偖て、つくづくと世の中を、見れば見る程、ヤレ金詰り、ヤレ税金、ヤレ足りないと、泣言ばかりの意気地なさ。先ず考えても見るがいい。昔からお足と言って、お金には足が生えているんだから、気を許したら逃げちまう。だから、しっかり財布の紐を、結んでおくより仕方がない。だが待てよ、稼ぐに追附く貧乏なし、と言うじゃないかとぬかすだろうが、それは昔の奴の世迷言、そんな生やさしい話じゃ追っ附かぬ。いくら稼げ稼げと、貧乏神、追附き過ぎて足元に、絡みついてて離れない、と来ているんだから、やりきれぬ。処がだ、馬鹿の一つ覚えのように又しても、苦しい元は税金や、金詰りという奴だと、無闇に罪をナスリつけ、見当違いの的外れに、御気が附かない明盲。よくよく考えてみるがいい、今の世の中で、一家揃って一年中、病気のないという家は、唯の一軒もありますまい。少し人数の多い家と来りゃ、一人や二人の病人のない御家庭は、鉦と太鼓で探したとても御座んすまい。それだけならばまだいいが、少々運の悪いのは、入院、手術と来るんだから、やりきれぬ処かうっかりすると、彼の世とやらへ旅立とくるんだから、オッカナイ。散々っパラお医者さんへ、いりあげ奉ったその揚句、葬式万端の払いから、お寺様への附け届け、ヤレ法事だ、ヤレ御供養だ、などと金の要る事夥しい。長年掛って溜めといた、虎の子同様の貯金帳、残り少なの心細さ、こんなわけだとしたならば、二、三人も次々と、彼の世往きとなったなら、愈々以て大事だ。先祖代々の身上も、吹ッ飛んでしまうのは知れた事、考えりゃ考える程、テモ恐ろしい世の中じゃ。これが本当の貧乏の、原因なんで御座んする。そこへ誰方も気が附かぬ、明盲とは情ない。相も変らぬ懐の、御寒い御仁がそこら中、ウヨウヨしている有様は、見てはおれない拙者で御座る。只生きているだけの、名ばかりの人間様が、愚痴や不平の言い続け、何処も同じ秋の夕暮。
そこで先ず、阿呆の拙者、正直に言ってみたなら斯様で御座る。右の通り、凡そ検討違いの事ばかり、何でも悪い事柄は、みんなお上の所為にする。自分の意気地なしを棚に上げ、文句タラタラ役人へ、打っつけるんだから堪らない。人民共を見下して、フンゾリ返って威張ってる、お偉方でもこりゃならぬと、頭痛鉢巻の体タラク、洵に以てお気の毒と、大いに同情してあげるんだから、何と阿呆という奴は、感心なものじゃによって、これから阿呆の税金は、負けてやってもよかろうと、仰言る事は、マアー御座んすまい。右の通りに貧乏の、因はと言えば病神、だとしたならば何よりも、病気を退治しない限り、貧乏という化女に可愛がられて、金輪際離れっこないんだから、堪らない。だから有難いメシヤ教に、願えば変な化物は、早速逃げてしまうから、貧乏嫌いのお方なら、何を措いても早速に、メシヤ教へと御出なされ。
処が今の人間と来ちゃ、病気は医者と薬より、外に治すものはないと、決めてしまっている安本丹、貧乏は税金が高い為、女は嫉妬を焼くもので、親父はイヤに威張るもの、アプレゲールは親不孝、新宗教はインチキで、御役人は賄賂とるもの、若い女優は裸を見せるものと、てんから決めてしまうんだから、何と始末の悪い世の中じゃ。とうわけだから、仕合せになりたいお方なら、思い切って物は試しと本教へ、入ったならば案の定、身体はピンピン若返り、年が年中、薬要らずの、無駄な金一銭も出さない結構さ、懐工合はいつも満点、御札は溜り放題で、おまけに大黒様と来りゃ、不断から奉ってくれる御褒美と、小槌振り振り打出すは、小判ザグザク、オットドッコイ、札束バラバラ降らすは勿論で、ずっしり重たそうな大袋には、ありと凡ゆる宝物、運んで下さる有難さ。こうなりゃ、誰方も不足など、爪の垢程も申すまい。これが本当の彌勒の世、七福神の楽遊び、などと阿呆の一人よがり、太平楽を並べ立て、この世智辛い世の中を、知らぬが仏の呑気者、などと言おうが言うまいが、それはそちらの御勝手次第、これでおしまい左様奈良。
(栄光 九三号)
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.