二月十五日

(お 伺)松永嘉一郎(昭和二十五年四月入信。四十八歳)昨年四月胃の御浄化を戴き、十二月二十六日小康を得、出勤出来る様になりましたが、一月四日再浄化を戴き、食欲が減り次第に衰弱の度が加わって参りました。特に夜一時から二時頃迄毎晩胃部に激痛を覚え、耐え難い事も御座います。此様に毎晩定まって痛むのは、何か霊的の原因が御座いましょうか。一家入信させて戴き、御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いてを(お?)ります。将来至極健康で、昭和十八年四月胃潰瘍で大学病院に二週間入院し、手術すると言われ退院し、断食療法で全快致しました事が御座います。右御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 この人は何の位薬をやっているんですか。

 「殆ど飲んで居りません様で御座います」

 薬を飲んでいなくて、胃潰瘍になるのは変ですね。胃潰瘍と言うのは薬で作るんですね。霊的と言う事は、ない事はないが、胃が痛むと言う事は滅多にないですね。子供のうちに飲んでいるんじゃないですか。

 「精しくは存じませんので―」

 必ず飲んでますよ。聞いてご覧なさい。背中を浄霊しているんでしょう。何でもなく治るんですがね。背中に固まりがありますね。

 「長崎県の信者で、専門の教師が居りません為に、信者さんが致してを(お?)ります」

 浄霊に力が入るんじゃないかな。力を抜いてやれば、何でもなく治りますよ。之は確かに薬毒ですよ。子供のうちかに、必ず飲んでますよ。漢方薬かも知れませんね。

(お 伺)石井さだ(七十歳)三年前の暮より正月にかけて、胃の御浄化を戴き、其後左乳(以前手術した個所)が「しこり」となり、痛みは殆どありませんが、「しこり」は日増に大きくなり、瘤立って参りました。昨年五月十日中教会本部の一週(一周?)年祭に御詣りさせて戴き、その「しこり」の個所から毒血が出始め、毎日朝夕二回御霊紙を戴き、御守護により野良仕事に障りなく仂いてを(お?)りました。同年秋季大祭に御参拝させて戴き、其後左鼠蹊腺部より膝にかけて吊れ気味でした。此頃より「しこり」の部分が、内側に凹んで参り時々痛みを感じてを(お?)りました。十一月頃には左脇下にも一個所「しこり」が出来始め、次第に大きくなりました。又乳の方の「しこり」の中央部は、最初灰色でありましたのが、段々取れて凹みを帯びて参り、穴になって参りまして、廻りの一部分は乾き始めました。足の方の御浄化は強くなり、床に就き切りとなり、寝起きも自由にならず、食欲不振となりました。本年二月には延髄より右耳下腺にかけて御浄化戴き、左足は伸縮が出来なくなりました。十二日夜悪寒を感じ、三十分位にて収まりましたが、翌日は前よりもひどい悪寒を感じ、足も疲れて痛み、又吐気を催し(黄色の水と白色のヌラ)相当量排泄致し御守護御願いさせて戴きました処、同時刻に楽にさせて戴きました。十四日午後より、又前と同じ症状で、足の痛みは強くなって参りました。尚、この家の庭にある数十年の欅を切り倒しましたが、代りの木を植えておりませんが、之と関聯が御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 足も疲れて――吊れてだろうね。之は、木とは関係ありませんよ。之は薬毒ですよ。以前手術した個所――この手術の時の消毒薬ですよ。それが体の方々に固まって、その痛みですからね。之は中々しつこいんですよ。ですから、その痛む個所を其都度御浄霊して、そうして少しづ(ず?)つ少しづ(ず?)つ治っていくんです。原因はそれなんですからね。迷わずに、その通りに思って根気良くやるんですね。そうすると少しづ(ず?)つ良くなる。一度手術した消毒薬と言うのは大変な害をするんですからね。

