【御教え】
自然農法に就いて、今度佐渡の方から座談会の記事が来たのです。之は、今迄のこういった御蔭話中でも一番良いんです。それは、私の言う通りにやっているんです。だから成績が中々良いんです。で、今度新聞に出しますが、非常に参考になると思うので、今読ませます。
(御論文「自然農法の勝利」)
自然農法の勝利
(栄光一六三号)
今度新潟県佐渡地方の信者の、自然農法成績に関する座談会が開催されたその記事を読んでみると、今迄にない快いものがあったのである。というのは自然農法に切換えた最初の年から、一人の減収もなかったという事実で、全部初年度から二年、三年と漸次増収しつつある報告である。しかも私の指示をよく守った人ばかりなのであるが、それは浄霊せずとも増収する事を、如実に示された点である。
しかし他の信者でも私の説を守らない訳ではあるまいが、どうも長い間の肥料その他の迷信から抜け切れず、ともすれば私の説を軽視しがちで、自分の考えが幾分でも混じるため、それだけ成績に影響を及ぼすのである。例えば水田は藁を細かく切れといってあるのに、非常に長く切ったり、その土地の習慣上堆肥といっても、糞尿とか馬糞などを交ぜたがる。又指導者の中にも、自分の考えが多少混じる事もよくある。といったように純粋堆肥を使わない人も幾らかあるようだが、充分注意されたいのである。
という訳で本当を言えば、自然農法に於いては指導者の必要はないのである。何となれば私の説をよく噛み締めれば、それで充分解る筈だからである。そうして不徹底な人の多くは、技術面に関心を持ちたがるが、本農法に限って技術は大して重視する必要はない。常識で考えただけで沢山である。何よりもこの原理の根本は、肥毒を早く消滅さして、土自体の性能を発揮させればよいからである。
で、今ある通り切り藁ですが、之はやっぱり十一月にやった方が良いと言いますが、之はそういう訳なんです。丁度十一月頃やると、植附けの時分には腐って柔くなるのです。それで、藁は暖い処は必要ないんですよ。極く寒い処ですね――東北の様な処ですね、以前書いてある通り、土を温める丈の効能ですから、暖い処は要らない訳ですね。之にもある通り、何もやらないで土丈が良いとありますが、之は丁度私の説に合っているんですよ。浄霊も肥毒を取るんですから、だから四、五年以上先になると、浄霊の必要がなくなるんですよ。肥毒が無くなるからね。そういう訳だから、その気持でやれば良いんですね。之にもある通り、浄霊しなくても――信者でなくても、米を沢山穫る事は出来るという事ですね。之を一般に知らせると非常に良いんですよ。それでないと信者にならないと、どうも取れないと言う事になると、普及するのに非常に暇がかかりますからね。信者になる、ならないは二の次にして、日本の国の食糧問題を一刻も早く解決しなければならない。それには信者にならなくても、浄霊しなくても増収するという事を、未信者にもよく言って呑込ませるんです。それで良いんですからね。だから浄霊しなくては穫れない。と言って、信者を作る様な意志が一寸でもあってはいけないです。病気の方は信者になった方が良いですが、自然農法の方は、肥毒さえ無くなれば豊作になる。その点をよく心得てやって貰わなければならない。
此間の日比谷の時も言いましたが、こういう点が自然農法の効能ですね。で、それは非常に美味いんですよ。野菜でもね。之は、米に限らない。一切の作物ですね。処が今度肥料を使っている為に不味いんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。矢張り、近頃自然農法で取れたものを大分食べる様になりましたがね。大分美味いから肉より野菜を食べたいんですが、以前と来たら、野菜は不味いんです。だから、つい御馳走と言ったら、動物性の物を食べる様になるんです。だからして西洋は昔からそうですが、日本でも近頃非常に肉食が多くなって来た。動物性が多くなって来た。そうすると、精神的にどうしても気が荒っぽくなる。怒りたくなる、そこで白人位戦争好きなものはない。野蕃(蛮?)人が戦争好きと言うが、野蕃(蛮?)