(お伺) 塚田香苗(三十二歳)昨年八月三度目のお産後五日目より出血が止り、二週間目より家の用事をボツボツ致しておりました処、十月初頃頭の具合が悪く、心臓の動悸激しく、一晩腰が大変痛み、左半身の感覚が段々鈍り、脳血栓と言われ、以来メタボリン三十本、強心剤三十本射ち、マッサージ二カ月致し脊柱より水を一回取り、少し快方に向って参りましたが、再発し二月五日東大病院にて脳腺塞と言われ、其後右半身より全身不随となり、寝返りも出来なくなり、御浄霊を戴く様になりまして三日目より、尿の回数四五回が七、八回となり、少しづ(ず?)つ下り物が始り、右腕関節と鼠蹊部及び関節が痛み、一回ひどく発汗致しました。頭を御浄霊致しますと堪らなく可笑しくなり、笑ひたくなります。話が思う様に出来ず、断片的で呂律が廻りません。祖母の子供に先天的梅毒にて、体が不自由の儘死亡(五十八歳の女)しております。お骨は新潟のお寺に預けてあり、埋骨致しておりません。今年が年回に当っております。霊的に関係が御座いましょうか。御垂示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は霊的と両方ですね。産後五日目に出血が止ったと言う、之が因ですね。ですから、古血が出切れないんですよ。何か――頭を使ったんじゃないかな。その為に古血が頭に行った。それが脳溢血症状になったんですね。それから、あとは注射だとか、色んな薬ですね。
それから、笑いたくなるのは狸が憑いているんですよ。狸と言うのは、屹度笑うんですからね。けれども、之は気長にやれば治りますよ。古血が脳に行ったんだからね。案外早く治りましょう。何も心配は要りませんよ。
(お伺) 辻 源次郎(昨年十月入信。六十三歳)胃が悪く、入信により楽にさせて戴きました。二月八日四十一度五分の高熱が三日許り続き、御浄霊戴き熱も下りましたが、相当きつい咳が出ます。せき始めますと二、三時間続きますので、良く眠れません。御浄霊の個所に就きまして御垂示御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
咳は色々な処から出ますからね。之は身体を見なければ判らないですね。痰は出ないですか。
「良く出ております。右側耳下腺に固結が御座います」
其処から一番出る処ですから、熱いですね――熱がありますね。じゃそれでしょう。そこが治っても、未だ出る様だったら、他から出るんだから、調べて見れば分ります。それで、そう言う時には、此処だなと思った処を浄霊して、それで、あと具合が良かったら、急所に当ったんです。それでも良くなかったら、違うんだから、又違う処をやる。そうすれば直き急所は分ります。そうすれば直き治ります。
(お伺) 山口八重子(昨年十月入信。二十歳)両親も家もなく、光明如来様はお祀り致しておりません。口中、鼻腔、鼻の下より顎一面(以前は頸部淋巴腺、耳下腺より)に膿汁が十分間に盃に一杯位出ます。鼻の附近に非常な激痛を伴いますが、御浄霊戴きますと少し楽になります。一時は身動きも出来ず、食事も五日間程出来ませんでしたが、今は食事も出来、痛まない時には縁先に出られる様になりました。御浄霊の個所に就き御教示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は、その膿汁が出る近所ですね。そこをやれば良いんです。膿汁の出ている処と痛む処――之は簡単に分りますね。それから鼻。顎は額――前頭部ですね。それが溶けて鼻に来る場合と、後頭部から延髄にかけてが、こっちに来る場合と、之(額)が溶けて来る場合とあるから、その三個所を調べてやれば良いんですね。