 「手術した処が排膿し、乳癌かと思われる様で御座いますが―」

 癌は膿は出ないんですから、薬毒ですよ。癌と言うのは、膿じゃないんですよ。あれは別の物です。ですから膿の出る物なら安心なものです。気長にやれば大丈夫なものです。

(お 伺)田附健蔵(昭和二十三年入信、五十三歳)御神体、御写真、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります。胃潰瘍にて再三御垂示戴いてを(お?)りますが、一昨年十月より特に御浄化激しく、現在に至る迄毎日痛み続けで、毎月平均三回位(一回の吐量一升から一升五合位)の異物を吐いてを(お?)ります。色は白色膿の様なものと、濃い緑茶色のもので御座います。入信前の内服薬はゲンノショウコ約半年、正露玉五瓶位、消化剤、鎮痛剤等で、注射薬としてモヒ二、三本、六〇六号十本、他にキニーネ数服、卅年前淋病にてケンゴール外一種の薬を三カ月服用致しました。又、軍隊の当時予防注射等を致してを(お?)ります。現在の状態は、背部の痛みが、左胃の背部から腎臓部にかけて特に痛み、右側も時々痛みます。腎臓上部の痛みが特に激しい様で御座います。腹部は臍下より左横隔膜より鳩尾にかけて特に痛み、左横隔膜に特に激痛を訴えます。熱はなく、ある時でも微熱です、緑茶色より白色膿状の様な物を吐く場合特に激痛があります。入信以来現在迄に吐いた異物の量は相当になります。激痛の折は板の如く固くなり、絶えずヌラが上って参ります。小水を致します時尿管が痛み、それが腎臓部に通じ横隔膜の処に痛んで参ります。小水は常に膿の様に濁ってを(お?)ります。食欲は偏食勝ちで御座います。要求する物を偏食させても宜敷う御座いましょうか。一昨年「浄力」の御守様を拝受致しましてより、特に御浄化激しく、現在未だ「光明」の御守様は拝受致してを(お?)りません。妻も共に入信致し居り、二十四年頃出張所として御使い戴いてを(お?)りました。子供は一人も居りません。御浄霊は教会と離れている為に、他の教会の教師の方に御浄化の激しい時に戴いてを(お?)り、不断は妻がさせて戴いてを(お?)ります。入信以来大小の痛みの切れ間が御座いませんが、御浄霊の急所がはずれている為で御座いましょうか。御浄化の激しい場合に御浄霊致しますと、必ず一時痛みが激しくなります。痛みの激しい時に異物を吐きますと、一時楽になります為に、口中に指を入れて人工吐瀉致しますが、如何なもので御座いましょうか。此為に御浄化を長引かせているのでは御座いませんでしょうか。御霊紙は毎日戴いてを(お?)ります。激痛の場合は一日に十数回御浄霊させて戴いてを(お?)りますが、それで宜敷いでしょうか。不断は一日に二、三回程度で御座います。

 

〔御 垂 示〕

 尿管が痛み――尿の中の薬毒が粘膜にしみる訳ですね。偏食をいけない様に思いますが、決してそんな事はないですよ。偏食は結構ですよ。医学の方でいけない様に言うんですが、本当言うと偏食が健康に良いんですよ。一番、偏食でいいのは鳥ですね。カナリヤなんか(ヒエ)許り食べている。偏食と言うのは、体が要求するんですからね。要求するのは、必要だから要求するんです。結構だから、偏食は大いにやりなさい。人間は偏食するのが健康になるんです。

 農作物がそうですね。一つ物を作ったら、段々穫れて来ます。それに対する土が、それを要求する精分が出来て来るんですから、うんと出来ます。

 御守は取替えると良いです。今の浄化は強いですから、本人に強く来ます。人工吐瀉――本当はいけないですね。無理に吐かせるのはね。でも、大して悪い事はないです。でも、そうやると、唯癖になって、この次から吐き方が悪くなるんです。御浄霊――之は幾度やっても良いですよ。肺病丈は一寸何ですがね。他の病気は浄霊する程良いんです。

 「見て居られない程の激痛で、激しい時は一昼夜位続きます」

 そんな筈はないがね。誰が浄霊しているんですか、光明如来様は御祀りしてあるんですね。

 「大光明如来様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります」

 もう治らなければならないがおかしいね。無論薬毒ですがね。うんと薬毒があるんですよ。で、浄霊に力が入るんじゃないかな。注意したでしょうね。背中をやっているんですね。之は無論背中ですよ。

 「今度の御浄霊法は良く申してを(お?)ります」

 未だ然し、力が入るんだ。さもなければ治らなければならない。もっと力を抜く様に言いなさい。そうして背中にあるから、そこをやる。そうして、力を入れなくて、向うに通る様にね。之は難かしいんですよ。力を入れなくて、それで向うに通すんですからね。それから偏食は結構だ。一つ物を食べるのは結構だ。

