【御教え】
今、出掛けにメシヤ会館の絵図が大体出来たんですが、この間のとは少し違ったんです。幾らか柱を細く――こまかくね。この間のは柱が二尺五寸の幅だったんですが、どうも――段々考えてみると太過ぎるので、一尺六寸にして、数が五、六本増えたんです。柱が人造石で、その間が白壁です。柱が一尺六寸で、白壁が三尺六寸――倍ですね。高さは、前面が四十尺ですから、約七間ですね。入口は大体三間位の幅で、両方に大理石の丸い柱――直径二尺位のを立てゝ、入口の欄間になっている処を、金――と言っても、本当の金ではない。金メッキなんですが、何か模様で、且つ入口のガラスの戸の縁等迄全部金メッキにして、入口は絢爛たるものにしようと思う。
「右っ側の茶色になっている処は何で御座いますか」
今、土がむき出しになっている処――それですよ。それから其処に家が建つんです。建つけれども、それには画いてないんです。家は、色々な――事務所とか、そういうものが建つんです。之はもう、全然新しいんです。未だ何処にもないんですよ。で、椅子が二千二百人許り入るんですね。その廻りが九尺の廊下で取巻くから、約三千人位入りますね。中の椅子から、之からは御神前、舞台兼用ですね――それが難しいんですよ。どうも、舞台らしくしては下品になりますしね。又余り神床一方では――其処で歌唄ったり、舞踊ったり出来ないから、そこを調和させるのが難しいですね。
次は景観台ですね。展望台の丸いガラスの家を、今画かせてますがね。もう直き出来ますけれども、之は余程変ったものでね。何から何処全部私がやらなければならないのでね。実に、専門家なんてのは頭が古くて間抜けでしようがないです。昨日も箱根に行ってケースの見本を見ましたが全然問題にならないですよ。それで東京で一番なんです。高島屋の専属なんですがね。良いものが出来ると思ったら、丸っきり駄目です。明治時代の物の様ですね。第一回の展覧会の様です。先が古過ぎるのか、こっちが新し過ぎるのかね。それで、金をかけて、安っぽい物が出来ちゃうんですよ。私がやるのは、一番金がかからない。之だって、金がかからない様にね。つまり金をかけないで、効果的ですね。何でも同じですよ。宣伝するにも、何も言わなくて急所をやる。之ですね。矢鱈に――ペラペラ喋っても効果がない。
会館の中の椅子から、天井から壁から、凡て私の考え通りにやるんです。美術館も大分出来ましたからね。先にやった処がどうもいけないんですね。それは一々言わなければならないのです。言った通りやればいいんですが、商売人は言った通りやると、自分の沽券に関わると言うので変えるんですよ。それを直すんですね。言った通りやらないで、変えるんですね。「素人はこういう処は分らない。どうも素人流でいけない」と言うのですね。一つの教育ですね。私の言った通りやると言う教育を呑込ませる迄に相当かかるんです。庭だってそうですからね。去年の夏石を流れの縁に入れてやるというのでも、私がこうしろと言っても、どうしてもやらないんです。簡単な事ですけれどもね。こうやれと言っても、どうしても私の言った通りやらないんですよ。三度ともそうです。親方の弟ですがね。今度私の言う通りやらなかったら、あの人は退いて貰わなければならないと言ったので、親方が私の言った通りやった。ですから、本人は暫く隠退の様になってましたがね。そう迄して自分の思う通りやろうと言うんですね。不思議ですよ。此の頃は来て一生懸命やってますがね。そんな訳で、こっちの言う通り、どうしてもやらないですね。簡単な事ですがね。二、三日掛って駄目になった。それが半日でちゃんと出来ちゃうですね。だから一番難しいのは、私の言う通りにやらせるというのが、一番難しいんです。一番厄介なのは、木の枝を切る事ですね。之は言う通りにやらないと、育つ迄に何年も掛るんですからね。之が一番困る。ですから、木を切る丈は私が見て、一々切らせるんですよ。それで、どうやら良いんですが、随分厄介なものですよ。