(お伺) 曳野清野(昨年十一月入信。三十歳)五年前湿性肋膜炎にて、少量の排水とカルシウム注射十五本で、一時良くなっておりましたが、昨年風邪が因で再発し、肺結核と言われ、絶対安静を致しパス十日分服用致し、その頃より御浄霊を戴く様になり、一時大変良くなり外出も出来る様になりました。本年二月再浄化を戴き、吐痰激しく、食も進まず衰弱して参りました。発熱は余りありませんが、激しい咳と多量の喀痰に苦しんでおります。喉頭に痛みを感じ、声も出ず、食事も出来兼ねますが、咽喉が渇くと言い水は可成り飲みます。盗汗や痔(痰?)も出ますが、衰弱は殆ど其極に達した感が御座います。兄は咽頭結核で、母は胃癌で死亡しております。御屏風観音様はお祀りさせて戴いておりますが、御神体は未だで御座います。御浄霊の急所に就き御教示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
やっぱり胸です。胸から横腹、背中にかけて、触って見ると、熱の一番強い処に毒が未だ残っている。肋膜の水が固ってね。そこを浄霊すれば訳なく治るんです。之は、教団の教師の人にはやって貰ってないですか。
「支部の教師が時々参っておりますが、他は主人がしております」
主人じゃ駄目だな。やっぱり、商売人――と言っては変だが、浄霊の商売人がやらなければね。グズグズしていると、之は死んじゃいますよ。万一、商売人がやって、或る程度迄いったら、素人で良いんですがね。何でもないんですよ。肋膜の水が固っているんで、それが溶け切らない。溶け方が悪いんだ。それで衰弱しているんです。それと、食欲がないしね。まあ、一週間位商売人にやって貰うんですね。
(お伺) 亀尾亀間政(昨年十一月入信。六十三歳)昨年春頃より食欲がなく、右肋骨下に拳大の固まりがあり、癌ではないがレントゲンで見ないと良く分らないと言われましたが、その儘で過ごしました。一月十一日支部の月次祭より全身がだるくなり、床に就きました。御浄霊を戴いておりますうちに、右肋骨下の固まりが上下左右に移動する様になり、鈍痛があり、血便が出始め、其為の貧血か立つ事が出来ず、床の中で用便を致しておりました。血便は十五日程で止り、食欲も少し出て参り、床の中で起きる事も出来る様になりました。其後、起きる時に全背面に激痛があり、暫く静かにしておりますと楽になります。尚、右肋骨が波打つ様で、苦しみましたが、四日程でなくなり、起きる時の苦痛も殆どなく、食欲も御座います。三月二日朝突然悪寒があり、全身震動し、意識も一時なくなりました。御浄霊一時間で元になりましたが、其後食欲が殆ど無くなり、茶碗に七部位で御座います。衰弱も大分ひどく御座います。御序霊は右肋骨下の固まりを中心に、背面の鈍痛のある肩胛骨の下部と鳩尾等を主にさせて戴いております。舌の中程に小指の先程が黒くなっておりますが、別に痛みません。家庭的には、三回結婚し、初めは都合で生別れ致し、先妻は未だ生きております。その間に出来た子供は半年程で死亡しており、祀っておりませんが、お話を聞き先日よりお祀り致しております。二度目の妻は胃癌で死亡し、子供はありません。尚、現在の妻にも子供は御座いません。屋敷内に古井戸がありましたが埋まって庭になっております。御屏風観音様はお祀りさせて戴いておりますが、御神体は未だで御座います。御浄化の原因並びに御浄霊の個所に就き御教示の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
之は、霊的が絡んでますからね。光明如来様をお祀りしなければ駄目です。固まりと言うのは龍神ですよ。だから、光明如来様をお祀りして、やっぱり出来る丈祝詞、御讃歌を奏げて、不断御神書を出来る丈読む様にする。そうして龍神に改心させて離脱させる様にする。そうすれば治りますよ。そう難かしいものじゃない。つまり龍神が――こう言うのは怨みと――大体最初は怨みですが、そのうちに段々執着が取れて、今度は救って貰いたいと言う事になりますからね。今言った様にしてやると、それで離脱しますからね。光明如来様に、龍神が早く人間に生まれ変って来る様にお願いする。それ丈で治りますがね。
【御 教 え】
(御論文「結核信仰療法 肺炎と肋膜炎」
肺炎と肋膜炎
『結核信仰療法』より
