皮肉文学の弁

 皮肉とは皮(かわ)と肉(にく)であるから、骨(ほね)のない奴(やつ)の戯言(ざれごと)にして、物を直線に見、直線に語る事は、攻撃の手が恐ろしい為、物を裏から見、歪(ゆが)めて言う卑(ひ)屈(くつ)極(きわ)まる奴なり。併し乍ら真面目クサッて物を見る奴は、融通(ゆうずう)が利かず、洒落(しゃれ)気(げ)がなく、木石(ぼくせき)同様である。こういう奴ばかりが殖(ふ)えると世の中は面白くなくなる。今の人間は、特に政治家など、理屈の枠(わく)に閉じ込められて動きがとれず、国会は揚足(あげあし)とりやアラ探しを事とし、屁(へ)理(り)屈(くつ)の言合いが本職で、見物人には面白く可笑しくもない。思い起す往年(おうねん)の加藤(かとう)高明(こうめい)の有名な皮肉や、高橋(たかはし)是(これ)清(きよ)の禅(ぜん)味(み)タップリの答弁など、実に興味津々(きょうみしんしん)たるものがあった。然るに今日(こんにち)の国会はどうだ。石を噛むような答弁ばかりでウンザリする。僕は日本にもバーナード・ショウのような皮肉文学の大家の出(いで)ん事を、望むや切(せつ)なりである。

(地上天国 一号)

 

 

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