宗教と芸術

 我等の常に(とな)うる如く、神の理想は地上天国を造るにあり、天国とは戦争のない恒久(こうきゅう)平和の、真善美が完全に行われる世界であらねばならない。とすれば、最も発達するのは芸術である。

 昔から〝宗教は芸術の母なり〟という言葉もある位で、宗教と芸術とは切っても切れない、密接な関係にある事は、今更言うまでもない。

 処が不思議な事には、古来からの数ある宗教の中で、その開祖が芸術に関心を持った者は、殆んど見当らないと言ってもいい。ただ僅かに宗教人で芸術に()を向けたものは、外国では絵画に於けるダ・ヴィンチ、音楽に於けるバッハ、ヘンデル位のもので、日本では聖徳太子の仏教美術、行基(ぎょうき)空海(くうかい)の彫刻等で、支那では宋元(そうげん)時代、日本では天平(てんぴょう)前後、僧侶にして絵画を()くしたものが(じゃっ)(かん)あった位である。という事は、大いに理由がある。それを書いてみよう。

 右の原因は、全く夜の世界であったが為で、言わば未だ黎明(れいめい)には程遠い為、天国の準備の必要がなかったからである。忌憚(きたん)なく言えば、地獄の期間中であったからである。何よりもその現われとして、各宗の開祖が、天国的というよりも地獄的境遇にあって、教義を弘通(ぐつう)するにも、(いばら)の道を開いたその苦難は、容易なものではなかった位で、事実天国とか芸術(どころ)の話ではなかった。というわけで、今日まで自分が天国を造るなどと唱えた聖者は、一人もなかったと言ってもいい。併し、時期は明示しなかったが、いつかは天国的理想世界出現の予言はされていた。彼の釈尊の「彌勒(みろく)の世」キリストの「天国は近づけり」日蓮の「義農(ぎのう)の世」天理教祖の「甘露(かんろ)(だい)の世」大本教祖の「松の世」等々がそれである。

 然るに我等は、時期いよいよ到れるを知り、天国は今や呱々(ここ)の声を挙げんとする直前である事を、普く全人類に告げたいのである。勿論そのような誇大(こだい)妄想(もうそう)とも言える大企図(だいきと)は、人間の力で実現するなどは、予想だもつかない事ではあるが、絶対権威者である神の経綸(けいりん)である以上、その可能は一点の疑う余地はないのである。何となれば、今日神はその力を示すべく幾多の驚くべき奇蹟を顕わし、確固たる信念を我等に植えつけつつあるからである。この事は、本教信徒の誰もが体験しつつ、不動の信仰を把握しつつあるに見ても知らるるのである。

 以上の論旨の具体化として、本教が最も芸術に力を注ぎ、その手始めとして今、箱根、熱海の景勝地に天国の模型を造りつつあるのである。

 以上の点を充分認識出来なければ、本教出現の真の意味は理解出来ないのである。これを一言にして言えば、今日迄の宗教は、言わば天国出現の基礎的工作の役目であり、本教はその基礎の上に、天国樹立の役目であり、それを担うべく出現したのである。

(救世 六一号)

 

 

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