ここで結核に大関係ある肺炎についてかいてみるが、この病気は結核の原因と同様、感冒の際肺臓の内外に固めた多量の毒素に、猛烈な浄化作用が起こるもので、つまり感冒の重いのと思えば間違いない。そうして症状は人も知るごとく、最初高熱が出て全身的倦怠感、節々の痛み、食欲皆無、頭痛等であるが、この病気の最も著しい症状は咳嗽、喀痰、喘音で、特に喀痰がすこぶる多量に出るが、もちろんこれは固結した多量の毒素が高熱によって急激に溶解され、肺臓内に引っきりなしに浸入するからである。従って苦しくとも少し我慢して、そのまま放っておけば、痰は出るだけ出て一週間くらいで治り、予後は大いに健康を増すと共に、再発の憂いはないのである。ところがこれに未知な医学は、せっかくの浄化活動を停めようとして、あらゆる手段を行う。特にこの病気には強い薬を用うるのは医師も知る通りで、これは全く猛烈な浄化を抑えんがためである。
このように猛烈な浄化に対し、強烈な薬剤を用いるので、激しい摩擦が起こり、非常な苦しみと共に、高熱、咳嗽、食欲不振等が執拗に続くので、いよいよ衰弱が加わり生命にまで及ぶのである。またこの病気が青壮年に多いのも、浄化力が強いと共に、年齢の関係上薬毒も相当多量に入っているからである。そして全快後も再発しやすいとして、医師は大いに注意を与えるが、これなども浄化停止のため古い毒と新しい薬毒とを残すからである。そこで患者は再発を恐れて、できるだけ大事にするから、再発はしないまでも、緩慢な浄化が常に起こっているので、医診を受けると結核初期の疑いを受け、それに対応する療法を始められるので、これなども実によく医学の誤謬を物語っているのである。
次に結核の原因中最も多いのは、かの肋膜炎であろう。これにも湿性と乾性と膿性(膿胸)との三種がある。湿性は肺を包んでいる膜と膜との間に空隙が出来、そこへ水(尿)が溜るのであるが、近来流行の気胸療法は人為的に肋膜に空隙を作るから、湿性肋膜炎が起こりやすいのである。また乾性は激痛があり、空隙だけで水が溜らないとしているが、これは滅多にないもので、最初乾性であっても、日を経て湿性になりやすい。これについても医師がよく間違える事がある。それは肋骨の裏面に毒結があり、その浄化の痛み、すなわち肋間神経痛を乾性と思うのである。そうして単に肋膜炎といっても、湿性がほとんどであるから、湿性について詳しくかいてみよう。
湿性とは最初膜と膜との間に尿が溜る際、そうとう高熱と痛みとだるさと眠さ、息苦しさがあり、特に盗汗が特徴である。これも放っておけば水は喀痰、盗汗、尿などで排泄され、割合簡単に治るが、医療は穿孔して排水させるか固めるかどちらかの方法を採る。しかし穿孔排水も一時的で、日が経つとまた溜るので、結局固める事になるから、必ずと言いたい程再発する。また膿性は水ではなく膿が溜るので、医療は穿孔して排膿させるが、この膿は脊髄カリエスのごとく、その多量なる驚くべき程で、難症になると毎日のように排膿があり、一、二年に及ぶ者さえあって、そうなったのは無論衰弱死に至るのである。そうして湿性肋膜の長引いたのが結核となるのは人の知る通りで、右のごとく医療によって固めた尿水は、早くて数ヵ月、遅くて二、三年くらいで必ず再発する。この時の症状は最初の肋膜炎と同様であるが、今度は固まったものが溶けるので、咳と痰が頻繁で衰弱が早いため、医師は悪性結核と診断するが、これも放っておけば長くは掛かるが、喀痰、盗汗等が出るだけ出て、全治するものである。
結核付随病
『結核信仰療法』より
前項までに結核の本格的症状について説明したが、それ以外結核に付き物とされている症状等についても一々解説してみるが、大体として、(一)不眠、(二)肥らない、(三)微熱、(四)食欲不振、(五)便秘、(六)下痢、(七)血沈、(八)胸痛、(九)息切れ、(十)新薬等でこれだけ知ればまずいいであろう。
(一)不眠の原因は右か左かの延髄部に、必ず毒結があり、これが脳の血管を圧迫するから、前頭部内に貧血を起こすためである。それが不眠の人は右側に多いもので、左側の方だと不快感、朦朧感等が多く、その他としては何といっても病気不治の心配と、運動不足のためである。