(御論文「神人合一」)【註 栄光一五五号】
神人合一
(栄光一五五号)
よく昔から神人合一という言葉があるが、実際からいってそういう人は、今までに一人もなかったと私は思っている。成程釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一の如くみゆるが、実は神意の伝達者であって、分り易く言えば神の取次者であったのである。というわけで世人は神人合一と、神の取次者との区別を知らなかったのである。即ち神の取次者は神憑りや、神の命によって行動するのであるから、常に神や仏陀を祈り、その守護を仰ぐ事にしているのである。
処が私はそういう事は全然やらない。信者も知る如く、神を祈る事もないし、神の守護を仰ぐ事もない。只自分の思うがままを実行していればいいわけで、甚だ簡単である。としたら今までに例のない事とて、変に思うかも知れないから、ここに差支えない点だけを書いてみよう。いつも言う通り私の腹には光の玉がある。これは或最高の神様の魂であるから、私の言動総ては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がないわけで、これが真の神人合一なのである。
従って、私に在られます神霊は最高の神位であるから、これ以上の神様は世の中にないのであるから、他の神様に頭を下げる意味はないので、何よりも信者が日々顕わしている奇跡がそれを証拠立てている。その奇跡たるやキリストの顕わした奇跡以上の奇跡が常に顕われているので、私の弟子でもキリストに比べて何等劣る処はないのであるから、この一事だけでも私の神格は想像つく筈である。
今一つ言わねばならない事は、今日までの悉くの聖者は、将来天国的世界が実現するという予言はしたが、自分自身造るとは言われなかったのは、全く神格が低く力が足りなかったからである。私は自分自身が病貧争絶無の地上天国を造ると宣言しているのは、右の理由によるからである。というわけで今後私は今までにない幾多の驚くべき経綸を行うから、それをよく見て貰いたいので、到底人間業とは考えられないような事が、ドシドシ出て来るであろう。
(御論文「原爆恐るるに足らず」)【註 栄光一五五号】
原爆恐るるに足らず
(栄光一五五号)
現在の世界で最も怖るべきものとされているものは、何といっても彼の原子爆弾であろう事は今更言うまでもないが、それというのはその驚くべき破壊力に対して、防止する方法が全然ないからである。併し止まる処を知らない科学の進歩は、何れは防止手段の発明も考えられるが、それは何時の頃か見当がつかない。としたら、それ迄の人類の不安は大変なもので、これ以上の悩みはあるまい、処が私は原爆を免れ得る力を神から与えられているのであるが、これを聞いただけでは到底信ずる事は出来まいから、事実を以て解説してみるのである。
元来、原子爆弾の原理というのは何万度か分らない程の灼熱である。この灼熱によって凡ゆる物質が一瞬にして焼尽されるのであるから、これを防ぐとしたらその熱以上の力でなくてはならないのは勿論である。だがそれ程の力なるものが現在地球上にありやという事であるが、実は立派に存在しているのである。今それを説明するに当って、先ず知っておかねばならない事は、私がいつも唱える処の霊体の真理である。言うまでもなく万有一切は霊と体との二元素から形成されているのが実相であるが、それに就いて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか分らない事実である。然るにこれが何故今日まで分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。
