大乗たれ

 私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の悪であるという事であるが、この肝腎(かんじん)な点をどうも忘れ勝ちな信者があるが、これは大いに反省して貰わなければならないのである。分り易く言えば、何事も大局的見地から観察(かんさつ)するのが大乗的見方である。それに就いてよく説明してみるが、一生懸命善と思ってしている事が結果に於て案外教えの御邪魔になる場合がある。然もこういう人に限って自力的で人間の力を過信し、大切な神様の御力を不知(しらず)不識(しらず)忘れ勝ちになっているのは誰でも覚えがあるだろう。

 又こういう事も屢々(しばしば)聞かされる。それはアノ人は随分熱心(ねっしん)にやっているが、その割合に発展しないのはどういう訳であるのかと(いぶか)るが、これこそ小乗信仰の為であって、小乗信仰の人はどうも堅苦(かたくる)しく窮屈(きゅうくつ)になるので、人が集って来ないから発展もしないのである。然も一番いけないのは、物事が偏りすぎるから常識を外れて、奇矯(ききょう)な言動をする。これを見て心ある人は本教を低級迷信宗教と思い軽蔑するようになるので、この点大いに注意すべきである。処がその反対に、それ程熱心に見えないようでも、案外発展する人がある。こういう人こそ本当に大乗信仰を呑み込んで実行するからである。

 今一つ言いたい事は、小乗信仰の人に限って、他人の善悪を決めたがる。これも私は常にいう事だが、人の善悪を云々するのは飛んでもない間違いで、人間の善悪は神様以外分るものではないのだから、人間の分際で善とか悪とかいうのは僭上(せんじょう)の沙汰で、如何に神様を冒瀆(ぼうとく)する事になるか分らないので、これ程大きな御無礼はない訳である。何よりもこういう人に限って独善(どくぜん)的で鼻が高く、人徳がないから発展しないばかりか、時には(ろく)でもない問題を起し勝ちである。

 この例として、終戦前の日本をみればよく分る。忠君愛国の旗をかついで、全国民命掛けでやった事がアノような結果に終った一事であって、この道理は大なり小なり何にでも当嵌(あてはま)る。成程その当時はみんな正であり善であると思って行った事だが、この善は小乗の善であるから、自分の国さえ良ければ人の国などどうなってもいいという利己的観念の為のその報いである。それに就いて私は先頃「世界人たれ」という論文を出したが、つまりその意味であって、大乗の善即ち世界的善でなくては本当の善とはならない事を示したのである。勿論こういう考え方でゆけば侵略(しんりゃく)戦争など起りよう筈がないから、アノような悲惨(ひさん)な目にも遭わず、今日と雖も平和を楽しみ世界から尊敬される国になっていたに違いないのである。

 別言(べつげん)すれば、愛にも神の愛と人間の愛とがある。即ち神の愛は大乗愛であるから、無限に全人類を愛するが、人間愛は小乗愛であるから、自己愛や自分の仲間、自己の民族だけを愛するという限定的であるから結論は悪になる。この意味が分ったとしたら信者たるものは何事に対しても、大乗でゆかなければならない訳で、即ち神の愛をしっかり胸に畳んで御取次する事で必ず好結果(こうけっか)(もたら)すに決っている。故にどこまでも神の御心を心とし、無差別(むさべつ)的愛で臨む以上誰しも快く接する事が出来、喜んで人が集って来るのは当然であり、発展するのは間違いない事を、最近感じたまま茲にかいた次第である。

(地上天国 三〇号)

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.