(二)肥らない原因は、結核のみに限らないが、これは肩と後頭部の毒結が主である。そこを圧すると非常に固く、骨かと思う程なのもあるし、そこに微熱がありよく分るが、これが食欲に大いに影響する。従ってこの毒結を溶解排除させれば食欲は増し、必ず肥るのは請け合いであるから、痩せさすのも肥らすのも吾々は自由自在である。
(三)微熱というものは、医学ではほとんど肺自体からのように思っているが、これは大変な間違いで、肺炎、肋膜炎、肋間神経痛以外はほとんどないもので、一番多いのが左右の頸部淋巴腺部で、どんなに健康な人でも大なり小なり、左右いずれかに必ず腫れがあり、そこに微熱がある。このため頭痛、咳嗽、食欲不振や、まれには手足の障害を起こす事もある。次は頭脳と右か左かの延髄部で、おもしろいのは耳鳴のほとんどは延髄部の浄化である。次は肩、腋の下、両股鼠蹊部等である。
医師はよく原因不明の熱だなどというが、これは医学が幼稚のためで、前記の個所を診れば必ず分るのである。従って右の個所に浄化が発こり、熱で溶けた毒液が肺に浸入するため、肺が原因と間違えられるのである。
(四)食欲不振は微熱による食物不味のためと、消化のいい物を食い、消化薬を服むためと、よくかむ等のため、胃を弱らすからであるが、何よりの原因は医師から結核と言われたり、結核らしく扱われたりする等の神経作用で、食欲に影響すると共に、絶対安静が拍車をかけるのである。
(五)便秘の原因の第一は、食餌の少ない事と腸に浄化熱があるから乾くため等で、そういう人は腹に幾つかの固まりがあり、これが直腸を圧迫するからでもあって、この部をおすと痛みと固結があり、微熱があるからよく分かる。これに猛烈な浄化が発って、高熱激痛があると急性腹膜炎と言われるが、平常から時々発熱、痛み、下痢があるのは慢性腹膜炎である。これを医診の多くは腸結核というのである。
(六)下痢は健康時でも病気の時でも、これ程結構なものはないので、急性は食中りが多く、これは二、三日で治るが、慢性に至っては腹部はもちろん、後頭部から延髄部を主とし、身体中にある各部の毒結が溶けて出るのであって、人により数週間から、ひどいのになると半年、一年、三年、五年に及ぶ者さえあるが、これは毒の多い程暇がかかるからである。しかし出るだけ出てしまえば非常に健康になるもので、これを知らないから停めようとし、反って色々な障害を起こすのである
(七)血沈とは血液の清濁を試験する方法であるから、濁っている程毒の粒子が多いから、沈降速度が早い訳である。もちろんこの毒粒子も薬毒が原因で、濁血者は浄化が起こりやすいから、間接的に結核にも関係がある訳である。
(八)胸痛は肺が痛むのではない。肋骨及びその付近に溜結している毒素の浄化の痛みで、言わば肋間神経痛である。これも放っておけば毒は痰となって出てしまい、必ず治るのであるが、それを肺浸潤や肋膜炎などと思われ、結局本物の結核となる事が多いのである。
(九)息切れは肺の周囲、つまり肋骨及びその付近や横隔膜部に毒結があり、浄化で溶けても痰の濃い場合容易に肺に浸入し難いので、肺の方から吸引する。それが息切れである。そういう人は肋骨付近を圧してみると、必ず痛みと微熱があり、固結もあるからよく分かる。もちろん喘息もそうであるが、喘息は横隔膜部の毒結が特色であって、すべての息切れは若干痰が出れば、じきに治るにみて右の理が分るのである。
(十)新薬について近頃ストマイ、パスはもちろん、最近はヒドラジットなどが有効とされているが、なるほど用いるや間もなく下熱したり、症状も緩和されるのでよく効くように思われるが、これも一時的でいずれは中毒となってしまう。ではどうして流行するかというと、つまり医学は一時的効果を永久的と思うからで、何よりも事実をみればよく分かる。例えば最初の一週間くらいは利いても、それが六日となり、五日となり、段々短縮され、ついには効かなくなるのは、医師もよく知っているはずで、今もってそれに目醒めないのは不思議である。とはいうものの実は患者の苦痛に対し、他に方法がないから、一時的とは知りつつも、仕方なしに用いざるを得ないのであろうが、この事実によってみても、薬効は根本的でない事が分かるであろう。
