展覧会を見て

 私は今度久(ひさ)し振(ふ)りで、上野に開催中(かいさいちゅう)の二つの展覧会を見た。一つは院展(いんてん)、一つは二(に)科(か)会(かい)である。どちらも現在日本に於ける東西絵画の代表と思ったからだ。そこで見たままの印象を、茲(ここ)に赤(せき)裸(ら)々(ら)にかいてみよう。今迄多くの展覧会を見たが、今度程(ほど)不思議な感に打たれた事はない。失望(しつぼう)と悲哀(ひあい)は、私の心を暗黒(あんこく)にしてしまった。日本には最早(もはや)、絵画否(いな)油絵は無くなった。美の芸術は、最早(もはや)見られそうもない。どんなに贔屓(ひいき)目(め)に見ても、今日(こんにち)見た絵画からの印象は、絶望そのものであり、怪(あや)しき惑乱感(わくらんかん)だ。数点は絵画らしいものもあったが、大部分は奇怪(きかい)極(きわ)まる妖画(ようが)でしかない。

 先ず、院展(いんてん)を見た感想から書いてみるが、既往(きおう)を顧(かえり)みると、院展も発足(ほっそく)の最初は、兎に角、当時の画壇(がだん)を断然(だんぜん)引離して、一種独特の新境地(しんきょうち)を開き、時代の先駆者(せんくしゃ)としての栄誉(えいよ)を担(たん)ったのは誰も知る処であろう。勿論当時の旧形式(きゅうけいしき)に飽き足らなかった画人(がじん)の群(むれ)は、流行を追う女性のように、院展目指して追い駈(か)けたのは勿論だったが、いつの間にか追いついてしまった事だ。その中で錚々(そうそう)たる純院展派(じゅんいんてんは)も出来、所謂(いわゆる)中堅幹部として、有名画家となった幾人かはあった。併し不思議にも御大(おんたい)の齢(よわい)のように、院展の歩みは遅々(ちち)となり、停頓(ていとん)は憧憬(どうけい)画人群をさ迷(まよ)わしてしまった。

 茲で、当時の京都画壇を一瞥(いちべつ)してみよう。当時竹内栖(たけうちせい)鳳(ほう)氏は京都の画壇に鎮座(ちんざ)ましまして、大御所的威(い)を張っていたので、東の大観(たいかん)に対し西の一(いち)敵国(てつこく)の概(がい)があった。勿論(もちろん)京都派の有為(ゆうい)の画人は、東京と同様栖(せい)鳳(ほう)を追随(ついずい)したのは勿論である。併し栖鳳逝(ゆ)いて後、盲人(もうじん)の杖(つえ)を失った如き寂莫(せきばく)たる感(かん)を呈した。その間僅かに栖鳳に倣(なら)わず、独自の技を発揮していた者に、橋本関(はしもとかん)雪(せつ)、冨田渓仙(とみたけいせん)の二(に)鬼才(きさい)があったが、この両者共、これからと言う時物故(ぶっこ)してしまったのは、惜しみても余りある。

 今、東西画壇を見渡(みわた)した時、残念乍(なが)ら将来性を持つ画人は殆(ほと)んど見当らないと言えよう。成程、現在強(し)いて求むれば、東京に於ては古径(こけい)、靱彦(きげひこ)、青邨(せいそん)、龍子(りゅうし)、遊(ゆう)亀(き)、西にあっては平八郎(へいはちろう)、印象(いんしょう)位であろう。成程この人達も上手の域には達しているが、画壇を指導する程の実力は未(いまだ)しの観がある。実に心細い限りであって、我等の鑑賞欲も、兎(と)もすれば現代画から離れようとするのは致し方なかろう。只僅(わず)かに残っているものに玉堂(ぎょくどう)がある。勿論その技に至っては、大観(たいかん)、栖(せい)鳳(ほう)に比べて聊(いささ)かの遜色(そんしょく)もないが、この人の恬澹(てんたん)たる風格(ふうかく)は、何等野心(やしん)なく、奥多摩に幽居(ゆうい)して世と交(まじわ)らず、ひとり画業を楽しんでいる。これは、当代偉(い)とするに足ろう。故にこの人は国宝的存在として、静かに余生(よせい)を送る事を願うのみである。こう見て来ると、日本画現在の淋しさは、私感(しかん)のみではなかろう。

