陶器に就いて書いてみるが、元来陶器も絵画と同様、支那から学んだものであるから、最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。古い処では黄瀬戸、青織部、青磁、染付、有田、平戸等で、美術的陶器としては彼の柿右衛門が始めたもので、次いで稀世の陶工仁清が京都に現われ、更に九谷焼が生まれ、一方京都では粟田、清水等の色絵も出来、仁清風が伝わって伊勢の萬古、赤絵となり、次いで薩摩焼の錦手等が制作される事になった。
又室町時代、凡そ四百年前、尾張瀬戸に生まれたのが古瀬戸と言い、古くは千二百年前奈良朝頃から、自然灰を上釉とした青磁風の陶器が出来、日本青磁も江戸中期から出来たが、到底支那青磁に比すべくもない。
柿右衛門は江戸初期の名工で、近世色絵、錦手等の新機軸を出したので、その功績は斯界の大恩人であろう。その後元禄時代六代柿右衛門は、渋右衛門の釉によって優秀な製品を出し、有名となった。
特に私の好きなのは、肥前の大河内焼で一名鍋島焼と言い、享保年代初めて作られたもので、皿類が多く、その意匠の抜群なる色絵染付の技術と相俟って、垂涎措く能わざるものがある。次に、俗に伊万里焼という錦手物も捨て難い処がある。又、薩摩焼の巧緻にして、絢爛たる色絵も可なるものがある。併し以上の三者共、近代のものは、意匠、技術共見るべきものなく、何といっても二百年以前の物に限ると言ってもいい。
ただ、百五十年前に生まれた錦手風の九谷焼は見るべきものがある。特に吉田屋の青九谷や色絵物に優秀なるものがある。
私は、最後に語るべきものに、彼の京焼の祖である名人仁清がある。彼は仁和寺村の清兵衛(清右衛門?)が本名で、陶工としては先ず日本に於ける第一人者と言ってもいい。彼の作品に至ってはその多種多様なる形状、模様の、行くとして可ならざるなき作風は、天稟であろう。然もその高雅、典麗にして、他の陶器を切離している。特に抹茶碗、壺等には国宝級のものも相当あり、画界に於ける光琳とも言えよう。彼の偉なる点は、日本陶器は殆んど支那を範としたに拘わらず、彼のみは聊かもそれがなく、日本独特のものを作っている。尤も彼の鍋島焼も同様、日本独特のもので、この点二者同様の線に沿うており、支那以上のものも多く出している。又乾山も、稚拙な点もあるが、趣味横溢したものもある。光琳の弟である為、光琳との合作もある。
又、備前焼にもなかなか良いものがある。主に花生、置物等で、古備前、青備前等、優品が多く、推奨に足るものがある。又祥瑞も私の好きなものである。その他京焼物の種類も多いが、名だたるものとしては、初代木米位であろう。
陶器を語るに当っては、茶器も語らなければなるまい。茶器としては、まず茶碗であろう。特に朝鮮物が最も珍重される。最高のものとしては井戸であろう。井戸のうち喜左衛門、加賀、本阿彌等は有名である。これらは今日と雖も価格数百金というのであるから、驚くべきである。次いで、魚屋、柿の蔕、粉引、蕎麦等は、朝鮮物として珍重されている。純日本物としては古瀬戸、志野、織部、唐津、伊賀、信楽、萩の外、長次郎、のんこう、光悦、仁清であろう。特に長次郎は楽の元祖で、利休の寵を受けた名工で、今日迄十三代続いている。
次に新しい処を少し書いてみるが、明治以後今日迄、特筆すべき名人は未だ出ないようだ。主なる名工として、初代宮川香山、清水六兵衛、板谷波山、富本憲吉位であろう。
支那の陶器としては、先ず青磁で、青磁にも砧、天龍寺、七官の三種ある。その他交趾、万暦、赤絵、呉須等がある。朝鮮物は白高麗位であろう。
(自觀随談 六八頁)
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