 「チョコレートを食べ、その為に痛みが来たと思われます事が御座います」

 それは、食物のせいじゃない。薬毒が、其処に出て来ているんですから、そんな事は問題ではないんです。何しろ、余程(たち)の悪い薬が入っているんでね。

 「御浄化が激しくない時には普通食で宜敷いでしょうか」

 良いですよ。こう言う人は良くありますよ。それで、漢方薬に多いですね。

 「最初は洗面器に六杯御座いました」

 大変なものですよ。或る峠迄行って、越すと段々良くなりますが、この人は峠を未だ越してない。こう言う人は峠が幾つもあるんですよ。そう言う風にやれば、段々良くなりますよ。そう難かしいものじゃない。

 

【御 教 え】

 二、三日前アメリカで――あっちの大学に入っている人ですが、勉強の傍わら大いに浄霊や宣伝をやっている学生ですね。其人から時々報告が来るんですが、二、三日前に来た報告によると、アメリカは結核が大変なんです。処が、日本の色々な報告を見ると、非常に結核は減ったと言っている。医学の報告によると、百人に六人の割合と言ってます。処が昨年の統計では、結核で死んだ方が、他の全部の死亡者の合計より多いと言うんです。大変なものです。それに就て私は、今度「結核信仰療法」に書きましたが、ストレプトマイシン、B・C・Gで一時抑えつけるから、一時止まるんです。それは結核が延期したんだから、いずれは悪性な結核が発生する。と書いてありますが、アメリカは丁度それになっているんですね。抑えつけていたが、それが抑え切れずに、一時に発生したんですね。日本はその次になりますね。数年のうちにそうなる。ですから「結核信仰療法」を翻訳してアメリカあたりにも、読む様な適当な方法をする積りです。之は可成り――結核療法は徹底して書いてあるんです。何にも遠慮しないで書いてあるんです。一寸でも向うから、突っ込んで来られない様に書いた積りです。私は随分この原稿には、特に念を入れて書き直したりして、やっと大体出来上ったんです。で、之は来月か再来月あたり出版して、之も先ず、医科大学とか大病院、結核療養所、勿論両院議員から各大臣――そう言う方面に配付する積りですがね。之は、農業特輯号なんかと違って、もっとずっと驚く訳ですね。一度はやらなければならないですがね。もう、そう言う時期が来ましたからね。先ず第一歩として之をやるんです。之は一通り続けて読む積りですがね。結核と、医学に関して徹底的に書いてありますからね。今日は最初の方丈読ませます。

 

(御論文「結核信仰療法 序文」)

序文

(『結核信仰療法』より)

 本著は結核医学に対する原子爆弾であり、医学の革命書であり、天国の福音でもある。何となれば現在迄に於ける医学的結核療法は根本的に誤っているからである。というと何人も驚くであろうが、之が現実である以上そう言わざるを得ないのである。そうして本当の事を言えば、医学が結核を作り、結核患者を増加しているという信じられない程の事実である。見よ政府も専門家も、年々巨額の国帑(こくど)を費し、施設万端出来る限りの手段を尽しつゝあるに拘わらず、年々増加の傾向にさえあるので、此儘の方策を続けるとしたら、表面の数字は兎に角として、事実は増えるのみである。成程最近は相当減ったと云われているが、実は本当に減ったのではなく、薬物其他の方法での一時抑えの為であるから、何れは形を変えた病気か、或は悪性結核続出となるのは、火を()るよりも明かである。而も此病気は青年層に多い以上、重要産業にも大いに影響を及ぼし、国力の低下は免れないとしたら、早急に解決しなければならない重大問題である。

 私は此事を二十数年以前発見し、其後数万以上の患者に実験の結果、動かすべからざる真果を認めると共に、現在毎日私の弟子をして、幾万の患者を救いつゝあるのであるから、此空前にして劃期的療法を普ねく知らせ、結核に悩める大衆を救うべき念願の下に、先づ此著を最初の一弾とするのである。勿論之程進歩した現代医学を、真向から否定する以上、如何に絶対確信があるかを認識されたいのである。

 右の如くであるから、此原理を信じ実行に移すとすれば、結核は年一年漸減し、遂には無結核日本否世界となるのは、断言して憚らないのである。而も費用の点に至っては零に等しく、仕事も休まず、感染の憂いさえないのであるから、之程理想的医術はないであろう。事実今日社会全般をみる時、結核という嵐の中に身を置き、危険に晒され乍ら、どうしようもない惨状を見る私は、到底晏如としては居れないのである。といって政府始め専門家、一般社会に知らせようとしても、中々簡単にはゆかない。何となれば此原理が宗教人から出たという理由で、科学万能に囚われている現代人としては、容易に受け入れ難いからである。そうかといって此儘で進むとしたら、国民保健の将来は、果してどうなるであろうかを考える時、実に寒心に堪えないのである。