 茲(ここ)で今一層深く論じてみなくてはならない。彼(かれ)大観(たいかん)は老齢の為か往年(おうねん)の精気(せいき)なく、栖(せい)鳳(ほう)は已(すで)に逝(ゆ)き、とすればこの二大目標(もくひょう)に代るべき巨匠が出ない限り、日本画壇の行詰(ゆきづま)りは当然である。茲(ここ)に至って日本画壇の新しい針路(しんろ)を見出(みいだ)さざるを得ないと共に、時代はそれに味方するように動いて来た。それは西洋画に活(かつ)を求める事だ。併しこれは日本画の生命を没却(ぼつきゃく)した一時的自慰(じい)以外の何物でもない。

 見よ、近来(きんらい)の作品を。日本絵具を油の代用(だいよう)にしているまでだ。これは自己(じこ)を生かさんとして、自己を殺す事だ。併(しか)し乍(なが)ら、レベル以下の画人層は自己満足でそれでいいだろうが、レベルの上に立つ画人は、浮薄(ふはく)なる流行を追う事は出来ない。と言って、超然(ちょうぜん)たる事も出来ない。それは時代の落伍者(らくごしゃ)扱いを受けるからだ――という、ジレンマにかかっている。それが作品によく表われているから致し方ない。そうして院展の存在確保の為にも、御大(おんたい)はじめ、三羽烏(さんばがらす)の出品は欠(か)くべからざるものであろう。そのお座(ざ)成(なり)的(てき)が作品に表われていて、生気(せいき)なき事夥(おびただ)しい。我等はそぞろ悲哀(ひあい)を感ぜざるを得ない。世間言う如く、大観(たいかん)老(おい)たるか、今度画伯の鳴戸(なると)の絵を見て、右の言(げん)の否(いな)めない事を知った。何ら新味(しんみ)なく相変らずの唐(から)墨(すみ)で描いた黒い岩と緑青(ろくしょう)と岩(いわ)絵具(えのぐ)の波である。水が一段低い所へ流下(りゅうか)し、出来た二つの渦巻(うずまき)がある。どうみても変だ、何とか今少し工夫(くふう)がありそうなものだと思った。数年前のこの種の絵の方が数段上だと思うのは、我等のみではあるまい。又古径(こけい)氏の、女と壺の絵にしても、落款(らっかん)がなければ見過ごす処であった。靭彦(ゆきひこ)氏の大観(たいかん)先生の像は可もなく不可もなしか。青邨(せいそん)氏の鯉は凡(ぼん)である。

 只今度の院展で、兎も角私の目をひいた絵が一つあった。それは小(お)倉(ぐら)遊(ゆ)亀(き)女(め)の瓶(へい)花(か)の図である。ガーデニヤの八重三輪(さんりん)を眼目(がんもく)とし、呉須(ごす)赤絵(あかえ)の瓶にさし、二、三の他の花をあしらった、そのポーズも色彩(しきさい)も褒めてよかろう。特に余白を淡(うす)墨(ずみ)で暈(ぼか)し、静物(せいぶつ)を引(ひき)立(た)たした意図は、心(こころ)憎(にく)い程である。以上私が見たままの感想である。