以上のごとき一々の説明によって、医師諸君も大いに得るところがあると思う。
(御論文「結核附随病」のあとの御教え」
今日の新聞を見ますと、アメリカで、肺病に馬鹿に効く薬が発明されたとか出てますがね。何だと言うと、忽ち黴菌は死んじゃうと言うんですね―その薬を飲むとね。だから結核なんて、直き治っちゃうと言う。私は良く読みませんが、この間ラジオで言ってましたがね。忽ち結核は治ると言うんですがね。之が、全然間違っているんです。結核菌を殺すなんて事は出来るものじゃないです。と言うのは、結核菌を殺す力のある――まあ毒ですからね。結核菌を毒殺するんですからね、それが、肺なら肺に行くとして、口から飲み、注射し、之が身体中グルグル廻っている間に、薬の――毒殺する丈の力は無くなっちゃいます。だから、殺すなんて出来やしない。若しかして殺す丈の強い力だったら、人間の方がやられちゃいます。先ず、針を肺にズブッと入れて、チュウとやったらその附近の物丈は死にますよ。仮りに、全部殺す事が出来るとしても、私の説いてある通り、霊の曇から結核菌はわくんですからね。あとあとわいて来ます。やっぱり、戦争みたいなものですよ。戦争で敵を殺したと言っても、そこの国民全部を殺せるものではない。一部を殺すんですからね。戦争で死んでも、大抵二、三年位で恢復していますね。だから、いずれあれも駄目だと言う事は、薬を売り出さないうちに分ってますよ。之丈は絶対にはずれないからね。だから医学者なんて言うのは、頭の悪いものだと――こっちが頭が良過ぎるのかも知れないが――。
之は科学封建と言う、一寸面白い書き方です。
(御論文{科学封建」)
医学封建
『医学革命の書』より
医学封建といったら全然耳新しい言葉なのでちょっと見当はつくまいが、これを読んだらなるほどと思わない人はあるまい。それというのも今日知らるるごとく、実に病気の種類は固より病人の数も多い事である。そうして病気の場合十中八、九は持病または重難症であって、根治する者のほとんどないのは、医師もよく知っているであろう。そうして常に患者に対してはより速かによりよく治そうとし、最新の療法をもって出来る限りの努力を払うにかかわらず、思うように治らない。最初診察の際何週間、何カ月なら治ると予定し、患者にもそれを聞かせるが恐らく見込通りに治った例しはほとんどあるまい。それというのもこの薬なら、この方法なら学理上では治るようになっているので、その通り実行するが中々治らないのは、患者も医師も常に経験しているはずである。
そのような訳で一時的には確かに学理通りに治ったように見えるが、それが長くは続かない。時日の長短こそあれ必ず再発するかさもなくば他の病気に転化する。これも医師なら数知れず経験しているので分っているであろう。従ってこの事実に対しては医師も常に疑惑を抱き、不思議に思っているのは想像に難からない。それこそ全く医師が信じている程に医学は進歩していないからであって、進歩していると思うのは、錯覚以外の何物でもないのである。そのため絶えず学理と実際との矛盾の板挟みになっており、それを知らない世の中からは尊敬され、確固たる社会的地位を占めているのであるが、胸中の煩悶苦悩は並大抵ではあるまい。しかしいつかは医学の進歩によって、解決の日も来ると思う一種の自慰観念によって、淡い希望を繋いでいるに過ぎないと私は思っている。従ってこの説を読み、今までの疑惑のべールが剥ぎ除られるとしたら、ここに白日のごとき真理の光に誤謬が浮かび出され、愕然として目覚むるのはもちろんである。ところがこの迷盲こそ文明の進歩に対する一大障礙となっているため、これ程科学が進歩しても人類の幸福は増進しないにかかわらず気がつかないのである。これがためこの私の説に対しても全然検討もせず、宗教家の説なるがゆえに非科学的であり、日進月歩の今日進歩した科学の理論を裏切るものと決め、採り上げようとはしないのである。つまり科学迷信の黒眼鏡をかけているから、正確には見えないはずである。