 (此著は医科大学を始め、大病院、療養所、専門家、各大臣、国会議員、新聞社、関係方面へも出来るだけ配布するのは勿論、世界的には英訳して、ノーベル賞審査委員会、各国の大学、大病院、医学関係方面に、広範囲に頒布するつもりである)

 

(御論文「医学が結核を作る」)

医学が結核を作る

(『結核信仰療法』より)

 標題のごとく、結核は医学が作るものであると言ったら、何人も驚倒してしまうであろう。事程それ程医学を信じ切っているのが現在の社会である。そうして序文にもある通り、私は二十余年以前結核医学の盲点を発表したが、その当時は言論の自由がないため、思い切ってかく事が出来ず、かなり加減してかいたので、不徹底は免れなかったし、その頃は今日程結核問題もやかましくなかったから、それでもよかったが、今日はどうであろう。衆知のごとく事実は国家の最大問題となっている。今年から行う事になったという結核に対する施設及び、その他の国家的負担は千億に近いというのであるから、民間費用を合算したなら、実に驚くべき巨額に上るであろう。そこで深く考えてみるべきは、なぜこのような事態に立到ったかという事である。もちろんこの問題に対しては余程以前から政府も専門家も大わらわになって、あらん限りの対策を練り努力しつつあるにかかわらず、今もって見るべき成果がなく、近来相当減ったとしているが、これはB・C・Gやストマイ等の新薬が出来たため、一時的発病の勢いを挫いたまでで、根本的でないことは医学でも認めている。何よりももし今までの対策が当を得ていたとすれば、結核問題はとっくに解決されていなければならないはずであるのに、事実は前記の通りである。としたらそこに何らか割切れない大きな誤りがあるに違いあるまい。ところが医学はそこに気付かないのである。しかしながら喜ぶべし、いよいよ私によってその根本原理が判明し、全治の方法をも完成した以上、人類にとってこれ程大きな救いはないであろう。無論この原理に従えばこの難問題も容易に解決され得るからである。

 ところでここで厄介な事は、以上のごとき大発見を知らせるとしても、体験者以外直ちに信じ得る人は、ほとんどないであろう事である。ただ驚きの眼を瞠るか、あるいは見逃してしまうかも知れないが、この著にかいてあることごとくは絶対真理である以上、読むに従って納得され、翻然眼を醒ます人も相当あるであろう。

 さていよいよ本論に取り掛るが、そもそも人間は誰でもオギャーと生まれるや、例外なく先天性毒素を保有していると共に、生長するに従い、大多数の人は後天性毒素をも追加する。これは別項に詳しくかく事として、右の両毒素こそ結核の真の原因である。今一つ重要な事がある。それは人体における自然良能力の活動である。それは一秒の休みもなく、不断に浄化作用が行われている事である。浄化作用とは体内にあるあらゆる毒素の排除作用であって、この過程をかいてみるが、元来右の両毒素とは、血液中に含まれているというよりも、充満していると言った方がいいくらいのいわゆる濁血である。ところがこの濁血に対して浄化作用が発生し、それによって毒素分は分離し、毒血または膿となって体内各局所に集溜する。その場合主に神経を使う箇所に限られているので、人間が神経を使うところといえば、上半身特に首から上で、頭脳をはじめ、目、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて集溜せんとし、一旦その手前に固結する。いかなる人でも頸の周囲を探ってみれば、淋巴腺、延髄部、扁桃腺等の部に必ずそれがあり、微熱もある。するとこの固結がある程度に達するや、自然浄化作用が発生する。この浄化作用こそいわゆる感冒であって、感冒に罹るや発熱が先駆となるが、これは右の固結を出易くせんがための熱で、この熱によって溶解し、液体化したものが喀痰であり、鼻汁であり、盗汗、濃い尿、下痢等であるから、感冒とは全く体内にあってはならない汚物の排除作用である。その結果濁血は浄血となり、健康は増すのであるから、感冒とは実に貴重な生理作用であって、神が人間の健康保持のため、与えられた一大恩恵である事は余りにも明らかである。それがいつの頃どう間違えたものか、逆に解釈したのが、今日までの医学の考え方であった。それがため「風邪は万病の基なり」などと言い恐るべきものとされ、感冒に罹らないよう注意するとともに、罹っても色々な手段をもって、毒素排除を停めようとする。すなわちせっかく溶けかかった毒素を元通りに固めようとする。この手段こそ実は結核の原因となるのである。

