。そんな訳で、大いに開発されて、大分評判が高くなった訳ですね。そんな訳だから、非常に日本美術に憧がれて、是非今年もやって呉れと言うんで、愈々日本でもやる様ですがね。サンフランシスコに出したのなんか博物館で見ましたが、一級品は殆どないんです。二級品三級ですね。それでも、向うでは大変な騒ぎだそうですからね。それから、支那の絵なんかも、写真で見ましたが、之も古いのは殆どないですね。みんな現代画ですね。康熙、乾隆―二百年以上前位からのですね。どうして、支那の絵と言うと宋元ですから七、八百年前ですから、それは無いですね。良い塩梅にそれは日本には沢山あるんですからね。今度の美術館も――何しろ狭いから沢山は出せないが、出せる丈出しますがね。東洋美術としては、支那の陶器と銅器ですね。之は良い物がある。やっぱり美術館の一番良いのは、ニューヨークの州の美術館ですがね。之は、良いと言うよりか、広く色々揃っているんですね。その次がボストン、ワシントン――それが主なものですね。ボストンは日本の絵画が多いですね。之は四、五十年前に岡倉天心と言う人が、顧問になって、日本から入れました。大した物は行ってないですね。大体版画ですね――浮世絵ですね。その時分は、日本の古い物なんかを――幾らか手加減したのと、その時分はあんまり売物がなかった為ですね。それで、日本の品物でアメリカに在る一番良いのは、ボストンの美術館にある。藤原時代に出来た平治物語と言う巻物です。三巻です。之は良い物ですが、三巻の中の一巻がアメリカに行った。富田幸次郎と言う有名な人ですが、この人があっちに頼まれて、今から三十年前――その当時十四万五千で売ったんですね。随分大したものですね。それを非常に大事にしているんです。美術館の部屋の真中の処に棚を作って――よく、博物館なんかの巻物の様にして――不断は布を被せて置く。何故かと言うと、光線が当ると、幾らか色が悪くなる。退色すると言う懸念でね。見たいと言うと、看守が一々来てまくって見せる。見たら又かける。その位大切にしているんですね。それが日本の美術としては、アメリカでは最高の物ですね。処がそう言う様な物は、日本には――そう沢山はないが、相当あるんです。即ちそれよりもっと良いんで、伴大納言と言う人の画いた絵巻物があるんですがね。それよりも更に良いのには、天平時代に出来た因果経と言う、上に絵が画いてあり、下にお経が画いてある。之は巻物では一番良い物なんです。二百三十行とかいう行があるのですが、あんまり高いので分割したんです。分割して―五十四行宛に分割して、あとは二十、三十、十行宛位に分けたんです。天平時代ですから、千二百年前です。千二百年前に画いた絵が、今画いた様にはっきりしてます。緑青なんかはっきりして、不思議なものです。その位日本の美術品と言うのはアメリカで貴重にして居ると言う話をした丈ですがね。時間がないから、話はその位にして置きます。
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