私の仕事を邪魔しないでくれ

 私が今、全心全霊を打ち込んで努力している事業は、信者はよく知っているが、近来識者の間に大分理解する人が増えて来たようで喜ばしいが、まだ誤解している人もあるらしいから、これ等の人の為に少しかいてみるが、この人達も勿論本教の真相を知らないからで、世間の噂や言論機関のデマなどで迷わされたり、中には生まれつき宗教が嫌いな無神論のカチカチ屋などもあるだろうし、そうかと思うと嘘のような話だが、悪が好きなのか、宗教は善を勧めるから(しゃく)(さわ)るという人もあるらしい。併し乍ら先ず共産主義者以外の人なら、自分の生まれたこの日本の国がよくなる事に反対する者は一人もあるまい。

 そこで今書こうとするこの文の目的は、神とか信仰とかいう宗教的の事は一切抜きにして、普通人でも理解出来る面の事を主としたものである。それは私が今造営中の箱根、熱海に於ける地上天国の模型であって、箱根の方は規模も小さいので、茲では熱海の方に就いてのみかいてみるが、私の最初からの計画は世界に二つとない自然美と人工美とをタイアップさせた一大芸術品を作ろうとするのである。

 そういう訳で、先ず世界的にみても一番風景に富んだ国としたら、我日本であるというのが定説である。成程私はまだ外国へ行った事はないが、種々な点からみてもそう思えるのである。私がいつも言う如く、日本は最初から神がその御目的の下に造られた世界の公園であって、然も幸いな事には自分がこの国に生まれ、現在住んでいるのであるから、万事好都合なのは勿論である。そこで日本のどの地点がその条件に最も叶うかを調べた処、何といっても箱根、熱海である事が分ったので、私は箱根、熱海を探した処、不思議にも思い通りの土地も住む家も見附かり、容易に手に入ったのである。その後終戦となるや凡てが順調に運び、箱根といい、熱海といい、どちらも必要な地域が次々手に入り、現在はどちらも二、三万坪に(なんな)んとする程になったので、広さに於ては先ず十分と言えよう。併し箱根の方は何しろ山が(けわ)しく、(がん)(せき)重畳(ちょうじょう)としているので、大規模の構想には不適当だが、そこへいくと熱海の方は山は高からず、土の所も多いので、自由に大規模な計画が出来るという訳で、目下熱海に造営中なのがそれである。

 この地が凡ゆる条件を具備している事は、先ず何よりも素晴しい眺望である。恐らく日本中何処を探しても、これ程の所はあるまいとは、見る人の一致する言である。然も交通至ってよく、人も知る如く関東と関西との殆んど中間になっており、東西何れからでも容易に往来出来る。その他の特色としては冬暖かく、温泉豊富にして、周囲の山並を包んでいる緑の色、鏡の如き相模湾の海原、右手遥かに五つの岬が描いている曲線美、左手真鶴の突端にある二、三の小島も面白く、晴れたる時は地平線上夢の如くに浮かんでいる三浦半島の一線、霞の奥長々と寝ている様な一条は房総半島で、有名な鋸山(のこぎりやま)のキザキザな不思議な曲線が目を惹いている。まながいには盆石の(たたず)もう如き初島あり、その右手には有名な噴火山に似合わしからぬ柔かい線の大島も見える。

 右の如き絶景を一望に収むるこの地点が、瑞雲郷中央の景観台であって、此処は位置といい、山の高さといい、全景観の眺めには最も好適で、此処に身を置く時(さなが)らこの世の天国にある思いするとは、誰もが絶讃する処である。全く天地創造の時神が準備された聖地であり、神の大芸術品でなくて何であろう。然も駅から徒歩で十五分、車で五分で行ける近さで、道はダラダラ坂であるから交通も至便である。そうして最初この土地を手に入れたのが昭和二十一年であったから、丁度今年で五年になる。今まで毎日五十人から百人位の人間が、私の設計のまま一生懸命に働いているので、地形だけは本年一杯で大体出来上る積りである。其処へ植える花樹は躑躅(つつじ)二十種類で二千本、桜一千本、梅五百本を主なるものとし、その他出来るだけの種類を網羅(もうら)した花樹を植込み、次から次へ花の絶えないようにする。先ず理想的一大パラダイスと言ってよかろう。

 そこで愈々来年春頃から建築に取掛るが、最初は敷地千三百坪の上に、八百坪一階建の救世(メシヤ)会館を建てるが、勿論鉄筋コンクリートで、様式は現在世界の建築界を風靡している彼の仏蘭西のル・コルビュージュエ式を基本とし、それに私の考案を入れた劃期的新形式のもので、出来上った上は恐らく世界的宗教建築として世の注目を引くであろう。成程コルビュージュエ式は確かに時代感覚にピッタリしてはいるが、荘厳味に欠けており、官庁、デパート、住宅等の実用向にはいいが、宗教のそれとしてはどうも相応しからぬ感がある。といって今更古典的な昔人の遺品のようなものも採りたくないから、ヤハリ時代的感覚を充分表現したものでなくてはならないと共に、内部の装飾(そうしょく)その他もそれに似合うよう新規(機?)軸を出すつもりである。