 次の二科会を見て唖然(あぜん)とした。私の頭脳は、憤慨(ふんがい)と悲(ひ)観(かん)と惑乱(わくらん)でゴチャゴチャになってしまった。美を追究するどころではない、美などはありはしない。只醜(しゅう)のみだ。見るのさえ私は苦しい。この暑いのに、遠い所まで来て苦しむとは、何の因果(いんが)か。絵を見て憤激(ふんげき)するとは、世にも不思議と思った。もし今日(こんにち)の油絵がこのままであるとしたら、金輪際(こんりんざい)見ない方がマシだとさえ思った。忌憚(きたん)なく言えば、これは絵ではない、美も芸術も全然ありはしない。只あるものは奇怪(きかい)極(きわ)まる平面な物質だ。本来絵画(かいが)とは自然の表現(ひょうげん)なんだ、自然の美を芸術を通して、より美化(びか)し、魅力化(みりょくか)する、それ以外何もない筈(はず)だ。死人の如き裸婦(らふ)や、幽霊(ゆうれい)の如き群像(ぐんぞう)など、まるで地獄(じごく)図絵(ずえ)そのままだ。そればかりではない、幾何学的な線の交錯(こうさく)や、毒々(どくどく)しい色の乱舞(らんぶ)だ。それを絵として得々(とくとく)と出陳(しゅっちん)している無恥(むち)さだ。私は絵具とカンバスの徒費(とひ)を惜しまずにはおられない。このような、世にも不思議な作者の心理を解(と)こうとしたが、解き得ない。頭脳は苛々(いらいら)してくる。これは一種の罪悪であるとさえ思った。私は頭の中が変になって来た。到底(とうてい)見続ける事は堪えられない。早々(そうそう)館を出た。初秋(しょしゅう)の上野の空を仰いでホッとして、救われたような気がした。つくづく思った事は、今見た現在の油絵である。何としても行過ぎだ、迷路(めいろ)に入り込んでまだ気がつかないのだ、新しい感覚を追求しすぎたのだ、美意識のサディスムス的重症患者だ、フランスのピカソあたりから感染(かんせん)された伝染病であろう。我々と雖もマチス、ルオー、ボナール程度のものなら理解出来ない事はないが、ピカソに至っては縁(えん)なき衆生(しゅじょう)でしかない。彼等は只個性(こせい)の表現にのみ心を奪(うば)われてしまって、遂にこうなったのだ、個性の幽霊だ。言い変えれば主観の亡者(もうじゃ)だ。主観の亡者は、現在ひとり画家ばかりではない、到る所にあるが、画家のそれは殊(こと)に始末(しまつ)が悪い。吾々の貧しい研究によるも、支那(しな)の宋(そう)、元(げん)から、日本の足利(あしかが)時代以後今日に至る迄、巨匠名人と言われる程の画人は、例外なく客観性を逸(いっ)してはいない。厳(げん)とした主観があって、それを客観で包んでいる。例えば主観とは、人間なら骨(ほね)である。骨を包んでいる肉や皮膚があってこそ、客観の美がある。処が今の油絵は皮膚や肉がない、只骨の露出(ろしゅつ)だ、美も芸術も無である。この意味に盲目(もうもく)である限り、彼等はやがて滅(ほろ)んでしまうであろう。それを知るが故に、私はこの苦言(くげん)を呈するのである。

 次に、帰りがけ青(せい)龍展(りゅうてん)を見た。会場芸術の本尊(ほんぞん)だけあって、成(なる)程(ほど)大きな絵が所(ところ)狭(せま)きまで並んでいる。忌(き)憚(たん)なく言えば、どれもこれも低迷(ていめい)状態で、殆んど進歩の跡(あと)は見られない。一言にして言えば、余りに喧騒(けんそう)だ、喋(しゃべ)りすぎている。色のジャズだ、実に目紛(めまぐる)しい、どれもこれも画(か)きすぎている。余(よ)韻(いん)も落(おち)着(つ)きもない、露(ろ)出(しゅつ)狂(きょう)的(てき)だ、成程奇(き)抜(ばつ)もいい、気のつかないものから美を引出そうとする意図は判るが、絵としての約束を無視して意味がない。絵にならないものを絵にしようとする苦悶(くもん)が、見る者を苛(いら)立(だ)たせずにはおかない。龍子(りゅうし)先生の金閣(きんかく)炎上(えんじょう)は無難と言うまでだ。茲(ここ)で先生に一言いわして貰おう。それは、絵画の絶対条件としては、気品(きひん)である。高さである。青(せい)龍展(りゅうてん)を見て、その憾(うら)みを感じないわけにはゆかない。今一つは、今もって会場芸術に囚(とら)われている。これが抑々(そもそも)異端(いたん)でなくて何であろう。人間に美を楽しませるとしたら、室内装飾(そうしょく)とは絶対切離(きりはな)す事は出来ない。展覧会だけでしか楽しめないとすれば、芸術の価値は半減(はんげん)されてしまう。これは正(まさ)に執(しゅう)着(ちゃく)の幽霊(ゆうれい)だ。もっと突(つ)き詰めて言えば、芸術家の我儘(わがまま)でしかない。以上遠慮ない苦言(くげん)は、君を思うからである。

 総括(そうかつ)して、最後に天下の画家諸君に言いたい事は、君達の画業は今、壁に突当ってどうにもならない。この壁から抜け出ない限り、恐ろしい自滅(じめつ)の運命は押迫(おしせま)るだけだ。特に洋画家諸君に言いたい事は、画の大きさや、石の重さや、ダンスで見物人を呼ぼうとする浅ましさだ。これは人間からボイコットされた画家の呻(うめ)きでなくて何であろう。

(栄光 七〇・七一号)

 

 

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