人より白人の方が戦争好きです。野蕃(蛮?)人は部落と部落の戦争はやります。処が白人は、戦争によって自分の野心を遂げ様とするのが、歴史に沢山ありますよ。それから社会的の争いですね。裁判とか或いは警察の取締りとか、そういう事が非常に必要になるのは、肉食の原因が非常にあるんです。私は七、八年前に――私の本にも書いてありますが、川治温泉というのがありますが、川治温泉と日光の間位の処に、湯西川という温泉がありますが、其処に行った時に、戸数が九十戸で、人間の数が――六百人という村人が居りますが、其処では絶対菜食です。川に鮎があっても食べないんです。先祖から食べた事がないから食べたくないと言うんです。鶏も無いんですからね。鶏を食べ様と思っても無いんです。遂々隣村迄行って買って来ましたがね。鶏がいないから、無論卵もないんです。其処では問題が起ると、宿屋の親父が一人で裁いている。それで済んでいるんですからね。病人なんか無いんです。肺病なんか無論無い。と言うのは、其処の村は絶対に東京なんかの都会人とは結婚しない。絶対に村中の人間と結婚しているんですね。偶に――日光が一番近いから、日光の人とは偶に結婚するらしいですがね。あとは絶対に村中でやる。何故かというと、東京なんかとすると肺病になり易いので、そんな危険な事はやらない方が良いというので、村中で済んでいるんですね。そういう訳ですから実際理想的ですね。天国みたいな村です。私は其時に――だから皆心が穏やかで、其処の色んな事を宿屋の娘に聞きましたが、娘も二十位で女学校ですがね。女学校は日光の女学校に行くが、非常に頭が良くて、話し方も滅多にない位にはっきりして気持が良いんですね。そういう点を聞いてみると、菜食というものの影響――之が非常にある。だから、つまり自然農法も、そういった米にしろ野菜にしろ非常に美味くなりますから、どうしても多く食べる様になる。そうすると、その為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。だから、自然農法の効果は、今迄それを言わなかったが、近頃そういう点に非常に影響があると思ってお話するんですがね。だからそういう風になると、西洋でも野菜をもっと多く食べる様になりますね。外人ですね。尤も外人でも菜食家というのはありますがね。死んだバーナード・ショウなんかは有名な菜食家ですね。ですから、やっぱりミロクの世の、一つの條(条?)件になる訳ですね。
それから、この二十八日――私は奈良、京都方面に行くんですが、この目的は何だと言うと、仏教美術ですね。仏教美術といった処で、仏像を見に行くんです。之は、良いものは奈良に一番多いので、そういった様な――そういう良いものがある寺を数カ所大体連絡して了解させて、そうしてそれを順繰りに見る事になっているんですがね、それは何う言う訳かというと、私が去年あたりから仏教美術を研究してみると、驚いたんですよ。それは何んだというと――素晴しい彫刻ですね。然も、兎に角奈良時代ですね。千二、三百年前に出来た木彫なんか大変な傑作がある。それは方々のお寺にあるんです。大体仏像が多いですが、仏像以外に昔の力士ですね。力士の男性の裸像――之なんかには非常な傑作がある。本当に遠慮なく言うと、ロダン以上のものは沢山あるんです。ロダンは男性美の力強さですね。それがロダンの特色としているんですが、処がロダンのは写生ですが、奈良朝時代に出来たものは、写生でなくて頭で作ったものです。空想的なもので、写生のものよりもっと力強い、実に驚くべきものです。又それ以外に仏様ですね。阿弥陀如来とか薬師如来とか、穏かな崇高な様子の溢れた面貌といい、感じといい、実に大したものですね。そこで、日本にそれ程の秀れた彫刻が沢山あるんです。数え切れない位あるんです。然し何と言つも(言っても)奈良、京都です。ここに集中されている。先ず、古い処は推古、飛鳥ですね。天平、白鳳、弘仁、藤原、鎌倉といった工合で、夫々特色があります。鎌倉時代の精巧な作品は又別な特色があって、それは実に大したものです。だから私は、どうしても世界的に知らせる必要があると思う。