 これを一層詳しくかいてみると、まず感冒に罹るや、その症状としては前記のごとく、咳嗽はじめ種々の苦痛がおこるが、その中での特に重要なものが彼の喀痰である。これが口から排泄されようとし、一旦肺臓内に入り咳というポンプ作用で吸い上げ、咽喉を通って出るのであるから、そのまま放っておけば順調に排毒作用が行われ、血は浄まり、治るべきものを医学は逆解して、飛んでもない間違いをする。それは痰を出さないようあらゆる手段を用いて、肺臓内に固めてしまうのである。そうすれば病気症状は消えるから、それで治ったものと思うが、何ぞ知らん一時的固めたもので、本当に治ったのではないから、日が経てば再び風邪を引く。もちろん残りの毒結に浄化がおこるからである。その際医診を受けると、肺の中に残っている痰の固まりが、レントゲン写真に映るので、ここに結核の初期と診断するとともに、前の時肺の外部すなわち肺膜や肋骨付近にも固まりを残すので、それが溶けはじめ外へ出ようとし肺に侵入する。これを医診は肺浸潤と言い、肺の上部の場合肺門淋巴腺、または肺尖カタルというのである。これによってみるも、最初感冒の際毒素を出さないよう固めて、結核の種を蒔いておいた訳である。それだけならまだいいとして、これからが大変である。

 右のごとく結核の初期、またはその他の診断をされても、放っておけば二度目は少々日は掛るが必ず治るべきものを、医療はまたしても固めようとする。絶対安静、服薬、注射、湿布、氷冷等々がそれである。何しろ身体自身は、毒素を排泄しようとするのを、医療は飽くまで固めて出さないようにする。つまり治ろうとするのを、治さないようにする訳であるから、何と驚くべき間違いではなかろうか。

 ここでなぜ浄化作用なるものがおこるかというと、前記のごとく人間は体内に毒素があるだけは弱体で充分な活動が出来ないから、感冒は言わば自然の摂理である。という訳で人間活力が旺盛であればある程発り易く、青少年に多いのもその理によるのである。従って浄化を停止し弱らせるに限る。弱っただけは病気症状は減るからで、これを医学は治るものと誤解したのである。医学の療法が徹頭徹尾衰弱方法であるのは、この事を知ってみればよく判るはずである。見よ絶対安静を最も奨めるが、これ程弱らすものはない。今仮に健康者を何ヵ月もの間絶対安静にしてみるがいい。運動不足、食欲減退、無聊(ぶりょう)等で元気は喪失し、必ず痩せ衰えてしまう。ましてや結核患者においてをやである。しかも薬剤はもちろん、種々の衰弱療法をも行うとともに、精神的には前途に希望を失い、絶えず死の恐怖に脅えており、近親者も寄りつかず、毎日毎日天井を見詰めているばかりか、仕事も禁じられているので、経済的不安もいよいよ募り、それやこれやで漸次悪化し、どうにもならなくなる。というのが一般結核患者のたどる道程であろう。

 以上によってみる時、医学の誤謬の中心は何といっても病気症状についての誤った解釈である。それは医学は苦痛そのものを病気の本体としているから、苦痛を無くす事が病を治す事と思い、ただ苦痛を減らす事のみに専念し発達したものであって、これがそもそも誤謬の根本である。ところが本当は苦痛そのものは病の治る作用でプラスであり、喜ぶべきものである。というようにその考え方が反対であって、すなわち医学の方は浅く、吾々の方は深い訳である。しかし苦痛といっても必ず峠があって、その時だけを我慢して越してしまえば、後は漸次快方に向かうのが原則であるから、苦痛も左程長いものではない。これについて医師はよく手遅れなどというがこれも反対で、手遅れになっただけは治るので、むしろ放っておけばなおさらよく治るのである。それを逆解して早く手当をするから治らなくなる。つまり人体は治ろうとするのを、医療は治さない手段であるから、この摩擦が快くなったり、悪くなったりして(こじ)らしてしまい、ついに慢性となるのである。この理が分れば発病の場合放っておくに限る。そうすれば順調に浄化が行われるから、はなはだしい苦痛もなく容易に治るのである。ゆえに医学の進歩とは病気を治す進歩ではなく、治さない進歩であり、単なる苦痛緩和のための固め方法の進歩でしかないのである。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみても、うなずけるであろう。