これを最も卑近な例で説明してみるが、先ず人間である。即ち科学は人間の肉体だけを対象とし、見えざる心即ち意志、想念を無視している事である。処が実際は肉体を自由自在に駆使している力は意志、想念である。言わば無形の力が有形の力を左右している訳であって、この無形の力こそ絶対支配者である以上、この理を原爆に当嵌めればよくわかるのである。即ち原爆と雖も根本は物質であり、只極致的偉力なのである。従ってこれを防ぐとしたら、それ以上の力即ち霊的原爆ともいうべき力の発揮によればいい訳である。といっても霊的原爆などというそんな素晴しいものは今日ある筈はないと思うであろうが、それが確実にあるのだから大問題である。即ちその力というのは原爆を受附けない程の超科学力であって、この力こそ神霊から発揮される絶対力である。処がこの力は何によって発現されるかというと、これこそ私の身体を通じて発揮される神力である。それは今日まで小規模乍ら実験によって確実にされている。彼の広島、長崎に於ける原爆を被った際、私が作った御守を掛けている人達は、悉く助かった事実である。今その中の数種を本人手記による報告を掲載(本誌には省略)したので、読めば如何なる疑い深い人でも、信じない訳にはゆかないだろう。
本教は常に言う如く、病貧争絶無の世界を造るにあるので、病貧の方は眼に耳に絶えずその解決法を教え、実行もしているから信じられるであろうが、争の方は今まで充分解いていなかった。勿論争の大なるものが戦争であるから、結局戦争が解決出来なければ、真の平和は実現しない訳で、これこそ原爆を無力ならしむる方法である。従ってこの力が地上に顕現されたとしたら、他の如何なる武器と雖も知れたものであるから、この世から戦争を絶無にする事は、敢えて不可能ではない事を私は断乎として言い得るのである。
こういうのがみんなで七つ来たんですが、之が一番良く書いてありますから、之丈読んだ訳ですがね。ですから之はハワイとアメリカにも送ってやろうと思っている。
それから之は、一寸面白い書き方なんで――。
(御論文「世界的丁髷時代」)【註 栄光一五五号】
世界的丁髷時代
(栄光一五五号)
現代人が近代文化の恩恵を蒙っており、あらゆる点において、生活上どのくらい安心と利便を得ているか分からない程である。とはいうもののほとんど想像もつかないところに、大きな不安の原因が伏在している事に気が付かないのであるから、困ったものである。万人がもしこの真相が分かったとしたら、一大驚愕と共に眼を覚まし、ここに真の文明が生まれ、人類は無限の幸福に浴する事となろう。ではその不安とは何かというと、何よりも医学衛生に関する面であって、現在各国共結核をはじめ、各種伝染病その他の病気に悩まされている事実である。それがため日常生活においても、ヤレ何の食物は栄養があり、ビタミンを含んでいるから食えとか、何は消化が悪いから胃をこわすとか、食過ぎは毒だとか、さほど食いたくもない物でも薬だから喰えとか、ヤレ鉄分を含んでるからいいなどと、その煩わしい事おびただしい。何しろ盲目的に医学を信用し切っているのだからどうしようもないのである。それが人民ばかりではなく、政府も同様であるから、常に奨励までしているという訳で、この有様を吾々からみればその馬鹿らしさに呆れるばかりである。
いつも言う通り、ビタミンの多い物を食えば、体内のビタミン生産機能は退化するし、栄養を余り摂れば逆作用によって身体は弱るし、消化のいい物やよく噛んで食うと胃の活動が鈍って胃病になる。というように何から何まで反対の事を行っている。そうかと思うと外出から帰ると、ヤレ手を洗え、うがいをしろなどと言うが、この面倒臭さも悩みの一つで、しかも何の意味もなさないで、反って神経質となり、健康を弱らすだけである。また寒い思いをすると風邪を引くから用心しろとか、冷えると身体にさわるなどといわれて、常にビクビクものである。もちろん吾々の唱える風邪は万病を免れる因で、人間第一の健康法などとの真理は夢にも思えないし、たまたまそれを言ってやっても、信ずる者はほとんどないくらいで、その他女性にしても腹や腰の周りに、何枚もの繊維品を捲きつけるので窮屈でもあり、不格好でもあり、動作の不便も並大抵ではないが、それをよいとしている。また子供を育てるにもこわれ物のように大事にし、ちょっとした病気でも直ぐ医者にかかり、薬毒をつぎ込まれる。驚いた事には近頃は生まれて間もない赤ん坊でさえ、無暗に注射を打たれ、弱らされている有り様である。
