半文明半野蛮の世界

 現代は最も進歩した文明世界と誰しも思っているだろうが、その内容をよく検討してみると、余りに欠点が多いのは、日々(にちにち)の新聞をみても分る通りで、犯罪者や不幸な人間の記事で(うずま)っている。公平に見て善い事よりも悪い事の方が、断然(だんぜん)多い事実である。最近大問題となった()(しょく)事件などを見ても、検察(けんさつ)当局が一度手をつけ始めるや、それからそれへとどこまで拡がってゆくか分らない位であるから、今度の事など或いは氷山(ひょうざん)一角(いっかく)で、本当に調べたら、政界も財界も、()(きず)の人間は果して幾人あるであろうか。残らずと言いたい程であろう。

 それに就いて、よく考えてみると意外に思う事がある。それはこの事件の関係者の悉くは、教育の低い田夫(でんぷ)野人(やじん)なら兎に角、何れも高等教育を受けた文化人のみである事である。従ってこれでみると、高等教育を受ければ智識は発達し、文化的人間となる以上、犯罪など減るばかりと思うが、今回の事実を見る時、只()(ぜん)とするばかりである。としたら、実に()()(かい)千万(せんばん)と言わねばならない。そこで標題(ひょうだい)の如く半文明半野蛮の時代と言ったのであるが、これを見ても否と言える人は恐らく一人もあるまい。では一体この情勢に対し如何にすればいいかと言うと、それは敢えて難かしい事はない。()(ごく)簡単である。即ち、私が常に唱えている唯物(ゆいぶつ)偏重(へんちょう)教育に目覚め、唯心教育を勃興(ぼっこう)させる事である。分り易く言えば、形のみを信じ、形なきものは信じないという(めい)(もう)打破(だは)する事であって、その唯一の方法としては、宗教の力によって神の実在(じつざい)を認識させる事である。

 そうしてこの事が指導者階級に分ると共に、国民全般に行渡(ゆきわた)るとしたら、犯罪を犯しても人の眼にさえ触れなければいいとする間違った根性(こんじょう)(なお)る以上、犯罪は出来なくなり、明るい良い世の中になるのは分り切った話である。処が、こんな簡単(かんたん)明瞭(めいりょう)な道理が分らないとみえて、いつになっても法という網や檻を厳重(げんじゅう)に作って取締(とりしま)るのみであるから、人間を動物扱いにしているわけで、これでは効果のないのは当然である。処が、事実はこの法の檻でも社会秩序(ちつじょ)維持(いじ)出来ないとしたら、その原因は何処にあるかという事に気が附きそうなものだが、一向(いっこう)に気がつかない。相変らず社会は半人半獣の人間の集団となっているのである。この意味に於て最早唯物教育では、人間の獣性を取除く事が出来ないのは余りに明らかである。故に、今までの教育では結果に於て、獣性を(おお)(かく)す技術の進歩でしかない。従ってこれではいつになったら、真の文明社会が出来るか見当がつかないのである。としたら、これを解決するには、どうしても人間の(たましい)から獣性を抜く事であって、それ以外に根本的方法はあり得ない。

 それが宗教であるが、不思議にも高等教育を受ければ受ける程宗教が嫌いになるのはどうしたものか。これが文明の(いち)大欠陥(だいけっかん)であろう。この原因こそ、(はら)の中にある獣性が宗教を忌避(きひ)するためであって、悪は善を(この)まないからである。としたら、現代教育は()(のう)(てき)(あく)を作るものと言ってよかろう。処が、()(はや)それは(ゆる)されない時が来た。というのは、本教の出現である。何となれば本教は神の実在(じつざい)を目に見せ、手に(つか)ませる事が出来るからである。と言うと、そんな素晴しい事はありよう(はず)がないと言うであろうが、実は訳なく出来るのである。本教に接するや(たち)(どころ)に神霊を把握出来るからであって、それが奇蹟である。本教が驚くべき奇蹟を無限に現わしつつあるのが何よりの証拠であって、これこそ愈々(いよいよ)神は、半文明半野蛮の()(こう)(てき)文明を()(せい)し、唯物唯心の両脚(りょうあし)(そろ)って歩む処の真の文明世界を造るべく、神の大経綸(だいけいりん)は開始されたのである。

(栄光 二五六号)

 

 

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