食わず嫌い

 如何(いか)に医学が進歩したと言っても、病人のない家庭を作り、それが(ぜん)()増えるのでなくては、真の進歩とは言えまい。そうして、昔から(しゅ)()()という言葉があるが、これは医学の力のない事をよく現わしている。もし医学で真に病気が治るとしたら、主治医なる言葉は生まれない筈である。何となれば、健康者が増え、病無き家庭が出来るとしたら、お医者に用はなくなるからである。故に、主治医とは、絶えず病気に(かか)るので、常に()(やっ)(かい)になるという意味である。医師の()(とく)()という事も同様である。医師にかかると治ってしまうとしたら、病気中だけの必要で、(りん)()()もおかしいが、ただの医師の二字で沢山であろう。

 処が本当を言えば、常に身体の弱い人や、弱い子供がある場合、真に健康になるべき方法を教えなければならない。それは即ち健康医である。これらは医師の(ふく)(ぎょう)にすればいいが、このような事は先ず夢でしかあるまい。

 玆で、本教の分野である理想医学について言うが、それは薬剤の必要がなくなるから、経済的負担もないし、近来各地に現われるワクチン禍や注射禍も全然ないから、実に安心であると共に、病気が根本的に治るという実績は、文字通り如実(にょじつ)に挙げつつある事である。然るに、それを見ないで本教に非難を浴びせる人が多いという事は、全く食わず嫌いで、本教に触れてみないからである。それも無理はない、何しろ食わず嫌いをつくる処の大きな食わず嫌いがあるからで、それは本教を迷信邪教と言って、本教に寄せつけないように一生懸命になっているジャーナリスト達である。この意味によって、先ずジャーナリストに味を知らせる事である。併し彼等はなかなか食いつこうとしない。

 警戒おさおさ(おこた)りなく、実に用心(ようじん)堅固(けんご)である。いつも言う通り、その原因は、子供のうちから数十年かかって、唯物思想で腹の底まで()()まれているからである。とすれば、この唯物主義の色ぬきこそ問題解決の(かぎ)である。

 本教に入信し、数年を()たものは病なき家庭が出来上るのである。こんな素晴しい健康法が世界中どこを探してもあるであろうか、という事を言えば足りるであろう。

(光 三四号)

 

 

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