 ここで早期診断についてもかかねばならないが、これも実は結核増加に拍車を掛ける方法なのである。それについてさきに感冒の浄化停止をかいたが、そのような訳で現代人は残らずと言いたい程肺の内外に毒素の固まりがあるから、大抵な人は常に緩慢な浄化が起っている。微熱、だるさ、軽い咳、食欲不振等がそれでこれらも放っておけば長くは掛るが必ず治るのに医学は早期診断を行い、レントゲン撮影によって溶けかかった肺臓内の痰の固まりが雲翳(うんえい)となって映るとともに、前記のような軽い症状もあるから、ここに結核初期の烙印を捺すのである。そこでまず絶対安静を始め色々な浄化停止を行うが、取り分け薬剤を主とするため、これが毒素の原料となり、この毒の浄化も加わって漸次悪化しつつ本物の結核患者になってしまうのである。

 そうして早期診断の方法として、ツベルクリン注射を行うが、その結果陽性でも陰性でも警戒の要ありとする。この理は陽性とは浄化力が旺盛なためであり、陰性とは反対に微弱のためであるが、医師はどちらもB・C・Gの接種によって発病を止めようとする。発病さえしなければそれで済むと思うからで、その際患者にむかって、一、二年は余り過激な運動をせず、なるたけ静かにせよと戒めるが、これは浄化をおこさせないためである。といっても人間はいつかは必ず浄化が起るように出来ているから、普通の生活をし、仕事をするようになると浄化発生する。これが発病または再発である。という訳で近頃の流行薬の効果はそれであって、ただ発病の時日を延ばすだけである。この証拠として最近本教団の信者で、米国駐在の宣伝員からの報告によると、同国においても近来急激に結核患者激増し、昨年度の死亡率は、他の病気の総計よりも、上廻っているという事であるから、現在結核は同国死亡率の第一位を占めた事になり、私の説を裏書している。

 右について左の新聞記事はよくそれを物語っているにみて、ある程度医学でも分っているのである。

 昭和二十七年二月五日付読売新聞に掲載の記事

   「化学療法の手段」 

東京慈恵医大教授 医博  片山良亮

 ストレプトマイシンその他の化学療法剤の発見は、従来の治療に大きな変革を来さんとしているが、マイシンでも結核の牙城を揺がす事は出来ない。マイシン治療を行っている内に、結核菌が次第に抵抗性を得て、効果を減滅するからである。その抵抗性の獲得は六~九週以上の投薬の持続によって発生するが、その間に結核菌を絶滅する事は出来ない。だがマイシンを使えば病状は急に著しく回復するが、結核菌は消失しないから、その中止によって再発の危険がある。そこで現在の研究はその事実を、いかに補うかという事になる。――(後略)

(御論文「結核信仰療法 序文」「医学が結核を作る」のあとの御教え)

 やっぱり、マイシンや、ああ言う物を使うと、一時良くなるですね。一時良くなっても、結核菌は少しも変りないと言うんです。つまり表面に現われている浄化を()めた丈なんです。之は、医学でも知っているんです。一時苦痛丈を()めても、結核菌は依然として居るんですからね。そこの一寸した点ですが、解らないんですね。一種の迷信ですね。それを解らせればよいんですがね。今度の本を見たら、どうしても解るんですね。で、結局根本は、お医者さんの頭を切変えなければならないですね。医学者ですね――この人達を解らせれば、みんな解決する。患者の方丈解らせても、到底追いつかないですね。やっぱり、製造する元をつかなければね。製造停止をやらなければ駄目ですね。

 之は一寸、病気に関係のない論文ですがね。

依頼心を去れ

(栄光一四五号)

 つくず(づ?)く日本の情勢をみると、現在の日本人位依頼(いらい)(しん)の強いものはあるまい。この間来朝した彼の米国のダレス国防長官顧問にしろ、帰りがけに注意した言葉の中に、日本は今投資インフレに罹っていると言われたが、全くその通りで、これを言変(換?)えれば、借金(しゃっきん)インフレという事になろう。この言の通り借金の多い事、今日程甚だしい時代はないであろう。何よりも銀行のオーバーローンがよくそれを物語っている。オーバーローンとは勿論預金よりも貸金の方が上廻っている事で、これが国家(こっか)経済(けいざい)の信用に関わる点は、並大抵ではないと言われている。