また予防のためと称して種々の注射をされ、幼児の内から薬毒を詰め込むのだからたまらない。いずれは浄化作用が発生し、各種の病原となるのは当然で近来小児結核や小児喘息、小児麻痺等が増えているのはよくそれを物語っている。そういう訳で子供を育てるのにも、楽しみよりも心配の方が多いくらいであるから、何と情ない世の中ではなかろうか、というのはその原因が全く科学文化中毒に罹って、本当の事が分からなくなっているからである。というのは科学の考え方は何事も人為的にやるのが進歩した方法と思い、自然を無視するからである。本来科学で解決出来る物と、自然でなくては解決出来ないものとの区別のある事に盲目だからで、忌憚なくいえば、現在は文化的野蛮時代といっても過言ではあるまい。
私はこの文化的蒙昧を目醒めさせようとして私は絶えず筆に口に、現在努力しつつあるのであるが何しろ長い間の根強い世界的迷信となっていることとて、容易な業ではない。ちょうど明治維新当時の丁髷連中を済度するのと同様で、今日はそれが世界的に押し拡がったのであるから、なおさら始末が悪いのである。
もう一つ、之は先にも書いてありますけれども、もう一ぺん、一寸書方を違えましたからね。
(御論文「大乗愛」)
大乗愛
(栄光一六六号)
単に愛といっても、小乗愛と大乗愛の区別在る事を十分知らねばならない。そうして小乗愛の最も極端なのが、言うまでもなく自己愛で、次が血族愛、友人愛、団体愛、階級愛、国家愛、民族愛という順序になるが、ここまでの愛は悉く小乗愛で、これは何程熱烈な愛でも、結局に於て悪である。というのはそれが強ければ強い程争いを生ずるからである。では大乗愛とは何かというと、これこそ人類愛であり、世界愛であり、神の愛である。以上の理によって何程立派な理窟を唱えても、小乗愛は限られたる愛であるから危険である。何よりも戦争の原因もこれあるのであるから、人類から戦争を絶無にするとしたら、この世界愛が全人類に行き亘り、一般的思想にならなければならないので、それ以外戦争絶滅の方法はあり得ないのである。
右の理によって、争いという争いは、悉くその根本は小乗愛からである事を知るべきである。処が不可解な事には愛を唱える宗教にも必ずといいたい程宗団内の争いがある。尤も今日はそれ程大きな宗教的争いはないが、古くは欧羅巴に於ける十字軍や、その他にも宗教戦争があった事や、日本に於ても昔は僧兵などといって、僧侶が武器を取って戦った事も史実に明らかである。としたら争いのある宗教は、最早宗教人としての資格を喪失した訳である。この意味に於て若しその宗教が本当のものであるとすれば、世界愛を説かねばならないと共に、それが実行に移されていなくてはならない筈で、それが大乗宗教のあり方である。我救世教はこの大乗愛を建前として人類を救うのであるから、世界の名を冠してあるのである。
二、三日前文部省の――アメリカから帰った人で、之はメシヤ教に大いに関心を持って来たんです。地上天国なんか見せて、私に是非会いたいと言うので、一寸会いましたがね。中々、役人らしくない人で、まあ新人ですね。話が良く合うんですよ。私も役人と話している様な気持がしないで言いたい事を言い、先も宗教家らしくないと言うんですよ。ですから、やっぱり固(堅?)苦しい事や、そういう様な事に触れないで、色んな話をして、中々面白かったですがね。ああいう役人が出来る様になると、日本も大いに民主的になると思うんですよ。やっぱりアメリカでも、美術熱と言うものは非常に盛んになっている様ですね。特に日本美術ですね。それに憧れを持っていて、大いに――見たり、手に入れたりしたい様な空気が盛んになっているそうですがね。で、そんな話を聞いていると、今度の箱根の美術館なんか、丁度時宜に適切に嵌まっている訳ですね。