ではその黒眼鏡とは何かというと、医学者の根本的考え方が最初から人間の生命を、他の物と同一レベルにおいており、病気も科学によって解決出来るものと信じている事である。ところが私は神示によって知った事は、なるほど人間以外の他のことごとくはそれに違いないが、独り人間のみは根本的に異っていて、これだけは科学の分野ではないからである。例えば人間の趣味嗜好、喜怒哀楽、恋愛等は固より、智性、芸術、神秘性、人類愛等高度の思想など、他の動物には全然ない事で、これだけにみても他の動物との異いさが分るであろう。というように科学は人間の特殊性を無視し、動物並に扱っている事が大いなる欠陥である。しかもそれが医学の根本理念となっている以上、科学の枠の中に立籠り、他の世界が見えなかったのである。これを別の面から見ても、仮に人間のレベルが地平線とすれば、それ以下が物象であり、以上が人間であって、これが宇宙の法則である。この理によって地平線以下のことごとくは人間の自由になるが、以上はその反対である。ゆえに人間が造った科学をもって人間生命を自由にする事の不可能なのは当然であって、何よりも無病である事も長命も意のごとくならないに見て明らかである。とすれば人間が人間の病気を治そうとするのは下剋上で逆であり、神位の侵犯である。この理によって人間の生命のみは世界中の学者がいかに努力しても、徒労以外の何物でもないのである。それに気付かず、見当違いの横道をひた走りに走っているのが現在の医学であるから、その無智なる実に哀れむべきである。私は思う、今日の医学者こそ科学の亡者であり、邪教迷信者と同様の心理である。また彼の封建時代武士道をもって最高道徳とし、主君のためなら殺人行為も敢えて差支えないばかりか、団体的大量殺人者程賞讃され、栄誉を得たのであるから、今日から見れば野蛮というより外はない。つまり公然罪悪が奨励されたのである。この事を医学に当嵌めればなおよく分る。
以上によって科学をもって最高の治病方法としていた事は、狭い封建の殻から脱け切れない盲目であった。ところが実は未知の素晴しい世界があり、そこに真の医術があって完全に病を治し得る事を私は知ったので、この一大福音を普く世界万民に知らせるべくその前提としてこの説を全世界の医学者に向かって発表するのである。
再軍備に就いて書いたけれども、未だ書き足らない処がったので、それを加えたから、もう一ぺん読ませます。
(御論文「再軍備に就いて」)
再軍備に就いて
(不明)
この間、今評判の三越の興福寺の展覧会ですね。あれに行って見ましたが、阿修羅と言う、あれが評判で、あの仏像ですがね。仏像の様な恰好じゃないんですがね。つまり阿修羅が――阿修羅と言うのは、丸で鬼の様な凄い顔だと思ったんです。処がさにあらずで、十七、八の処女の顔ですね。優しい、実に惚々する様な顔です。良く考えて見ると、阿修羅が改心して、仏様の顔になって、その姿を現わしているんですね。それが、今から千二百年前ですね。天平ですからね。その時代に、そんな素晴しい彫刻が出来たと言うのは、じつに驚くべきものですね。如何に日本人の美術に対する感覚が秀れているかが分るんですね。新聞に時価一億円とありますが、客引きに――宣伝になってます。前に教団の事を読売が一日一千万円の収入と書いたが、之は十倍より、もっとですね。それから今のも等身大ですが、もう一つのやっぱり等身大で烏天狗と子供―童子ですね。童子の菩薩ですね。そう言うのが三つありまして、実に立派なものです。実に良いですね。やはり、その時代の作品です。あとは見るべき物はないです。一番おかしいのは鎧ですね。兜、刀が随分ありました。それで、仏像は一つもないですよ。私は、せめて観音か阿弥陀か、釈迦、薬師如来、弥勒菩薩があると思ったら、そう言うのは一つもないんです。