信仰とストライキ

 (いま)時局問題として、国民大衆が最も脅威(きょうい)を受けているのは、炭労ストと電産ストであろう。これを解決しようとして、政府は固より、中労委などが種々の()(かい)(さく)(こう)じ、懸命になっているが、どちらも意外に強硬(きょうこう)で容易に解決の方向に進まず、前者は五十日以上、後者は七十日以上に及んでも、()(ぜん)として何等曙光(しょこう)を認められないのは困ったものである。これが為国家が(こうむ)る直接の損害(そんがい)は一日数十億に上るというのであるから、間接の損害も加えたなら、驚く程の数字に上るであろう。

 では、一体この原因は何処にあるかを考えてみるまでもなく、労務者の方は少しでも(ちん)(ぎん)を多く得ようとし、経営者の方では少しでも少なくしようとし、両者の欲の(しょう)(とつ)がこうなったのは言う迄もない。それが為大多数の国民が()(せい)にされ、苦しんでいる。この事実に対し、彼等は目を(ふさ)いでいるのであるから、寧ろ赦し難いと言ってよかろう。つまり、自分さえよけりゃ他人の困ることなど構わないという、利己(りこ)一点張(いってんばり)の考え方である。としたら、早晩(そうばん)この問題は解決を見るとしても、何れは再び起るのは間違いないから、このような(いま)わしい問題は一日も早く打切りにしたいのは、誰もが念願する処であろう。ではそれに対し徹底的手段はありやと言うに、大いにあることを()げたいのである。それは何かと言うと、勿論信仰心の培養(ばいよう)であり、それ以外絶対ないことを断言(だんげん)するのである。にも拘わらず、今日如何なる問題に対しても、信仰以外の手段のみに懸命になっているのであるから、全く的外(まとはず)れで、(こう)(そう)しても一時的膏薬(こうやく)(ばり)であるから、何れは再発するのは勿論で、丁度医学と同様である。右のようなわけで、政府もジャーナリストも指導階級にある人も、信仰などはテンデ問題にせず、唯物的方法のみで解決しようとするのであるから、その無智なる言うべき言葉はない。

 そのようなわけで、今(かり)に私の言う通り労働者も経営者も、正しい信仰者が大部分になったとしたら、果してどうなるであろうかを考えてみて貰いたい。勿論信仰の建前(たてまえ)は利他本位であるから、労働者は(せい)()を以て事に当り、経営者の()(えき)を考えるとともに、経営者の方でも出来るだけ労働者の(ふく)()を考えるから、共存(きょうぞん)共栄(きょうえい)(じつ)(あが)り、両者が受ける利益は予想外なものがあろう。勿論()(かい)に仕事も出来るから、能率(のうりつ)も上り、自然コストも安くなるので、事業は繁栄(はんえい)するし、しかも輸出方面も(さか)んになるから、国家経済も大いに改善(かいぜん)され、税金も安くなり、生活も楽になるのは勿論であるから、病気も犯罪者も減り、四方八方よくなるばかりで、日本再建などは易々(いい)たるものである。その結果、世界各国から()(はん)(てき)平和国家と(あが)められるのは必定(ひつじょう)である。

 以上のような夢物語にも等しいようなことも、決して難かしくはない処か、かえって(よう)()であるのは常識で考えただけでも分る筈である。しかもこの根本は心の向け方一つで実現するのであって、(よう)は実行である。とすれば、この説こそ何と素晴しい福音ではなかろうか。では何故(なぜ)今日までそんな簡単なことが分らなかったかと言うと、人間の心に内在(ないざい)している()(ばん)(せい)である。何しろ人類は文明になったと言って威張(いば)ってはいるが、それは形ばかりで内容は右のごとくであるから、争闘は絶えないのである。そうして、()(ばん)(せい)とは言う迄もなく獣性(じゅうせい)であって、彼の獣が一片(いっぺん)の肉を奪おうとして、歯を()き、(きば)を鳴らして、取合(とりあい)をするというこの性格がそれであるから、極端な言い方かも知れないが、現代の人間は、右の如き獣性の幾分(いくぶん)が文化面の(かげ)に残っているのである。昔の(ことわざ)に〝人面獣心(じんめんじゅうしん)〟という言葉があるが、文明になった今日でもこれだけは()(ぜん)たるものである。

 従って、本当にこの社会からストを無くするには、どうしても宗教を以て獣性を抜く事で、これ以外根本的方法はあり得ないのである。この意味に於て、我が救世(メシヤ)教の建前(たてまえ)としては、人間から獣性を抜くことであり、人間改造であって、これこそ理想的文化事業とも言えよう。処がこの真相を知らない人達は、本教の内容を検討(けんとう)もせず、単なる迷信として片附けてしまうのだから、この人達こそ、誤まれる既成文化を有難がっている盲目者(もうもくしゃ)と言うより、言いようがない。それについて、私が今書いている著書(ちょしょ)であるが、これは前記の如く、今日迄の外形内貧(がいけいないひん)の文明を(よう)()し、当然生まれるべき真文明の設計(せっけい)構想(こうそう)を指示したものであるから、完成(かんせい)の暁、全世界の有識者(ゆうしきしゃ)に読ませ、大いに啓蒙(けいもう)せんとするのが目的である。

(栄光 一八七号)

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.