 次は美術館であるが、これは三階建、総延坪千坪位のもので、この様式が又問題である。何となればこれも大体コルビュージュエ式ではあるが、美術館としての色彩を充分出した世界的のものにしたいからである。そうしてその陳列(ちんれつ)の美術品であるがこれも量は固より、質に於ては世界最高峰を目差している。というのは成程米・英・仏等にも、夫々立派な博物館、美術館はあるにはあるが、何しろ陳列品は西洋の作品が殆んどであるに対し、本館は東洋美術に重点を置いている。この事は欧米の美術愛好家の意見もそうである如く、世界の美術としては何と言っても東洋が(まさ)っているので、近来欧米に於ても東洋美術の蒐集(しゅうしゅう)に腐心しているにみても明らかである。そんな訳で彼等も数十年前から此処に目を附け、金に飽かして手に入れた物が今日自国の美術館を賑わしているが、併し何といっても僅か数十年の短かい期間では充実までにはゆかないので、これが欧米識者の悩みとされている。処が幸いな事には、我日本には千数百年前から支那朝鮮は固より、日本独自の作品迄も遺憾なく国中に蔵されており、それが分散的ではあるが、大いに意を強うするものがある。併し今の処殆んど死蔵の形であるのは遺憾ではあるが致し方あるまい。何しろ欧米と異い、今日までの日本はそれを生かして、世に益すべき機関がなかったからである。然も支那朝鮮の美術品は現在本国には殆んどないとされている。というのは昔から幾度もの兵火を蒙って来た事とて、全部破壊焼尽されており、只僅かに発掘品が偶に出る位で、これが欧米人の手に入り、博物館、美術館に出陳されるという事である。

 処が日本に於ては、千年以上前から支那朝鮮の名画名器を輸入したのは勿論、日本に於ても千三百年前推古(すいこ)(ちょう)時代已に仏教芸術を支那に学び、日本人独特の仏教美術を作り出し、その後凡ゆる美術品に亘って進歩発達し、名人巨匠の輩出と相俟って、多数の名品が作られ、天平、藤原、鎌倉、桃山、徳川、明治、大正期を経て今日に至ったのであるから、その期間に貯蔵された東洋美術の優秀品は実に(おびただ)しいものがある。然も昔から皇室を始め将軍、大名や、近代に至っては財閥等が愛好珍重し、保存に努めて来た事とて、今日と雖もそれらの珍什名器は国中到る所に愛蔵されており、私が常にいう〝日本は世界の美術館なり〟との言葉も宜なる哉というべきである。そんな訳で、今度私の造る美術館にしても、東洋美術の粋を集めて、世界各国愛好者の(かつ)(いや)すと共に、日本人の文化的水準の高さを示す結果ともなり、好戦国民の汚名を拭う上にも至大な効果があるであろうし、尚完成の暁、外客誘致の国策にも、与って力ある事は誇称(こしょう)し得るのである。そうして右以外、今一つの重要時がある。それは今日、日本の美術家達が古美術の傑作品を参考に見たいという旺盛な意欲である。処がそれを満たすに足るべき施設は殆んどないと言ってもよかろう。只僅かに三都の博物館と、数箇所の私設美術館あるのみで、博物館は歴史的考古学的のものが主となっており、美術的には甚だ物足りないと共に、私設美術館に至っては、一種の財産保護手段ともいうべきもので、僅かに春秋二回短期間だけ特殊の人に見せる位で、誰でも見たい時に見られるという簡易な組織の美術館がないので、この美術館が出来たとしたら、今後我国文化の向上に如何に役立つかは多言を要しないであろう。

 右によっても分る如く、現在日本に数多ある処の珍什名器は、財閥や特殊階級の倉庫深く死蔵されているに対し、一方それに(あこが)れている日本中の美術家や好事家も多数あるとしたら、双方を連繋(れんけい)する機関こそ今後なくてはならないものである。この意味に於て何よりも美術品所蔵家の理解を得ると共に、安心して出陳出来るだけの設備の完備した美術館が大いに必要である。

 以上長々とかいて来たが、この様な大きな事業を私一人の手で達成しようとするのであるから、実に容易な業ではない。恐らく有史以来誰も試みた事のない大事業であろう。本来なれば政府の援助は無理としても、市や民間団体等から相当の支援を受けてもよかりそうなものだが、私はそれを嫌うのである。何故なれば、そうされると私の考え通り思い切って()れないからである。何しろ営利事業でない事と、余りに例のない大規模な新企画であってみれば、丁度美術家の製作品と同様、飽迄私としての個性を発揮(はっき)したいのである。

 以上の如きこの大事業に対し、その実際内容を知らないで、本教を兎や角言うジャーナリストもあるようだが、大いに考えて貰いたいのである。以上によっても分るだろうが、私は世界文化の為と、日本将来の為を思い黙々として努力して来たのであって、神助によって兎も角順調に進んで来た今日、満足には思っているが、この事業は私がやらないとしても、誰かがやらなければならない切実な国家的、否世界的事業であり、それが早ければ早い程、文化の向上に資する処大であろう。従って未知の人や関心を持つ限りの人々は、先ず実地をみて貰いたいのである。その場合懇切(こんせつ)に案内もし、納得のゆくよう説明の労も惜しまないのである。

(栄光 一三一~一三二号)

 

 

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