平和主義を考えてみる

 最近二つの民間平和会議が、然も日本を中心として開かれたのは特筆すべき一事であろう。そうして一方は東京での亜細亜アジアにおける有力な仏教家の会合であり、他の一つは広島においての世界連邦平和会議で、これは主にキリスト教の有力な人々の会合であって、言うまでもなく両会共平和を念願とする人々の集りであり、宣言や運動方法なども議題に上ったようだが、無論有意義な企てであって、吾等も賛意を表するにやぶさかではないがこれについて聊かかいてみたいと思うことがある。

 というのは右の会合もそうだが、彼の平和運動の有力な団体としてのユネスコである。これは前者の如く宗教的ではなく科学と道義を基本とした世界平和の実行運動であるから、これも大いに結構であるが、これについて深く考えてみなければならないと思うのは、鉄のカーテン内の国には聊かも関係のない事である。尤もそれは不可能であるから致し方ないとしても、今の処カーテン外の国だけの平和運動であるから、よしんばそれが思い通りに成功しても、所期の目的は達し得られないことは分っている。何となれば、その結果は逆になって恐るべき事態を招来するからである。これについて先ず現在の世界情勢をみてみると、何といってもその根本は米・ソの対立である。しかも両国共力の限り戦備の強化に奔命ほんめいしており、この儘続くとしたら、結局は最悪の事態にまで立到るのは議論の余地はあるまい。としたら、この二大陣営の融合こそ恒久こうきゅう平和の道であって、それ以外絶対あり得ない事は言うまでもない。

 そうして若し不幸にして第三次戦争が始ったとしたら、全世界の国という国は右のどちらかに属している以上、悉く捲込まれるのは勿論、如何なる小国と雖も中立は不可能であろう。としたら、これを想像した丈でもはだえあわを生ずるのである。それだからこそ平和運動の必要もある訳だが、茲で気が附かねばならない重大事がある。それは何かというに、これ等の平和運動によって、鉄のカーテン外の国全部が平和の空気が濃厚になるに従い、自然軍備の面がおろそかになるに決っている。処が相手の鉄のカーテン内の各国は思い通り軍備が充実することとなる以上、イザという場合力ーテン外の国は一溜りもなく蹂躙じゅうりんされるに違いない。としたらその時はどうなるであろうかを考えて見て貰いたい。恐らく平和主義者の理想などは忽ち吹ッ飛んでしまい、どんな悲劇が生まれるか判らないであろう。それについても最近の外国通信によれば、キリスト教中の或一派は、勝敗など全然問題にせず、自分等は絶対軍備反対であると称し、がんとしてかないので手がつけられないらしい。成程それも間違ってはいない。確かに信仰の筋道からいえば本当であるが、といって、万一国が滅びるとしたらどうであろう。無論信仰を続ける事は出来まい。従って右のような極端な非戦主義は戦争敗北主義であり、自殺主義でもある。

 そうはいうものの、私はどちらの可否も決定はしない。何故なれば現在の如き世界の動揺も危機も、深甚なる神の経綸に外ならないからである。いつも言う通り神の仕組は人間の智慧や理窟で到底判断出来るような生易しいものではない。その奥には奥があり、実に端倪たんげいすべからざるものである。又若し分ったとして説明しても、人間の頭脳では理解出来ないから無駄である。大本教の御筆先の一節に〝細工は粒々仕上しあげを御ろうじろ〟という言葉があり、実に適切であると私は常に思っている。

(栄光 一八四号)

 

 

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