 これは誰しも知っている事だが、日本では大なり小なり、何か事業を計画(けいかく)し始める場合、必ずと言いたいほど借金を当にする。恐らく今日、日本人中借金のない人は、(あかつき)の星の如くであろう。現に農民層でさえ農業手形が年々殖えつつある事実である。そうして少し大きな事業になると、銀行は固よりヤレ政府の援助、市町村の信用組合、公共団体等からの借金を当にして東奔西走(とうほんせいそう)している人は、到る所見受けるのである。それが為連動費やら利子やらの無駄な支出は、案外巨額に上るであろうから、相当儲かる事業でも、結局算盤(そろばん)に合わなくなるのは知れ切った話である。見よ今日の金詰り、手形の濫発(らんぱつ)汚職(おしょく)問題等も、この借金政府が根本となっているのがその殆んどであろう。としたら日本の経済を建直し、今日の如き金融難、取引の不円滑(ふえんかつ)等の悩みから脱却するとしたら、この点に就いて大いに考慮すべきである。つまりもっと慎重の上にも慎重にし、期日までには必ず返済出来る目安(めやす)と、これこれの利子を払っても、充分プラスになる程の利潤(りじゅん)()げられるという見通しがついてから借金すべきである。という訳で現在は如何なる方面でも借金に悩ませられていない人はない位で、その為経済界に与える悪影響も、案外甚大なものがあると共に、一朝何かの変動で経済界混乱(こんらん)が起るとしたら大変であろう。

 ここで私の事を少しかいてみたいが、私が目下建造中の箱根熱海の地上天国にしろ、その規模(きぼ)の大なる恐らく前例がないであろう。初めて見た人で驚歎の声を放たない人は恐らくあるまいと思うが、世間流に考えたら、開教僅か数年の本教が、どうして斯んな途轍(とてつ)もない物を造る事が出来るのかと、不可解に堪えないであろうが、実は案外苦労はしてないのである。普通からいえば、銀行とか公共団体の援助(えんじょ)位は受けられない事もないが、私は絶対そんな事はしない方針で、飽迄自力でやるつもりである。これによってみても、凡ては神様の御計画(ごけいかく)であるのがよく分るが、実は私自身としても最初はビクビクものであった事を考えると、不思議というの外はない。何しろ予想もしないようにズンズン規模も拡大してゆくのであるから、全く奇蹟以外の何物でもないのである。

 そうして間もなく美術館(びじゅつかん)が出来るが、(さし)(ずめ)(さし)(づめ))陳列する美術品にしても、何しろ国宝級の物や有名品などになると、到底手に入れる事は難かしいし、購入するにも(なま)(やさ)しい金では駄目なのは分っているが、或程度は必要であるから、何とかしたいと思っているが、これも神様は都合よくして下さるに違いないと安心しているような訳で、寧ろ一種の客観的興味さえ湧くのである。これでは依頼(いらい)(しん)を去れなどと言えた義理ではないが、その点相手は人間と異い神様だから、大いに楽観しているのである。

(御論文「依頼信を去れ」のあとの御教え)【註 栄光一四五号】

 之は物質的な借金の話ですが、宗教的に言うと霊的借金が大変なんです。みんな病気で苦しむとか、色んな災いとか、金で苦しむとか、色々ありますが、それは霊的借金を返している訳ですね。その苦しみなんです。だから、つまり今の人間は霊的の借金と物質的の借金と、両方で苦しんでいる訳ですね。つまりメシヤ教がやっている事は、先ず肝腎な根本である霊的借金を返す方法と、それから神様が借金を減らして下さるのですね。それでまあ、幸福になって、地上天国が出来る訳なんです。処が、医学で借金を返そうとしても、医学の方では借金を返す力が全然ないんですから、そこで、無いのにある積りになっているんですね。だから、実は借金取りの方を延期する訳ですね。延期するからして、利子が段々嵩んで来ると言う訳ですね。だから、今読んだ通り、医学と言うものは病気を治すと言うんでなく、苦痛緩和する。それの進歩したものだと言う訳ですね。つまり、借金を延ばす研究をしたもので、まあ――延ばすのが上手(うま)くなったんですね。益々延ばすのが進歩して来て――延ばす丈は一時楽になるからね。昨今死亡率が減るとか、結核が減ると言うのは、そう言うのです。処が医学の方の借金を延ばすと、中々利子が高いんですよ。処が段々、神様の方は利子が高くなって来る。そこで、今迄相当期間延ばす丈でも、延ばせなくなった。今新しいストレプトマイシン、テラマイシンだとか、オーレオマイシンだとか、パスだとか色々ありますが、あれは借金を延ばす延期方法が進歩する訳ですね。段々借金を催促するのが強くなる。だから延期する方も新しいのを作っているんです。処が、借金を催促するのが、神様の方が激しくなると言うのは、霊界が明るくなると言う訳です。結局、延期が追いつかなくて破産する、と言うのが最後の審判なんです。それじゃ可哀相―可哀相じゃない、人間も減らなければならない――破産者があるからね。だから神様はそれを解らせて、借金を帳消しにもするし、減らすにも自由自在の神様ですから、それを我々が助ける可く一生懸命になっていると言う訳ですね。ですから借金で考えていくと、一番解り易いんですよ。