日本人が如何に文化的優秀性があるかと言う事をですね。それにはどうしても京都に一大美術館を造らなければならない。と言うのは、仏像の大きいものは、一つか二つは何うか知らないが、沢山運ぶ事は無理です。困難なんです。だから地元に陳列しなければならないですね。だから私は、京都に美術館を造るべき敷地ですね。それが丁度、候補地があるんです。それを今度調べる積りなんです。それと、もう一つは、やっぱり古いお寺は非常に財政難に落入(陥?)っているんです。その為に去年も、京都の大徳寺に行きましたが、気の毒な様です。雨漏りを修繕する事が出来ず、壁は落ち縁側も落ちそうでね、で、それを修繕する事が出来ない。政府でも国宝保存に対して、非常に気を揉んでますが、中々又それ程の財政援助が難しいので余程それに対して人民の方で、そういう事に力を尽くさなければならないと思う。又人民の内で、終戦前みたいに金持が沢山ある時はそういう事も出来ない事はないが、今日の様な状態では中々難しい。それで私は、あの辺の寺から、優秀なものを一カ所に集めます。今迄はそういった研究や何かはお寺を一軒々々廻ったものです。おまけに、外人や何かは日限がないのに大変ですから、一堂に集めて一ぺんに見せると言う機関を作らなければならない。そういう機関を作って、相当の入場料を取って、その金を出品したお寺に分配して、お寺の保存費、修繕費――そういうものに当てる様にする。そうすると一挙両得ですからね。然も日本の彫刻の秀れた――それを世界中の人に知らせる。そういう事ですね。之は是非やらなければならないですからね。大体そういう意味で、今度行く事になったのです。で、神様がやられているんですが、そういった様な丁度良い様な敷地でも、ちゃんと取って置いてあるんです。其処に段々、やっぱり地上天国を造ろうと思っている。
もう一つは、京都という処は、全然発展性がないんですよ。だから、一番の証拠は、京都の人口を調べて見ると増えないんです。何年前から同じなんですね。だから京都は、別の――そういった美術都市ですね。それが京都としての在り方なんですね。ですから、それには京都は将来もっと観光外客が、序に見るという所でなく、日本の京都を見に行こうという位の有引力ですね――そういうものを大いに京都という都市に発揮すべき必要があると思う。差当っては美術館は是非拵え様と思うし、それから後には、京都に一大地上天国を造ろうと思っている。それには京都と言う所は実に雰囲気が一番適当しているですね。之は日本の土地で、京都位の所はない。京都は日本に於けるフランスなんです。日本を世界とするとね。之は霊的の事になりますがね。之はいずれ話すとして――日本を世界とすると、京都はフランスになる。フランスは世界の観光客を集める。と同じ様にして、京都もそんな――今でもそういう点はありますが、未だ々々貧弱なんです。唯、古臭い、歴史的のそういったもので客を呼ぶ丈です。成る程、桂の離宮とか、修学院とか、色んなそういった古いのがありますが、それ丈では極く特殊な人丈しか、それが理解出来ないんです。そこで、現代人誰も彼も是非行ってみたいと言う意慾を起すには、兎に角新しい天国的なものを造るという事でなくちゃならないと思う。そういう意味で、段々京都もそういうものをやる積りですがね。今度の旅行の意味を一寸話したんです。
それから、之は一寸注意ですけれどもね。
(「大いに注意すべき事」)【註 栄光一五六号】
大いに注意すべき事
私のかいた文字を粗末にすると必ず御気づけがあるから、注意して貰いたい。これは御守に限らず、凡ての文字がそうである。というのは、その上へ品物を載せると、霊的に大変な御無礼になるから、必ず御気附けがある。何となれば一字々々に神霊が宿られているからである。その位の威力がなければ、万人を救うことが出来る筈はないからで、つまり私の文字は生きているので、そのつもりで扱うべきである。左の御蔭話はそのことを神様が御示し下されたものである。
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