天国は芸術の世界

 私は常に〝天国は芸術の世界なり〟と言うが、単にこれだけでは、余りに概念的である。成程美術、文学、芸能等が充実する事も、右の通りで大いに結構ではあるが、本当から言うと凡ゆる芸術が揃わなくてはならない。否、芸術化されなければ真の天国とは言えないのである。

 私が唱える処の、神霊療法による病気治しにしても、実を言えば立派な生命の芸術である。何となれば、芸術なるものの本質は、真と善と美の条件に適わなければならないからである。先ず何よりも、病人には真がない。というのは、人間は健康であるべきが真であって、健康を(そこ)ねるという事は、最早人間本来のあり方ではなくなっている。例えば、ここに一箇の器物があるとする。その器物のどこかに破損が出来るとすれば、その器物の用途は果せない。水が洩るとか、置くと倒れるとか、使うとすると毀れるとかいうのでは、器物としても真はない。従って何とか修繕して役に立たせるようにしなければならない。人間もそれと同様、病気の為人間としての働きが出来ないとすれば、無用の存在となってしまうから、その修繕をする。それが本教の浄霊である。

 次に善であるが、人間に善がなく悪のみを行うとすれば、これも真の人間ではない、動物である。かかる人間は社会に害を与えるから、不要処か、寧ろ生存を拒否しなければならない事になる。併し、それは生殺与奪の権を握られ給う神様が行わせられるのである。その結果、失敗したり、病気で苦しんだり、貧乏のドン底に落ちたり、中には生命までも失うようなものさえある。これは全く神様に裁かれるのである。併し単に悪と言っても、意識的に行う悪と、無意識的に行う悪とがある以上、その差別に相応の苦しみが来る。その点は実に公平である。最後の美であるが、これは説明の要がない程判り切った事だから略すが、以上によってみても明らかな如く、真善美の具現こそ、この世界を天国化する根本条件である。

 従って、我々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも、勿論芸術である。前者は前述の如く生命の芸術であり、後者は農業の芸術である。これに加えて、我等が地上天国の模型を造るのも、美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである。これ即ち地上天国、ミロクの世の具現である。

(栄光 七二号)

 

 

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