 之は幾らかそれに関係のある論文ですがね。

(御論文「社会事業と宗教事業」)【註 栄光一四六号】

社会事業と宗教事業

(栄光一四六号)

 今日世間を見ると、社会事業と宗教事業とを混同している事に気が附かないようである。尤もこれには理由があるので、それを今かいてみるが、一例を挙げれば、現在キリスト教始め、近頃は日本の既成宗教もそうだが、相当大を成しているものは何れも病院を経営しているが、これは全く信仰では病気が治らないからで、致し方ないといえば言えるが、実は本当ではないと言えよう。もし信仰の方が医学よりも病気がよく治るとしたら、何を好んで病院など造る必要があるであろうかは分り切った話である。

 としたら忌憚(きたん)なくいえば、信仰よりも医学の方が勝っている事を表白している訳で、宗教よりも科学の方が上になる事になる。としたら、今迄拝んでいたその神なり仏なりを片附けてしまい、その代りに神棚へ医師の写真を飾って朝晩拝んだ方がいい事になろう。何しろお医者さんは命の親だからである。

 処が本教に限って、如何に膨大(ぼうだい)となっても病院などは決して造らない事を明言する。この言葉は、現代人が聞いたら大いに吃驚するであろうが、言うまでもなく本教の治病力は医学よりも断然上であるからで、私が医学革命などと常に口にするのも、そういう理由があるからである。

 今一つ言いたい事は、現在孤児院、養老院、救貧事業等色々あるが、これ等も私に言わせれば、膏薬張り慈善事業以外の何物でもないのである。何故なればそういう色々な不幸な人が出来るという事は、社会の何処かに根本原因があるからで、その原因が分って、それにメスを入れるのが本当ではあるまいかと思うのである。処が遺憾ながらそれが分っていないので、どうしようもなく相変らず対症的(たいしょうてき)間に合わせ方法を採っているのである。処が本教はそれら一切の不幸の原因が分っているから、着々救いの手を拡げているので、将来地上天国が造られるので、それが本教の使命でもあるから、一時的流れを(せき)()めるような愚劣な手段はやらないのである。尤もその必要もないからである。

 右の事実を知らない人は、何故本教が社会事業に冷淡であるかを訊く事があるから、玆に弁明する次第である。

 それで、今度アメリカからの通信によると、アメリカでは現在カソリックですね。あれが七割だそうですね。プロテスタントが三割――そんな割合だそうです。唯、仕(始?)末の良い事は、アメリカ人は全部信仰心があるそうです。日本人と違って、神がないと言う―そんな事はないそうですね。唯、アメリカ人の神様はキリストですが、唯そんな点は非常に仕(始?)末が良いそうです。無神論はないんです。全部有神論ですからね。唯、カソリックが勢力を得ている。カソリックは非常に固いんです。カンカンです。で、カソリックは立派な病院を作っているんです。まあ、医学一点張りでやっているんです。いずれ、之を崩さなければならないんですが、大変な仕事です。けれども、時期が来れば何でもないんですよ、みんな頭を下げますからね。唯、時期が相当(あいだ)があります。それは神様の方じゃ予定してますからね。そんな様な状態で、宗教がび病院を経営すると言う事は、良い事と思っているんですね。それで、こんな論文を書いたんですが――先にも書いた事がありますが、兎に角宗教で病院をやるとすれば、俺の方は神様の力じゃ病気が治らないと言う事を表白しているので本当から言うとおかしなものです。その宗教じゃ病気が治らないと言う事を表白しているのでそこに気がつかないので、気がつかないと言う事は、気をつかせる人がなかったんですね。気をつかせる人がなかったと言う事は、宗教で病気を治すと言う事がなかったからで、そう言う事を言えるのはメシヤ教以外に、まあ無いと言っても良いですね。

 

 

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