と言うのは何時も言う通り、日本美術という物は、見せる処が日本に未だ無いんですからね。ですから、いずれ外国に知れ渡るに違いないから、随分見に来るだろうと思ってます。日本に来た外客で――観光客としたら箱根を見ない人はないですからね。箱根に来れば、嫌でも此の美術館を見ますからね。だから相当世界的に反響を起すだろうと思ってね。去年あたり、日本に来る外客が確か五、六万人位でしたかね。季節的な関係があるから、箱根は半年として、半分として三万人位は、確かに美術館に見物に来るだろうと思ってます。それに就いて、館の方は大分信者の人も見に来るそうですから――知っているでしょうが――未だ、規模は小さいです。然し一通りは並べられると思うんです。で、並べる品物を段々調べてみますと、何と言っても、日本で規模の大きいのは博物館――上野の博物館ですからね。そうすると、博物館の品物――美術品を私の方と較べてみると、断然私の方が上なんですよ。但し仏教美術丈は博物館の方が上ですがね。之は、上の筈なんですよ。方々のお寺から借りますからね。それからもう一つは国宝と御物ですね。それが相当ありますからね。御物丈はこちらはとても敵いっこないですからね。それでも仏教美術丈は、いずれ負けないものを集める積りですがね。今の処は仏教美術はとても歯が立たない位ですね。然し、一般の美術を鑑賞するのは、仏教の方は一般的には分らないですから、私も近頃ああいう方も研究してみると、とても趣味のあるもので、それと共に良い悪いがとてもあるものです。最初の内は阿弥陀様も観音様も同じに見えたですよ。良い悪いも、時代なんかは分らなかった。そんな訳で一般としては、他の美術品が良ければ、一番効果的だと思うんです。その他の美術品としては、絵画ですが、日本は無論ですが、支那のものでも、博物館よりか私の方がずっと上ですよ。数に於ても負けないでしょう。物に於ては断然上ですからね。之は大いに誇るに足ると思うんです。あとは蒔絵ですが、蒔絵も私の方がずっと上ですね。それから陶器――日本、朝鮮、支那の陶器ですが、之も私の方が勝ってます。だから仏教美術を除いた他の物は、少しくらいでなく相当勝ってますから、外客が見て――方々美術館を見るでしょうが、確かに箱根の美術館は――日本美術を見たいとしたら、どうしても来て見なければならないと言う事になるのは間違いないですね。で昨日行った処が、ケースの見本が出来てきましたが、問題にならないですね。どうも――さっきも言った通り、全然やり直す積りです。そんな訳で、段々調べて分った結果、非常に安心したと共に大きな期待が持てる訳です。それから後の方の拡い処ですねモミジを植える処ですね。モミジも可成り植わりましたが、植え方が少し混み過ぎるので、間を開ける様に、昨日言って来ました。美術館は美術館として、周囲ですね――竹林とか萩の道ですね。ああいう方面も大いに感心するだろうと思ってますがね。で、丁度六月迄には大体出来ると思ってますからね。大いに楽しんで良いと思います。ですから、少し好きな人は、何時迄もそこに釘附けにされる人が随分あるだろうと思いますね。だから余程方法をしないと、多勢見せ切れないだろうと、それが聊か心配ですね。何しろ不断、一品か二品でも是非見たいと言うのが沢山ありますからね。好きな人は動きませんよ。何時かの寸鉄にある様に、息が止る人や、腰を抜かす人がある位ですね。そんな訳ですから、幾度も見に来る人がありますね。ゆっくり見たら一日掛っても見切れない位ありますね。処が信者さん丈は、面会日は朝の九時から、十一時の面会迄の二時間はゆっくり見れますから、一つの特権だろうと思ってますがね。だから、その為に信者に入る人も随分あるだろうと思います。時間がないから、話はその位にして置きます。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.

-1-scaled-2.jpg)