だから、今の阿修羅と四本の童子を除いたら、あとは見るべきものはないですね。唯、泥細工みたいな、釈迦の十大弟子と言うのが十体並んでましたが、乾漆と言う漆を固めた物ですがね。上等のは漆が薄いんですね。泥細工の様になる。おまけに釈迦の十大弟子と言うんですから、異様な顔で、現代離れした顔で、気持の悪い様なもので、一寸見ると泥人形と言う様です。そんな様で、お寺の展覧会に出て、仏像がないんですからね。良く考えて見ると、今迄に売っちゃったんでしょう。今並んでいる様な物は、道具屋が買わないですからね。仏像でないからね。
阿修羅は色んな働きをすると言うそれを表徴しているんですが、その作を見るとロダンよりか上です。日本の仏像の彫刻と言うのは、実に大したものです。私は、この間も、国宝と奈良の仏像を―写真の何冊もある本を、すっかり調べて見たが、実に素晴らしいものですね。断然世界一ですね。ですから、之は世界で知られないから、注目をされていませんが、いずれ私はそう言う風な彫刻の大展覧会をやろうと思っている。そうして世界的に知らせ様と思っている。出来ない事はないんです。この間、サンフランシスコの展覧会で、仏像も七、八体位出ましたが、それは国宝以外の民間の物です。それでも、アメリカでは非常に驚いたんです。その位のもので、この間アメリカから美術展について行った人が、あっちの―アメリカの美術館を調べて帰って来ましたが、その人は不断日本の骨董品の貿易をしてますから、良く事情を知っているんです。日本人の美術に於ける優秀性ですね。それは確かに世界一だと言ってますね。この間美術館を廻ってカタログを集めて持って来て二、三日前に見ましたが、品物は中々良い物があります。支那の周時代の銅ですね。周銅からそれから宋時代の陶器ですね。そう言うのは中々日本に無い様な良い物があります。日本美術ときたら、多少ありますが――絵なんかありましたが、殆ど贋物です。それから絵丈で、他の――蒔絵とか、陶器は全然ないと言って良い。そうして見ると、大いに日本の美術品を海外に紹介する必要があると思う。丁度箱根の美術館はそれに当嵌まる訳ですから、面白いと思ってます。そんな訳で今迄なくてはならない物――日本美術を紹介する――そう言う機関がなかったんです。そうでしょう――終戦前迄は、皆財閥とか、旧大名の土蔵の奥深く納めて、人に見せないですからね。偶々見せる場合は、親戚知人とか、そう言う者の少数の人に、御自慢で見せる丈ですね。大衆の目には見せないですね。又出来る丈見せない――秘密にしているのが良いとしている。茶器ですが、お茶の会をする時に、今迄人の目に触れない様にして置いた物を出す。アッと言わせるんです。面白い事には、今でも――有名な茶人ですが、一品良い物が入ると、その為に茶会をやるんですからね。その位珍重されているから、大衆の目に触れる事は絶対にしない。私はそれは、嘘だ。そう言う物こそ余計に大衆の目に触れさせなければならないと、型破りをやるんですがね。私は不断見る事が出来ない様な物を出します。琳派展覧会でも――博物館で光悦の有名な富士の茶碗を借りに行って、あれは酒井忠正と言う人が持っているんです。博物館で貸(借?)りに行って、二日間貸す――皇太后陛下がお見えになると言うので、それなら二日間貸すと言うのを、又三日間に延びましたが、二日間と言うのを一日延ばして貰ったんです。之は光悦の茶碗では第一等の物ですがね。それを博物館では人民には見せないですからね。皇太后陛下の為に出したんですから、それ程大変なものです。私は富士の茶碗を大衆に出します。神様からは、それを独占すると言うのはいけないんです。出来る丈多くに見せると言うのが本当のやり方ですから、そう言う点も大いに型破りをしようと思ってます。大体その茶碗なんかも、了解はされてます。最初からと言う訳にはいかないが、いずれ時期が来たら、琳派展覧会をやろうと思っている。
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