男女同権論は民主主義の産物として、洵に合理性に富んだ良識であるが、特に日本などは、長い間余りに女性の権利を無視し、不幸な地位に置かれていたのが、男女同権によって如何に救われたかは今更言うまでもないが、これも行過ぎによる弊害も注意すべきである。というのは、未だ男女同権になってから間もない日本としては、蓋し止むを得ない過渡的現象でもあろう。彼の米国のように、長い間訓練せられ、社会全般に溶け込んでしまった国としては、何も言う必要はないが、右のごとき我が国の現在としては、より早く救われる意味から、標題の如き男女合権論を書いたのである。
抑々、男女同権とすれば、どうしても双方自分の言分のみを主張したがり、妥協性が乏しい事になる。何となれば、同権とは同等であり、差別がないから、どちらも凸と凸である。凸と凹があってこそ和合があるので、凸同志ではどちらも譲らない事になり、争いが絶えないのは当然の帰結である。成程男女同権によって女性の地位は向上し、幸福が増したのは勿論であるが、一面右のような、予期しない争いの苦悩が生まれる事も軽視出来ない。丁度自由主義の行過ぎが我侭主義となるようなものである。
我等が男女合権論を説くのは、この意味に外ならないのである。合権とは、等級をつける――即ち、五分と五分ではなく、男六分女四分という事にするのである。というのは、大抵は生活上男子の力量の方が勝るからである。併し世間には女子の力量が勝って、男の方が従属的の場合もあるから、そういう夫婦は女六男四でいいわけである。このようにするとすれば大いに争いは減り、夫婦生活の幸福は増す事になるのは保証し得よう。この文を世の夫婦生活者に提供するのである。
(救世 四八号)
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