悪の追放

 現在の世の中は、まだ文化の進歩が遅れている為ではあろうが、どうも識者(しきしゃ)なるものは実に馬鹿々々(ばかばか)しい事に骨を折っている。それは何かと言うと、ヤレ共産主義とか、社会主義とか、資本主義とか、何々主義などと言って、色々な主義を作り、一生懸命になっているが、帰する処(どん)(ぐり)背比(せいくら)べにすぎないのである。昔から、主義なるものは現われては消え、現われては消えているだけの事である。これは何が故かと言うと、丁度今日の結核新薬とよく似ている。やれストマイ、パス、テラマイシン、クロロマイセチンなどと言って、ヤイヤイ(さわ)がれているかと思うと、今度はヒドラジッドなどという新薬が出来ると共に、最初はドエライ宣伝で、これで結核問題は今にも解決出来そうに思わせられたが、最近は()(ほど)(あや)しくなって来たようだ。このように、嬉しがらせたり、失望さしたり、同じような事を繰返(くりかえ)しているのが文化的というものであるとしたら、実に馬鹿々々しい話で、迷わせられる人間こそいい(つら)(かわ)である。

 話は(もど)るが、政治屋などもその通りで、何々主義、何々政策などといって、映画館の看板じゃないが、客呼びに骨を折っているが、肝腎な中身はどうも空ッポーのように思われる。だから本当を言うと、主義主張などという()(だい)(もく)は二の次で、要はそれを扱う人間様の了見(りょうけん)次第で、つまり善か悪かである。例えば、今みんなが(おそ)れている共産主義にしても、理論は結構だが、暴力や破壊手段などを用いたり、自分達の仲間だけがよければ、社会全体の不安など余り気にとめないという、利己主義が悪いのである。又資本主義にしてもそうだ、資本家ばかりが(ふところ)(こや)し、贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)な暮しをしながら、使用人や労働者は、物価高で食うや食わずになっていても、見向きもしない行り方が悪いのである。又社会主義にしても()(ごく)(こう)(へい)なようだが、実はこの位不公平なものはない。それは偉い人間も偉くない人間も、働く者も怠ける者も、家畜動物のように一列(いちれつ)一体(いったい)の扱い方であるからで、それが為社会の進歩は阻止(そし)され、天理に(はず)れるから悪いのである。

 (ここ)で総選挙も近づいたから、これに就いても少し書いてみるが、悪がなくて誠実(せいじつ)の人は世間からも信用されるから、候補に出ても三当二落(さんとうにらく)などという馬鹿気た金を使わずに済む(はず)だから、偉い人が出そうなもんだが、今日のようでは、そういう人は出られないから引込(ひっこ)んでいる。その反対に、誠実などは二の次で、大いに札ビラを切る人程出られる率が高いようであるが、無論こういう人は(めい)()(よく)(もう)(じゃ)か、何か腹に一物(いちもつ)ある人に違いないから、立派な議員とはならないに決っている。日本の議員のレベルの低いのは、原因はこの点にあると私は思っている。

 又重ねて言いたい事は、新薬に就いては信者はよく知っているが、どんなに良い薬が出来たと言っても、病気の治らない事は(たい)()(ばん)()しても間違いない。元来(がんらい)薬で病気は(いささ)かも治る(はず)はない。何故なれば薬は全部毒であるからで、毒を飲んで身体が健康になるなどは〝石が流れて木の葉が沈む〟である。つまり薬という毒で、一時病気を(おさ)え苦痛を(かん)()させるだけの事で、その結果薬毒が病気を作り、年中鼬鼠(いたち)ゴッコをし乍ら、人間は段々弱まってしまうのである。今日のように病人の多い事実がよくそれを証明している。従ってそんな箆棒(べらぼう)な医学や、恐ろしい薬を何とか知らせたいと思って、我々は身を砕いて一生懸命になっているのである。

(栄光 一七三号)

 

 

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